第九話 少女だけでは達成不可能であったとしても
勝ち目なんて最初からゼロであるとわかっていた。
巨人が振るう炎の剣はこれまで何人にも破られなった結界を引き裂いた。昨日の魔族さえも選ばなかったほどの難題を突破してみせた巨人がグリムゲルデよりも弱いわけがない。
それでも、だからといって、戦うことを放棄するわけにはいかない。ワルキューレ九姉妹が八女。魔族への対抗手段として生み出された目的にして存在意義を切り捨てるような選択肢はあり得ない。
これまでずっとそうだったから。
必ず死ぬとわかっていても今更当たり前を切り捨てるようなことはない。
そのことに何の感情も浮かぶことはない。
そのはずだった。
(…………、)
横薙ぎにせんとしていた炎の剣はグリムゲルデを両断する寸前、ほんの一瞬停止した。巨人の動きが止まったがために生まれた猶予があったからこそグリムゲルデは横薙ぎの斬撃を回避することができた。
巨人の全身を全力の風属性魔法でもって拘束しても一瞬が限界。それで何とか炎の剣は回避できたが、こんな綱渡り何度も成功するわけがない。
音速超過。
グリムゲルデさえも上回る超スピードを誇る巨人の攻撃はいつか必ず直撃する。そうなれば即死は免れないだろう。
(ミナ)
そんな時なのに、グリムゲルデは一人の少女のことばかり考えていた。生み出された目的にして存在意義。こうあるべきという道を進むのは当然で、疑うまでもない当たり前だった。
だけど、本当に?
グリムゲルデが今もこうして命をかけているのは目的にして存在意義のためなのか?
(逃げるですよ。せめてミナだけは生き残ってほしいです)
無表情のワルキューレの感情は外からでは読めない。そもそもにおいて本人さえも己の内から湧き上がりつつある感情を捉えられていないのだから当然だろう。
瞬間、グリムゲルデの側頭部に弾丸が叩き込まれた。それ自体は彼女を覆う風の魔法が吹き飛ばしたが、どうやら弾丸自体が魔道具だったようで『中身』が溢れるように音が撒き散らされた。
周囲数メートル程度に限定された爆発。
人間のそれを遥かに凌駕する風属性魔法を操るグリムゲルデだからこそその正体を見抜くことができた。
(空気の振動による意思伝達手段)
音とは空気を振動させて伝わるものだ。
ならば空気そのものを操る風属性魔法を使えば声のようなものをつくることは簡単だし、何なら範囲や方向を限定することで特定の相手のみに声のようなものを伝えることだってできるだろう。
内緒話のための弾丸。
狙撃銃からの内容を精査してグリムゲルデは首を傾げた。
(『あれ』の場所を知ってどうするです?)
疑問ではあったが、ミナの名前を出されては断れない。案外『あれ』を使って確実に逃げようとしているのかもしれない。
……『あれ』を乗りこなすことができるかは甚だ疑問だが、地下に潜るというならそちらに被害が出ないように立ち回ればミナの生存確率も上がるだろう。
ーーー☆ーーー
その後も何度も内緒話は交わされた。グリムゲルデの魔法ならば双方の声を他の誰にも聞かれることなく届けることができるとわかってからは弾丸さえ使わずに、だ。
ーーー☆ーーー
「ミナの名前を出すだけでこんなにすんなり話が進むとはねえ。これはちょっと危険な兆候かもねえ」
「オリビアさん?」
「何でもないわよ」
つい先程、ドレスの内側から取り出してどこぞへ発砲していた組み立て式の狙撃銃を脇に担いだオリビアは適当な調子で吐き捨てた。
オリビアが放った拳によって強固な鉄の扉が吹き飛ぶ。そうして目的のものが眼前に現れた。
見上げるほどに広い地下道を埋め尽くさんばかりに走る極太の純白の閃光。
地下の一角。グリムゲルデとの内緒話によって判明した魔力供給網『ユグドラシル』の下にたどり着いたのだ。
『場所』の問題はグリムゲルデのお陰でどうにかなった。
後は『構造』が都合のいいものであればミナの作戦も実践できるのだが──
「あれ? あれれ!?」
魔力の塊がそのまま地下を横断していた。何かしらの『線路』や『管』を通る形で魔力が走っているのが望ましかったのだが、これでは作戦を実行することはできないだろう。
「なんで、こんなっ、普通指向性をもって魔力を供給するなら何かしら伝達路があるべきなのに!! 魔力そのものが指向性をもって走っているなら、こんなのっ、ああもおやっぱり私はツイてないなーっ!!」
「…………、」
その時、オリビアは悩んでいた。それも一瞬のことだっただろうが、確かに。
「ミナちゃん」
作戦を聞くにあたって魔力供給網『ユグドラシル』についても聞いていたオリビアは、だからこそこんな時でも必要な情報を即座にグリムゲルデとの内緒話で引き出していた。
「『ユグドラシル』は王国守護結界『ミッドガルド』への魔力供給の他にも高速移動手段として使うために王国全土に走っているんだけど、枝分かれした全ての道に魔力を通すと減少率も高くなるみたいなのよねえ。魔法が距離に依存されるように、魔力は距離によって減衰するものだから高速移動手段としての役割を追求しすぎると今度は『ミッドガルド』への魔力供給量に支障が出るってわけねえ」
