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6-2 1年目 サクヤ、主食を食べる

 一年目の終わりのある日のこと。


「これが、ぱすた、ですか」


 ルイ殿が試作したという皿が目の前にある。といっても麺しかない。料理というより、新しい麺を開発したようだ。箸で平べったい麺を持ち上げてみると、湯気がもわもわと立つ。


「フェットチーネっていう種類だけど」


 答えるのはルイだ。

 

「焼きうどんのようなものでしょうか……。頂戴いたします。――えっ、美味しい……うん、これ美味しいです!」


 思わず叫んでしまうほどの味だった。アマテラスが使っている麦であるが実に低品質で、粥として似てもパンにして焼いても食べられなかったのに、麺するとここまで美味しいとはどういうわけだろうか。


「これなら皆さん納得すると思います。なにより、こう、言いにくいことですけど費用と手間が掛らないのも素晴らしいです」


 目下、最大の懸念は住民の主食だ。これをなんとしても自分たちで生産できるようにしなければならない。そしてこのパスタとやらは、米には劣るが、なかなか美味だし味も悪くない。調理も茹でるだけ。流石にこればかりでは飽きるだろうが、パンなり、時には米を食べれば良い。


「すぐに付け合わせの食べ方の検討を始めますね。大体なんにでも合いそうですから、すぐに給食を改善できそうです」


 辺境独立都市、アマテラス。こう口に出せば立派だが、まだ実態は少し大きめの集落に過ぎない。各々の仮設住宅には厨房など設置されていないから、地区ごとに行政が開いた食事処で誰もが食事を取っている。担い手は帝国にて売れない飲食店を営んでいた者、それに夫がどこかへ行ってしまった――例えば盗賊団など――寡婦(かふ)たちが中心だ。そこで食べれば費用は掛からないが、味は基本的に期待できない。

 

「それはただの塩茹でだけど、こっちも食べてみて。ちゃんと調理したらこんな感じになる。多く油を使うから簡単には多くは出せないけど」


 続けて、ルイが持ってきた皿にも、同じく平うち麺(フェットチーネ)がのっているが見たことも無い汁と和えられている。

 

「赤い……。これ食べられるんですか? ……あ、でも良い香り――。むむっ!」


 思わず「いただきます」も言わずに食べ始めてしまったが、口の中に芳醇な酸味が広がっていく。いったい何が入っているのか。そうか、これは西の畑で育てていたトマトだ。毒々しい色なのにこんな味がするとは。他にも色々と複雑な味がする。まずは、この潰された小さな木の蕾の塩漬けか。ケッパーと呼んだこれをルイは以前にも料理に使っていた。不思議なのは、食べた後になって仄かに浮き上がってくる辛味だ。なんらかの香辛料が控えめに混ぜられている。舌と言うより口いっぱいに刺激が広がって、食欲が湧いてくる。時折見える細かい粒は香味野菜のニンニクだったか。なかなか強烈であるも、おそろしいほど食欲をそそる香りだ。


 あまりの味に驚いて目を回しながら、箸で麺の中に潜む黒いの木の実の輪切りを口に運ぶ。確かオリーブの水煮と言ったか、僅かな苦みが全体を大人の味に仕立てている。他にも何か工夫があるに違いないが良く分らない。良く分らないが、おそろしく美味しい。様々な味があるのに纏まって混然一体となった作品に仕上がっている。到底、思いつきで作ったようには感じない。これは1つの完成された皿と言えるのではないだろうか。

 

 そんなことを思っていたら、気が付くと麺が空になっていた。残った細切れの野菜を勿体ない、勿体ないとちまちま箸で拾っていくと、すぐに皿は綺麗になってしまった。そして、ふと我に返り気恥ずかしさを感じた。櫛稲田の領主館ではこんな食べ方をしたことなどなかった。お残しは悪であるけれども、ここまで必死に食べるのは流石に品が無い。どうやら、最近の粗末な食事に飽きてしまったことを軽視しすぎていたようだった。


