6-6 2年目 ルイ、アズマ府へ行く(2)
豪奢な部屋の中、四人の人物が大きなテーブルを囲んで食事をしている。壁に掲げられた巨大な油絵の真下で平べったい麺を食すのは中年の女性。その横には尊大な表情の太った男がいて、同じく麺を――あまり箸の使い方には慣れていないようだが――なんとか、しかし夢中になって食している。
二人が食べ終わったころ、部屋に何人もの女たちが入ってきた。全員が黒に染められた地味な綿のシンプルなドレスを着ているが、誰もが隠しきれない恐るべき美貌と色気を兼ね備えていて、しかも微笑を浮かべている。ただ、注意深く観察したルイは、女たちの瞳の奥に緊張と怯えを見て取った。
当然のことだ。ルイはそう思う。この会談は非公式のもの。だが、出席者は連合帝国の大貴族カデノ女史と商人ギルドの重鎮、それに今を時めく新都市アマテラスの領主ルイと主席外交官サクヤなのだ。しかも初会合。その重要性、すなわちひとつでも粗相があれば多少美しいぐらいの平民の首など簡単に飛ぶのだと分かっているのだろう。さらに、彼女らが運ぶ料理は、前代未聞のものであった。緊張するのも無理はない。
「どうぞ。領主ルイが自ら開発した冷製ジュレというものです。お口に合えば嬉しく存じますが」
満面の笑みを浮かべて、サクヤが料理を勧める。運ばれてきたのはなんと、普段においては酒を呑む透明なグラス――極めて高価――に盛られた野菜入りのゼリーだ。しかも仄かに湯気の如き冷気が立ち上がっている。砂漠の都市において冷たい食事が出るなど、理解不能であろう。
「なんとも楽しみなことよ。領主自らによる新しい料理とはな。この匙を使えば良いのかな? ……驚いた、本当に冷たいのだな。む……」
中年の女、カデノ女史は野菜が混ぜ込まれた透き通る褐色のゼリーを一口食べて押し黙る。これまで食を愉しんでいた中年の男も同様だ。
「お気に召したようでなによりです」
目を丸くしながら、食べる手を止められずにいる二人を見てサクヤが満面の笑みを浮かべる。そんな光景を見たルイも一安心した。
――基本的に不利な立場ですから、なんとか食事の時だけでも優位に立てませんか?
そうサクヤに言われ、ルイとタマ――リンは「あたし、こういうの苦手」と逃げた――が必死になって考えた結果が、この冷製ジュレであった。
味の土台は丁寧に作ったスープである。まず、慎重に厳選した脂身の少ない家畜の脛肉をアマテラス産の根菜と香味野菜で四時間ほど煮込み、ザルでスープ以外の具材を取り除く。それから、スープに卵白、ミンチにした肉、新しい香味野菜を混ぜ、さらに弱火で二時間ほど煮る。その後、スープの上部にあるアクを徹底して取り除いた後、柔らかな紙で濾して極小の不純物をすべて取り除く。そうして得られた透き通ったスープに、帝国貴族に馴染みのある野菜を焼いて漬け込んでから冷やすことで作り上げた。ここの家畜の肉はゼラチン質を多く含むから、冷やすだけで固まった。
――正気とは思えん。
製法を聞いたヤグラはそういった。ルイも作ってみて、この料理はもはや狂気の沙汰だと思った。いったい、たかがスープにどれだけの労力をかけるのか。
まず、大量の家畜の肉、根菜、そして香味野菜を煮込むが、残り滓は大胆に捨てる(実際は麺パスタに混ぜて食べた)。ちなみに家畜とは、ゴラムでよく飼われているブルという牛に似た動物で、運搬にも使える頼もしい存在なので死んだのならまだしも殺して食べるなど想像の埒外の贅沢である。そのうえで、紙などという庶民が買うことも出来ぬ素材を濾過用として使い捨てにするのだ。さらに、夏のような気候の中で冷やして固めるという工程まである。(ちなみに今回ルイは、リンからの若干の不評を買いつつも、紅千鳥の奥の手である「霜夜の梅」の冷却機能を冷蔵庫の代わりに使った。)
「この味は、どうやって出すのだろうか」
「いくつかある秘中の秘にされているアマテラス料理のひとつなのですが、お二人の専属の料理人に限って、ということであればお伝えいたしましょう」
そう言って、サクヤは恩を売った。
それから、アマテラスの発展の話へと移った。
酸性土壌の改良、作っている作物、連作障害の防ぎ方などの農業のこと。次に、茶と茶房、新聞、綿と服飾といった社交の場に関すること。
そして、最近になって形となってきた商店街のこと。通りの両側に店舗が所狭しと並び、あれこれと選り好みしながら歩ける商店街とは実のところ、文明が発展した都会にしか存在できない。普通、店が集まった場所というのは5日や20日毎に開催される市場ぐらいしかなく、商店街というのは帝国のどこにもない。神聖法廷では要塞都市シュラマナにすらあるが。
「商店街というのは実に楽しいようだな。見てきた部下が興奮していた」
カデノ女史に遠慮したのか、あまり発言が無かった商人ギルドの中年男が口を開く。大きな商機の匂いに黙っていられなかったのだろう。
