6-6 2年目 ルイ、アズマ府へ行く(1)
2年目の終わりのこと。
といっても、特に四季折々の変化など無い星だから、住民の誰も意識していない。年末とは単に、アマテラスの行政府たるルイたちが設定した決算上の1つの区切りに過ぎない。
「そろそろ来るかな、とは思っていましたけれど」
回し読みしていた手紙を机の上に置いてサクヤが言うと、ルイも頷いた。
厚手で透かしが入っており薄い花の香りを仄かに纏うその手紙は、連合帝国アズマ府の上級貴族、カデノ女史からの私信であった。
内容は実に穏当だ。散りばめられた修辞を剥がして要約すると、アマテラスの発展が目覚ましいことは日に日に耳に入ってくる。先日、配下を輸出の仕事で向かわせたが、美しく清潔になったアマテラスを見て感動しきりであった。誠に良い統治をされているようだ。本来であれば、私が自ら足を運びたいほど。だが、ご存じのとおり貴殿が開通させた双子街道の整備にまだまだ忙しく、館を離れることが適わない。実に残念だ。そこで、何かのついでで構わないのでアズマ府へ来たら食事をしたい。是非、君たちが行った都市発展の秘訣を聞かせてほしい。私の大事な友人でもある冒険者ギルドの長も紹介しよう。
「とても丁重です、怖いぐらいに」
そうサクヤは感想を付け加えた。ルイも本当にその通りだと思う。カデノ女史といえば、昔から連合帝国では知らぬ者などいない大貴族であるし、最近では大きく改善しつつある双子街道からの通行料によって大いに潤っているという。当初、双子街道へあまりに莫大な投資をしていたことから家が傾くのではないかとも噂されていたが、今では投資が回収できるどころか近いうちに連合帝国で最も豊かな貴族になるのではないかとも囁かれている。
そんな大人物なのであるから辺境都市の領主に過ぎぬルイなど、本来は「さっさと顔を出せ」と命令すればよいだけだ。だが、徹底して文面は丁寧だ。顔を出す期日すら書かれていない。
「しかも、初手から譲歩しています」
「冒険者ギルドの長のこと?」
リンの疑問にサクヤがうなづく。
「紹介することが譲歩なの?」
「はい、それもかなりの」
そう断言してから外交関係に博識のサクヤは話を続ける。
遺跡を探検したり研究する者を支援する冒険者ギルドは、誰にも開かれた組織である。得られた古代の知見は都市を問わず世界の発展に役立てる。そういう旗印であるから、どこでどんな発見があった、この技術はこうやって使う、という情報を広く公開している。
運営資金は冒険者が持ち帰った遺物の利活用で概ね賄われている。様々な都市の有力者からの寄付もあれど、運営には誰一人として迎え入れておらず、巨大な組織ながらどの都市の傘下でもない独立した存在だ。この点で、役員の大多数が帝国貴族である商人ギルドとは大きく異なる。
そんな特殊な、一見して透明性の高い冒険者ギルドであるが、最上位の統治機構だけは不明瞭である。ギルドマスターが誰かも分かっていないし、意思決定の方法が個人なのか、協議型であるのかも分かっていない。
「なるほどねー。で、お食事会に行けば謎のギルドマスターと会えるんだ……」
リンの呟きに、誰もが言葉を控える。会えるのが貴重な機会だということは分かった。だが、会うことにどんな意味があるのか、誰も分からなかったのだ。
『もし、無視したらどうなるんですかね』
「面倒なことになりこそすれ、良いことはないと思います」
沈黙を破るタマの問いに、再びサクヤが話を続ける。
カデノ女史の私信を表面的に読むと、具体的な要求など無いのだから形式上は無視しても構わない。そのうち行きますね、とか適当なことを言っておけばよい。
だが、強力な大貴族がここまで譲歩している、という状況でもある。積極的に応えなければ、身分差をわきまえない身の程知らず、と認識されかねない。そうなった時、どうなるか。カデノ女史が様々な妨害を指示することもあるだろうし、そうでなくとも沢山いる過剰な忖度をする取り巻きが勝手に動くかもしれない。
カデノを袖にすれば、カデノに敵対する貴族は喜ぶだろうが、今そのような有力貴族はいない。みんな、双子街道の利権へ食い込むことに必死。そのため、アマテラスにとって損にはなっても得にはならない。
『でも、きっと色々聞かれますよね。実際、そう書いてありますし』
「はい。なので行く行かないではなく、どんな質問にどう答えるのか、を考えるべきでしょう」
『どんな質問が来るのか。都市発展の手順や考え方は調べられると分かるでしょうから正直に答えるとして、考えるべきはサクヤの肘ですかね』
「はい……どう答えるか悩ましいですが」
『噂で聞いたのだが、って感じでさらっと聞かれるかもですね。そして正確に答えちゃうと、ネストロフの内情を暴露することになります』
「もしかしたら聞いてこないかも――ってのは楽観的に思えます。珍しい話ですから」
『ですね。帝国内にいるネストロフの協力者とやらから全部聞いたとしても確認したくなるでしょうね』
タマとサクヤの議論を聞いて、ルイも天井を見上げて考え始める。
