第一話 安全神話、あるいは
ミナは人一倍運が悪いことで有名だった。
王国最北端の街中で聞き込みをすれば彼女の運の悪さを示すエピソードはそれこそいくらでも出てくる。
洗濯用の魔道具を動かしたら魔力の過剰供給によって水が溢れてびしょ濡れになったとか、運送用のワイバーンの爪に引っかかって引っ張り回されたとか、過剰に魔力が充填されたことで臨界点を超えた魔石の爆発に巻き込まれたとか、精霊のいたずらで寝ている間に王国の外の迷いの森に放り込まれていたとか、百や二百じゃ足りない不幸エピソードがあるのだ。
だからこそ。
彼女があの場に鉢合わせたのも必然だったのかもしれない。
ーーー☆ーーー
「わっわわっ、わっひゃあー!?」
王国最北端の街に甲高い悲鳴が響いていた。
大通りを爆走するのは二輪走行魔導バイク。魔力を燃料に二つの車輪で走行する魔道具である。そんな魔導バイクに跨り、ハンドルにしがみつくは背中に膨らみに膨らんだ布袋を背負った黒髪に黒目の小柄な少女である。
名をミナ。
魔道具専門店『ドヴェルグ』系列の小さな支店で下働きとして働く少女は魔石交換の依頼があった家を回り終えて店舗に戻る最中だったのだが、何らかの不具合で魔導バイクに停止命令が送れず、結果として大通りを爆走しているのだ。
「ああもお! 私ってば本当ツイてないなあ!!」
いつもの癖で肩まで伸びた黒髪を両手でかき回そうとして、魔導バイクから振り落とされそうになって慌ててハンドルにしがみつく。
と、その時だった。
横合いから伸びた細い手が高速で暴走する魔導バイクのハンドルを掴み、ぐいっ!! と持ち上げたのだ。
「わあ!?」
砲弾のごとく爆速する魔導バイクを軽々と掴み、二輪が地面から離れるほどに持ち上げる。王国最北端の街に住む者の中でそんなことができる人間はそう多くはない。
その一人にミナは心当たりがあった。
「あっ、やっぱりオリビアさんだっ」
「まったく。何やっているんだか」
獅子のように乱れた金の長髪の女であった。
胸元が強調されているわ至る所にスリットが走っているわで美しい肌を晒している漆黒のドレスに黒のルージュ、全体的に妖艶な外見の美女であるが、その色気に惑わされては火傷では済まないことは有名であった。
オリビア。
女にしては高身長ではあるが、もちろん単なる身体能力だけで暴走する魔導バイクを受け止めることなどできない。
彼女は魔法を行使することで必要な力を出力したのだ。
「別に私だってしたくて街中爆走ヒャッハーなんてしてないよ。魔導バイクが壊れちゃったんだって!」
ぷらんぷらんとオリビアが片手で持ち上げている魔導バイクのハンドルにしがみついたまま叫ぶミナ。
幸運や不運なんて不可思議なものは存在しない、とは言えない。なぜなら世界には魔法という不可思議な力が存在するのだから。
魔力を燃料として対象となる何かを増減させる、あるいは珍しいものでは改変したり置換したりする奇跡の術、それが魔法である。ちなみにオリビアが使ったのは身体強化魔法であり、その効果は文字通り身体能力を増幅するものだ。
とはいえ魔法を使えるのは少数であるし、その出力も一部を除いてそこまで強くはない。ゆえに人々は魔道具を生み出した。
魔法を出力する道具を安定供給する仕組みを作り出すことで誰もが奇跡の恩恵を受けられるようになったのだ。
魔道具は魔石と特殊な回路で構成されている。接触した魔力を吸収する性質を持つ魔石に魔力を充填して魔道具に組み込み、その魔力を特殊な回路で魔法に変換するという仕組みなのだ。
その関係で魔道具は魔石に充填されている魔力が切れれば使用不可となる。ゆえにミナのような下働きには魔力が切れた魔石の交換作業が割り当てられるのだ。
「うう。お店からの支給品の魔導バイクは別に私だけが使っているわけじゃないのにい。なんだって私が使っている時に限って壊れちゃうのよっ」
「本当筋金入りの運の悪さねえ」
くすくすと、声音だけは艶やかな笑い声をあげるオリビア。彼女は未だに車輪が高速回転している魔導バイクからミナを摘み上げると、そのまま魔導バイクを地面に叩きつけた。そう、二輪部分が壊れるように、だ。
小柄なので簡単に摘み上げられてぷらんぷらん継続中なミナがギョッと目を見開いたのは当然のことだろう。
「ちょっちょっとお!? 何やっているのお!?」
「変に暴走されるくらいなら完全に壊して止めたほうがいいじゃない」
「それお店からの支給品なんだよ!? こんな風に壊しちゃったら弁償しなきゃじゃん!! 万年金欠の私に魔導バイクを弁償するなんて絶対無理だよお!!」
「あら、それなら大金を稼ぐ良い方法があるわよ」
「本当!?」
「ええ。あんなお店さっさと辞めてアタシの組織に入ればいいのよ。組織の力を使えば弁償額を遥かに上回る大金を稼ぐなんて簡単簡単☆」
「オリビアさんの組織ってアウトローまっしぐらなあれだよね!? ただでさえ運が悪い私が裏街道に足を踏み入れたってヤバいことになるのは目に見えているじゃん!!」
「それなら大丈夫、きちんとアタシが守ってあげるから。……アタシなしじゃ生きていけないミナちゃん、ねえ。うっふふ、さいっこう」
「そもそも守ってもらわないといけないくらいヤバいことに巻き込まれるのが嫌なんだってえ! 私はツイていないけど、だからって自分から不幸に突っ込むようなマゾヒストじゃないんだからあ!!」
「涙目なミナちゃんかーわいい☆」
「突然なに!? ちょっ、オリビアさん目が怖いんだけど!?」
