第五話 デートしよう
目が覚めたら、テントが燃えていた。
「なんっ、ちょっ、うぎゃあーっ!?」
もう火の手はテントを覆う勢いであった。慌ててミナが外に飛び出した時にはボロッと崩れたほどだ。
「今日も私は平常運転、と。は、はは。私ってば本当ツイてないなあ!!」
頭を抱えて絶叫するミナ。
昨日のうちにオリビアやグリムゲルデが立ち去っていたのは幸いだった。起床からの火事なんていう不運に巻き込むのは流石に申し訳ない。
「いやでも、これヤバくない? 不運なのはいつものことだけど、私ってば絶賛無職なんだよ? そこに加えて持ち物やら住処やら全部燃えちゃったとかシャレにならないってえ!!」
動きやすい裾の短いシャツにズボン姿のミナの現状は所持金なしの無職。これはもう本格的に飢え死にが視野に入ってきた。
「……なんで、私ばっかり……」
やはりグリムゲルデやオリビアがいなくて助かった。こんな声、誰かに聞かれるわけにはいかない。
ーーー☆ーーー
状況を確認しよう。
ミナは『不運』である。それも真っ当な職につこうにも悪名が広まりすぎて不可能なレベルであった。
はっきり言って先日まで『ドヴェルグ』の支店で働けていたのが奇跡だった。最近この街に赴任してきた店長だったからこそ『不運』などというものは単なる思い込みだと断じることができ、ミナのことを不当に虐げられていると感じたからこそ雇ってくれたのだ。……結果、クビにはなったが。
もうこれ以上ミナを受け入れてくれる真っ当な勤め先は存在しない。そう、真っ当な勤め先は、だ。
「オリビアさんに頼るしかないのかなあ?」
街の中心にある広場のベンチに腰掛けてミナは呟く。昨日の今日ということで行き交う人は少ない。魔族による人的被害はなかったが、植え付けられた恐怖は甚大だったのだろう。
不運というものにある程度慣れているミナだからこそ直接魔族に狙われた翌日だというのに恐怖を引きずられずに済んでいるのか。
単に金欠という明確な危機に意識が割かれているだけかもしれないが。
「うーん、でもなあ。アウトローな職場ってことはその分だけ危険がいっぱいなんだろうし、不運のレベルも段違いだろうし、何よりオリビアさんにこれ以上迷惑かけたくないし、ああもお! どうすればいいんだよお!!」
八方塞がりであった。
真っ当な勤め先はもうミナを受け入れてくれない。だからといってミナだけで裏街道に足を踏み入れたって食い物にされるのがオチだ。裏街道でやっていくにはオリビアの助けが必要だが、そうなればこれまで以上にオリビアを不運に巻き込むことになる。
せめて他の街に行ければ話は変わってくるのだが、ミナ一人で街の外に出たら獣や盗賊の餌食になるだけだ。オリビアの力を借りれば他の街に移動することもできるだろうが、前に頼んだ時に『私の組織に入ってくれるのが条件よ』と言われている。そこだけは譲ってもらえなかったのだ。
「くそう。せめてオリビアさんくらいナイスバディなら色々手はあったのにい。ぺったんこには魅力がないのかーっ!!」
うがーっ!! とぺったんこな胸部を晒して青空を見上げるように頭を抱えて叫ぶミナは、だからこそ気づいた。
半透明のワルキューレ、すなわち八女グリムゲルデと新手の魔族が激突していた。
「なっん!?」
昨日の今日である。
出ていく際にある程度自然治癒しているから活動に支障はない的なことを言っていたが、それにしても昨日あれだけズタボロになったばかりだというのに……。
「見ようとしてなかっただけで、これまでだって『そう』だったのかな」
ギリ、と奥歯を噛み締める。
己の置かれた『不運』なんて頭の中から吹き飛んでいた。『どこか』で戦うグリムゲルデには触れることすらできない以上、『ここ』からミナが戦況に介入することはできない。そもそも昨日が例外であり、不運以外には何の特徴もない少女が人類の命運を左右するような戦場に関与できたとしても何の力にもなれるわけがない。
だから。
それでも。
「頑張れーっ! グリムゲルデさーん!!」