「服、汁で汚れてたりしない?」

「えっ!? えっと……は、はい。大丈夫です……」


 ルイの言い方は優しかったが、思わず赤面してしまう。いったい、私はどれだけ夢中で食べていたのか。これでも、元は森羅の主要な都市のひとつである櫛稲田の娘として育った。今、その地位は無いけれども、服に汁を飛ばすことを心配されるなど子供の頃でもなかなか無かったことだ。


「味には自信があったけど、こうして好評だと分かると気分が良いね」


 そういってルイは笑った。独立都市、アマテラスが領主の水上ルイ。少なくとも書類上の地位は、帝国や森羅における貴族階級にある。いまのところ辺境の村長のようなものであるが。それでも、このあどけなさが住民には好評だ。住民の大半である元帝国農民からしてみれば、これまでの為政者と言えば姿や形の見えぬ貴族ばかりであったからだろう。親しみがあるのだ。


「これでついに主食を作れたぞ!」


 喜ぶルイに私も頷く。そう、ここに到達するにはなかなか時間が掛かった。


 この地で育ちやすい作物と分かったのは、まず茶樹(ちゃのき)だった。酸性土壌に強く、良質なものが採れる。誰もこんな辺境で育てようと思わなかったのだろう、まさしく盲点であった。タバコもよく育った。ただし、どちらも嗜好品で腹は膨れない。だから、いずれ輸出品にすることを期待しつつも当面は収穫の優先度を下げ、ひたすら消費は一切せずに茶樹は接ぎ木をして、タバコは茶色い粉のような小さい種を撒いて増やすことを優先した。


 肝心の主食の栽培には苦労した。米を実らせる稲穂はよく育ったのだが、大規模な水田を作るには水が明らかに不足していた。雨が多く降るわけではないし、大きな川もないから水を引けないのだ。そのため、期待の星は帝国で一般的な(むぎ)であったが、うまくいかなかった。仮説はいくつか考えられたが、どうやら土壌に合わないことには間違いなく、土壌改良などする労力はないのだから諦める他なかった。


『なーに、サクヤに褒められて、嬉しそうな顔しちゃって』

「そ、そんなことない」


 タマの指摘にルイは反発したが、表情を見る限り、図星であったらしい。心のどこかで「あの不味い帝国パンを毎日食べなくて済む」と思ってしまったようだった。


「まー、あたしもほっとした顔をしちゃう気持ちは分かるけどさあ。主食が採れないのは良くないよね」

「……してないって」


 リンにも指摘されてルイは少し不機嫌な表情をする。それはそれで見ていて楽しいものだったが、実際に麦が駄目というのは危機的なことだった。この地は、櫛稲田とアズマ府のどちらからもそう遠くない。だが、交通の便は悪い。櫛稲田との間には険しい山岳地帯が、アズマ府との間にはおおきな入り江が横たわっている。そのため米と麦、そのどちらも輸入することは可能だが、運賃のせいで割高になってしまう。これは財政への大きな打撃となる。恒常的に続けばせっかくの稼ぎを他の都市に奪われ続ける羽目となる。


 一方、この状況を救う可能性も2つ見出された。1つは小さく黄色い芋で、帝国のうち山に近く気温が低い土地で作られている種類だ。酸性土壌をものともせず良く育った。ルイとリンは里芋あるいはジャガイモという彼らの故郷の芋に似ていると言って抵抗なく食べたし、誰にも好評であった。

 しかし、問題もいくつかあった。まず、気温が低くないと育たないので必然と畑は山岳地帯に限られる。しかも、連作障害――同じ場所で何度も育てられないこと――が酷いとのことだったので広大な農地が必要になる。つまり、大規模に作付けするには都市の中心から離れた場所を広く開墾する必要があるということであり、食料の基盤とするには厳しいものがあった。


 よって、この帝国芋は育てていくことにするが当面は別の食料が必要ということになり、そこで白羽の矢を立てられたのが、ネストロフのカストディアンから得た麦であった。彼らは大破壊の前にはよく育てられていたと説明していたので、古代麦と名付け試しに育ててみたところ、酸性雨が時折降るだけのこの土地に良く合ったようで大きく育った。