何やらやけに熱い吐息を漏らし、背筋を甘く震わせている見るからにヤバげなオリビアから遠ざかろうとするが、ぷらんぷらんと摘み上げられた状態ではそれも叶わない。
それならと周囲に視線を向けるが、大通りを歩く人々は裏街道まっしぐらなオリビアは元より、不運を招く厄介なミナと関わる気はないのかこちらを見ることすらなかった。
もちろん、青空を舞って不自然なほど無音で殺し合う半透明のワルキューレと魔族が地べたを這いずる少女を気にするわけもなかった。
ここは王国最北端の街にして魔族の侵攻に晒されている最前線。それでいて、街中にまで魔族が侵攻しているというのに人々が気にすることなくいつも通りの生活ができているのはワルキューレのお陰だった。
すぐそばに破滅が暴れ回っているというのに、それが気にならなくなるほどの絶対的な守護者、それが人類守護の象徴であるワルキューレなのだから。
「ミナちゃんは本当かわいいわねえ。抱きしめていい? いいわよね、ね!?」
「別にいい……いや待って! なんか今のオリビアさんちょっと怖いからやめ──」
「はいぎゅうー☆」
「ぶっふふ!? ま、さか……胸に溺れる、だと……!?」
胸元に頭を抱き寄せられたミナはあまりの格の違いに愕然としたものだった。
ーーー☆ーーー
「お前、クビな」
「はい?」
二輪が完全にぶっ壊れた魔導バイクや背中の膨らみに膨らんだ布袋を引きずる形で勤め先である『ドヴェルグ』の支店まで帰ったミナを出迎えた店長から告げられたのは端的なまでの解雇通知だった。
「いや、あのっ、店長さん!? クビってどういうことですかあ!?」
「どうもこうもあるか! お前を雇ったお陰でどれだけウチが不利益を被っていると思っている!?」
「うっ」
魔導バイクの故障だけならまだしも、『不運』にも店の備品を壊したり、ミナが担当した魔道具の魔石交換作業中に限って『不運』にも予期せぬ不具合が多数起きている。被害総額でいえばミナが何十年働いてようやく返せる額に膨らんでいることだろう。
「不運なんてものは存在しない、そう思ってお前を雇ったが、ここまでくれば俺も認める他はない。お前の運の悪さは神に見放されているレベルだ」
「っ」
「はっきり言おう。こちらとしてもこれ以上お前の不運に巻き込まれるなんてごめんなんだ。だから、な? 今回の魔導バイクも含めてお前の不運による損害を弁償しろとまでは言わないから、一刻も早く出ていってくれ」
「はい……。これまで、ありがとうございました」
搾り出すように告げて頭を下げるミナだが、店長はすでに背中を向けていた。これ以上は一時だって関わりたくないと言わんばかりに。
ーーー☆ーーー
「あー……。ついに無職だよう」
王国最北端の街の中心にある広場の一角にあるベンチにもたれかかるように腰掛けたミナは腹が立つくらい晴れ渡った青空を見上げていた。
背中の膨らみに膨らんだ布袋に半ば持ち上げられるような状態の彼女は疲れたように額に手をやる。
店長は悪くない。いいや、何ならよくぞ今日までミナの不運に巻き込まれながらも働かせてくれたと感謝するべきだ。
「どうすっかなあ。もうあそこ以外に私を雇ってくれるようなところはないだろうし、これは本格的に裏街道に足を踏み入れないと生きていけないかも?」
青空では半透明のワルキューレと魔族がぶつかり合っていた。
三次元における侵攻を阻止することに特化した王国守護結界によって魔族が『ここ』に直接侵攻することはできないが、三次元よりも上の『どこか』を経由することで王国守護結界を突破することができる魔族を迎撃する形で人類の味方であるワルキューレが戦っている……なんて話だが、原理についてはさっぱりだ。
ミナが理解しているのは目の前に広がる結果のみ。すなわち半透明のワルキューレや魔族は影のようなものであり、あれらが物理的にこちらに干渉することはないということだ。
ゆえにワルキューレや魔族は建物や人をすり抜ける。こうして景色の一部として素通りされるくらいには害のない存在なのだ。
……こちらからは触れることはできないだけで『どこか』ではワルキューレが人類を守るために命懸けで魔族と戦っているのだが、こうして目に見える形で戦っていてもどうにも現実味がなかった。
良くも悪くも干渉できないことが無関心を助長しているのか。
「あれ?」
だからこそ、広場を行き交う人々は上空の闘争になんて目も向けていなかった。唯一、何ともなしに見上げていたミナだけが普段なら見向きもしないはずのそれを目撃した。
巨大な槍のようなものが若い女の形をしたワルキューレの脇腹を貫いた。常勝無敗。常に魔族を撃滅し、人類を守ってきたからこそ『どうせ今日も勝つに決まっている』と見向きもされなくなったワルキューレが、だ。
ゴッシャアッッッ!!!! と凄まじい轟音が炸裂した。三次元的干渉を防ぐ王国守護結界によって絶対的な隔絶があったためにワルキューレと魔族の闘争が巻き起こす轟音は『ここ』には届かないはずなのにである。
叩き落とされる。
『どこか』を経由して『ここ』に放り出されたワルキューレが広場のど真ん中に落下した。
「ちょっ、なん、はあ!?」
魔族による侵攻はワルキューレによって阻止されてきた。ゆえに半透明という形ですぐそばに魔族という脅威が迫っていようとも人々は気にすることすらなかった。
なら、そのワルキューレが撃破されれば?
極至近。これまで気にすることすらなかった脅威がその凶悪性を存分に発揮することになる。