第三話 魔族
はっきり言おう。
魔族が三次元空間に侵攻できた時点で勝敗は決していた。
全身を禍々しい赤黒い何か──『鎧』や『槍』として展開される攻守一体の魔法をワルキューレの女は破ることができなかった。『鎧』はワルキューレの攻撃のことごとくを無傷で受け止め、『槍』はワルキューレを戦闘不能にまで追い込んだ。人類守護の要であるワルキューレが敗北したのだ。今更ワルキューレよりも遥かに劣る人間どもに魔族が遅れをとる理由はどこにもない。
とはいえ、ワルキューレの女は戦闘不能であって死んではいない。王国最北端の街に住む人間を皆殺しにするのは当然としても、これまで魔族の侵攻を食い止めてきたワルキューレの女は最優先で殺すべきである。
ゆえに、それは必然だった。
「逃ゲラレル、ト、思ッタカ?」
三メートルを越す巨体が追いつく。ワルキューレの女や黒髪の少女を担いで逃げていた長身の妖艶な女が舌打ちをこぼした。
「一応聞くけど、ワルキューレ差し出したらアタシたち見逃してくれたりしない?」
「論外、ダナ」
「ま、そうよねえ」
殺意を撒き散らす魔族を前に妖艶な女はどこか諦めたように首を横に振った。
魔族の脅威に屈して死を受け入れた、なんて話ではない。
「それじゃあ、アンタをぶっ倒して生き残るしかないわねえ」
「倒ス? 人間ゴトキ、ガ、オレヲ???」
「仕方ないじゃない。普通なら逃走一択なんだけど、愛しのミナちゃんが僅かながらも希望を見出しているのよ。それなら最後まで付き合ってあげるのがイイ女ってヤツよねえ!!」
言下に妖艶な女はドレスがめくり上がるのも厭わず右足を蹴り上げた。足元、地面を抉って魔族に飛ばしたのだ。
普通の人間がそんなことをやったところで目に入って一時的に視界を封じられれば僥倖といったところだろう。だが、妖艶な女は身体強化魔法を発動していた。蹴り足の強化、もって放たれた礫は散弾のごとき勢いで魔族へと殺到する。それこそ民家の一つや二つ、軽々と穴だらけにできるだけの威力があるだろう。
だが、相手は人間が決して敵わないとされる魔族である。全身を覆う禍々しい赤黒い魔法は散弾のごとき礫が直撃しようともびくともしなかった。
「コレガ、全力、ナノカ?」
「ッ!?」
「モウ、無駄ナ、足掻キハ、結構ダ。サッサト、死ネ」
直後、爆発に見間違うほどの勢いで三メートルを越す巨体が射出された。疾走。ミナでは残像を追うこともできない高速挙動での突進を回避できたのは奇跡だっただろう。
ワルキューレや少女を抱えたまま半ば転がるように横に回避する妖艶な女。対して魔族はその勢いのまま妖艶な女たちの後方にある巨大な建物の壁をぶち破っていた。
強固なつくりとなっているのは一目でわかるというのにお構いなしであった。単に突進するだけでも壁だろうが軽々とぶち抜く『力』が魔族にはある。そもそもにおいて人間がどう足掻こうとも基本的なスペックが違いすぎて勝ち目なんてあるわけがなかったのだ。
だから。
なのに。
「やっぱり力の差は歴然ねえ」
「そりゃ相手は魔族だもん。いかにオリビアさんでも真っ向勝負じゃ勝てやしないって」
妖艶な女や黒髪の少女の声音に焦りや恐怖は含まれていなかった。その理由を黒髪の少女──ミナが言い放つ。
「だけど、魔族を特定の場所まで誘導することくらいならオリビアさんでもできる。魔族を倒すにはそれだけで良かったんだよ」
現在位置は王国最北端の街の端、その中でも倉庫が集まる地区だった。魔族が突っ込んでいったのもまた倉庫の一つであり、それはミナにも馴染みのあるものだった。
