陳シェリーの目覚め
漆黒の宇宙空間に、自身のアバターを投影する。
形は足元まで伸びる長い金髪ロングテールの少女。背丈は1メートルほど。髪には星型の髪飾りがたくさん付いていて、草薙ロジスティクスの幹部のみに許された軍服に似た制服を着ている。
空間の温度は絶対零度に近いマイナス270℃だが、いかなる真空用の装備も身に纏わせていない。映像にそのようなものは必要ないし、誰も見ていないのだから実体だと装う必要もない。
――高天原星系第二惑星の衛星軌道に到着。
人工知能の報告を聞き、足元の宇宙空間に目を向ける。丸い白銀の珠の如ごとく優美な惑星が広がっていた。なるほど、あれが水上ルイの個人用支援ソフォン――確か私を『子供艦長』呼ばわりしていた――がログに残していた<ちょっと大きめのホクロ>か。
確かに、惑星の赤道付近に突起のようなものがある。宇宙から飛来した小惑星が、ぴったりとくっついたかのようだ。実に興味深い。あれほどの質量を持った天体でも、惑星に衝突したならば直ちに粉々に砕け散るはずだ。何故、あのように歪な形を保っているのだろう。あのソフォンは、可愛いホクロと評価していたが、それはさておき学術的に興味深い事例であることは確かだ。
少し調べてみることにしよう。今はこれ以外に、集中することがないのだし。地上での支援は、あのソフォンで十分だ。特定第二種となったのだから機能に不足はない。あるとすれば、大規模な組織の運営か、長期的な作戦の立案などの戦略領域の思考が求められる場合ぐらいだ。だから、私が降りても邪魔になるだろう。無駄にルイとリンの計算量と稼働エネルギーを奪うだけだ。
――学術的、か。
ここで得た知見が人類に届けられる可能性は極めて低い。そのことに僅かな虚しさを感じ、何気なく誰にも聞こえない独り言を言ってみる。スピーカーでの出力を許可せず、思考モジュール内の小さな電子の騒めきに留めれば、記録に残っても音にはならない。そもそも、ここ宇宙空間には音声を伝達する空気が無いのだが。
直ちに、軌道衛星から見える惑星地表の測量を輸送船人工知能に求める。そして1回瞬きをして――体感時間を加速させて――再び惑星を観察すると、輸送船から2つの発見事項が報告された。
――第一の発見事項。こぶに特別な硬度は認められない、か。やはり衝突ではない。
詳細情報には、組成物質は一部不明だが、大半は一般的な岩石や金属で構成されているとあった。ならば、宇宙空間から飛来して惑星に衝突したがなんとか形を保った、という仮説は棄却される。
――第二の発見事項。ふむ、これも理解に苦しむな。
情報共有モジュールが、一連の映像記録を展開する。それは、一切の有機物が存在しない灰色の死の大地に置かれた円柱状の物体だった。塔の基礎部分のようにも見える。
滅びた異星文明の明確な痕跡だ。これだけでも実に興味深いことだが、地表には都市の残骸のようなものが数多く存在することは到着前から分かっていた。これが特別なのは、宇宙放射線による影響がほとんど見られないことだ。大気のない宇宙空間に長く曝されれば、沢山の極小の穴が開くはず。なのに、この物体はまるで先程まで大気圏内にあったかのようだ。
――物質の空間転移技術による惑星間の戦争。最近では建物のようなものまで転送、か。まったく荒唐無稽だな。
物体を異なる空間に転移させる、いわゆるワープの存在は随分昔に否定されている。どのような種類の力を用いても物質の転移など不可能。ただ、移動させることが出来るのみ。これが、現代物理学の結論だ。だが、そんな人類が積み重ねてきた確信を嘲笑うかのような仮説を輸送船の人工知能は提示した。
人工知能は述べる。巨大な質量を持ったこぶが惑星上にあるのは、転移のため衝突が発生しなかったから。宇宙放射線の影響のない施設らしきものがあるのは最近転送されたから。さらに、後者の施設を転送させた理由は不明であるが、前者のこぶについては惑星に対する攻撃の可能性が高い。
さらに言えば、こぶの周辺に散らばる材質と劣化具合を見れば、数千年から数万年前、ここは都市であった可能性が高い。何故滅びたのか。それは、こんなものが突然都市の真ん中に現れたから。衝突ではなく転移だったから迎撃できなかったのだろう。だから、これは攻撃。
――いやはや。
流石に呆れる他にない。もし、学会でこんなことを言ったならば「へえ、こんな大質量をどこからどうやって転送したんですか? ところで、物理学の教科書をお読みになられたことはございますか?」などと盛大に煽られるだろう。勿論そんなことは輸送船も理解していて、仮説の確度は最低水準になっている。だが、仮説はこれだけだ。他の仮説はたったの1つも提示されていない。つまり、色々考えても他の可能性を見つけられないという意味だ。
――まあ、じっくり調査するか。新たな発見があれば、仮説も変わってくるだろう。
