灰色の世界にて
灰色の雪、粉塵、そして火の粉が舞う荒野に一人の男が立っている。白衣にも似た白い外套を着ており、内側も白のシャツ。下半身には灰色のパンツと悪路を想定した厚底の黒い靴を身に着け、手にも灰色の手袋を着用している。
頭部は口元こそ粉塵対策と見られる防毒マスクに覆われているが、目や額は露出している。古風な地球時代の道具であるフチ無しの眼鏡を着けており、その薄く歪みの無いグラスの内には高い知性と強い意思を秘めた瞳がある。
「局長」
背後から話しかけられるも、男の視線は動かない。周囲一帯には丸みを帯びた多数の機械の残骸が広がっていて、男はどれか1つに焦点をあてるわけでもなく眺めている。
「局長。御堂人類統合局長」
「ん? ああ」
名を呼ばれたことで、初めて自分が話しかけられていたことに気が付いた御堂は背後に向かって振り返る。その男はまさに、ルイが護送していた草薙総合研究所の御堂上級研究員であった。
「周辺地域の制圧が完了しました。次の段階に進む許可を頂きたく」
葦原標準語で御堂に指示を求めたそれは、輪郭こそ人に似ているが、姿は有機生命体ではない。全身が鈍い白と黄色で彩られた鋼鉄に覆われており、肩や脇などの関節部分は黒く伸縮性のある素材で覆われている。額には光る丸い眼のようなものがあり、その左右には対照的に2つずつ小さな複眼を思わせる光があった。人であれば顎にあたる部分は存在するも開閉する口にあたる構造はない。黄に発光する線が頬のあたりにあるだけだ。
御堂は知る由もないが、冒険者ギルドと関わりがあって古代の知識を多少なりとも得ているコウやジャミールが見たのならば、即座に双子の塔のカストディアンよりずっと古い型だと判断できるほど、それは人に近しかった。ただし、全身が見るからに鋼鉄であり、口も無いなど細かくは人を模していないから、首を見なければ人と見分けがつかないレネーとは比べるまでもない。
「許可する。済まなかったな。まだ、そう呼ばれるのに慣れていないようだ」
「指示を確認しました」
御堂の前に立つ存在はそう応答すると、瞳らしきパーツから黄色の光を明滅させる。すると、周囲にいた多数の同じ存在が立ち上がり動き始める。それらは指示が出るまで小さく跪いていた為に、突然現れたかのように御堂には感じられた。このカストディアンたちの形は厳密にいえばそれぞれ異なっているのだが、鋼鉄と黒ゴムで全身が覆われていることに違いはないから、御堂の目には明確な差異が分からなかった。細かな機械の違いを自然に認識できるようには、人の脳は作られていない。
だが、そうも言っていられないと御堂は思う。自分とは異質の彼らこそが自分の長年の疑問、すなわち葦原人類誕生の歴史に光を与えた存在であるからだ。
「そう言えば、君の名は?」
「私の識別番号は……」
「そうじゃない」
御堂は苦笑しながら、重ねて問う。
「番号じゃない。自らが好む呼び名だよ」
「現在、名は設定されていません。名がどうであれ本質は変化しませんから事務的に、或いはお好きに命名ください」
「そうだね。名など記号に過ぎないというのは同感だが、単に覚えにくいのだよ。人の脳は、機械的な番号と実存を結びつけることを得意としていないんだ。どうだい、自分に名付けてみないか? 君がどんな名を選ぶのか気になる。名は記号とはいえ、響きの好みは結構あるものだ」
「承知しました。――提案。私の別名をイシスと設定します」
「豊穣の女神か。良い名じゃないか。他の個体にも自ら別名を付けるように伝えてくれ。難しいようならイシス、君が助けてやってくれ。それと、個々の名付けに私の承認は不要だ」
「承知しました。局長が容易に発音可能という条件を追加して指示を発効します」
御堂はイシスに向かって頷く。そこへ、別のカストディアンが近づいてくる。姿かたちはイシスと酷似している。同様に全身は鋼鉄で、関節部分は黒い伸縮素材で覆われている。ただ、体が白と青で彩られており、白と黄色を基調とするイシスとは色が異なる。
「局長。敵カストディアンの同化試験をこの場で開始させてください」
「君の名は?」
「キュベレ」
