第四話 八女グリムゲルデ
王国最北端の街の薄汚れた路地裏にひっそりと存在するボロボロのテント。そこにはアウトローな連中さえも忌避する本物の災厄が潜んでいる。
「オリビアさーん。やっぱりワルキューレさんってばちゃんとした診療所に運ぶべきなんじゃない?」
ミナの居住地。
その事実がありふれた路地裏を一般市民はもちろんのこと、喧嘩に刃物を持ち出すようなゴロツキやら違法薬物や臓器売買にさえも手を出すような犯罪組織の構成員さえも近寄らない禁域と変える。
それだけでもありふれた少女に纏わりつく不運というものがどれだけ凶悪かがわかるというものだ。
「ワルキューレの治癒なんてこの街の診療所には手に余るわよ。身体構造からして人間とは全く異なるらしいしねえ」
そもそもワルキューレのような厄介者を抱え込む気概のある医者がいるわけない、という本音は胸の内に秘めるオリビア。下手にそういう話題を持ち出せば巡り巡ってミナには毒であるとわかっているからだ。
「しっかし、相変わらず酷いわねえ。こんなところ、お金がないとはいえ年頃の女の子が住むような場所じゃないわよ。アタシの組織に入れば高級宿屋にだって泊まることができるだけの大金が稼げるけど、どう?」
「普通に生活していても不運まっしぐらな私が裏街道に足を踏み入れたら死一択なんだって! 命と引き換えに大金を手に入れたって何の意味もないよねっ」
どことなく茶化すように叫ぶミナ。
彼女は『そんなことよりも』と繋げて、
「ワルキューレさんの怪我をなんとかしないと! とりあえず包帯でも巻いておけばいいよねっ。ああもう治癒用の魔道具とかあればいいんだけど、そんな貴族御用達の高級品あるわけないからなあ!!」
わちゃわちゃと衣服やら何らかが積み重なって山になっている一角を漁って、結局包帯すらなかったので薄い青のハンカチを包帯代わりにするが、怪我の面積に対してハンカチでは足りないことに気付いて頭を抱えるミナ。
と、その時だ。
パチリ、といきなりワルキューレの女の瞼が開いたのだ。
「再起動完──」
「わっひゃあ!? びっびっくりしたあ。あっ、そうだワルキューレさんっ、怪我大丈夫!? どこか痛いところはないかな!?」
横になっていたワルキューレの瞳が動く。石のように無機質な瞳がミナを捉える。
「破損割合は許容範囲内です。これならば自己再生可能でしょう。また、グリムゲルデは痛覚に対して慣れが生じているので心配は無用です」
「慣れって……いやでも、とりあえず死んじゃったりしないってことだから安心していい、のかな?」
「自己再生可能、ねえ」
ぼそりと呟くオリビア。
肉が内側から吹き飛んだ右腕やら完全にへし折れた左腕やら、先ほどまで見るからに危険な状態だったはずだ。
それが、塞がっていた。
完治とまでは言わずとも、身体を起こす際に手を地面について支えとするくらいの動作は可能なようだ。
「そうだっ、自己紹介がまだだったね! 私はミナっ。で、この人がオリビアさんだよ!!」
「グリムゲルデはワルキューレ九姉妹が八女グリムゲルデです」
戦死した長女ブリュンヒルデを含んでも五人しか確認されていない九姉妹の一角である八女グリムゲルデは仮面でもかぶっているかのように表情から感情が読めなかった。
背中まで伸びた銀髪や宝石のように輝く赤目をした神秘的な彫像でも見ているようであり、こうして言葉を交わしていなければ生物であるとは信じられなかっただろう。
それでも、同性だろうとも惹きつける不思議な美しさがあった。
「グリムゲルデは疑問があるです」
「ひゃっひゃい!? なにかな!?」
完全に見惚れていたミナが慌てて居住まいを正す。忙しなくわちゃわちゃと両手をばたつかせている彼女を気にすることなくワルキューレ九姉妹の八女はこう問いかけた。
「あの魔族をあそこまで追い詰めたのは貴女ですか? そうであれば、どうやってグリムゲルデでも突破できなかった攻守一体の魔法を攻略したです?」
「いやっ、別に私は何もしてないというか確かに作戦を立てたのは私だけどあそこまで追い詰めることができたのはオリビアさんのお陰だし作戦がうまくいったのはあの巨大な魔族さんが私たちのことを舐めていて油断していたからだし結局仕留めることはできなかったしそうだよねいくら大量にあったって限度はあるよね耐えられることだって考慮しておかないとああもう私の考えの足りなさのせいでオリビアさんやグリムゲルデさんまで危険に晒していたよね何やっているんだか私はってそうだ質問に答えないと魔族の魔法を突破できたのは『ドヴェルグ』の支店が保有している倉庫を利用したからだよ!!」
