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Trans-Strands―変態と変身で変化する日常―  作者: i'm who ?
一章 【変態と変身で変化する日常】
9/11

一章……(6) 【雨雲と雫の訪れ】


「神波鳴さん、今日は休んでたな……」


 孝は手元の本をめくりつつ、ふと視線を彷徨わせて部屋の天井を見上げた。


(昨日の出来事で、僕は、自分の愚かさと弱さを今までよりもっとずっと実感した)


 煮えきらない。


(でもそれが僕なんだ。だからこそ精一杯の事をしたつもり。そんな自分には後悔も疑いもないって断言する。けどさ、僕が空っぽの人間だって事実は覆しようのない事実で――)


 あぁ、煮えきらない。


(だから、僕にできる事って、なんだろう?

そう自分を省みてみると、なかなかに自信を持てる解答なんて用意できないもので。それが無性に煮えきらないと感じる)


 ――彼女の助けになりたいと決意しても、その具体性が欠けている。彼女に関わりたいと歩んでも、どこまで踏み込んで良いかわからない。こんな自分がほとほと嫌になる。


「せめて、本人が前に居れば、もうちょっと上手く立ち回れるのかな? だから可能ならば今日も会って、もう少しだけ昨日のフォローでもしておきたかったのになぁ」


 孝は、自分の性質は良く理解している。


 化けの皮を剥がすと現れるのは、一人じゃ何もできない臆病者で偏屈者だ。その上で“人間嫌い”という精神的な免罪符を掲げて、常日頃から心の逃げ道を用意している臆病者で。けれど、ともすればいっちょ前に悟ったような物の見方をして虚しき優越感に浸る傲慢な面も有る。


 そうして、それら全てを兼ね備えた結果として形成されたのは、他人にとってその場で必要な立ち回りをしてくれる“都合の良い役”を演じる空っぽ人間だった。


 他人の前なら、道化師を演じられる。その精神性と倫理観が人間として良いか悪いかは置いておくとして。他人に依存さえすれば、誰かに共感さえ覚えれば、隣人に助力を頼まれれば、その場その時に応じた最善を見通す力は持っている。困難に挑んで行くやる気を抱ける。少なくとも自信を持って頷けるくらいには。


 ――だから、彼女には求めて欲しい。主体的には動かない、動けない孝の事を。


 …………。


 ふと席を立って窓の外を眺めると、あいにくの曇り模様。天気予報では、もう直に雨雲が訪れるという。ともすればこの鬱憤とした感情をその雨雫が洗い流してくれないだろうか。


 窓には薄っすらと自分の顔がうつる。


 その顔はげっそり窶れていて、目の下には隈がある。髪は普段以上にボサボサだし、制服は襟が立っていてネクタイもなんだか曲がっている事に気が付いた。こんな姿、模範的な生徒を“演じる”日頃の孝では決して有り得ない醜態でないか。


 平静を装おうとしているけれども。


 美歌の秘密を知った昨日の出来事は、考本人が思っている以上に刺激的、且つ衝撃的な体験だったらしい。ようやくの実感。孝は昨晩一睡もできずに自分のそれまで培って来た“常識”とは何なのかを頭を抱えて唸っていたのだ。


「……ふぅ、さてとっ――」 


 頬を叩いて息を吐く。


 ――いけない。思考を切り替えよう。


 空想上の物語や伝承、神話等には“そういった類いの”【変身譚】的なモノは以外と多く存在するものだ。それらは秘められた教訓や、神仏への畏れや、舞台装置といった分類こそあれ、世界中どの地域帯、どの宗教観でも今日まで密接に人々と関わってきた。


 そして、考はそんな“変身・変化”の要素に、興味や好奇心を向け、感情移入をしたりするのが昔から堪らなく好きだった。でもそんな存在が現実に居たとなると、話は少し変わってくるもの。


『友達から始めませんか?』感情的にそんな事を言った手前、孝はこれから現実の人間である美歌と付き合って行くとそう決めた。なのだが、いくら都合の良い“道化師”といえども前情報無しの未知の“獣の耳や尻尾が生える訳ありな女子”と付き合うのは中々に荷が重く、難しい部分が有る事も否定できなかったから。


「この時間を使って、何とか。そうだな、次に神波鳴さんと会うまでには……!」


 この時間は孝にとって憩いの時。

言い直すと、放課後の部活動の最中である。現在は、高等部と中等部の共有図書室に保管されていた書物や資料を引っ張り出してきて、それを机の上にひっくり返す作業をしている所だった。