 ただ、味については不評もよいところであった。とりあえずパンを作ったのだが酵母が合わず、帝国パンもびっくりのぼそぼそと硬く、水無しでは到底食べられない代物ができあがった。これには、あのヤグラも表情を曇らすほどであった。では粥にしてみればどうかというと、味はなく、どろどろに溶けるまで煮詰めればなんとか胃に流し込めるかも、という程度にしかならない。


 住民の大半は各地の貧乏人や食い詰め者ばかりだし、食事は無料の給食であるから「食べられるだけ有難いと思え」と言うことが出来た。だが、その貧乏人や食い詰め者すら不味そうな顔をして食べるのを見て、誰しもが都市発展の障害になると確信した。いずれ、自由に提供内容を決められる飲食店中心の食環境に移行して、タマさんの言う「自由経済」とやらを推し進めなければならないのだ。このままでは、高価な輸入品となるであろう櫛稲田米や帝国パンが席巻してしまい、国富の流出に繋がってしまうだろう。


 そんな報告をしたところ、ルイは手渡した古代麦の成分を少し調べてから、どういうわけかひどく喜んだ。

 

「手打ち棒ってない? あと塩!」


 そう叫んだルイは、古代麦粉を持ち慌てて厨房――といっても天井もなく、ただ湧き水が流れ出る泉の横に備え付けた石の台しかないが――へ向かい、しらばくして平たい麺を作ってきた。


「パスタが出来たぞ! 食べてみよう!」


 ルイは満面の笑みだ。とはいえ、石の台を見れば使った材料は水と塩、そして少量の油だけのようだ。製作時間も短かったか。こんなものが本当に美味しいのか、サクヤは疑わざるを得なかった。だが、そんな予想は冒頭の通り大きく裏切られることになる。



 

「古代麦をパンや粥にするのは最小限にして、すぐに食事を入れ替えてきましょう。出来ればこの赤い実も、トマトでしたっけ、少しは使っていきたいですね」

『塩、家畜の乳、磨り潰した香草も会いますよ。すぐに種類を増やしましょう』

 

 忽然とルイの守護精霊であるタマさんが現れ、会話に参加してくる。守護精霊といっても、実はどうやら躯体のないカストディアンに近い存在であるようだ。一方でタマさんは「私とカストディアンは根本的に違う存在です」とも言う。具体的なことは分からないが、恐るべき博識はまさに古き精霊と呼ぶのにふさわしいし、ルイが「精霊使い」だという話が広まって尊敬を集め始めているのだから、何かを言う必要はない。


『いま、簡単に作れるものというと、こんな感じですかね』

 

 中空に調理法が投影されていく。私はすぐに人を呼び、貴重な櫛稲田産の紙を惜しまず使わせて筆写させた。


 

 3日後、領主館――古く崩れかかった鉄骨だらけの古代遺跡を改修した家――の近くの地区で、最初のパスタ提供が行われた。


「うめえよ! サクヤ様ぁ!」

「見てご覧よ、サクヤ様。みんな新しい麺に夢中だでよ!」


 ボロを纏う壮年に差し掛かった見すぼらしい男、食堂の若い娘が大喜びで話しかけてくる。反応は予想通り、いや、二人の目に浮かぶ涙を見れば予想以上であるようだった。今提供されているのは、ただの塩ゆでパスタであったが、どれだけ誰もが不味い古代麦の粥とパンには辟易していたかがよく分かる光景だった。


「良かったですね! ルイ殿。これで、これからは輸入量を大きく減らせますよ」

「そうだね……」


 そう言うとルイは、少し浮かない顔をしながら食堂の若い娘に近づき「これも茹でてくれる?」と言った。興味をそそられて覗き込むと、そこには黄色い蝶のような形のパスタがあった。


「こいつはなんです……?」

「同じパスタだよ。ファルファッレって名前だけど」


 続くルイの説明によると、幅の広い(フェットチーネ)を等間隔に切って、中央で捻ったものであるとのことだった。等間隔に切る道具は、どうも単なる刃物ではないらしく、波状になっていてなんともいえない愛らしさがある。


「領主様、出来(でき)ましたけんども……」

「食べて味を教えてくれ」

「へえ、むむ……。これもええですな。麺の方が()()()は好みですけど、こっちは食べやすいのが良いですな」

 

