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5-16 始まりのエピローグ:約束の地

 ふたつの月の下、青年が一人、丘の上で遠くを眺めている。


 西の空には地平に沈まんとする黄金の太陽。眼下には弱酸性の雨を暗示する青味がかった岩と土。その奥には入り江があって夕焼けを受けて穏やかに輝いている。

 入り江を渡った先はアズマ府であるが、砂混じりの砂漠の大気が覆い隠しているので、姿を見ることはできない。だから、見えるのは山、岩、土、海、それと森だけ。雄大な自然を前にした青年の黒い瞳には、困惑が浮かんでいた。無論、もう大自然など見慣れているから困惑の根源は他のところにある。


『いい加減、腹くくったらどうですかー』


 背後から個人用支援ソフォンのタマが、猫耳帽子を被った少女のアバターを宙に投影させ、軽妙な調子で声を掛けてくる。先日の戦いの最中、第一種にアップグレードされた時には姿を少し変えていたが、今は元に戻っていた。こちらのほうが()()()()()()のだそうだ。まったくソフォンらしからぬ感覚的な理由だ。


「そう、そう。観念しなって」


 横ではリンが明るく笑っている。燃えるような髪から、陽気で勝ち気な眼差しが見える。頬には目立つ切り傷があって、もう十分に塞がっているようだが、ここの医療環境では痕を消すことなどできない。もっとも当の本人は「話のきっかけになるし、みんな勲章だって褒めてくれるよ」と面白がっているのだが。


 青年は渋い顔のまま視線を手前に向ける。広場と粗末な小屋の間で、ネストロフにて得た頭の無い数百の作業ロボット達、そして近隣だけでなく遠くからも集まった亜人たちが働いている。体を動かすのが好きだと言ってレネーも中に混じって働いている。


 みな家や道路の建設など、過酷な肉体労働に従事している。遠くから見れば、多くの奴隷が働かされているように見える。だが、その表情に注目してみれば皆、晴れやかだった。


 黙って丘に立つ青年へ、小さな花を沢山あしらった柄の上品な着物を身に付けた女性が歩み寄る。


「交渉の案が出来ました。強気で進めます」

「え、いいの?」


 凛とした声に、青年は少し驚く。サクヤは()()()()()()()()()()として、櫛稲田との通商条約締結に向けた交渉を担当している。


「向こうも譲歩できる範囲ですから」


 和装の女性は、黒く長い髪から尖った耳をのぞかせ上品に笑う。つい先日までの母国が相手だから、穏便に進めるのだろうとルイは思っていたが、だいぶ苛烈に進めるつもりらしい。


 サクヤが領主の娘でありながら櫛稲田を離れた経緯を思い出し、ルイの胸が小さく痛む。

 

 サクヤは大陸中央に向かう途中で左肘に重傷を負った。ネストロフのカストディアンが行った治療は肘の機械化であった。その事実を知った櫛稲田は、なんとサクヤをカストディアンと認定したうえで、櫛稲田だけでなく森羅に居住することは遠慮いただきたいと通告してきたのだった。

 その話を初めて聞いた時、ルイとリンは怒りを通り越してただ驚き呆れ果てた。軽金属の肘継手(ひじつぎて)――肘の代わりをする義手の一部――を付けたぐらいでどういうことかと大いに困惑もした。

 一方、サクヤとヤグラは覚悟していたようで静かに受け入れた。閉鎖的な耳長族の一般的な感覚を思えば、機械を身体に埋め込むというのはあまりにも反自然的で到底受け入れられないだろう、と分かってたからだ。

 

 とはいえ、サクヤは櫛稲田の領主の娘であり、優秀な外交官でもある。そのため櫛稲田の官僚は「是非とも国に戻ってほしい」とも付け加えた。言外に「左肘から先を切断しろ」と言ってきたのだ。彼らの表情は一様に、煌びやかな正装とは真逆の苦渋さに満ちており、どれだけ無茶なことを言っているのかの自覚ぐらいはあるようだった。

 目の前に並ぶ()()()の様子を見たサクヤは「お母様もご存知のことなのですか?」と聞き「大変お悩みながらのご決断でした」という返事を得てから「右手だけで食事するのは少し面倒ですから」と優しく笑って断ったのだった。


 今も書類を持ったサクヤの小花柄の袖の端から、暗く鈍色(にびいろ)に輝く肘が覗いている。この地でサクヤは肘を隠さない。むしろ、これこそ私がここにいる理由、とでも言っているかのように。

 

 丘に立つ青年ルイはサクヤに何か言おうとする。だが、伝えるべき気持ちは謝罪か、それとも感謝かと迷っているうちに、宙に浮かぶ不敵な笑顔の猫耳帽子少女タマに割り込まれてしまう。


