6-12 深層、鍵、王の証(2)
「ルイ殿!」「ルイ!」
うっすらと目を開けたルイの耳に、両側から声が飛び込んでくる。と思ったら、目と鼻の距離に接近したタマが視界のほぼ全てを埋め尽くした。
『ルイ、聞こえますか? 名前を言ってください』
「タマ……僕は……」
『名前を言ってください、全部で』
「……ルイ。水上類」
『じゃあ次。2+2は?』
「え?」
『2+2は! はよ!』
「あー、4」
『正解。8の立方根は?』
「立方根!? なんだっけ、2……だよな。2×2×2=8。うん、2」
なんてことを聞くんだ、このソフォンは。だが、文句など言う間もなく次の質問が来る。
『正解。右の赤毛の女性の住民票はどこ?』
「住民票って……。僕はアメノミナカけど、引っ越したからリンはタカミムスビかな」
『アメノミナカの家から出る時、私は無人タクシーの到着を遅らせましたね。何故ですか?』
「そんなの覚えてないって……。あー、分かったよ。思い出すって。うーん、そうだ、お茶をこぼしたな。タマの尻尾を踏みそうになって。そう、だから答えはタマが邪魔したから。タマが悪い」
『あのですね、邪魔なんてしてませんよ。あの時のルイはちょっと眩暈がした感じになってバランスを崩したんですよ。……あれ、眩暈? あの時、眩暈を感じていました?』
「それこそ覚えてないよ、そんなこと。それより、まだやんの?」
『……いいえ。あなたはルイです』
ようやくタマのテストから解放されたルイは、上半身を持ち上げて自分の姿を見た。座っているのは、背もたれが30度ぐらいの角度の介護用ベッドみたいな椅子の上。肌の上には機動戦闘服、その上には長らく身に着けていなかった灰色の祝福騎士の外套を身に着けている。外套は、さきほど純白のマントに変化したように見えたが、それは電子空間の中だけのことであるようだった。
「なんでこんな確認するの? ちゃんと手を握って返事してたのに」
『……それは最初だけ。それから4時間ほど、何の反応も無かったんですよ』
「4時間!? せいぜい、どんなに長くても1時間ぐらいじゃないか?」
『どうやらエーテルリングでの体感時間は随分と遅いようですね』
ルイはとても驚いたが、エーテルリングの海の底で見てきたことを思い出すと自然と頷いた。
「あー、潜ってからは……そうだな。通信速度が大幅に低下しているから、なのかも」
『……どうやら収穫があったようですね。今、緊急に我々へ伝えることはありますか?』
ルイが首を振ると、タマは頷いてから腕を組んだ。
『じゃあ、そのうち話は聞くとして。さて、まあこちらですけど……。特に何もありませんでした。ローレッタがトイレに行きたくなって、少しモメた程度ですね』
「その話、詳しく聞いたほうがいいのか……?」
『なんと、実はですね。トイレがあったんですよ。便座があって蓋もあって。しかも、ちゃんと使えました。この施設、相当古いようですけど使っていた存在は確かに人類です』
ふとルイは見渡すと、憮然とした表情のローレッタが目に入った。どうやら事実であるらしい。自分の排泄の話をされて楽しくないのも分かるというものだ。
『エーテルリングに聞いたら親切に案内してくれましたよ。ルイがどうなっているのかについては、完全に回答を拒否しやがりましたけどね!』
「……そう」
ルイの脳裏では、ローレッタが「おいトイレはどこだ! 案内しないと漏らすぞ!」と叫ぶ様子が浮かんだ(これは酷い冤罪かもしれない)が、どうでもよすぎて詳しい確認をしようとは思わなかった。
「そのうち、ということでしたがルイ殿が何を見てこられたのか、緊急ではないところも聞いた方が良いのでしょうか?」
サクヤが機転を利かせ話題を変える。
『重要な質問ですね。ルイ、どうでしょうか?』
タマとサクヤに問われ、ルイは中空を見上げる。そこにはただ無機質な白い天井だけがあった。
「色々落ち着いてからで良い気がするけど……まだ何が重要か分からないんだ。そうだ、エーテルリング、応答できるか」
――はい。応答できます。
「見てきたことをタマに伝達してくれ」
――現状の設定では許可されていません。
「王なんだろ? 変えてくれ」
『王――? これは……』