 食堂の若い娘は――訛りを聞くにアズマ府から随分と離れた帝国領から来たようできっと色々な事情があったのだろう――スプーンを使って蝶パスタを茹で汁と共に食べていく。


「ああ、なるほど……」

「当面はこっちのほうがいいかなと思って」


 ようやくルイ殿の意図が理解できた。そう、改めて見まわしてみると誰もが手掴みで麺パスタを食べているのだ。手を洗う施設などロクに無いのだから、いくら衛生魔法があるといっても好ましいものでは無い。衛生魔法の効果は使い手の清潔意識に大きく左右されるし、なにより熱々の麺は食べられない。

 もともと、帝国の庶民は食器をあまり使わない。主食のパンは手掴みが一番楽であるし、焼いた肉は木の棒でも突き刺せばよい。食器が必要になるのは野菜を煮込んだスープを食す時ぐらいだからスプーンさえあればよい。スプーンはあるのだ。そして、スプーンは麺を食べるには酷く不便だ。

 切り分ける、突く、掴む、の万能食器たる箸を使えば良いのだが少し使い方が難しい。だが、この蝶パスタであればスプーンで掬える。しかも形が複雑だから、汁にもよく混ざるだろう。実に画期的な食品だ。


 だが、それ以上の価値がこの蝶パスタにはある。ルイ殿は気付いておられるだろうか。


「ルイ殿。この、ファルファッレ。もっと作りたいです。そして、次の森羅の使者の接待に使わせてください。ふ、ふふふ……」

「いいけど……。な、なんか嬉しそうだね」


 やはりルイ殿は気が付いていない。このファルファッレ、蝶に似ているのがとても良い。蝶は森羅で平和な自然を象徴する人気の意匠だ。しかも、この味であれば必ず高値で売れることは間違いない。

 そう、ただ提供するだけではもったいない。熱したトマトの汁と和えるのは当然ながら、ファルファッレのひとつひとつに焼き印を付けるのはどうだろう。もちろん、新都市の象徴たる古代麦の意匠を。


『なんかサクヤが悪い顔してる……』

「えっ、そんなことは……」

「おおっ、精霊様だ!」


 突如として現れたタマさんに指摘されて慌ててしまうが、脳裏には見栄ばかり張る森羅の役人の驚く顔が浮かんでは消える。そう、これなら必ずや食に保守的な森羅にも売れる。そして、財政をさらに潤すことに繋がることは間違いないように思われた。


 私、櫛稲田サクヤは都市間交渉の担当にして、金庫番たるタマさんの右腕。どうしても、この都市を富ます術には敏感になる。


『サクヤ、なーんか悪だくみしてますね?』

「ふふっ、職責に忠実と仰ってくださいな」

 

 嬉しそうに笑うサクヤをルイは黙って見守った。「どれ、期待など全くしていないが田舎の食い物をせいぜい振舞って見せよ」と言わんばかりの森羅の役人を食卓にてしばらく沈黙させたのは、それから10日後のことであった。その時、サクヤは薄い笑みを浮かべており、後日ルイは「あの時のサクヤが一番怖かった」と述懐(じゅっかい)した。






 [サクヤの内政メモ] 茶とタバコは最高級のものを選び抜き、まずは森羅と帝国の支配者階級に配る事。蝶パスタ(ファルファッレ)は森羅の役人に、平うち麺パスタ(フェットチーネ)は新しい物好きの帝国貴族に提供して「これが最新の食事」と伝えること。もって、アマテラスは文化都市だと伝えること。余るかもしれない水田にはゴムの樹を植えて次の輸出産業に繋げること。

[フェットチーネ]

挿絵(By みてみん)


[ファルファッレ]

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああっ雑事に追われているうちにめっちゃ物語が進展していた! ひょんなことから出会って読みはじめたこの物語の冒頭に辿り着くまでの道程は「こう」だったのだなあ、と感慨深いものがあります。 >…
[良い点] パスタがいけるならピザもいけるかな? デュラムセモリナならピザにも使えるしアマテラスがイタリアンになってくるな [一言] ルイはスパゲッティの細さでいちいち名前変えたりしないだろうなぁ
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