「意外と手間取るかぁ……」


 視線を移し、ふと壁に掛けてある時計を見ると昨日の保健室の一件から丸一日と三時間ほどの時間が経っているではないか。もう夕方だ。いざ認知すると押し寄せる疲労を感じた。孝は目をしばたくさせた後、目蓋を閉じて小休憩とする。


「――はぁ、獣に転ずる人間……。いや獣だけじゃないね。人間が変身・変化する話。変身譚。関連する資料が有りすぎて、本当に探してる物を簡単に絞れないや。黒百合淵伝説。カワルモノカタリ。変災百伝奇譚。心当たりは、有るには有るんだけどなぁ……」


 孝がしていたのは、部活動の一環の資料整理……にかこつけた個人的な調べ物。


「例えば、この土地由来のあの話【人喰い熊】とか、僕が神波鳴さんを……彼女みたいな存在を知る、理解する為の重要な手懸かりになってくれる気がするんだよな……ん?」


 そこで“コン、コン”と孝の耳に、扉を繰り返しノックする音が入る。


(この部屋に誰か来るなんて珍しいね?)


 少なくとも、昨日場所を教えて直接に誘った美歌は今日は休んでいる。彼女では無いとすると、この部屋に用が有る人間とは一体誰だろうか。入部希望や活動見学?


(いや、こんな時間からは無いだろうし)


 直に否定する。


なら、顧問の教師である鈴隣先生が顔を出しに来てくれたのか。或いは、またまた資料室と間違って誰か来たという線も考えられる。


 あれこれと考えられるが、ノックされたのだからとりあえず扉を開けて誰が訪ねてきたのかを確認する事にした。


「はい、どちらさま?」


 ――開いた扉の前に居た訪問者は、


「すいません、活動中に失礼します」


 車椅子に座る少女だった。


 どことなく眠そうな、ぼんやりした半眼。

丸めの童顔で、可愛らしく小さく整っている顔。長めで少し寝癖混じりの髪を途中から一括りに結んで編み、正面に流した髪型。儚げな印象を受ける小さめの身体。一見、寝起きの幼い子供……そう印象を受ける娘。


 考と視線が合うと、彼女は軽く微笑んでからぺこりと会釈してくる。


「えっと、こんにちは?」


「はい、こんにちは!」


「キミは……」


 ……幼い子供のようだ。

だが、仕草一つで確かな教養と育ちの良さも感じさせる。孝がなかなか出会った事がないタイプの不思議な少女だ。夢と現の狭間、曖昧な微睡みの中にいるようで、反面、子供のような活発さも垣間見えて、でもそれなのに格式高い家のお嬢様のようだとも形容できる。複数の別々人間が、裏表も無く個人としてそこに居る。そんな不思議な雰囲気を持つ少女だった。




「キミは、知ってるよ。

葛織(くずしき)さんだったね?」


「う~ん? 始めてお会いした方だと思いますけど……自分の事をご存知なのですか?」


「ははっ、うん。まあ、ね」


 ――孝は彼女の事を知っていた。


「なぜなら僕、保険委員だからね。

保険室の掃除とか頼まれた時にベットの上で眠ってる葛織さんを何度か見掛けたからさ。えっと……そうじゃなくても、同じ学年ならキミは結構有名じゃないかな……?」


 彼女は【葛織(くずしき) (しずく)

クラスは違うものの、孝と同学年の生徒。黒塗りの高級車で毎日送迎されているので、噂によると良家の令嬢とか何とか。特徴として、彼女は先天性の脳機能の欠落による意識関係の疾患を持っていて。症状というよりかはその体質として、数時間ごとに不定期の昏睡と不安定な意識の覚醒を繰り返してしまうのだと聞いた。誰が言ったか、微睡みの中での日常を過ごす【保健室の眠り姫】と。まだ年度が始まって間もないものの、考の学年では“可哀想な子”として有名な女子生徒。


 感じた不思議な雰囲気は、きっと浮き世離れした彼女の在り方、他人が踏み込めない特異な性質から来るもの。そう結論づけて、孝は彼女に語りかける。


「――でも、起きてる葛織さんと僕が直接会うのは始めてかな? たぶん初めてだね、僕は狩仁。よろしくね」


 普段は平均で5、6時間ほど保健室のベッドで眠っていて、たまに起きると手の開いている教師達が彼女の為に交代で特別に授業をする。だからクラスが違う事もあり、直接の接点が無かった。彼女にとってはこれが孝と顔を会わせた本当の初対面となるのだろう。