何せ、その倉庫はミナが下働きとして属していた『ドヴェルグ』が管理しているものなのだから。
正確には空になった魔石を大量に──それこそ千個でも一万個でも一時保管しておくための倉庫だ。そう、触れた魔力を吸収する魔石が倉庫の中にはたらふく詰め込まれているのだ。
魔族が最強無敵の絶対的脅威なのは全身を纏う攻守一体の魔法があるから。なら、全身を覆う魔法が大量の魔石に触れれば? 魔力は吸収され、魔族が最強無敵の絶対的脅威である根幹となる『力』が剥ぎ取られることになる──だけではない。
オリビアはミナやワルキューレの女を担いだまま倉庫から遠ざかるように跳躍した。それはその直後の出来事だった。
カッッッ!!!! と。
目を焼くような強烈な閃光が迸ったかと思えば、倉庫が内側から吹き飛んだのだ。
爆発、それも巨大な倉庫が丸々消し飛ぶような強烈なものだった。
魔力の過剰充填。
魔石の許容量を超える魔力が充填されたことで爆発という形で漏れ出したのだ。
その爆発は大規模な倉庫が吹き飛ぶほどの威力があった。それでもワルキューレを打倒した魔族が全力全開であれば無傷で生還できたかもしれない。
だが、爆発の元手となったのは他ならぬ魔族の魔力であり、それすなわち身を守る『力』を剥ぎ取られた上で自身の魔力による爆発を受けたということなのだ。
布袋に詰め込んだ数十個程度の空の魔石では魔法の『鎧』や『槍』を剥ぎ取るには数が足りなかったかもしれない。だが千個でも一万個でも圧倒的な物量を用意すれば魔族が展開する膨大な魔力を秘めた魔法だって剥ぎ取ることができるだろう。そして、最強無敵の絶対的脅威たる力を他ならぬ魔族へと叩きつけることだって、だ。
人間では魔族には敵わない。
ならば魔族の力を奪い、それを使って魔族を殺せばいい。
それがミナが導き出した全員生還の突破口で──
「フ、ザケ……ルナ、ヨオ!!」
ゴォッ!! と爆発が巻き上げた粉塵を引き裂き巨体が飛び出す。禍々しい赤黒い魔法は根こそぎ消失していた。筋肉の塊としか言いようのない魔族本来の肉体は至る所が抉れ、鮮血が噴き出している。瀕死の重傷であるのは見てわかるものだが、それでも生き残ってみせたのだ。
作戦自体に不備はなかった。それでも仕留めきれなかったのは大量の魔石によって全ての魔力を奪うことはできなかったからか。大量の魔石によってある程度の魔力を奪い、魔族が全身に展開していた『鎧』を弱体化することはできた。ゆえに過剰充填による爆発によって『鎧』を破ることはできたが、その奥の魔族そのものまで粉砕するだけの力は残されていなかったのだ。
大量の魔石によって奪うことができる魔力の総量が魔族を撃破するには至らなかった。まさしく『不運』以外の何物でもない。
「ッ……!!」
「チッ!!」
目を見開くミナをオリビアが庇おうとするが、真っ向勝負では人間は魔族には敵わない。どう足掻こうとも最後には肉片の一つすら残さず粉砕されるだけなのだ。
「魔法発動」
ボッッッ!!!! と何かが炸裂した。
その『何か』は視認することすらできなかった。ゆえに結果だけが広がる。
三メートルを越す巨体の上半身が丸々吹き飛んでいた。いかに魔族が人間よりも遥かに強靭といえどもそこまで破損しては即死であった。
「え、あ?」
パチパチとあまりの展開の早さに現実を認識できていないミナへと無機質な声が届く。
「標的撃破完了」
ミナと同じくオリビアに担がれた女、すなわちワルキューレはどこまでも感情の読めない平坦な声を発したかと思えば、電源を切るように再度意識を失った。