第八話 嫌だから
「ミナ」
「なになになにかな!?」
「グリムゲルデは魔族を迎撃するです。その間にできるだけ遠くに逃げるですよ」
「魔族を迎撃って、あの巨人を!? どう見ても昨日の奴より強いんだよっ。あんなのに喧嘩を売ったって殺されちゃうよ!!」
「だとしても、それがグリムゲルデの生み出された目的であり存在意義ですから」
「そんな、そんなのっ!!」
「ミナ」
声音こそいつもと同じく平坦なもので。
表情が変わることもなく。
「おそらくですが、ミナと話している時のグリムゲルデは楽しいという精神状態だったかと思うです。ゆえに、感謝します」
「待っ──」
「逃げるですよ。ミナにはどうか生きてほしいと、グリムゲルデは望んでいるです」
言下にグリムゲルデが飛び上がった。
風の操作。もって猛烈な勢いで街を両断するような怪物に向かって。
ーーー☆ーーー
グリムゲルデは言った。逃げるですよ、と。
それが最善なのだろう。昨日のような例外でもなければミナのような凡人が人類の命運を左右する戦争に関与できるわけもない。
そもそも昨日だってミナが立てた作戦では魔族を仕留めることはできなかった。絵本の中の勇者のような生まれながらに選ばれた存在なんかではない、凡才極まる単なる少女がどう動こうとも意味はない。下手に戦場をうろちょろしたところで流れ弾で吹き飛ぶだけだ。
無力であることくらい分かっているはずだ。
『不運』にいちいち振り回されている程度の小さな存在に何ができるというのだ。
「ミナちゃん、逃げるわよ」
「…………、」
気がつけば、オリビアが隣に立っていた。
ミナの手を握り、街の外に君臨する巨人と距離を取るように引っ張ろうとする。
グリムゲルデは勝てないだろう。それは彼女自身もわかっているはずだ。それでも逃げるですよと言った。せめてミナには生きてほしいと命懸けで望んでくれた。
「……なによ、それ」
「ミナちゃん、ダメよ」
「何よそれ!? 命をかけるのが当然って顔して、自分がどうしようもなく不運な状況だってのもわかってなくて! 自分のことよりも私なんかのことをいちいち気にしてさあ!!」
「ミナちゃん!!」
オリビアの声は聞こえていた。
心配をかけている自覚はあった。
だけど、それでも。
止まることはできなかった。
「そんなグリムゲルデさんのことを見捨てて逃げられるわけないじゃんふざけるんじゃないわよ!!!!」
振り払う。
どこまでも正しく、だけど現実的な結末しか招かないオリビアの手を振り払って、実現できるかもわからない理想を叫ぶ。
「私はグリムゲルデさんに死んでほしくない!! ああそうよね命をかける理由なんて『嫌だ』ってだけで十分よねこんにゃろーっ!!」
言語化不可能な想い? そんな小難しい話ではない。
誰かが目の前で死ぬのを見たくない。
『不運』なままで終わってほしくない。
どうしようもなく理不尽な運命ってヤツを認めたくない。
総じてミナが嫌なのだ。
クソッタレな悲劇なんて受け入れたくないだけなのだ。
だから。
だったら。
「やってやる」
昨日は失敗した。この手で決着をつけることはできなかった。それがどうした。
そんなのは今日グリムゲルデを見捨てる理由になんてなるわけない。
「グリムゲルデさんを助けるためなら! 巨人だろうがなんだろうがぶっ倒してやる!!」
ーーー☆ーーー
グリムゲルデの魔法は空気を支配する。
それだけなら人間にだってできる基本属性というものだが、人間のそれとは出力からして段違いである。
具体的には。
『中身』を徹底的に保護した上で音速を叩き出す。
空気の膜に覆われたグリムゲルデが射出される。『中身』であるグリムゲルデに負荷がかからないよう保護しての肉薄。空気が支配できるならば遠距離攻撃に徹すればいいかもしれないが、基本的に魔法の出力は距離に依存する。これまで三次元的に王国を守護してきた結界を粉砕してのけた怪物が相手ならばゼロ距離から魔法をぶつけるくらいしないとダメージを与えることはできないだろう。
彼我の間合いは数キロは離れていただろう。
グリムゲルデにとっては目と鼻の先でしかなかった。