「表面的には区画を整理して店を並べれば良いのですが、それだけだと肝心の消費者と商品が集まりません。本質的な発展のためには、農業改革と新しい産業の発達、それを同時に行うのが大事だと僕は思います」
そうルイは切り出した。何度も練習した回答であった。サクヤばかりが話していては、お飾りの神輿と軽んじられかねないため、もともとルイが話す予定としていた。
ルイは語る。まず、輪作や土壌改良などの新しい農法を取り入れて生産性を大きく高める。だが、これだけだと食料や人が余ってしまって問題になるから、同時に別の産業を起こす。熟練度が低い労働者でも出来る手工業がよく、アマテラスでは綿産業を選んだ。なお、作業場は分散して作っておくことが大事で、余った農夫が1か所に溢れかえってスラムを形成するのを防ぐことができる。
新たな産業が軌道に乗ってきたならば、本格的に農業改革を推し進める。並行して新産業も大きく育てる。大量の農夫が余るが、新産業も発達しているので荷運びなどの仕事などで吸収できるようになる。そうなれば、後は自然に発展していく。行政は、農業と新産業の発展速度にズレができないよう気を配れば良い。
どれも、言うは易しだが行うは難し。ただ、そのあたりに触れずルイは都市戦略の水準に留めて話を進めていく。
「新しい産業として何を選んだら良いかは、都市の事情によって異なると思います。アズマ府であれば、双子街道を通ってゴラムからクズ鉄と鍛冶職人が流入していますから鉄鋼に関連するものが良いかもしれません。ただ、新しい産業が必ず発展するとは限りませんので、いくつか二の矢、三の矢を用意しておくと良いと思います」
「なるほど。アマテラスでは次に何を推し進めるつもりかね?」
「綿産業から自然に発生した服飾が、まず広がっていくと思います。なので、針や鋏などをもっとアズマ府から仕入れたいと思います。あとは、私達が新しく生み出した新素材のゴムです。もう産業化の段階に入っているので近くアマテラスの雨具や防寒具は大きく変わります。乾いた気候のアズマ府では少々使いにくいですが、雨の多い森羅には売れるでしょう」
「綿衣料をアズマ府で売ればもっと儲かるのではないか?」
「昼の暑さや夜の寒さには毛織物のほうが有利であると思います。それに、もし売れたとしても毛織物職人の仕事を奪ってしまいます。ですから、高貴な方だけに向けた靴下などの下着ぐらいを考えております。それなら、上手に棲み分けられるのではないでしょうか」
そのルイの言葉に、根っから商人の男は深く頷いた。ルイが正直にアマテラスの発展の方向性を明らかにしたからだ。そして、その中でアマテラスがアズマ府からの輸入を必要としていること、新たな産業によってアズマ府の既存産業を破壊しないつもりであることも伝えたからだ。アマテラスはアズマ府の敵にはならない。そうルイは慎重に何度も告げていた。
それに、今もカデノ女史と商人ギルドの男のどちらも綿の靴下を履いている。会談用の演出であろうが、不快な衣類を我慢して身に着けるような立場ではないから、それなりに気に入っているのは間違いない。
「それにしても、素早い発展ね。それに自動紡績機とミシン、だったかしら? まるで綿産業の行く末を見通したかのような発明も進めているわね。なにか秘訣があるのかしら?」
「新産業を作る時には、僕たちが自ら作業に携わっているのです。何せ、小さな都市ですから……。それで実際にやってみて、糸作りや縫物はとても大変だなと分かって作ることにしました。機械には強いものがいまして。あとは――もうちょっと根源的なところを申し上げますと、もともとの連合帝国の風習に着目しました」
「というと?」
紡績機とミシンの発明が未来予知的だと指摘されたことにルイは内心焦ったが、なんとか想定した路線通りに話題を変えていく。
「奉公市です。あの風習は晩婚の原因となったり、子に独立された老夫婦が貧困化しやすい側面もあると見ていますが、一方で人の流動性が高いという重要な特性があります。それは変化への適応する速さそのものです」
カデノ女史と商人ギルドの男が軽く身を乗り出して話を聞く。自分たちの風習の特性を客観的に語られることなど今までに無かったのだろう。20歳後半で結婚するのも、老夫婦が困窮しやすいのも彼らとしては当たり前であったのだ。だが、冷静になって考えて見れば、そして神聖法廷と比べれば実際にその通りなのであった。
「この風習は、新たな産業を興して都市の在り方を大きく変えるに適しています。実際に、新しい技術がすぐに定着していきます。だから新しい機械を開発する価値があると思ったのです。僕は、連合帝国には、大きく躍進する原動力が既に備わっていると考えています」
そう締めくくってルイは話題を反らしながら彼らの文化を持ち上げた。あからさまに相手の文化を否定することには何の意味も無い。だから、褒めて気分を良くしてもらうのが一番。そういう目的であったが、実際に変革に適した社会であったというのも事実であり本音であった。
