4-4 訓練(2)
「あたしには、この月影があるからね。それは預けておくよ」
「いいの?」
訓練が終わった後、長棒を持ったリンはそう言って改めて紅千鳥と白加賀の大小二振りを泥だらけのルイに改めて渡した。
燃える炎のような色合いの攻撃的な長刀。多彩な防御機能を持った乳白色の脇差。葦原で親しまれている梅の名を持つ二本の刀には、これまで何度も救われてきた。そのためルイは申し出を嬉しく思ったが、同時に疑問も感じてリンを見る。銘が彫られたこれらの電子刀はどうみても安いものではなく、納められた箱の高価さを見てもリンが大事にしていたことは間違いないからだ。
「いいよ。確かに気に入ってるんだけど、剣術は暇つぶしみたいなもんだからさ。流派を隠して大会に出るには丁度良かったけど、ここじゃそんなこと出来ないし。それに、ヤグラやレネーみたいなのがゴロゴロいるんでしょ。一番得意な相棒を出し惜しみしている場合じゃないって」
そういって、リンは月影と名付けられた棒を軽く振る。ただの棒ではないことは明らかだ。先端についている謎の琥珀色の突起は何かの機能を持っているのだろうし、先ほどヤグラの一撃を受け止めておきながら傷のひとつも付いていない。それに、あの衝突の瞬間、月影が一瞬ながら黄金の輝きを放ったのをルイは忘れていない。月影という名前の由来となった梅の品種と同様に、薄い黄金の光だった。
「さっきの光だけどさ。衝撃拡散光だよね」
「あ、分かった? いやー、使うつもりはなかったんだけどね。あそこまでの威力とは思わなかったよ」
衝撃拡散光とは、受けたエネルギーを変換して外部へ放出する際に放たれる光と熱のことだ。軍事用の兵器や装甲戦闘服に採用されている機構であり、かなり高価な代物だ。だから、到底個人が持つ武器、それも盾や装甲ならまだしも棒に搭載するようなものでは決してない。
つまり、月影はどうしようもなく高価で趣味的な得物ということになる。きっと特注品だろう。リンの近接戦闘への愛、ここに極まれりといった趣だ。
「高そう」
「ぐ。……うん。二年分ぐらいの給料が吹っ飛んだかな。運よく賞金が貰えた時に買っちゃった」
「2年……」
流石にルイは呆れた。月影だけではない。衝撃拡散機構こそ持たないが、紅千鳥は炎を発するし、白加賀はエネルギー砲を逸らすことも可能。加えて、機動戦闘服と連動して高度な体捌きを可能とする。どう考えても両方とも高性能の装備だ。きっと、相当お高いに決まっている。いったい、どれだけ散財したのか。
「この刀も相当なもんでしょ」
「そ、そうだね。だからさ、貸すだけだからね! あげないから! あとケースはちゃんと大事に保存しておいてよ!」
「ケース……?」
「え? えええ! 失くしたの!? あれも高かったんだよ!」
「ええと……」
何度も命を救ってくれた武器を貸してくれた恩だけでなく、借り物の紛失という負い目を抱えてルイは劣勢になる。そんな主人を見かねたのか、タマが助け舟を出す。
『ケースは確か、衛星軌道上の船に置きっぱですね』
「えー! まあ、うん。それならいいか」
「いいのかよ……」
「当面はね。刀身の修復機能は鞘についてるし……」
「じゃあいいじゃん」
「あのケースは天然の革張りなの!」
ケースまで葦原では極めて希少な天然家畜の本革を使っているとは。もはや、ルイに驚きはなく、ただ呆れるばかりだ。
「革なんて、ここではいくらでも手に入るじゃない」
「ま、まあ、それを言われると……って感じだけどさあ。ま、いっか。ねえ、もう1回、模擬戦やらない?」
「いや、もう勘弁」
