5-12 高次元膜型装甲(2)
ルイとタマが消えて大騒ぎになったのはつい先程のこと。今は誰もが部屋の扉の前に集まっていた。リンが一際大きな声で問う。
「ルイはここにいるんだね!?」
「その確率が高い」
細めのカストディアンは答える。治療したサクヤの予後を見ていた個体だ。
「この部屋の用途は長らく不明だったが、エーテルリングへの不正アクセス者を隔離する場所であるとの仮説はあった。それに、物音を観測したのは数千日ぶりだ。偶然にしては出来すぎている」
その話を聞くや、リンはすぐに跳んで高い位置に備え付けられた窓の1つに張り付いて中を見る。
「何も見えない」
いま窓に写っているのは、覗き込むリン自身であった。リンは偏光フィルターかもしれないと感じた。外から中への光は通すが、中から外への光は通さない素材だ。独特の反射光がそう思わせた。
「先程とは状況が変わったのか、中を観測できなくなっている」
細い躯体のカストディアンが壁に手を触れながら説明を続ける。
「だから、本当に中に転送されたか確かめることは――む」
「どうしたの!?」
リンが急ぎ、窓から飛び降りて駆け寄る。問われた細いカストディアンは、壁に手を当てたまま告げる。
「連続して2度、中から音を感じた」
「あたしには何にも聞こえないけど……」
リンが耳を直接、部屋の壁に当てるが何も聞こえてこない。そこへ背後から話しかけるものが居た。ルイたちをネストロフへ導いた使者だ。
「非常に小さい、人には無理だろう。だが、そもそも聞こえることが異常だ。この部屋は原理の分からぬ方法で、ここにあってここにない。そう伝わっている。中を全く観測できなくなることがあるのは、我々も経験で知っている。なのに、ここまで明瞭な衝撃音が響いてくるとは」
「衝撃!? 戦っているということですか!?」
禅問答のような話に一瞬固まるリンを差し置いて、叫ぶように問いかけたのは集まったカストディアンの後ろにいたサクヤだった。
「中には誰かがいるのですか!?」
「……非常に高い戦闘力を有する罪人がいる」
「開けてくださいっ! 今すぐ!」
サクヤの叫びに使者は明確な反応を示さない。
「何をしてるんです!? 早く!」
「待て」
焦るサクヤをヤグラが留める。
「罪人とはカストディアンだな? ルイは勝てるのか?」
「難しいだろう。我々では束になっても、ここに押し込むのが精一杯だった」
重い沈黙になど場を支配されてたまるか、とばかりにサクヤが毅然と告げる。
「私たちに見殺しという選択肢はありません」
だが、ネストロフのカストディアンも簡単に引かない。
「そうだろうとも。だが、簡単に出すわけにいかん。君たちの安全の為でもある。部屋から出たら、奴は必ずここを滅ぼす。君らも巻き添えだ。だから――」
「それでも」
サクヤは一歩も引かない。
「見捨てる選択肢はありません」
「あたし達は簡単な算数もする気ないんだ。な、協力してくれよ」
使者の説得をばっさりと否定するサクヤに対して、リンの言い方は少し柔らかい。だが、瞳は真剣そのものであり、漂わせる緊張感はぎりぎりまで引き絞られた大弓の弦のようであった。
「……不可逆な方法でここに閉じ込めたと伝わっている。開き方は伝承されていない」
「ならば壊す。いいな?」
ヤグラがカストディアンたちを睨みつける。その殺気は、止める者は全員斬る、と明瞭に告げている。そして、岩肌の大きな背中の後には、リンが月影を握りしめており、レネーは左右の握り拳を軽くぶつけあって感触を確かめていた。ルイを助けんとする仲間の全員が使者を見つめている。
「……推奨できん。この部屋の中は、空間として隔絶されていると言われて――」
「ふん!」
もう理屈は十分だとばかりに、ヤグラが部屋の壁に斬り掛かる。すると、鉄塊あるいは鉄板のような大剣が刺さった壁から厚い塗装のようにも見える層が剥がれ落ちて、中から小さな光が漏れ出してきた。
「光? あれ、ここにあるけどないって……」
リンの小さな呟きに気がつくこと無く、ヤグラは自らの手を少し見てから再び剣を振りかぶった。そして、斬りかかる直前のことだった。
「ちょ、ちょーっと待った!」
ヤグラを止めたのはリンだった。
「もしかして手応え無かったんじゃない?」
「……壁の中は空洞のようだった。何故そうなる?」
ヤグラの声は殺気こそ帯びていないが、極めて鋭い。止めたのがリンでなくカストディアンであったら既に斬られていたかもしれない。
「だったら止めた方がいいかも……。制御できなくなる」
「どういう意味だ」
「これ船の装甲板に似ていて……えーっと。量子場が不安定化して、あーこれじゃ伝わらないか」
「リン。よく分かんねーけど、壊すとヤバいのか?」
どう説明したものか、と混乱するリンを助けたのは、ずっと黙っていたレネーであった。
「うん、そう、ヤバい!」
「どうヤバいことになるんだ?」
「えっとね。こちらが吹っ飛ぶか、部屋の中が無くなっちゃう」
「は?」
「そういうもんなの! お願い! それで納得して!」
リンが焦る。
壁の傷は、時折リンが修理する星間航行船の装甲板の傷と似ていた。もし、装甲板と同じ技術なら、この部屋は特殊な磁界によって造られた高次元の薄っぺらい布に囲まれていることになる。3次元空間からみれば厚みはない。だが、縦、横、高さに加えて余剰次元があるため広大な空間に等しく、それが高い衝撃吸収力を生み出す。
壊す方法はいくつかあるが、さすがに剣撃ごときではどうにもならない。ただし、造られてから相応の年月が経っているならば、話は変わってくる。
そして壊れた時の反応は2パターン。外部周辺を別次元に巻き込みつつ消え去るか、突然ボールの中の空気が無くなったようにクシャッと縮んでしまうかだ。前者ならリンたちが全滅、後者ならルイが圧潰。
リンの脳裏には、ヤグラの次の一撃で、部屋の中か外のどちらかが消え去るイメージが浮かんでいる。だけども、今どう伝えればいいのかがリンには分からない。イチから解説している暇などない。
ただ、答えに窮するリンを真っ直ぐに見つめるレネーの眼は澄んでいた。
「納得してるっつーの。で、何すりゃいいのかって話を待ってんだよ」
「! わ、分かった。じゃ、じゃあ――あれ?」
リンが突如固まる。そして、目の焦点がずれ、虚空をただ見つめる。
「おい、どーした。まさか、打つ手が無いんじゃねーよな」
「……」
「おい、リン! 聞いてるのか!」
「リンさん! どうされたのですか?」
レネーとサクヤの大声に、リンは身体をわずかに震わす。そして、驚いた表情のままながら瞳に強い意志を取り戻すと、壁の1点を指差し言葉を口にした。
「レネー。あの窓を一発、私と一緒に全力で殴ってみてくれない?」
[タマのメモリーノート] 魔法は既存のエネルギー保存則に当てはまらないようだが、なんらか未知のエネルギーを使っている事もまた間違いない。魔法を多く使った使用者は、精神的な疲れを感じるという。ストレスとは異なる独特の感覚であるらしい。無茶をすれは失神に至る。サクヤが荒稲妻を全力で使った時のように。
この事実は、精神がアクセスできる未知のエネルギーを含めた新しいエネルギー保存則を予感させる。





