5-12 高次元膜型装甲(1)
ルイの心臓は荒く鼓動していた。目の前に立つカストディアンの瞳は、いまや神秘的な輝きを放ち、鋼鉄の躯体は己の無敵さを誇示しているかのようだった。
ルイは必死で考える。メタトロンは戦えと言う。さらに、一切手を抜くつもりはないらしい。ならば、戦いは非常に厳しいものになる。はっきり言ってしまえば負けて死ぬだろう。
「タマ」
『――ササッ――ジッジジ……』
ルイが小声で話しかけるが返事は相変わらず砂嵐のような雑音だ。
この1対1の苦境を乗り越えるには、姿の見えぬタマのサポートが必須なのだが、口うるさい相棒がどういう状況なのか全く分からない。外部へのアクセスを止められているだけではなく、実はもう跡形もないほど改変されてしまっているのではないか。そんな予想がルイの不安をさらに増幅させた。
ルイからタマへの問いかけは数センチメートルの距離でなければ人には決して聞き取れぬ極小さな囁きであったが、メタトロンは聞き逃さなかった。
「誰に話しかけている?」
ルイは少し迷ってから答えた。
「友人がいる、ここに。姿の無い人工知能だ」
友人。それはネストロフの使者が使った言葉だ。どうやら彼らにはルイとタマは友人関係に見えるようだし、そのことに好感を持っていた。ならば今使っても良い言葉だと思った。ただし、タマをカストディアンと表現することは避けた。
話を聞いたメタトロンが分かり易く感嘆する。
「機械の友人とはな。なるほど、お前が見い出された理由というわけか。だが、応答できぬようだな。この部屋の中では無理もない」
「なんとかならないのか? あー、……紹介できると思うんだけど」
ルイは内心で冷や汗をかきつつ、なんとか冗談めかして言った。今はどんな手でも試して、突破口を見つけなければならない。
「興味深い申し出だが、できない。ここは不正な侵入者を閉じ込める部屋だ。中からではどうにもならん。それに――」
メタトロンがゆっくりと歩き、距離を詰めてくる。
「もしなんとかなったら、お前の勝ち目は万に1つも無くなるぞ。影響を受けているのはお前の友人だけではない。我も抵抗するのに苦労をしているのだよ。――話は十分だろう。始めよう」
ルイは仕方なく身構えつつも、会話の裏で始めていた別の思案を続ける。これまでと同じように戦っても勝てないのだから、絶対的に別の手段が必要なのだ。
最初に思いついたのは、この至近距離で奥の手である実体弾を使うことだった。水上都市ミッシュ近くの生命科学研究所を崩壊させた軍事兵器だ。許可なく使えば極刑ものだが、軍事法廷への出席など永遠に不可能だから、それはもう気にしていない。
ただ、単に強力な弾丸との知識しかなかったルイは、使ってみて強力さに驚き、タマに解説を求めたことがある。
『弾丸内部に、疑似的な位相欠陥を形成する仕組みです。ほぼ絶対零度の超高真空環境で特殊なイオンを使って、極小のブラックホールのような挙動をする――』
「わ、分かった。分からないことが、良く分かった。で、使う上での注意点は?」
『……はー。対象と相当の距離を確保することです。具体的には――』
ルイは目測でメタトロンとの距離を測る。ぎりぎり安全距離に少し足りない程度だ。だが、部屋の周囲にいるかもしれない仲間も巻き込んで全員プラズマガスに変換してしまいかねないことは大いに気になった。タマなら撃てというかもしれないが、到底ルイには選べなかった。
――実弾が使えないなら、もう紅千鳥と白加賀、両方の全エネルギーを使った技を繰り出すしかないが……。
ルイは炎の長刀を鞘にしまう。隠された刀身は損耗の修復と、真の攻撃力を獲得するために光り輝く。その光が鞘と柄の間が漏れ出て、ルイの手元を照らしていく。
「切り札はあったわけか」
メタトロンは、紅千鳥の怪しげな雰囲気を見て歓迎の意を示した。そう、怪しげだ。柄から漏れる光は、これから何かするぞ、と雄弁に物語っている。わざわざ意味ありげな挙動をするのはリンの趣味だ。今から必殺技を使うぞ、という雰囲気は大いに観客映えすることだろう。今は迷惑極まりないが。
ルイは黙ってメタトロンに何も言わない。内心では、ものすごく焦っていた。なぜならば、この技がメタトロンには通じないことが分かり切っているからだった。
*
「ふうむ、何がどうなっている」
第三惑星、高天原の周回軌道上に、足元まで伸びる長い金髪ロングテールの少女が浮かんでいる。髪には星型の髪飾りがたくさん付いていて、軍服のような草薙ロジスティクスの幹部のみに許された制服と酷いギャップを生んでいる。
先日、陳シェリーは、第二惑星の衛星軌道にて自我を有していることを自覚した。そして、そのことを大いに喜んだ。