弾丸のごとき勢いで肉薄したグリムゲルデの右手に展開されるは数メートルに凝縮された不可視の風の剣。それを突き出し、まさしく弾丸さながらのように巨人の胴体を貫いた──と、ハタから見ていた全ての人間がそう錯覚した。
ブレる。
貫かれたはずの巨人の輪郭がボヤけて消える。
「遅っせえな、おい」
「……ッ!?」
後方。
声が、響いて、
「だから俺は言ったんだ。威力偵察や内通者なんて必要ねえってよ」
音速を誇るグリムゲルデさえも捉えきれない超スピードによる残像。十メートルを越えるような巨体が結界を引き裂くまで接近していたことに気づけなかった最大の理由はそこにあった。
右手に握られた燃え盛る枝のような剣は結界を破壊するほどの破壊力を誇るが、それだけが巨人の全てではなかった。
「くたばれ、雑魚が」
簡単に、呆気なく。
王国最北端の街を両断した炎の剣が宙を駆けるグリムゲルデ目掛けて横薙ぎにされた。
ーーー☆ーーー
ボッッッ!!!! と炎が弾け、炸裂した熱波が焼けるような痛みを与える。数キロという距離は全くもって安心感を与えてくれない。ほんの少し方向や角度が違えばあの炎の剣はミナたちを巻き込む形でここら一帯を焼き尽くすことだろう。
「ミナちゃん。感情的になるのは結構だけど、殺し合いの場において感情ってのは邪魔以外の何物でもないのよ。あんなデカブツに喧嘩を売ったって踏み潰されて死ぬ、そんな当たり前が頭の中から抜け落ちるくらいにねえ」
「わかってる」
「いいえ、わかってないわよ。一人孤独に戦うワルキューレの女を救う。それはとびっきりの美談よねえ。紛うことなき『正しいこと』よ。だからこそ目が眩む。ミナちゃんが見ているのは結果であって過程じゃないのにねえ。確かにあのワルキューレを助けることができれば格好良いわよねえ。胸がスカッとするくらい『正しいこと』よねえ。で、だから? それはあくまできちんと勝ってあのワルキューレを救うことができればの話よ。踏み潰されて死ねばそれまで。そうなれば文字通り無駄死にだし、普通なら絶対にそうなるとわかるはず。それなのに今のミナちゃんは『正しいこと』であってそれ以上も以下もない美談ってヤツに判断能力を狂わされて、現実的な勝算すら考えられていないはずよ。だから──」
「オリビアさん、魔力の感知能力ってあるかな?」
「? これでも裏街道で揉まれてきたから普通の人間よりは敏感なほうだけど……いきなり何を言い出しているのよ???」
「あの巨人の斬撃は結界を引き裂いて街を両断するくらいメチャクチャだった。それだけの『力』が剣そのものにあるとは考えられないよね。多分あの『力』の源は巨人の魔法によるものだと思う。だったら、そうよ、それだけの『力』が炎の剣に集中しているなら案外それ以外の場所には大した『力』は割り振られていないと予想しているんだけど、どうかな?」
「確かに炎の剣に魔力が集中していて巨人自体にはほとんど回されていないけど」
「もう一つ。こっちには魔力の反応あるのかな?」
「あるわけないわよねえ。今まで微塵も感じたことないわよ」
その答えにミナは口の端に獰猛な笑みを浮かべる。
「だったら、はっはっ! 後は正確な『場所』と『構造』だよねっ。私の作戦通りいけばあの巨人にだって勝てる!! は、ははっ、はははははははははは!!」
笑って、笑って、笑って。
そしてミナはオリビアと向き合って、こう叫んだ。
「っていうわけでこれ以上は私一人じゃ無理だよオリビアさん助けてえ!!!!」
もう恥も外聞もない本気の懇願だった。
今にも縋りつきそうな様子のミナを前にオリビアは眉間に走るシワに手をやり、大きくため息を吐く。
「……人の弱みにつけ込んでくれるよねえ」
「弱み???」
「なんでもないわよ。で、何をどうするつもりなのよ? もしもそれが勝算のあるものなら力を貸さないでもないわよ」
オリビアの返事にパァッと表情を明るくして『あのねあのねっ』と興奮しながら子犬が尻尾でも振っていそうな様子で自らが思いついた作戦を話すミナ。そんな彼女を見つめながら、オリビアは心の中だけでこう吐き捨てた。
(殺し合いの場において感情は邪魔以外の何物でもないってわかっているはずなのに……惚れた弱みってヤツは本当厄介よねえ)