両手をブンブン振って声を張り上げるミナ。
せめて、これだけは。
誰の目にも入っていてなお気に留められることもなかったとしても命懸けで自分たちを守ってくれていたワルキューレへと声援を送るミナ。
自己満足でしかなくとも、戦況に影響を与えるわけがなくとも、こういうものが何の意味もないことはないということを『不運』に晒されてきたミナは知っているのだから。
ーーー☆ーーー
昨日は例外だったのだろう。結界が破られて魔族が街に降り立つこともなく、戦闘自体はグリムゲルデの勝利で終わった。
良かったとミナがほっと一息ついた、その時だった。
勢いよく。
目の前に降り立ったグリムゲルデが『どこか』から『ここ』に足を踏み入れる。半透明だった姿はくっきりと浮かび上がる。
銀髪赤目の神秘的な、それでいて生物としての空気が希薄な女であった。肌にぴったりとくっつく純白のバトルスーツで全身を覆った彼女の右腕にはなぜか薄い青のハンカチが巻かれたままだった。
「何か用ですか?」
「うえっ!?」
「手を振っていたので何か伝えたいことがあるのではと。生憎と結界を挟んでいると声までは届かないのでこうして確認しにきた次第です」
「あ、ああっ、そういうことかっ。あれは、その、ちょろっと応援というか何というか、そうだよねそっちの戦闘の音が聞こえないならこっちからの声だって聞こえるわけないよね考え足らずにも程があるなあ私い!!」
「つまり?」
「つまり、その……大丈夫? 昨日の今日で早速魔族と殺し合うだなんて大変じゃない?」
「それがワルキューレの生み出された目的であり存在意義ですから」
淀みなく、淡々としたものだった。
それが、どうしても嫌だった。
「グリムゲルデさん!!」
「なんです?」
「今暇かな!? 暇だったら私とデートしよう!!」
バッと、手を差し出しての叫びだった。
勢いしかない申し出にグリムゲルデは仮面のような顔にほんの僅かな困惑を滲ませながらもこう返した。
「今のところ魔族迎撃の予定はないので暇という状態ですが……そもそもデートとは、なんです?」
「一緒に遊ぼうってことだよ! 暇ならいいよねさあデートしよう!!」
棒立ちのグリムゲルデの手を強引にとるミナ。そのまま無抵抗を幸い、ぐいぐいと引っ張っていくのだった。
ーーー☆ーーー
「川だね」
「です」
「こう、川の流れを眺めているだけでも、その、あれだよ、風流っ。そうだよ風流があっていいと思わない!?」
「……?」
「ごめんね本当は遊ぶお金がないってだけだよこんなの苦肉の策でしかないんだよお!!」
とりあえず失われた東の国に倣って土下座でもしようと屈んでみるミナ。そんな彼女の隣に無表情な美女は並んで腰掛ける。
「それで、次はどうするです? グリムゲルデはデートというものはわからないので、ミナに従うです」
「うえ? 初っ端から情けない姿を晒しているのにまだ付き合ってくれるの???」
「ミナが言うところの暇という状態においては他にやることもありませんので。それに……」
「それに?」
「いえ、なんでもありません、それで、これからどうするです?」
「うっぐ。これから、その、ええっと」
視線を彷徨わせて頭をフル回転させる素寒貧少女。そもそもにおいてお金があろうがなかろうがどこにいこうとも『不運』なミナに対して周囲が良い顔をしないという前提が頭から抜けていた。ミナが一緒ではどこにいこうともグリムゲルデに嫌な思いをさせてしまうだろう。
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
「オリビアさーん!! グリムゲルデさんとのデートがうまくいかないの助けてえ!!」
「は?」
「ひいい!? なになにどうしてそんなに怒っているんだよお!?」
困った時のオリビア、といういつものノリで『組織』の本拠地にグリムゲルデを伴って乗り込むミナ。
流石にいきなり乗り込むのは失礼だったのか、点検中だった狙撃用魔道具の部品がオリビアの手の中で握り潰されていた。