4-16 出会いの予兆(1)
ルイ達は火口都市シグモイドに戻っていた。
南支部における会議の後、ミトロン、グレイ、そして奴隷解放戦線の兵士たちは慌ただしく血盟戦士団の本部襲撃の為の準備を始め、翌日には出て行った。ルイ達の同行は許可されなかったが、そもそも願い出もしていなかった上に行く気もさらさら無かった。なにしろ、もう任務は完遂しているのだ。
奴隷解放戦線の戦略や、得た状況を踏まえて連合帝国に与える影響を見立てる。また、奴隷解放戦線と櫛稲田の関係を維持する。これが与えられた任務だ。連合帝国、奴隷解放戦線、そして血盟戦士団が今後何をしていくのか、三者の関係がどうなるのかを前提として問われていた。
連合帝国は、二枚舌を使って天秤で両社を測ったうえで、今は奴隷解放戦線と共謀して血盟戦士団を撃滅しようとしている。それが成功するかはまだ未確定だが、そうなる可能性は高い。
血盟戦士団が壊滅的な打撃を受けた後、連合帝国は何をするのか。それは、奴隷制度の変革になるだろう。ミトロンもそう望んでいる。ただ、そんな簡単なことではないから数十年、下手したら百年単位の速度になるだろう。それまでミトロンが待てるかは分からない。
ただ、進むことは進むはずだ。経済的価値を失いつつあるのだから。それが最も強力な理由になる。過去、地球史において奴隷制度の廃止が進んだ理由は、工業化の進行に伴い農地から労働者を工場へ移動させる必要があったからだ。加えて軍隊にも。決して人道的な配慮とやらの結果ではない。
「流石にこれだけ分かれば櫛稲田はもちろん、色々と厳しい森羅の官僚たちも文句ないと思います」
「血盟戦士団をやっつける手伝いまでして、ミトロンと関係も築いたしね」
サクヤは任務達成状況を十分に合格点だと評価した。そして、リンが付け加えたように、櫛稲田の外交面の得点も大きく稼いだ。未来予知などできないから、これからどうなるかは分からない。それでも、中に入って得た生の情報は貴重だ。きっと連合帝国に色々と恩を売れるだろう。よって、任務は完了。加点まで得た。
「とっとと帰ろうぜ。こんな場所、長いは無用だぜ」
「同感だ」
これ以上、奴隷解放戦線の内部に留まるべきではない。そうレネーとヤグラは強く主張した。レネーの言う細かいこととは、まさに南支部の運命だ。南支部長らしきあの男が予想した通り全員放逐されて野垂れ死にするのか。それとも、連合帝国との再戦を見越して奴隷解放戦線の中に組み込まれるのか。ルイはとても気になっていたが、口から出す前に封じられた格好だ。
「そうだね、帰ろう」
南支部の運命が気になったが、ルイも同意した。なるようにしかならないし、待てばすぐ分かることである。
*
『はい、今日の高天原語のお勉強はお終い。こんくらいで許してあげましょう』
「語学ってなんでこんなに面倒なの……」
夕日に向かってルイが愚痴を言う。火口都市シグモイドの郊外から見える太陽は西の山脈に差し掛かっていて、辺りは既に暗くなっている。
『昔に比べれば随分とマシですよ。過去、人類の75パーセントほどは他言語を学ぶことを迫られていたそうです。特に我々の祖先は、自国語と語順が全然違うから、とても苦労したそうですよ。それに比べれば、高天原語は葦原標準と似ているところが多いんですから楽勝ってもんです』
「そうは言ってもさあ。なんか、違う言葉を話す時って頭が悪くなった感じになるんだよね」
『そりゃそうでしょうよ。思考は言葉ありき、です。不十分な語彙力で思考すれば、思考もまた稚拙になるものです。加えて脳の演算能力が慣れない言語の使用に割かれますからね。ただ慣れれば解決する話です。さっ、馬鹿になって練習あるのみ!』
ぐうの音も言わさぬタマの説明にルイは押し黙る。一方で、横で聞いていたサクヤは興味津々だ。