『じゃー、夜の会議は不要ですね。代わりに戦闘訓練の時間にしましょうかね』

「それ昨日やったから……」

『ダメです。ま、今日は相手の都合がつかないので休みにしてあげましょう』


 相手とはヤグラのことだ。ネストロフでの戦いで愛用の武器を失った為、新調すべく先ほどアズマ府に向かい旅立っていた。最近の交易の変化により岩肌族の職人がアズマ府に来ているらしく、遠くゴラムにまで行くことは避けられた。とはいえ、畑の開墾や運搬にとフル稼働中のバギーを貸し出せないのでそれなりに時間は掛かる。

 

 ともあれ、今やルイの予定はタマによって完全に管理統制されていた。知らないうちに視察やら会議やら訓練の時間が入れられていき、状況の変化によって勝手に内容が組み変わっていく。

 

 お前はもう、自分の時間を自由に決めることはできない。そう言外に告げる半透明の少女を見て、ルイは表情の苦さをさらに深めた。だが、そうしても何も変わらない。仕事は山積み。人も足りない。


「ねえ、代わりにあたしと訓練じゃ駄目?」

『ロボット達の面倒がありますでしょ』


 リンは作業ロボットの整備と工事全般の進捗管理を担っている。タマはあらゆる運営活動全般に対して陳シェリー――ソフォンだとタマから聞かされたルイとリンは腰を抜かすほど驚いた――の知見を踏まえた助言を行っており、知恵深き(いしにえ)の大精霊様と崇められている。忙しい日々の中でも常に明るい2人の軽口を聞きながら、ルイは遠くの入江を見て思う。


 ――ゼロからの都市づくりなど、自分には到底無理だ。しかも、こんな最果ての惑星でなんて。


 身の丈を遥かに越えた責任を前に、ルイは改めて無力さを痛感していた。実際に仕事を目の前にすれば、否応なくメタトロンが言った通り独立都市の代表など柄ではない、力不足もいいところ、というのが肌感覚として分かってくる。それに、そもそも自分はこの惑星(せかい)にとって異邦人だ。統治する資格などあるのか。ルイは数日そう言ってきた。だが、仲間は誰も耳を貸さなかった。それから優しく、しかし明瞭に「お前以外に誰がいるのか」と瞳で訴えた。


 本当はルイにも分かっていた。やらねばならない。やらねば、ここは住める場所にならない。そう改めて思うことで、ようやく自分が強くないとか、賢くないとかはどうでも良いことだと思えてきた。嘆いている暇は無かった。

 ここ以外に、自分と同じ異邦人のリン、櫛稲田に住めなくなったサクヤ、古いカストディアンのレネー、そして集めてしまった各国で虐げられていた人々が安心して暮らせる場所はない。もうすでに、生産人口を確保するために「法の下の平等、健康で文化的な生活を営む権利、教育・労働・納税の義務」を掲げて周囲から人を集めてしまっているのだ。もう後戻りはできない。




 その夜、ルイは一人、粗末な寝台で天井を見つめていた。どこかから風が吹き込み、小さな口笛を鳴らす。リンの頬の傷とサクヤの肘を想い、それから考える。どうして末端社員だった自分が、見知らぬ惑星で都市づくりなどをすることになったのか。自分事ながら、まるで意味が分からない思いだった。


 寝返りをうったルイはふと、この話を誰かにするとしたらどこから始めたらよいのだろう、と思った。

 ここに至るには様々な事があった。ネストロフの研究所でこの星の人類の歴史の一端を知った時か、神聖法廷の前線基地ローディスに軌道爆撃を打ち込んだ時か、初めてこの惑星の死の砂漠に降り立った時か。

 

 ルイの脳裏にひとつの夜の光景が浮かんできた。遥か遠き故郷だ。


「最初から、か」


 ルイは呟く。自分はこの星の住人ではない。だから本当に最初から話さなければ、異邦人として生き抜いてきた気持ちは伝わらない。そう思い、この星に来る前のことをまぶたの裏に浮かべ始めた。そして、静かに浅い眠りに落ちていき、長い夢を見た。




 起きたルイを待っていたのは、目まぐるしい日々の連続だった。歳月は瞬く間に過ぎていった。






 第五章・終


 [タマのメモリーノート] 何故、第5播種船の地球から葦原星系までの航行記録のほとんどが空白なのか。そして何故、葦原政府が異星文明を恐れるようになったのか。この二点は長年の謎となっているが、第一種支援ソフォンの権限を使ったことで見えてきたことがある。それは航行中、いくつかの基礎技術が飛躍的に進化した疑いがあることだ。ただ冷凍睡眠していたわけではないのだとしたら、記録が無いのではなく破棄されたことになる。

高天原の全景

挿絵(By みてみん)


次章は新都市の発展が主題となります。もちろん、まだ続きます。ともあれ、ここまでお読み頂き本当にありがとうございました。


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「相手とはヤグラのことだ。ネストロフでの戦いで愛用の武器を失った為、新調すべく先ほどアズマ府に向かい旅立っていた」 バギーも貸してあげず、一人で行かせるとはとても冷たいね。夜は寝ないで一人で警戒しな…
[良い点] ようやく第1話に繋がりましたねぇ [一言] よーしここからマヨネーズとリバーシで大儲けのNAISEIや!
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