「え、え?」
「だからこそ高速移動手段として使う時以外はできるだけ最短距離でもって魔力が供給できるようになっているのよ。つまり線路の切り替えのように魔力が通る道を操作することでねえ」
「何の話を──ッ!?」
「となれば、今目の前にある『ユグドラシル』に魔力が供給されないよう操作することだってできるはずよねえ」
そうして魔力の塊が消失した。
おそらくは内緒話の相手であるグリムゲルデが何かしらの操作を行ったがためであり──先程まで魔力の塊が走っていた場所に鉄の棒のようなものが現れたのだ。
魔力の塊に覆われ、見えていなかった軸。
そう、『ユグドラシル』には伝達路がないわけではなかった。伝達路の周囲全てに纏わりつく形で魔力を伝達する『構造』となっていただけだ。
ミナだけではいくら作戦を考えついたとしても巨人と殺し合っている最中のグリムゲルデから正確な『場所』を引き出すことはできなかっただろう。
また『構造』についてもミナの細腕では直径数メートルはある鉄の棒を作戦通りに歪めることだってできない。
『不運』な少女には掴んだ希望を花開かせるだけの力はない。だが、それはあくまでミナだけであればの話だ。
「オリビアさんっ」
「はいはいわかっているわよ。ミナちゃんの望みであれば叶えてあげるのがいい女ってものだからねえ」
ミナはタイミングを合わせる方法だって用意できていなかったが、それは風属性魔法による内緒話でどうとでもなる。
ゆえにオリビアは身体強化魔法によって強化された足を下から上に振り上げた。『ユグドラシル』本体、直径数メートルはある鉄の棒を蹴り上げ、強引に千切る。ちょうど断面が上を向くように、だ。
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
巨人に負けるような要素はなかった。
炎の剣や音速超過にグリムゲルデが太刀打ちできないのは明白であり、いずれ必ず炎の剣による必殺がグリムゲルデを殺すのは目に見えていたからだ。
だから。
なのに。
「『あれ』は機密事項です」
静かに、だが確かに。
グリムゲルデは言う。
「ですから、その存在が魔力感知能力の高い者であっても感知できないよう細工がされているです。地下道から魔力反応が漏れないように、ですね」
巨人やグリムゲルデは知らないだろうが、少し前に黒髪の少女が地面を指差しながら妖艶な女へとこう言ったのだ。
『もう一つ。こっちには魔力の反応あるのかな?』
『あるわけないわよねえ。今まで微塵も感じたことないわよ』
どこかの誰かは気づかれていない状態での不意打ちであれば避けられないと考えていた。……それはあくまで『不運』にも巨人の機動力を計算に含んでいないものでしかなく、不意打ちであれば問題ないと実行していれば音速超過によって作戦による一撃は回避されていただろうが。
その作戦は穴だらけではあっただろう。
『不運』……いいや、それは本当に『不運』で片付けるべきなのか。単に作戦立案者が凡人でしかないがための不備なのかもしれない。
だけど、彼女の周りには規格外の能力の持ち主が二人もいる。不備の一つや二つ、埋め合わせることはできる。
「ここまできて『あれ』に気づけず、未だにこの場に留まっていること。それが貴方の敗因です」
その声音には恐怖も諦めもなかった。
いつも通りの平坦で淡々としたものでしかなかった。
直後に強烈な魔力反応が溢れた。
地下から巨人目掛けて膨大な魔力が噴き出したのだ。
オリビアが強引に千切った『ユグドラシル』は上を向いていた。そのせいで本来の伝達路から外れた膨大な魔力が地上へと飛び出したということだ。
王国全体を薄く広く守護する結界を支える魔力。そう、薄く広がる前の凝縮された魔力の塊が、だ。
「ハッ!! そんなものっ!!」
だが、忘れたか。
巨人の力のほとんどを凝縮することで王国守護結界『ミッドガルド』さえも引き裂いた炎の剣の全力がどの程度かは判明していないし、何なら音速超過で回避してもいい。
いくら膨大な魔力を用意しようとも、迎撃も回避もいかようにも成し遂げられるだけの『力』が巨人にはある。
「魔法発動」
ビジッ!!!! と。
その瞬間、巨人の身動きが封じられた。
風属性魔法。
そう、グリムゲルデの魔法はほんの一瞬とはいえ巨人の動きを押しとどめることができる。
「な、ん……ッ!?」
それだけで十分だった。
炎の剣で迎撃することも、音速超過で回避することもできない。真っ向勝負であればどうとでも突破できるだけの『力』があっただろうに、そもそも真っ向勝負の場に立つこともできない。
無防備な胴体に魔力供給網『ユグドラシル』によって誘導された膨大な魔力が突き刺さる。
どうしようもなかった。
胴体を吹き飛ばされ、大量の鮮血を撒き散らしながら上半身と下半身とが切り分けられるように巨人の身体が崩れ落ちた。