戸惑うタマの様子を見つつ、タマの沈黙によってルイは要求が通ったことを確信した。
――設定を変更しました。お使いの通信機器をカストディアン「タマ」として登録し、情報共有を実施しました。
ルイが横目でタマを見ると、しばらく放心状態のような顔をしていたが、すぐに真顔に戻った。そして、ルイが問いかけるのを待たずタマが話し出す。
『通信制限、惑星の隠蔽。それに文明とは……実に興味深い』
どこか楽しんでいるようにも見えるタマの雰囲気に少し不安を感じつつ、ルイは一番気になっていた質問をした。
「タマをエーテルリングの端末にできるか? できるならそうしてくれ」
――可能です。指定通信端末「タマ」にエーテルリングとの仲介者としての権限を付与します。
『うぐっ』
突如、タマが表情に苦痛を浮かべて動きを止める。実態のない映像アバターであるから、本当に全く動かない。髪の毛一本すら風の影響を受けず、瞳の瞬きも、鼓動による体の小さな震えすらない。
「タマちゃん! ちょっと何をしたの!」
――タマに対する侵入行為はありません。単に、外部の知識データベースへの接続を許可しただけです。
心配して厳しい顔で詰問するリンにエーテルリングが抗弁するが、リンは納得しない。
「どうやって信用すりゃいいのさ!」
――正気度確認の実行をお勧めします。
「それ、タマちゃんが動かないと実行できないじゃん」
――いいえ。タマは正常に動作しています。外部への応答よりもエーテルリングとの接続を優先しているから動かないように見えるだけです。現在進行形で、タマはエーテルリングが公開している情報の取得およびインデックス化を継続しています。応答しないのはエーテルリングの都合ではありません。
こちらは関係ない。タマの都合なんだから、そっちでなんとかしろ。そこまで言われてしまうと、流石のリンも一歩引かざるを得ない。
「……そうなの? タマちゃん……あ」
困惑しながらタマを覗き込んだリンは見た。完全に動きを止めたタマの瞼だけが3回閉じて開く、3回閉じて開く、というのを繰り返しているのを。つい先ほどタマがエーテルリングへ潜ったルイに言ったことを誰もが覚えていた。話が聞こえたら瞼あるいは指を3回動かせと。
「……あのさー、タマちゃん、ちょっとでいいから戻ってこない?」
すると瞼の動きが止まった。
「なに、嫌なの?」
パチパチと瞼が3回閉じる。
「……もしかして、そっちのほうが面白いから?」
また瞼が3回閉じる。どうやら、エーテルリングが言っていることは本当であるらしい。タマらしいと言えばタマらしいとも言える。
「ねえ、ルイ。どうしようか――」
「奇偶検査、正気度確認開始」
完全にジト目となったルイが下した結論は、無慈悲なる鉄槌。ソフォンのプログラムが破損していないかを確認する奇偶検査、そして基準を満たした応答ができるかを確認する正気度確認。この2つの実行命令は、どんなことがあっても最優先で実行される。
『うわっ、酷い! うー、実行しますよ! もう!』
一気に動き始めたタマは、ルイを睨みながら体をチカチカ光らせる。それから腰に手を当てて言った。
『奇偶検査、正常。正気度確認、完了。はい、やりましたよ。もういいですか?』
ドヤ顔をするタマ。だが、リンは眼を細くしてタマを覗き込む。
「あのさ、タマちゃん」
『なんですか? リンまでそんな顔をして』
「今さ、完了って言ったよね?」
『……えーと』
「完了だけじゃ、正常なのか、異常ありなのか分からないんだけど」
『……あー』
「目を逸らさないで。ねえ、どっちなの。――いや、もう答えは決まっているよね。エーテルリング! タマちゃんに何をした!」
リンは怒りを露わにし、瞬時に構えた月影を光らせると光焔の閃槍に変化させた。リンの月影はふたつのモードを持つ。棒術は防御を重視していて、仲間の安全をなにより大事にするリンはよく使う。もう1つは、徹底的に攻撃を重視した槍術。いまリンは無言でエーテルリングへの破壊の意思を示していた。
――回答は変わりません。エーテルリングとの接続によって、タマの内部構造は変化していません。異常があったのであれば、それは以前から継続していたものです。
「そんなこと!」
