4-6 血盟の戦士(1)
空腹などという感覚はもはや無い。
まともな食事をとったのは、いったいどれぐらい前のことだったか。スイゴウに住民が居た頃は良かった。奪った食料で十分に腹を満たすことが出来た。だが、今はどうだ。肉類はほとんど残っていない――お偉方の分はまだまだあるが。最近は芋、木の皮、麦の藁。そんなものばかりだ。
芋はともかく、他のものは食べられるようにするのに手が掛かる。木の皮は、剣や斧で切り取り、硬い外皮を取らねばらない。そして、内側の柔らかいところだけを水に一日漬けて柔らかくし、それから半日ほど煮てから細かく切って槌で何度も叩かねばならない。周囲は森であるとはいえ、火を起こす木々を集めるのも一苦労だ。
麦の藁を食べられるようにするのはもっと酷い。こちらもまず半日ほど水に漬けて、ちゃんと泥を落とさねばならない。それから、切れ味の鈍った剣で細かく切り刻み、蒸して干して、それから火にかけて水分を飛ばしてから磨り潰して粉にする。さらに水を含めて何度も練らねばならない。それでも、そのままではとても食べられたもので無いので、塩を大量にまぶして水と共に無理矢理喉に流し込むこととなる。
そこまでしても、まだ食べ物は足りない。最初は、自分も含めみな「腹が減った」と言っていた。だが、それが何日も続くと空腹という感覚が無くなるのだ。慣れと言うものだろう。しかし、食べることへの欲求が消えることはない。朝起きてまずパンを想い、不味い食事を調達しながら野菜が浮かぶスープを想い、獲物を求め森を彷徨いながら焼き魚を想い、夢の中では腸詰の肉を食う。
起きてから寝るまで、半分ほどは食べることを夢想し、残り半分ほどは食料を得ることや奪うことを妄想する日々。
思えば、奴隷であったころは不味く少なくとも日々食事にありつけることへの疑問を抱かずにいた。人の食い物じゃねえと罵倒していた石ほど硬い麦のパン、塩の味しかしない干し肉、変色した野菜が僅かに浮かぶスープ、家畜の小便のような匂いの酒。それらすべてを懐かしく思う日が来るとは思わなかった。共に食事の不味さに不平を言い合った奴隷仲間はもういない。血盟戦士団への参加を拒否したものは殺したし、参加したものはスイゴウを略奪した時にだいたい戦死した。
だからといって、昔に戻りたいと願うことなどない。強欲な商人どもから「お前のところから食料を買うのはこれで最後だ」と言われ、立ち尽くす地主たち――以前の主人――の青ざめた顔が脳裏に焼き付いている。もう、俺たちが作ってきた不味い作物や肉が売れることはないのだ。同時に、毎日のように耕し水を撒いてきた土地にも価値はもはや無い。
突然、保有する土地と奴隷の価値が大きく目減りしたことを知って憔悴する主人の顔を見るのは愉快であったが、だからといって笑うことはできなかった。自分もまた無価値の存在になったということなのだから。
食料不足を補うため狩猟に出ていた森にて血盟戦士団に襲われて忠誠を誓うことを求められた時、俺は即座に了承した。断った仲間は逃げ去ったが、後に結局は盗賊となって連合帝国兵に殺されたことを知った。同情はしない。時流を見抜けぬ間抜けであったから、仕方の無いことだ。
「街道を呑気に歩いている奴らがいる」
部下の男――とはいっても自分より少しだけ後に戦士団へ加わっただけの遥か年上らしき元奴隷――が報告してきたのは、煮た芋に塩を塗っている時だった。
「全員いくぞ、案内しろ」
俺が躊躇なく、その頭の禿げあがった年上の部下に命じると、周囲の地面に寝転がっていた者たちも敏感に反応して立ち上がった。みな痩せており汗と泥にまみれているから、誰が男で、誰が女かはもう良く分らない。だが、そんなことは今どうでも良いことだ。誰もが虚ろな目をして、そして薄暗い希望の炎を瞳の奥で燃やして歩んでいく。
立ち止まって少し考える、などという選択肢はない。ちょっと待ってください、何者か確認していませんよ。この一帯を我々戦士団が実効支配していることを知りながら歩いているとすれば、危険な相手かもしれません。そんなことを言ってくるものは誰も居ない。罠かもしれない、なんてことは全員が分かっている。罠でもいい。罠でもいいのだ。こんな場所を歩いているのだから、とにかく食料を持っていることは間違いない。それを奪えば、栄養があるものを食べられるかもしれない。その可能性の前では、いかなるリスクすらなんの障害になりはしない。
――あれだ。
森を分け入ってしばらく進むと、先程報告してきた部下の男が無言で前方を指さす。そこには、確かに男女数名の旅人らしき一行が休憩していた。身なりの良い耳長の女、そして肌が岩のようなゴラムの戦士がいる。それだけではない。神聖法廷風の外套を身に着けた若い男、連合帝国風の服を着た若い女と子供までいる。
耳長族、ゴラム、神聖法廷、そして連合帝国の女と子供が2人。まったく訳の分からぬ一行だ。奴らを怪しいと思わないかと問われたならば、僅かな躊躇もすることなく怪しいと断言できる。だが、そんなことはどうでもいい。食い物。唯一、それだけが重要だ。だから、俺はすぐに襲撃の指示を出す。
部下たちは、さっそく慣れた動きで一行に忍び寄った。もう何度も哀れな旅人相手にやってきたから手慣れたものだ。そして、部下たちが一斉に放った矢は、果たして子供に突き刺さった。帝国風ながら妙に洗練された着こなしの少女だ。同時に、連合帝国風の服を着た若い女の胸にも矢が当たった。咄嗟に腕を胸に当てたから細かいことは確認できなかったが、位置だけを見れば心臓あたりだ。部下どもが弓を習い始めたのは最近であるのに、なかなか良い出だしだ。
子どもたちは、自分の娘であったとしてもおかしくない年齢だが、それもまたどうだって良いことだ。食い物が手に入るのか、入らないのか。それが全てだ。突然の襲撃で二人も殺されたのだから、他のものは逃げ出すかもしれない。それだけは絶対に防がねばならない。食い物だけは全て奪わなければならない。
俺は草むらに身を隠すことをやめ、一気に走り出す。周囲の者たちも、同じ考えのもと同時に走り出した。
獣のような耳がついた変な麦わら帽子を被った少女が倒れて血を流していること、連合帝国風の服を着て妙に長い棒を持った女も前のめりに蹲っていること、そして残りの者たちが慌てふためきつつも逃げる素振りを見せないこと。
これらを見て、俺たちクソったれ血盟戦士団の末端は願いが叶うことを確信した。
幻の人体を空間に投影する技術があること、即席の弓矢程度では全く貫けない服というものがあることなど知るはずもなかった。