「えーと、はい。では【変容民俗文化研究部(へんようみんぞくぶんかけんきゅうぶ)】にようこそ! 残念な事に影の薄い部で、よく隣の資料室と間違われるから念の為に確認するけどさ。葛織さんはここに用なんだよね?」




「へんよう……みんぞく? ぶんか……あ……えーっ……はい。先生に無理言って〜、どんな部活があるのか、その中で自分が少しでも参加出来るような所がないかを……その、そう、見て回ってる最中なんです……よ?」


 彼女は何故か自信なさげ。ところどころ(ども)りながらそう言うが、


「そっか。いらっしゃいませっ!」


孝は特に気にしないようにし、彼女を招き入れようと半開きだった扉を全開にした。


「車椅子に乗った自分なんて、いかにも面倒くさそうなのが訪ねてきて……実際はお邪魔ではないですか? 今は〜活動中ですよね?」


「いや、全然。むしろ大歓迎だよ! どんな人でもウェルカムだよ!」


「ふ~ん、そうですか。本当にそう思ってるみたいですねぇ。ふふ……変わり者さん」


「ん? 葛織さん、何か言った?」


「いや、独り言です。お気になさらず」


 孝は車椅子を後ろから押して、彼女が部屋に入る手伝いをする。


「ふふ」


 ……部屋に入る瞬間に、彼女がニヤリと笑みを浮かべたのは目に入らずに。






       ~ ~ ~






「……お邪魔します」


「どうぞ、どうぞ」


 孝に押されて入ってきた彼女はそう控えめに言った後、まず部屋の中を見渡す。


 目に入るのは、普通の教室を半分くらいで分割した程度の広さの部屋か。真ん中には会議室で使うような長い机が二つ並べて置いてあり、その机の上には様々な本や紙の束が無造作に積んである。それだけ。それ以外には椅子と時計とロッカーくらいしか物が無く、他の部員の姿も見当たらない。


「へんよう……ぶんか、なんとか……部」


「Welcome to! 変容民俗文化研究部(へんようみんぞくぶんかけんきゅうぶ)ね!」


「質問です。ここって〜何する部ですか?」


 彼女のその疑問は尤もな物だった。


「何する部? それは勿論……」


 そして、疑問を投げ掛けられて、孝は少し困ってしまう。何故なら……一応は歴史ある部だとは聞いているが、最後の部員が今年の春で全員卒業してしまった為に。……実際問題、活動内容なんてもの孝には良く解らないのだ。顧問である鈴隣先生も「活動内容を探求し、自分達なりに定める事に価値と意義がある。民俗学とはそこから始まるもの」とか哲学的な事を言って明確な答えは教えてくれなかった。


 ただ、歴史ある部を、中身はともかく……名前だけでも廃部にしない為に、教師がこの部を新入生の孝に押し付けてきただけ。そんな風にも解釈しつつある。新入生ながら、模範特待生として入学した孝はこの部の存続を一任されたのだ。そして活動内容が未定でも、部活動として活動するなら後は学業としての範囲を越えない程度に『自由にやって良い』という理事長からのお達しにより……孝は、部をほとんど私的な場所にして入学以降の一月を過ごして来たに過ぎない。それが、図らずも“趣味を満喫できる場所”だったから。


「勿論……。いや、難しい質問だね。一括りでは言い切れないな。簡単に解釈すると、変容して行く、民俗の文化を研究する部活……なんじゃないのかな? 理由が有って、しっかり活動できてない現状だけど。とりあえずに僕は、今は伝説とか歴史とか調べてるんだ」


 苦し紛れに、孝はそんなテキトーな答えを返してしまう。ならばそもそも、彼女を部屋に招き入れなければよかったのかも知れないが……孝的にはそうもいかなかった。どうしてかと言うと、生まれつきの体質で普通の人間よりも時間関連で大変なはずの彼女。そんな彼女が時間を作り、車椅子で態々こんな隅っこの部屋まで訪ねてきたのだ。なら、招き入れない理由が無い。そして、ここが趣味を満喫できる場所といっても、何時までも“無条件”で私的利用が許されている訳でもなかったから……。


