4-18 秘密農場(2)
「いや、マキナ。気持ちは嬉しいが危険だ。だから」
「これでも?」
マキナは、茶の入った厚手の木の器を自分の目線に持ち上げる。そして、半分ぐらい残っていた茶を一気に飲み干すと、右手で握りしめ粉々に破壊した。同時に鳴った氷が砕けるような大きな乾いた音にヴィクターは驚き、それから周囲を見渡すも音は誰にも届いていないようで誰もこちらを見ていない。
「一人旅だもの。これぐらいできるわ。あと、物や人を探すのも得意なのよ。どう? 役に立てるんじゃないかしら?」
「これぐらいって君は――いや、分かった。分かったよ。でも、今のは一体どうやって? 魔法のようには見えなかったが」
「女の秘密よ。ねえ、イチローさんもよろしい?」
「……ああ」
目の前のことに驚いていたせいで即答こそ出来なかったが、ルイもすぐに頷いた。もともと、この女性型カストディアンと関係を築くことが目的であったし、ミトロンの薬についての調査も進むとあれば反対する理由など何処にもない。
それから三人は翌朝からの計画を話し合って、解散となった。ヴィクターとマキナはこの酒場の二階にある男女で分かれた大部屋にそれぞれ逗留しているとのことで、話を終えた二人は店奥の階段を登っていった。
ルイもまた、店を出て宿へと戻っていった。その様子を見て、離れたテーブルを囲んでいた仲間たちも目立たぬよう席を立った。
酒場から宿への帰り道、既に日は陰っている。ただ、気温はまだまだ暖かい。荒野の中にあるアズマ府だと昼夜の寒暖差が大きいが、ここ水上都市ミッシュは湖の上にあるせいか昼は暑くならず夜も冷え切らない。
「あんな消音機能を持ったカストディアンが居るなんて面白いな、タマ。……うん?」
『……』
何気なく話しかけたつもりだったが、難解な表情をしているタマにルイは訝しむ。
「なんだよ、変な顔だな。って、もしかして……本当に魔法なのか?」
『その可能性があります』
タマの返事と同時に背後からサクヤが息を呑む声が聞こえる。
「逆位相の波形を重ねて音を消したんじゃないのか?」
『それでは上手く説明できません。あの時、マキナを含む三人は普通に話せていたのに、発した音がおよそ周囲2メートルより遠くには届かないようになっていました。マキナが逆位相の音を発していたとすれば、ルイたちも声が聞き取れ無くなっていたはずです』
「周囲2メートルに消音機を配置していたとか……?」
『それだけではありません。リンへ送っていたデジタル通信も切れていたのです。それなのにリンやサクヤからの通信は入ってきていました。情報の流れが一方通行になっていたのです』
「えっ、ほんと?」
流石にルイが驚く。こちらの声は外に出ず、外からは入るなんてこの惑星と一緒であった。
宇宙空間からこの惑星を観察したとき、不思議となかなか情報が得られなかった。しかし、地表へと降りてみれば、衛星軌道上の船からの情報は簡単に得られる。
この星のことは外に知られたくない。そんなこの惑星の特性を解明しようと人工知能とタマは長く調査を続けているが、まだ何も分かっていない。
「途中からなんにも聞こえなくなっちゃったのは間違いないよ。途中から読唇術での読み取りに切り替えたから、だいたい話は分かったけど」
『電磁波による妨害も観測されていません。我々がまったく知らない技術を使っているのか、あるいは』
一行は考え込む。しばらくして沈黙を破ったのはサクヤだった。
「お二人の話は難しくてあまり理解できていないのですが……本当に魔法だったとしたら、人とカストディアンは何が違うのでしょうか」
サクヤは以前、魔法は祈りから現れる、と言っていた。人の強い想いこそが魔法を生む鍵であるとも。であるから、魂や意思を持たないカストディアンは魔法を使えない。それが、魔法を研究する者たちの常識であるらしかった。
魔法は人の精神が生み出すものだとしたら、魔法を使えるカストディアンは魂と意思を持っていることになるのだろうか。
ルイ、タマ、そしてリンに答える術は無い。
それから一行は、ヴィクターが熱心な神聖法廷の信徒であると想定し、亜人であるサクヤとヤグラは別行動とすることに決めた。
*
そこは山々の中にあった。険しい獣道を抜け、人の手の入っていない川と林を越えた先に現れた斜面を登っていくと、突如として視界が開けた。そこには擂鉢状の地形があった。そんな小さな窪地のようなところの中央にはいくつか小屋がある。
地形そのものからして小さな火口都市シグモイドを思わせるが、活動を止めて悠久の時が経過した火口には見えない。火口も円形の盆地に違いないが自然が生み出した地形であるため、必ず岩々のどこかが険しく縁もまた歪になっている。
しかし、ここの地形は幾何学的な美を感じさせる楕円であるうえ、側面の坂は緩やかでどこからでも歩いて下りられるようになっている。
「自然の地形じゃないよね、これ」
「おそらくな。古代遺跡を利用した施設だろう。南は小さな遺跡が点在していると聞くから、ここもそのひとつではないかな。こんな人目を避けるような遺跡は寡聞にして知らないが」
ルイの問いにヴィクターが答える。
『明らかに人為的な採掘と整地の跡が見て取れます。ヴィクターの見立て通りのようです』
ルイも呼応して囁く。
「いま見える三人に加えて、右の小屋の裏に二人。あと内部にも五人いるわ」
話しかけてきたのは、後ろでしばらく目を閉じていたマキナだ。さきほど使うと言っていた捜索の魔法の結果であろう。ルイはそっとリンへ目配せすると、リンは片目を閉じて応じた。マキナの情報は正確で、リンのセンサーを使った探査結果と一致しているらしい。
「そこまで分かるのか、凄いな」
ヴィクターは素直に驚く。ルイもだ。
「お役に立ててなによりだわ。ねえ、イチローさんもそう思う?」
単に好意の仕草なのか、ルイたちも探査技術を持っていることを見抜いていて確認を求めているのか、それとも疑惑でカマを掛けているのか。
『やれやれ、どこまで分かっているんだか』
タマが溜息を吐きながら言う。存在を隠したままだからタマの声はヴィクターだけでなくマキナにも聴こえていない……はずだ。
「あたしも少し見た程度だけど、周りには特に何もなかったよ。警戒もなさそう」
次に報告してきたのはリンだ。先程までレネーと周囲を捜索していた。この状況を楽しんでるいるのか、リンの表情は明るい。
ルイは軽く頷いてから改めて前を見る。西日に赤みが混ざった曇り空の下、こぢんまりとした六軒の小屋がある。
ただの山間にある集落には全く見えない。盆地の底にあって、徹底して外部からの視線を避けている。小屋は正確な等間隔で並んでいる。行き交う人々はほとんどおらず、たまに見かけても農具を持っていない。周囲には明らかに必要量を上回る多数の風力発電機。
「どうだ、見つけたぞ」
「ああ……」
ヴィクターの言う通り、確かにここは奴隷解放戦線の秘密農場であるらしかった。ここでミトロンの薬が作られているのだ。
[タマのメモリーノート]奴隷解放戦線を観察して得たデータを使ってタマは中毒者を瞬時に見抜くモジュールを構築し、ルイの視覚補助機能として組み込んでいた。