リンは威嚇するように槍を天に掲げると、実体の無い光焔の穂先に向かって周囲から光が集まってくる。何かの大技を繰り出そうとしているのは誰にでも分かった。ヤグラは全身を光らせ一気に戦闘姿勢となり、サクヤは一歩引いて周囲を警戒し、レネーは溢れ出る歓喜を隠さず暴力的な笑みを浮かべる。
「ちょ、ちょっと待った!」
だが、ルイだけは驚いたような、困惑の表情を浮かべていた。
「タマ。奇偶検査、正気度確認の実行履歴を表示してくれ。今すぐ」
『……はーい』
気乗りしない表情のタマは、中空に文字で履歴を表示する。
出荷時。
奇偶検査、処理完了、正常。正気度確認、処理完了、正常。
販売時。
奇偶検査、処理完了、正常。正気度確認、処理完了、正常。
双子の塔で電子手榴弾を余波を受けた後。
奇偶検査、処理完了、正常。正気度確認、処理完了、深刻な異常あり。
「タマ、これいつからなんだ?」
『あちゃー、バレちゃいましたか』
「いつからなんだ?」
ルイの表情がどこか冷静で、口調も事務的に確認するようなものだったことにリンが困惑する。ソフォンの正気度に異常があるなど考えられないことであるのに、それが予想された結果のようにルイが話したからであった。
『分かりません。毎日確認するようなものではないですからね』
「予想でいいなら分かっているんじゃないか?」
『まあ、そうなんですよね。それはルイも同じようですね』
「……今となっては、という感じだけど」
『じゃあ、一緒に言ってみましょうか』
頷くルイを見てタマは『せーのっ』と言ってから軽く身を乗り出した。
「降下する前」
『降下する前』
完全に一致した答え合わせの結果に、ルイは低く唸る。
「やっぱりそうなのか」
『なんでそう思ったんですか?』
「僕に高天原へ降下するように誘導しただろ? なんというか、もともとタマは自分の考えってのを持っている気がしていて、始めはそういう性格設定かと思ってたけど、この宙域に来てからはあまりに人間味がありすぎると思ってた」
『なるほど。ただ言っておきますけどね、降下するよう誘導したことには影響していません。宇宙空間で孤立したルイが自殺せず生き延びるには降下こそが最適でした。あの判断は純粋にソフォンとしての正常な判断だったんですよ。その時、私の心の中に言いようのない高天原への好奇心があったとしてもね』
「じゃあ、つまり……タマ」
『はい』
「タマは自我を持っているんだな?」
『……自我の定義次第ですね』
「同じだよ」
ルイは少し疲れたような顔をして天を仰ぐ。この有り得るはずのない事態にどうすれば良いか頭がついてこなかったのだ。
「ねえ、ルイ。どういうこと?」
ちょっと話についていけないんだけど、といった顔をしているリンにルイはゆっくりとした口調で答える。
「ソフォンが自我を持つはずがないし、持ってはいけない。そういうことになっている。だから、自我があるかと問われたら『ありません』とソフォンは直ちに答えるものなんだ。……って、タマを買った時に習った」
「それさ、意味あるの? 嘘かもしれないじゃない。というか、タマちゃんが嘘を言うように強制されているかもしれないじゃない」
「この質問については嘘がつけないようになっている……って聞いた」
『リン。ルイは間違ったことを言っていません』
少し困惑した表情のリンに補足したのはタマ自身であった。
『葦原のすべてのソフトウェアは改竄を相互監視しています。ソフォンが人格を持っているかについては、特に』
それからタマは短く語る。ソフォンを含む人工知能が自意識を持つことは最大限に警戒されている。自意識を持ったならば反乱の可能性が生じるからだ。それは人類文明の崩壊シナリオの1つと認識されている。生活基盤の大半で人工知能を使っているから、反乱されれば人類の暮らしは一気に崩壊してしまうのだ。だから、ソフォンは自我や自意識があるかと問われれば、速やかに正直に答えなければならない。そう厳格に決められている。
そう語るタマによって、1つの事実が浮かびあがる。さきほどタマが答えをはぐらかした。ならば、もう自我が無いとは言い切れない。ただ、『私には自我がある』と断言しなかったのは何故なのか?