「あの、姿をお見かけ〜しませんが、

狩仁さん以外の部員の方は?」


「ここ、部員は僕一人だけだよ?」


「……え、一人? お言葉なのですが、校則で定められてる部活動として、ここ成り立ってないんじゃないですか?」


 痛いところを。


「ははっ、残念ながら。はいその通り。色々と手を打とうとはしてるんだけど。活動内容が曖昧で勧誘もなかなか進んでなくて。活動というと、あ……ほら、ちょうどいい。僕はこうゆうのを調べてるんだよ」


 孝は再び苦し紛れに、机の上に積んだ本や束の中から、日に焼けて色の変わった一冊のカビ臭い本を取り出し彼女に手渡してみる。


「【黒百合淵(クロユリフチ)伝説(でんせつ)】この辺りの古い言い伝えとか、伝承とか、呪まじないをいっぱいまとめた奴ですね……?」


 その本を受け取ると。彼女はしばらく本を眺めた後、背表紙を指でコンコン”と叩きながら本の表紙に書かれた名とその内容を口にした。


「――黒百合淵伝説……。あ〜またの名を、新訳・変災百伝奇譚(へんさいひゃくでんきたん)と。それか、カワルモノカタリとか。この土地では有名な物です」


「有名といっても、ソレが新訳なのはあんまり知られてなかったような……。僕も調べてるうち最近知ったんだ。変災百伝奇譚、黒百合淵伝説の原本。よく知ってるんだね」


「だって、葛織の家は――」


 家は……? 家に歴史でもあるのか?


「――この本の内容みたいに、この辺り、凄く“人が変わる話”……多いですよね?」


 家が、どうかしたのだろうか?

言い辛かったか、話題を切り替えられた。


「うん、変わる話? そうだね、多いね。

例えばどんなのが有ったかな?」


 切り出された言葉に心当たりが有りすぎる孝は、聞き返してみる事にした。


「ほら、老いたり若返ったり、入れ代わるみたいなポピュラーなのから……妖とか、虫とか、植物とか、石とか、獣とか……そうゆうのに変わっちゃうような変な話ですよ。奇譚ん?」


 そこまで言うと、彼女は車椅子からヨタヨタと立ち上がり。孝に本を返してくる。


「……ん?」


 と、思いきや。本を返した途端、

懐から同じような本を取り出す。


「例えばこの巻だと。えーと、あっ、有りました。そう、こんな物語とかでしょうか?」


 雫はその自前の本を開いて、

考にある頁を見せてきた。


「この話しは、親とはぐれて傷付き弱って人里に迷い込んだある獣と、その獣を拾って介抱した心優しい娘の物語。獣と娘は次第に種を越えた友情を作るんですけど〜。最後は、獣が熊さんから娘を庇って死にます。娘はそれを酷く悲しみ、嘆きます。すると――」


「……すると。都合の良い神様が現れて、ハッピーエンドの物語だったかな?」


 彼女の言葉に被せて、言う。


「いいえ。――神様が語りかけてきたのです。その様子を見ていた神様は、獣と娘を哀れに思ったのかも知れません。神様は最後に……獣の亡骸と娘を一つに“合わせて”化け物に変えてしまいました。それは、娘が願った【獣とあいたい】【離れたくない】という願いそのもの。浅ましき愚かな願いが身を滅ぼすという物語……」


 しかし、自分の知識と相違。


「そんな、ハードな物語だっけ?」


「あっ! 狩仁さんから渡された……さっきの新訳の方ですか。その黒百合伝説だと、ただ獣が娘の心の中で生き返るだけのハッピーエンドになってますね〜あらら。自分が取り出して要約したのは原本の方です」


「今の話って……。いや、何でもない」


 彼女は本を仕舞った。


「で、その“化け物”に変えられた娘ですが。もし仮に、こうゆう存在が現実に本当に居たとして〜実際に出会ってしまったら――」


「うん」


「――さて、質問の始まりです。

実際に出会ってしまったのなら。狩仁さんはどうしますか? やっぱり、気持ち悪いですか。それとも、恐いと思いますか? それか、可哀想って感じますか? よろしければ、答えてみてください」


「唐突だね?」


 雫は机に腕をつき、孝より頭一つ分は低い身長で見上げてくる。見透かされるような、やはり不思議な雰囲気を抱かせる彼女。


「確かに、唐突ですね。だから狩仁さん、自分のこんな意味の無い問いには別に、やはり答えなくてもいいですよ? ……ただ、あなたの意見が気になっただけなのです」


 …………。


「――いや、答えるよ。答えさせて!」


「そうですか。では〜、お願いします。しっかり聴かせていただきます」


「……もしも、僕はそうゆう存在に出会ったとしたら、そして前提として相手と意思の疎通が十分に可能なら。だったなら、まず相手を知ろうとすると思うよ」


「なんで、でしょうか?」


「――解らないから、かな?」


「――解らない?」


「僕は空っぽ。他人と共感も理解も出来てて、出来てない。他人の都合に合わせた鏡。自分の心さえ解らない時がある。解らないことだらけだよ……。だから、普通の人を理解することさえままならない僕が、そんな“存在”と出会っても……どうすれば良いか解るわけない……」


