5-1 プロローグ:晩餐会の夜(2)
空けた扉を肘で閉めたサクヤは、そのまま座椅子に囲まれた中央の机に大きめの硝子瓶を置いた。中の液体は無色透明。ゴラムの蒸留酒だろう。
「随分と風味が無いな」
酒を小さな杯であおったヤグラが不平を言う。ヤグラが食事に文句を言うことはないが、酒は別であるらしい。
ここ最近、アズマ府にはゴラムの酒が流通している。近頃ゴラムの酒は洗練されてきており、たっぷりあった雑味は姿を隠してすっきりと吞みやすくなっている。これが帝国民の舌に合ったらしく、最近ではカデノのような衛星都市でもゴラムの酒が流通している。酒の市場適合を主導したのは、ゴラムの女王サメルサダであり、今では国の貴重な収入源になっているらしい。
といっても、ルイは雑味のある元の味が好みだったから、ヤグラの感想に頷く。ただ、サクヤは違う意見を持っているようだ。
「ですから、花や木の芽の香りづけで楽しめますのに」
帝国向けに作ったゴラムの酒は、森羅の耳長族にも受け入れられつつあるらしい。穀物を複雑に発酵させた森羅の伝統酒の人気はまだまだ根強いものの、殺菌技術が発展していないので保存が効かないという弱点がある。対してゴラムの酒はアルコール度数が高く簡単には腐らないから安心して置いておけ、好きな時に飲める。しかも、花や木の芽を漬け込めば慣れ親しんだ香りも付け足せる。これが森羅の酒好きに好かれているらしい。
そんな楽しみ方をサクヤもしている。実のところ、サクヤはこの中の誰よりも酒に強い(機械なので酔うことがないレネーは除く)。ヤグラよりもだそうだ。そのことを初めて知った時、ルイは少し驚いた。普通は体格が大きいほどアルコールの代謝能力が高い。サクヤの体重は、ヤグラの半分以下だ。ただ、話を聞いてみると耳長族は個人差あれど、もともとゴラムよりずっと酒に強い体質であるらしい。
「サクヤは強いよねえ」
目の前で、一息にコップ半分ほどの度数の強い酒を、水の如く飲み干すサクヤにリンが感心する。ルイやリンもそれなりに気に入っているが、だからってここまでは流石に飲めない。
サクヤは視線を伏せて呟ように言う。
「――そうでもありません」
リンは酒のことを言ったが、サクヤは別の意味で受け取った。或いは、分かっていて何かを吐露しようとしている。だが、今は顔をあげて続けて明るく言う。
「ともあれ今回、ルイ殿は森羅と帝国から高く評価されました事。とても、安心しています」
「あれ、厄介払い、じゃなかったの?」
サクヤの言葉を受けて、リンがヤグラに問う。
「厄介ばらいのようなもの、だ」
「どゆこと?」
「単に邪魔なら砂漠に放り出すなり、神聖法廷に差し出せばいいだけだ。だが、それはできん。さっき言った様に、神聖法廷の戦い、ふたつの街道の開通、今回の働き。どれも森羅と帝国に利益をもたらしている。褒賞を与えないわけにはいけない。それに、このままルイを悪魔と認定した神聖法廷が動かないと保証もない」
「その結果が、ここってこと?」
「そうだ。下賜されたあの半島を神聖法廷が軍で攻めるには、櫛稲田を横目に死の砂漠を渡らねばならん。アズマ府からは遠くないが、暗殺者を送るなら船で海を渡らなければならない。それは目立つ行為だ」
「あー、奥の手をとりあえず飼い殺しにしつつ温存するってことだね。ふふふ、ルイが危険物みたい」
「お前もだ、リン」
「えー!」
リンが驚くが、横で話を聞いていたルイは納得していた。
リンには、あまり目立った活躍がないように見える。ただそれは、優れた軍人やスポーツ選手は危機を未然に防ぐから窮地に陥る場面そのものが少ないのと似ている。敵から逃走する時は最も危険な最後尾にいつも居て卒なく全員を守るし、攻める時であっても生存を最優先として無理することがない。
本当に獲得すべき結果は何で、失ってはならない事は何か。リンはそれを決して見失うことなく、目立たずひたむきに目的達成に向けて動く。採点者が印象に左右されず勝利への貢献だけを冷徹に評価する人工知能であった、葦原でよく行われていた総合戦闘術の野試合で知らず知らず磨いたリンの特性であった。おそらくは、それが奴隷解放戦線で人知れず評価され、帝国へと伝わったのだろう。
「リンさんは本当に頼りになります。ですが、それが少し帝国にも伝わっているようです」
「そうかあ! ……って、喜んでいいのかな」
リンは喜ぶもすぐに首をかしげる。
「結局さ、評価されたのって良いことだったのかな?」
「……ルイ殿は、いまや広い土地を有する領主です。扱いも貴族の末席同等の扱いになります」
「りょ、領主!? あー、まあ、そうなるかあ」
「飼い殺しとも言えるかもしれませんが、裏を返せば帝国はルイ殿の安全を保とうとしているとも言えます。私はそこだけは良いことだ思うのです」
「う、うーん。それは、確かに」
「とはいえ、土地には今のところ特に何もないようですけど」
そう言ってから、サクヤはコップに並々と酒を注いですぐに飲み干した。それを見ながら、ルイとリンも酒をちびちびと呑んだ。サクサが勧めるまま浮かべた花びらの一片、その華やかな香りが、鼻孔を刺激する。
それからサクヤとリンを中心に、特段目的のない会話を続けた。特に盛り上がったのが、出席を辞退した晩餐会の食事のことだった。4人は帰り際に、アズマ府の鉄鋼工芸の粋を集めた皿に乗せられたパンや干し肉を見ていた。流行りのゴラムの酒もあった。きっと、酒以外は不味かったはず、ということでリンとサクヤの意見は一致した。
それからまたしばらく話して、サクヤが持ってきた酒が無くなったところで、みな疲れていたから寝床へ向かった。ルイの脳裏には、結局のところ瓶の酒の半分ほどはサクヤが呑んだことしか残っていなかった。タマも新領地の環境の予測に忙しいとのことで口数を減らしていた。
[タマのメモリーノート]ゴラムの酒は、成分がジンに似ている。だが、嗜好品全般が厳しく統制されている葦原星系では、天然の酒は超高級品であるから、ルイには同じ味かどうかまでは分からない。





