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ハローワールド

教えてもらった通りに道を進むと、無事にハローワークに辿り着く。

 男性が感情を抑制されることを期待されるのに対して、女性は感情を豊かに表現することが持て囃される。喜ばしいことが起きても、男はダンディズムよろしく、口角を少しだけ斜め上に吊り上げるような所作をするだけで、女性のようにキャーと高い声をあげながらピョンピョンと飛び跳ねるようなことはしない。

 男というのはいつも「闘争」の場に放り込まれているのだ。小さい頃のドッジボールから、足の速さ、チョコレートの数、偏差値、受験、年収、ちんこの大きさまで、なにからなにまですべてを競わされる。休む暇もない。そして、それらは必ず比較対象できるものでなければならない。そうでなければ、「競う」ことはできないからだ。芸術のような価値のあり方は存在しない。現存在に留まったまま、ただひたすらに同じメジャーで人間を、人生を測られる。女たちが、教室で慎ましくお話をしたり、本を読んでいる間、男は競い合い、敗れ去ったものはどこかへ去っていく。勝ち上がったものだけが生き残り、歴史を語ることになる。

 そう考えると、「性」には人間のあり方を画一的なものに変形させるような、規定させるような権力のようなもの、さながら「性権力」とも言えるようなものがあるように感じる。生まれたときに宣告され、最初の履歴書に名前よりも早く与えられる社会的なレッテルこそが「性」なのである。性を選ぶ権利は、生まれた時の自分にはない。ただただ、生まれ落ちた場所でそれを1番最初に受け取った人間が、その人間の一生を見通すようなこともなく(そんなことは到底人間にはできない所業な訳だが)、一瞬の判断、あるかないかの判断で決められたものに一生を左右される。

 椅子には「座らせる」というアフォーダンスがある。これは権力だろうか。椅子は、人間をして座らせるというメッセージを放つ。そして人間はそれに抗いようもなく(気付くことさえもできずに)、座ることになる。アフォーダンス的権力は確かにあると言っていいだろう。椅子に逆立ちする者はいないし、椅子に立つものもいないのだ。椅子は、人間に座るというあり方以外の選択肢を与えはしない。背もたれがあれば、背もたれに背をつけて、机に向かって座ることになる。

 そうなると、俺が俺の意志で生きている瞬間などあるのだろうか。椅子に座る時、扉を開ける時、職業を選ぶ時、いついかなる瞬間も、すべて、権力によって決められていた、規定された出来事なのではないだろうか。


 ハローワークというのは、どこかショッピングとか散歩をしていて、素敵なウィンドウを前にして「あら、お洒落な店ね。ちょっと入ってみようかしら」といってふらっと立ち寄るような場所ではない。そこに行こうという意志のある者、行かなければいけないと鬼気迫る者たちだけが、行くところだ。全く不思議なところだ。入る意志のあるものだけしか入れない。向こうからは誰も拒絶しないのに、それに気づくことのできるものはいない。見ようとしなければ見れない。入ろうとしなければ入れない。まるで、神や天国の扉だ。

 一旦中に入ってしまえば、なんてことはない。そこは、ただの場所で、神でも天国でもなんでもない。壁と屋根と机と椅子。あるのはそれだけだ。そして、それだけでいい。

 では、いま俺の目の前にいるこの女性は、女神だろうか。いや、違う。女神ではない。人間だ。しかし、俺に仕事を与えてくれるかもしれないという意味では女神なのかもしれない。

 とりあえず、いますべきことはじっと座っているということだけだ。ここからどこにも行かず、逃げず、ただ席に座って、彼女が俺に適した職を見つけてくれるのを待つだけだ。

 履歴書には、勇者と歩んだ旅の出来事を書くことはできない。学歴と経歴だけだ。どんな仲間達とどんな敵を倒してきたかの武勇伝を語るスペースはないのだ。この世界じゃ肩書きがなければ、何もできないのだ。肩書きがなければ、公の場で何か自分の意見を言ったり、主張したり、議論に参加するということはできない。そうした場所では、それぞれ仕事を得て職についている人々が、職や階級の肩書を背負って発言する。「無職」という世界においてなんら義務や責任を負っていない存在は、言論の自由がない。もしあったとして、何か的を得たことを言ったとしても、誰も気にも留めないし、キチガイ扱いされるだけであろう。しかし、もしそうしたキチガイが犯罪者として刑務所に送られることになれば話は変わる。そこには「犯罪者」という肩書きが与えられるからだ。俺みたいな人間は「犯罪者」になって初めて人間として存在することを許されるようになるのかもしれない。皮肉な話だ。

 結果として、履歴書に経歴として書くことができたのは、「モース大学卒」と「第3回魔王討伐への参加」という二つだけだ。これだけで、いったい俺の何がわかるのだろうかとも思うが、そんなことは採用する側にとってはどうでも良いのだ。俺がどんなことを考え、何を思ってきたのか、そしてどういう人生を歩み、何に悩んできたのかなどはどうでもいい。ただ問題を起こさないように、働いてくれればそれで済む。終わり。

 ハローワークに登録されている企業というのが、果たして仕事をする環境が整った、福祉の充実した働き場所であるかはわからない。いつだって換えが出来る非正規雇用の派遣労働者にとっては、どんな職場も同じようなものなのかもしれない。労働者と奴隷ではどちらがマシなのだろうか。


 彼女が持ってきた候補は、三つだ。パルプ工場と探偵事務所の事務とオフィスビルの清掃会社だ。どれも魅力的に思えた。ぱっと見、俺が体力的な仕事に見いていないだろうということを見抜いたのだろう。仕事のできる人だ。


 「ヘェ〜。どれもいいですね」

 「ご用意できるものの中で、比較的単純作業なものを選んだつもりです。」


 しかし、俺の選択肢は一つ。もう決まっていた。探偵事務所の事務一択だ!1番ワクワクして夢のある職場じゃないか。これを選ばない奴はいない。それにもしかしたら、何かの依頼に付いて行って、この街を出て勇者たちの状況について知れるかもしれない。


 「じゃあ、このヨーク探偵事務所がいいかもしれないです」

 「かも?」

 「いや、これがいいです」

 「よかったです。では、こちらの紹介状を持って行って、先方に見せて貰えば、雇っていただくという流れになると思いますので、よろしくお願いします」


 よかった。内定が決まった。あとはそこに行くだけ…。ん?場所はどこだ。住所が書いてない。


 「あの」

 「はい?まだ何か?」

 「あっ、いや、ここの住所がわからないというか…」

 「というか?」

 「住所がわからないんですが…」

 「はぁ…。」

 「住所がわからないので、ここの住所を教えていただけますかね」

 「そういうことですね。え〜っと。ヨーク探偵事務所は、」


 紙に住所をメモしてもらい、無事任務達成だ。これで、安心だ。今日はもうおそいし、明日伺うことにしよう。なんだ案外簡単なことじゃないか。何も怖がることなんかなかった。俺はいつもこういう性分なんだ。初めてやる前にビビり散らかして、いざやり終わったら、一体何に怖がっていたのかまるでわからない。

  

 外に出ると、すっかり暗くなり始めた街だった。しかし、俺の胸の中は明るかった。


 「ハローワールド」


 呟いてみる。俺はついにこの世界に、魔王なき世界に辿り着いたのだと思った。この世界で生きていくということを掴んだ気がした。

 家路に着く。家路に着く時、もう家に着いているのだ。そうでなきゃおかしい。家と俺の関係はそういう関係でなければ、そういう在り方でなければあり得ないのだ。

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