ルイは数度に渡る模擬戦闘を終えたばかりだ。もちろん、結果は言うまでもなく、すべて完敗に終わっている。寸止めルールだが、牽制の為の攻撃はきっちり威力を殺さず打ち込まれる。そして、ヤグラやレネーだけでなくリンも、軽い技にすらしっかりと体重をのせてくる。だから、技を受け止める度にルイは地面を転がる事になった。タマによる補佐がないと機動戦闘服の出力は変わらなくとも力の使い所が分からず、いいようにされてしまうのだ。そして、その事を問題に思ったリンから特訓させられていたのだった。
「精が出ますね」
そんなことを話しているルイとリンに、庭へと戻ってきたサクヤが話しかけてくる。一足先に訓練を終えたヤグラとレネーの武具の片付けの手伝いが済んだのだろう。リンが棒をルイに突きつけているのを見て、まだ訓練を続けるのだと思ったようだ。
「いや、終わったところ」
「えー」
ルイは不平を言うリンを無視してサクヤに返事をする。
「それはお疲れ様でした。あ、リンさん。顔が少し汚れていますよ」
「あー、そうだろうね。ちょっと洗ってくるかあ、面倒だけど……うん?」
「ちょっと、そのまま動かないでください」
そう言ってリンの動きを制したサクヤが、リンの頬の奥――耳に近いあたり――へ両手を当てると両目を閉じる。すると、リンの頭部が僅かに輝いた。2秒か3秒ほどのことだった。
「わ。なんか、くすぐったかったけど、なんだか気持ちいいね。さっぱりした感じがする」
サクヤはリンに清浄の魔法を使った。ルイも最近知ったことだが、誰もが我が身を清めるため時折自分に使っているのだという。ちょっとした風邪や感染症すら死に直結することは常識であり、それゆえ清潔かつ健康でありたいという個々人の願いがそんな魔法を発動させるということだった。願いを強く持つものは、効果も強く発現する。であるから、清潔であるべきという啓蒙が大事だとサクヤは言う。
――水道も普及していないのに、どうりで体臭が薄いわけだ。
この魔法の存在を知ったことで、高天原の人々からなぜ強い体臭を感じないのか、というずっと心の片隅に抱えてきた疑問にルイはようやく合点がいった。本来、定期的に髪や体を洗うというのは極めて贅沢なことであり、この程度の文明であれば人類もまた獣のような臭いを常に纏うのが当然のはずなのだ。そうなっていないということは、高天原では誰もが大なり小なり清浄の魔法を使えるということを意味している。
そして、そんな生活と健康に必須の魔法を使えない者が、ここに二人いる。そのうち一人は今、魔法を使ってもらった。もう一人はそれを見た。
「サクヤ。僕もいい? 全身砂だらけで」
「……全身」
「あ、駄目ならいいけどさ」
「え、ええ、大丈夫です。もちろん、構いません。では、ええと、その失礼して」
サクヤは僅かに躊躇してから、リンと同じようにルイの胸元に両手を当て、なにやら念を込める。他者清浄の魔法は集中力を必要とするも、雷の魔法のような詠唱は要らないようだ。すぐにルイの全身が輝き、数秒後に収まる。光が収まったルイは、自身の腕を撫でた。そこに、汗や砂による不快感はない。
「おおー、すごいさっぱりした」
「それは良かったです……」
「あれー、サクヤ。それなんの手紙?」
サクヤは微妙な笑顔で俯いていたが、意味深に笑うリンから問われると急に表情を暗くした。
「はい。ちょっとご相談がありまして……」
サクヤは不穏な表情をしている。それを見たルイは、安息の日々は終わりを告げたのだと唐突に理解した。
[タマのメモリーノート] 清浄の魔法は対象に触れ、裸体の輪郭、つまり皮膚全体の形を明瞭に意識の中に捉えてから、好ましくないものを除外するよう願いを込めることによって発動される。そのため許可なく相手に行うことは無礼にあたる。