「なるほどな……興味深い」
そう呟く商人ギルドの男に、ルイは「今だ」とばかりに呼応する。
「はい。これからアズマ府と共に発展していければ嬉しく思います。あまり余裕のない身ではありますが、微細ながらご支援もさせてください」
「よく分かった。君を招いて良かった」
そう言ってカデノ女史が会話を締めくくった。会食の終わりを告げる合図でもあった。ルイとサクヤも、出来るだけ上品な笑顔を浮かべる。
そう、ルイとサクヤや目的を達したのだ。3つともだ。ほぼ完璧と言って良い結果であった。
第一に、アマテラスの発展を放置してもアズマ府との深刻な貿易摩擦が発生しないと信じさせること。実際に生じさせるつもりもないが誤解が生じる可能性を封じなければならなかった。
第二に、アズマ府がより発展するように、ただし貴族のプライドを変に刺激せず、知見を提供して促すこと。アマテラスに合わせて、アズマ府もそれなりに発展してもらわないと深刻な経済格差が生まれて不和の種となりかねない。
そして第三に、真の発展のコツを隠し通すこと。ルイは、連合帝国固有の文化が秘めていた潜在能力を活かしたという話をした。これは事実であるが、説明として全く十分ではない。紡績機やミシンは重要だが本質ではない。280体のロボットは土木建築において強力だが、商業の活性化には向かない。隠された真のコツとは、金融にある。
通貨供給量を慎重に制御し物価を安定させる。解約しても損が出にくい生命保険を導入して、社会を安定化させると共に市中から現金を吸い上げて強盗の被害を少なくする。(本当は銀行を設立したかったが目立つし、監督官庁や頭取を担当できる人材がいなかったので断念した。)
そうして集めたカネを新しい産業、新しく店を出したい者への融資に使う。生命保険の解約返戻金は、破綻時の経営者の暮らしを担保する資金としても活用できる。また、高利貸の類は弾圧と言ってよいほどに徹底的に抑圧した。
通貨供給量の最適化と融資の判断はタマが行っている。基本的な制度設計は、子供艦長こと陳シェリーが提供した。陳シェリーは、アマテラス発展のための細々とした日々の支援は拒否するが、こういう国家戦略的なところだけはどういう訳か協力してくれるのだった。
ルイたちは、金融の仕組みに連合帝国の興味が集中することを避けたかった。まず、あまりに複雑で質問されてもルイが答えられないし、金融とは目を離せばすぐに暴走してバブルを発生させる怪物であるから安易に使わせるわけにはいかないのだ。もし問われて、本気で答えようとするならば、タマを呼び出して乗数理論――「カネは天下の回りもの」という格言を支えるマクロ経済学の基礎――から始まる長大な講義をまず始めなければならない。しかも、個別の判断においては高度な金融工学が使われている。それはつまり、ソフォンにしか出来ないということであり、金融理論への理解が進んでも電子計算機を持たない連合帝国の手に余るということでもある。
さて、やっと会食が終わったと内心で安堵するルイとサクヤの耳には、背後からの微かな溜息も届いていた。それは、壁の模様と化したか美女ぞろいの給仕たちからのものだった。きっと、一切の粗相も許さぬ、と強い圧力を掛けられていたのであろう。軽くルイが彼女たちに同情したところで、続くカデノ女史の言葉に現実へ引き戻させる。
「明日、冒険者ギルド本部でギルドマスターが君に会うだろう。是非、行くと良い」
そう言うとカデノ女史は去っていった。約束を守った形であるが、カデノ女史が同席しないことに少しルイは不安を感じた。
また、商人ギルドの男は、深々と頭を下げてカデノ女史を見送った後、「次はカネの回し方について教えて欲しい」ということを言って去っていった。貴族であるカデノ女史には分からなかったが、商人ギルドの男は金の流れが鍵であることに感づいている様子であった。
今日は乗り越えた。結局、サクヤの腕のことも聞かれなかった。だが、次は分からないし、このあとの冒険者ギルドマスターこそがきっと本番。そう、ルイは気を引き締めなくてはならなかった。
[タマのメモリーノート] 結果的にではあるが都市アマテラスは、地球時代に存在した共産主義国家もびっくりの超中央集権組織となってしまっている。刑法と民法は住民に事後報告のまま勝手に整備されていくし、都市計画や金融政策も同様だ。行政はほとんど住民が介在しない運営になっていて、しかもソフォンたちが良い案を作るものだから「お上たちに任せておけばいい」という雰囲気ができあがってしまっている。これは、いつか行政の牽引役を選挙で選ぶ民主主義を成り立たせたいとするルイには不利な状況だ。
つまり、ルイたちとソフォンはその文明力の高さが故に、住民たちが指導者になる素地を奪っているといえる。