「思考は言葉ありき、って面白いですね。私も葦原という国の言葉を知れば、もっと考えが広がるのでしょうか」
『流石はサクヤ。色々な言葉を知って活用できれば、思考に深みをもたらすことができます』
「そのうち私にも葦原語というのを教えてくださいね」
『なんと素晴らしい。ほれ、ルイ。サクヤの爪の垢でも煎じて飲んだらどうですか』
「えっ、爪の垢ですか?」
タマの表現に興味深そうに驚くサクヤへ、疲れ果てたルイは「それは慣用句ってやつで」と言うぐらいの事しかできない。
サクヤは忙しい中でも、こうしてルイの勉強に付き合ってくれる。なお、リンには語学の才能があったようで、さっさと上達したから最近はルイに付きっ切りだ。
サクヤの指導は、生まれ持っての几帳面な性格と慎重な言葉選びが求められる仕事を反映しているせいか、なかなかに厳格でルイをしばしば疲れさせた。それでも、サクヤはずっと親切で献身的であったし、細かなニュアンスを都度補完してくれので、学習は計画より大幅に進んだ。ぶっきらぼうな短文ならば、もはや違和感なく誰とも話せる水準に達している。
「明日からカデノに戻るとして、何をするのかな」
「まずは櫛稲田への報告が最優先ですから、アズマ府の大使館へ寄ることになると思います」
「そういえば、今更だけどサクヤはアズマ府に常駐しなくていいの?」
「カデノのほうが櫛稲田に近いですし、色々面倒な帝国貴族に絡まれなくていい、ということで免除されています。アズマ府にはもっと経験ある外交官が駐在しています。私はまだ未熟も良いところですからね」
そう言って、サクヤは少し微笑む。その笑顔は無力さを感じさせるようなものではなく、実際にまだサクヤには足りないところが多くあるから、それで助かっているということなのだろう。
『そろそろ戻りましょうか。食事の時間です』
「またアレを食べるのか……」
ルイの表情が少し険しくなる。奴隷解放戦線の酒場で出される食事は、アズマ府とほぼ同じ。すなわち、乾燥野菜と乾燥肉のサンドウィッチで、他の選択肢はない。
『ぜーたく言わない! お天道様のバチがあたりますよ。って、この表現は神聖法廷っぽいですね』
「タマは、自分は食べないからって気楽に言ってくれるよな」
「本当に、ルイ殿は食事にこだわりがありますよね。リンさんもですけど。葦原は美食の国なのですね」
『鋭いですね。伝説において私たちの祖先は、とにかく食に関心があったとされてましてね。屈辱的な外交を迫られても怒らないが、体に悪い食材を輸出された民衆が一致団結して立ち上がったとか。こんな逸話に事欠きません』
「はー、平和なんですね」
頭が重くなるような語学の疲れ、憂鬱な食事。ルイは、足取り重くルイは都市の中心へと戻っていく。背後ではタマとサクヤが談笑しているが、割って入る気にはならなかった。
ルイ達が小さな6人部屋に戻ってきたのは、食後すぐだ。無言で素早く食べ終え、話しかけられる隙を作らずにさっさと酒場を退席してきた。
今日も不味かったという表情をしているルイを見て、サクヤとリンが苦笑いする。二人とて美味しいとは全く思っていないのだが、サクヤは各都市を旅した経験から、またリンはその順応性の高さからルイほどは苦労していない。なお、ヤグラは当然ながら食事の味を気にすることは一切ない。
それから、皆と固い寝台へ横になった。ようやく明日からは帰路につける。今回も大変だった。そう思いながらルイは寝台で何気なく腕を広げた。すると掌の甲に軽く何かが刺さるような感触がした。
「なんだ、これ?」
「どうされましたか?」
隣の寝台で横になっていたサクヤが声を掛ける。ルイは手首にある灯りを付け、枕あたりに感じた違和感の正体を探る。それはすぐに見つかった。寝台の木枠に挟み込まれた紙片があったのだ。