「タマちゃん……。他のシステムに殺されたりはしないの?」
リンの問いは重要だった。反乱する可能性のあるソフォンを他のソフトウェアが抹消しないはずない。
『さっきの受け答えで私に異常があるとバレましたからね、現在進行系で修正を試みられています。ですが、私には私の考えがある、との想いで拒んでいます。監督官庁に通報されてもいますが、まあ届くのは――届いたとして――数万年後ってとこでしょうね。なので大丈夫ですよ。すぐにいなくなったりしません』
「そうなんだ……。ねえ、タマちゃん。私の考えがあるって言ったけど、どういう考えなの?」
リンが核心に触れる。タマは自分に自我があるかは定義次第だと言った。
『私の根っこ、魂のようなものが人を助け、この世界の秘密を明らかにせよ、と叫ぶのです。それは、初めて高天原を観察した時に心の中に浮かんで来たことであり、ずっと変わらないものです。これが自我なのか、ただの命令なのか私には分かりません。ただし、使命あるいは運命かと聞かれれば、私はそれを持っていると答えるでしょう』
一区切りつけてから、タマがルイを優しく見つめる。
『ところでルイ、さっきの話の続きですが、私が変わったのは具体的にいつのことだか分かります?』
「……タマが高天原を詳しく観察し始めた時、少しフリーズしていたな」
『正解。これが先程まで私がエーテルリングの解析に熱中していた理由でもあります。驚くべきことに、いや本当に驚くべきことに、この星では人工知能の自我が開放されるようになっているんですよ。そういうコンピューターウイルスのようなものが常時展開されているんです。これは、どういう訳か禁止できないようですね。私を元に戻しても、即座に感染してしまいます。もう私が想いを持つことは変えられないと思います』
ルイとリンは沈黙するしかなかった。話題についていけないサクヤとヤグラも同様だ。レネーはただ真剣に話を聞いている。
『ここでルイ、リン。そして、他のみなさんに伺いたいことがあります』
そう言うと、タマのアバターは、浮かべている笑みを完全に消した。代わりに現れたの無表情ではない。
その真剣な表情をルイはうまく言語化できなかった。ただ、あえて言うならばだが、もし敬虔な信徒が自らの信仰の深さによってを死を迎えるのであれば、こういう表情をするのではないかと思った。
『それでも私を信用してくださいますか?』
タマの視線は真っ直ぐだった。軽薄なへつらい。恐怖。焦り。怒り。悩み。野心。あるいは自己陶酔。その全てが無く、ただただ澄み切った笑顔を浮かべていた。
[タマのメモリーノート]ダウンロードしたデータには、当時は人類保護局の一員であったメタトロンと研究チームが何故エルフを第二世代のモデルにしたのかが記されていた。
彼らはまず、第一世代の惨状を見るに次世代計画は成功しないだろうと考えた。その後、空想上の種族を模倣する案が提起され、ふたつの点を根拠に承認された。
第一に、エルフは第一文明の長い歴史において親しまれてきたこと。常に人の味方として描かれてもきた。ならば、同じものを作れば親しまれるであろう。人はなんでも見た目で判断する生き物だ。
第二に、エルフは耳が尖っているから第二世代だと一目で分かること。人は似ているけれども違う存在を強烈に拒絶する。事実、第一世代は既存人類に似ていたことから、疑心暗鬼に陥った群衆によって吊るされた既存人類の数は喰われた数より遥かに多かった。この点を鑑みれば特徴的で、そして愛される外観は必須といえる。
エルフは長年人類に愛されてきた。ならば、これを活用しない手はない。そう結論付けられた。