サクヤに埋め込まれた機械の肘は、葦原なら珍しいとはいえ存在する技術だが、この星では実用化の糸口すら分からぬ驚異の古代技術となる。有機生命体と機械を接合させるのみならず、通常の手足のように脳からの指令で動くのだ。それに、例えば意図せず熱い物に触ると勝手に手が引っ込むように、脊髄反射すら機能する。
脊髄が手足を動かすことすら解明されていない現状の医学水準では、その凄さすら十分に理解できないほどだ。
となれば、誰がその技術を有しているのか、どうやって手に入れたのか、という話に及ぶのは当然の事。協力者から話を聞いていないとしても、ルイたちが強力な遺跡を手にしていることを疑っているだろう。そして、各都市の客人であり続けたルイが未知の遺跡を有するなど考えにくいこと。アマテラスに目立った遺跡がないことも調べればすぐに分かること。
であれば、ルイたちに協力する誰かということになる。そして、その誰かとは常識を塗り替える技術を有するのだから、未知のカストディアンだと想定されるのは当然だ。280体の作業用ロボットを得ているのだから疑いの余地無しである。だから、ネストロフの存在を明らかにするよう迫られるのは間違いないように思われた。
いつかこうなることは前から分かっていた。だから、サクヤの肘を隠すかについて、以前ルイたちは慎重に議論してきた。そして、隠さないことに決めていた。特に、隠すことに反対したのはルイだった。
サクヤは櫛稲田の領主の娘にして外交官。なのに、アマテラスの5人の支配者――この言葉にルイは抵抗を示したが事実であったので受け入れた――のうち1人に何故加わるのか。連合帝国の有力者は入っていないというのに。この必ず発生する疑問を放置すべきじゃない、そうルイは主張した。
放置すれば、アマテラスは櫛稲田の衛星都市だと思われかねない。まるで親会社出身の役員を受け入れている子会社のように。そうなれば、このことを口実にアズマ府からも公平性あるいはバランスを取る名目で統治者の派遣を求められかねない。加えて、裕福かつ閉鎖的な耳長族から人を集めるのは難しいと考えられたから、連合帝国から多くの住民を集める必要があったという意味でも「櫛稲田領主の娘が統治する都市」というレッテルは避けたかった。だから、なんとしてもサクヤを、事実通りに、櫛稲田から勘当された娘だとちゃんと示すべき。
――とはいえ、ネストロフのこと。帝国貴族にどう話すかは決めてなかったんだよなあ。
目の前でやいのやいの議論するサクヤとタマを見ながらルイは考える。とりあえず考えうる選択肢は、1に素直にネストロフのことを話す、2にご遠慮くださいと言って隠す、ぐらいだろうか。うまいこと嘘をつく、というのもあるかもしれないが、具体案は思い浮かばなかった。
――どっちも微妙な気がする……。
ネストロフが隠れ里であるのは、まさしく住人が世間から隠れているからだ。暴露して良いことになるはずがない。といっても、聞かれて答えないというのも非常に印象が悪い。「そこをなんとか」と迫られたらどうすべきだろうか。上手い嘘をつけば大丈夫なのかもしれない。だけど、結局は碌なことにならないと思われた。自分は器用じゃない、だからいつも正直な状態にしておかないと必ずボロを出す、そういう強い(同時に情けない)確信がルイにはあった。
『――、ルイ、聞いてます?』
「え、ああ。……いや、聞いてなかった」
『……素直で宜しい。私とサクヤの案はこうです』
それからタマは、どんな質問をされるのかの想定シナリオに沿って答え方を述べた。その考え抜かれた、細かな個別の受け答えについてルイは何の異論もなかった。かなり複雑ではあるものの、姿を消したタマの支援があれば難なく捌ききることができるだろう。
「あんまり気が乗らないなあ」
それでも、ルイは難色を示した。
『なんでですか?』
非難するような表情はせず、純粋なる好奇心をもってタマ、そしてサクヤがルイの顔を覗きこんでくる。一方でリンは、どこか納得した顔をしている。
「自分で言うのもなんだけど、僕はそんなに器用じゃないからさ。タマがいればなんとか喋り切れるだろうけど、自分の言葉にならないっていうか、借り物感が出ちゃうというか。そういうのって、なんていったらいいのかな、たぶんサメルサダ女王なら選ばないと思うんだ」
『ううむ、理論上は大丈夫でも交渉の雰囲気を考えると微妙と言うことですか』
「うん、弱腰とか、自分で決めてないとか思われると、何を言われるか分からないと思うんだ」
サクヤとタマが顔を合わせる。
『ううむ、もっと低級でルイの頭でも分かる作戦ですか』
「タマさん、あの言い方が」
サクヤも否定しないなと思って半目になったルイが口を開く。
「どこまで言うかというより、もっと別の方向にしちゃうのどうかな。例えば――」
ルイが半分思い付きの案を言う。すると、タマとサクヤは大きく頷いた。
『む、良い気がする。どうですか、サクヤ』
「あ、えと、そうですね。ちょっと言い過ぎな気がしましたけど――でも、結局そういうことですよね」
サクヤほど頭がくるくる回らないのは事実。だから、そうしないための案を考えた。そして、どうやら納得感も得られたらしい。それから、ルイも真剣な顔で頷いた。