説明下手にも程があった。長々と言葉を並べている割には必要な情報は抜けているわ余計な考えが挟まっているわともうしっちゃかめっちゃかである。
「空の魔石を使って魔族の魔法を剥ぎ取り、そうして過剰充填された魔石が爆裂するのを利用して魔族を仕留める作戦を考えたのがミナちゃんよ」
そっと端的に事実を口にするオリビア。
彼女はさりげなくミナとの距離を詰めながら、
「アタシはあくまで付き合っただけだから、感謝ならミナちゃんにしておくことねえ」
「そうですか。ミナ、此度の魔族迎撃にご助力いただき、感謝します」
「うえっ!? いやいや、別に感謝されることなんて何もないというか困った時はお互い様というか、その、ええっと、さ」
相変わらずわちゃわちゃと両手をばたつかせながらも、どこか気遣うようにグリムゲルデを上目遣いで見つめる。
「いつも……あんな感じなのかな?」
「いつも、とは?」
「だから、あの! 魔族に殺されそうになっていたじゃん!! 怪我、本当に大丈夫なの?」
「……? ああ、そういう意味ですか。致命的な欠損はないのでこれからもグリムゲルデは問題なく魔族迎撃のために活動可能です」
「なん、いやっ、そうじゃなくて! こう、さっきだって痛覚に慣れが生じているとか嫌なこと言っていたし、それって慣れちゃうくらい怪我してきたってことだよね!? それだけ魔族との戦いは大変だったってことだよね!? いや、その、今日まで見て見ぬフリしてきた私が言うのもなんだけど、だけど、これは別に同情するつもりじゃなくて、だから!!」
ぐいっと。
距離を詰めて、グリムゲルデと至近で見つめ合うミナ。
言いたいことはたくさんあった。
それらをきれいに纏められないのは先の説明の散らかり方からも明らかだろう。
だから。
だったら。
「私で良かったら話を聞くよ! どうしようもない『不運』なことってあるけど、話を聞いてもらうだけでも楽になるものだってのが私の経験則だしさ!!」
ふんっ、と鼻息荒く言い放つミナ。
どうせ綺麗に伝えたいことを纏められないのだ。だったら何度だって話を聞いて、受け止めた上で、時間をかけて返していけばいい。
グリムゲルデは魔族に殺されかけていた。あれはミナが味わってきた『不運』の中でも一、二位を争う『不運』だ。そう、日常的な光景と化していたことで忘れていたが魔族は紛うことなき怪物なのだ。そんな怪物と殺し合うことが楽なわけがない。そんな殺し合いをグリムゲルデは日常的に味わってきたのだと知って放っておけるわけがなかった。
やはりあの時と同じでなぜの部分を明確に言語化できなかったけど、それでも魂の底から嫌だと感じているのならば何かしら行動したかった。
『不運』以外には何もない、ありふれた少女は人類の命運を背負っているグリムゲルデの重圧を肩代わりなんてできない。だけど、それでも、何もできなくたって誰かが話を聞いてくれるだけでも楽になるものがあると知っているから。
だから。
だから。
だから。
「不運……?」
そこで、首を傾げるグリムゲルデを見て。
ミナの背筋にはなんとも言えない悪寒が走った。
「グリムゲルデさん!!」
「はいです?」
感情を感じさせない、無表情。
だけどそれは感情を表に出さないのではなく、そもそも感情が湧き上がるような状態ではないからなのではないか?
あんな闘争に身を投じていることを不運だとも感じず、当然だと言わんばかりに受け入れている彫像のように美しい女の人。
ワルキューレ九姉妹の八女グリムゲルデ。
人類守護の要として『使われている』彼女は一体これまでどんな環境で育ってきたのか。
「うう。うううううっ!!」
やはりミナは伝えたいことを纏められることはなくて、だから飛びつくようにグリムゲルデを抱きしめた。
とにかく、衝動のままに行動する以外の方法がわからなかったから。
こうして抱きしめていると温もりが感じられた。冷たい彫像なんかではない、生きているのだと示す温もりが。
それでいて、何やら甘い匂いまで鼻腔をくすぐっていた。ミナの心臓がドキドキと高鳴──
「ミナちゃん?」
「あれ、なんだか不穏な声が……って、うわあーっ!? オリビアさん何をそんなに怒っているんだよお!?」
「とりあえず抱きしめさせてください話はそれからです!!」
「どうしてそうなるの!?」
後ろから抱きしめられたことで意図せず美女二人によるサンドイッチ状況に陥ったミナは訳がわからずわちゃわちゃするしかなかった。