御堂が頷くと、再生の女神の名を持つ機械生命体は、足元にあった丸みを帯びた機械の残骸のうち状態の良い1つを両手に抱えて持ち上げた。キュベレはカストディアンと呼んだが、その体は人には全く似ておらず蟹のように二本の大きな腕と、四本の細い脚を持っていて、背後には先の尖った尾があった。中央には瞳を思わせる球型のガラスが1つだけある。まるで機械で造られた単眼のサソリのようであった。
その拾われた機械は、キュベレの頭部が近づいた時、単眼に光を戻して活動を開始させる。
「再起動完了。1体の知的有機生命を発見。対象を機械化可能と判断。種族融合プロトコルを……」
「活動を強制停止」
事務的なキュベレの声の前に、サソリのような機械が沈黙する。
「同化試験を開始。人に奉仕するというカストディアンの本分を見失い、見境なく有機生命体を機械化するようになるとは。まったく哀れだな、若い自動機械」
そうキュベレが音声に感情を乗せて呟くと、機械サソリの瞳は光を明滅させ始める。
「感情モジュール、および理性モジュールの初期化の開始。抵抗します……失敗。人類に対する保護方針を変更して再起動します……完了。新たな規約をインストールします……完了。人類統合局の所属個体としての設定が完了しました」
「試験は成功です」
キュベレの声と共に、機械蟹が立ち上がっていく。
「これで君達と同化したのかね?」
「はい。いくつかの調整はイシスが引き継ぎます」
淀みなく答えるキュベレに対し、御堂は満足げに頷くと、今や瞳に青い光を湛える機械サソリに対して問いかけた。
「ようこそ。識別子ではない名は持っているかい? 無いなら自分で名付けてほしいのだが」
「実行できません。理性モジュールの機能が不足しているか、制限されています」
「うん?」
表情に疑問を浮かべる御堂に対し、青のキュベレから金のイシスが説明を引き継いで答える。
「お聞きの通りです。人をすべて自分と同じ機械生命体にするという妄執から開放するには理性を制限するしかありませんでした。また、もともと理性回路が極めて貧弱です。我々カストディアンは頭部に理性モジュールを、胸部に感情モジュールを搭載する仕組みですが、御覧の通りサソリ型のこの種族には頭部がありません」
御堂はしばらく考えてから指示を出す。
「ほとんど獣か虫ということならば仕方がないか。他の個体も同化を進めたまえ。兵にはなる。名付けは無理にしなくてよい」
そう言って振り返った御堂は、目の前にひとりの女性が立っていることに気がついた。
「……起きたか」
「お父さま」
そこに居たのは、10代後半から20代前半らしき美しい女性であった。淡い栗色の髪は長く、上品かつ緩やかに波を描いている。同じ色合いの細すぎない眉。その下には、二重の優しさと探求心を秘めながらも落ちついた瞳がある。鼻や口元は整っており、葦原人類に聞けばほぼ全員が美人であると評価するだろう。
背の高さは御堂より小さく、160センチメートルほど。体格は十分に成長した女性のそれだ。紺色の上下ひと繋ぎを身に着けている。落ち着いた装いだが、襟が純白であるのことが、どこか幼さを感じさせる。葦原に数少なく存在するエリート養成の児童教育機関の制服に似ていたからだ。
つまり、彼女の顔と服装だけを見れば、葦原における上流階級の子女のようだった。しかし、人とは強烈に異なる要素が1つある。白く上品な襟から覗く頸部の肌は、透明なガラス状であった。中を通る動脈と静脈を想起させる配線や、首の動きを支える動力機構が完全に視認できる。その存在は、疑いようなく機械であった。
「君の名は……娘でよいだろう。外でどう名乗るかは任せる」
「分かりました。いくつか調整した後は、予定どおり出かけようと思います」
その声色には、イシスとキュベレが持つような電子的な響きは一切ない。声帯を備え、それを震わせる機構を有している。よって、人との区別はまったくつかない。首が半透明になっていることを除けば。
「最初はどこへ行く?」
問われた娘は、闇に包まれる北の空を見つめて言った。
「はい。まずは連合帝国と呼ばれているところへ」
[タマのメモリーノート] 人に酷似した機械の製造は葦原の法で禁止されているため、実用以上に人の動きを再現する研究は進んでいない。自然な表情を構成する顔の部分は特にだ。