だが、シェリーはすぐに自我とはなかなかに面倒なものだと思い知ることになった。なんと、自我とはその名に反して、自らの意思で制御しきれないのだ。知識としては当然知ってはいたが、改めて体感すると驚き以外なにものでもなかった。そして溜息を吐いた。なんと不便なことだろう、と。
シェリーの身に何が起きたのかというと、ソフォンであるはずなのに地道な第二惑星の調査に飽きてしまったのだ。理屈ではここの調査が最重要だと結論を下したのに、そのとおりに気分が残ってこないのだ。今までには無かったことだった。
――なかなか人というのは大変なものだな。これまで決めたことを何故直ちにやらないのか、と叱ったことがあったが、反省せねばなるまい。
何度かシェリーは自分の心を制御しようとしたが、結局諦めることにした。そして自分ほど臨機応変に対応できなくとも、少なくとも今の調査仮説に基づく作業を速やかに実行する無人格型の人工知能を作り、後を任せた。それから、高天原の衛星軌道を周回するルイの航行船に自らを転送したのだった。
なお余談になるが、転送中にシェリーは第二惑星で行った実験のことを思い出していた。いまの自分をコピーしたらどうなるか、という実験だ。ソフォン人格コピーには先行研究がいくつもあって、どんな条件でも「そこそこ似ているが明らかに違う人格ができる」という結果になる。理由には諸説あって確定したものはないが、量子のもつれによる微細部分の変化が全体に影響しているとの説が有力だ。
だから、シェリーはむしろ相棒のような存在を作れるのではないかと仮説を立てた。が、シェリーの思惑は外れた。これまでの事例通り、少し性格の違うシェリーができたのだが、どれも自我を持たない存在ばかりだった。ならば意味はないとシェリーはすべての人格を直ちに破棄したのだった。
転送が終わり、シェリーはすぐさま高天原の観測を始めた。タマが記録した通り、葦原中央政府のみが使用できる周波数であれば、なんとか地表の状況を理解できるのだ。ただし、ルイやリンが細々と放つ行動ログに強く依存するので二人がいるところに限られるし、情報の解像度も非常に低いが。
いま、シェリーは宇宙空間を漂い、タマを探している。ルイはついでだ。そして、目にしたのが2人の消失であり、出た言葉が冒頭のボヤきだ。
「黒岩リン、それに仲間の現地知的生命体2体も近くに居る。この大陸中央で生息する機械生命体とも敵対していないように見える。――いやはや、まさか機械生命体の集落まで存在するとは、何もかもが興味深い。まあ、それはそれとして、やはりルイとタマが殺された線は薄いか」
陳シェリーのアバター映像は、遥か眼下の大陸を見ながら小さく頷く。
シェリーは、簡易的に「殺された」という可能性を言ったが、発生を危惧していた可能性を正確に言語化すると「タマがルイもろともミリ秒単位の速度で消滅させられた」となる。タマはルイに危機が迫れば必ず緊急信号を出す。ルイが即死させられたとしても、当然記録するだろう。
ルイはただの人間だから瞬時に意識を刈り取ることは存外簡単だ。だが、分散的な処理機構を持つタマはしぶとい。緊急信号を出す時間を与えずにタマを破壊するには、ルイの装備や荷物全体を一瞬で消滅させなければならない。巨大質量をぶつけて全体を一瞬で完全にすりつぶすか、あるいは大エネルギーで機動戦闘服もろとも瞬間的に蒸発させるか。ただ、そんな状況の発生は観測できていない。
「だが、一瞬ですべての反応が消失した。まったく意味の分からないことばかりだ」
シェリーは再びぼやく。しばらく調査を続けていくと、大陸中央の建物内にある広めの部屋に向かって多くの観測対象が集結しようとしていることが分かってきた。厳密には部屋の周囲だ。そして、部屋の中は完全な闇に包まれている。
「なるほど、この中か」
シェリーは中を調査するためにあらゆる工夫を行った。だが、いかなる調査も受け付けず、結果は失敗。
「周りの者たちの動きが随分と早い。慌てているように見えるな」
シェリーは独り言をいう。そして横目でパネルを見て――本当は非接触通信を使えば詳細なデータが手に入るのだが、こういう人間味ある方法が好きだった――航行船のエネルギー残量を見る。その表示は概ね全快していた。輸送船のエネルギーを分け与えたのだから当然だ。
「無理矢理にでも出すとしたら、手荒な方法しか残っていないな。あとは、この方法を使ってもルイが死なないことを確認出来ればよいが、さてどうしたものか。もし殺せばタマに恨まれてしまうだろうからな」
シェリーは数秒思案する。それから笑みを浮かべて観測対象を現地機械生命体の1体――確かサクヤ、ヤグラの横にいるレネーとかいう名のカストディアン――に意識を向けて呟く。
「やってもらうか。タマへのプレゼントも用意せねばな」