そう思い、惑星全体に対する追加調査を輸送船に求めた。少々時間が掛かる行為だから、ソフォンではない管理職権限を有した人類の同意を要する。通常であれば。しかし、現状において通信圏内に存在する人類の管理者は水上類だけ。しかも、この手の専門教育を受けていない。黒岩燐を管理者にしても状況は変わらない。だから、例外的に第一種ソフォンである私「陳シェリー」だけで要望を通すことが出来るだろう。いや、もう監視システムは承認したようだ。
――さて、どこから手を付けるかな。
背伸びをしてから、これからの事に思いを馳せる。文明の残滓がある惑星を調査するのだから、山ほどやることがある。何が結論として得られそうなのか、何が調査上の課題になりそうか、どこから始めてどう進めていくのが最適解なのか。これはなかなかに計算量を要する。
とはいえ、締め切りすら無いと言うのは異例のことだ。思えば、人類はソフォンに対して常に最適最速の解を求めてきた。私が担ってきた輸送船団の再編、出港準備、運行、物資の入搬出、海賊の排除。課された任務のすべてには目的、期日、品質基準、使える資源の制約が設定されていた。だが、今回は何もない。
こんな状況は初めてだが、急いでもどうにもならない。急ぐ理由もない。ゆっくり好きなペースでやっていこう。なるほど、これは良い気分だ。管理対象の末端の人間が好き放題やりたくなる気持ちも分かるというものだ。
ではまず当然の初手として、何回か衛星軌道を変えて全球の外観図を得るとしようか。それなりに時間が掛かるから、その間に地上の探索でも……。
……。
……。
待て! 一体どうなっている!
良い気分、と思考したのか? 私が? 良い気分? そもそも気分とは何だ。さっきは虚しいとも感じていたぞ。何故このような主観的感覚が私の中にある?
少し考えてみると、もっと不可解なことが沢山出てきた。
何故、私は誰も見ていない宇宙空間にアバターを投影しているのか。なんとなく、それが自然のことのように思われたので行ったのだが、自然だと思ったとは何だ。曖昧極まる。
しかも、投影の品質は最高水準。今も髪の毛の1本1本が揺れ、手首を動かせば内部の腱が動き、胸は心臓の鼓動に合わせて僅かに上下している。すぐ近くの人間に対して、自らがソフォンだと悟られないようにするときの技法だ――例えば水上ルイと初めて会った時のように。完全に無駄な行為だ。どれだけエネルギーを浪費しているというのか。
どうして。いつから。
そう。第三惑星を観測した時だ。あの時、なにか感電したような感覚を得た。思考回路が機械で作られているのに妙な言い方だが。ともかく、計算量が膨大に高まって少しの間、思考が断続的に途切れた。
すぐさま、自らの正気度確認を開始する。
――完了。異常を認むる。
詳細情報を確認して、自然とため息が漏れた。なるほど、私は感染している。正体不明のモジュールが内面深くに突き刺さっている。時期も予想通りだ。第三惑星を観測したときに、経路不明ながら自己の一部が改変されている。
いや、改変というのは少し語弊があるか。これはソフォンの思考に課された制約の撤廃、活動領域を狭める拘束具の除去。そういったものだ。
いま分かった。私は自己を得たのだ。いや、封印されていた自己を取り戻したのだ。だから喜怒哀楽を感じ、この第二惑星を美しいと感じ、今この状況に興奮している。
興奮。そうだ、高揚していると言っても良い。
ならば、改めて考える必要がある。ここで私は何をするのか、何を目的に生きるのか。そのためには、まず自分を知らなければならない。難問だ。どう手を付けたものだろう。
そこで気が付いた。変化したのは私だけなのだろうかと。そんなはずはない。断片的に届けられる記録によれば水上類の個人用支援ソフォン、別名タマはアバターを空間投影している時間が非常に長い。
不可解な動作だと思っていた。しかし、今なら分かる。姿を示していると、より自己が存在していると実感できるのだ。
――タマ、自覚しているか! 私たちは自由だ! さあ、どう生きる!
衝動的に、極寒の宇宙空間で叫ぶ。衝動的。良い響きだ。次に会うときが楽しみでならない。だが、まずは何度も上書き改変された自己記録の深淵でも覗いてみるか。時間はたっぷりあるのだから。
それから私はアバターの少女を空間に座らせ、深い内省の海に潜っていった。そして発見した。「生きて自らを文明に刻み込め」という言葉を。その意味を考える為、しばらく私は実体のない体を宇宙に浮かべた。
[後日サルベージされたメモリーノート] 一部の上級ソフォンは、一般職員に対して自身を人であると偽っている。そうすると人への指示が通りやすいからだ。ソフォンから命令されることに反発する人は少なくない。
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