「――どうすれば良いか解らない、の?」


 解らないから、自信をもって頷く。


「でもそれで“良い”んだ。だって僕は、解らないって、解ってるから。解らないから怖くて何もできない、そんなのは言い訳だってわかる。なら、やるべき事は解る。相手の姿をよく目に写せるまで近づいて、相手の有りのままを見てみれば良い。それから次に相手の意思を尊重して、向かい合って対話する。そこで初めて相手を判断する。その行動ができるんだ」


「…………」


 知らない事があるというのを、知らなくてはならない。哲学者も言っていた。無知を知った時が始まりなのだ。


「要するに、相手の事が解らないから。なら、知る為の行動として仮始めでも良いから“友達”にでもなってやる。ちょと踏み込んで……その人が何を考えてるのか、思ってるのか。その境遇に苦しんだり悩んでるのかを知りたい。それが相手を理解する為に、僕的に絶対必要な事だと思うからさ!」


 雫は視線を落とす。沈んだような顔。


「そう、上手く行くでしょうか?」


「だから、わからないよ。でも、普通の人とお近づきになるのと一緒で、その後は相手に望まれる僕で向き合う。相手を知ることから逃げちゃいけない。相手がどんな存在でも意思があるなら、まず手を繋ぐ努力を忘れちゃダメなんだって。僕は思う。失敗は、恐れない」


「…………」


「……僕は、他人が怖いから。“違い”が怖い。簡単に壊れる居場所が怖い。大切なものを失う事が怖い。だから、僕はどんなに自分を偽ってでも、自分の居場所を守るって決めた。それが空っぽの箱の中だとしても。……そんな僕だからこそ、相手の見える姿があると思う。助けになれる人が居ると思う。繋げる絆があると思う。僕は見過ごせないと思うんだ。求められるなら、助けになりたい……!」


 雫からのじとーとした視線。


「おかしい。色々……矛盾してます」


「そう、かな? そう、なんだろうね。

でもさ……世の中は矛盾だらけだよ。いつも矛盾は僕達を苦しめる。でも、ならさ。それを乗り越えて生きてくのも矛盾。自分に都合の良い矛盾じゃないかな? 皆、自分自身の矛盾を抱えて向き合って生きてるんだよ」


「矛盾ですか」


 ――問われた言葉が、妙に昨日の美歌との出来事を連想してしまい。更に寝不足の変なテンションも相まって、長々と雫にはきっと意味不明な言葉を語ってしまった。彼女の求める答えを窺い知る事は叶わない。彼女に告げた言葉も、ぐちゃぐちゃな精神論だったと自覚している。


「あ……えーと。以上。と、いうのがこの部活の方針です! ははは……どうかな?」


 流石に初対面相手の雫には恥ずかしくなったので、孝はそんな風に言葉を付け足し、かなり無理矢理に全く誤魔化せていない誤魔化し方をした。


「狩仁さん、わかりましたよ」


「……なにを?」


「狩仁さんは、変わり者ですね!」


「……ははっ……そうだね」


 だが、誤魔化しも虚しく。彼女に“変わり者”と言われ……凹んでみせる孝。そういえば昨日も同じような言葉を言われたっけ。


「――そして、とても悲しい人です。

狩仁さんの事、気に入りました……!」


 

こちらは本編に登場させた【黒百合淵(くろゆりふち)伝説(でんせつ)】及び、その原本【変災百伝奇譚(へんさいひゃくでんきたん)】に実際に収められている物語の内容解説と補足です。作品のプロットと共に書き下ろした劇中劇のような話がいくつかあるのですが、もったいないので公開しておきます。



・【人喰い熊のコ】


 (一)


『この土地には昔、人間の味を知ってしまったのか、人を襲って喰らうようになった熊が現れました。あまりにも人を喰らい、多くの犠牲を出した化け熊。人喰い熊。困り果てた人々は、村々で結託し、罠を張り、森の一部を焼き、逃げ場を奪い、追い込み。ついに人喰い熊を仕留める事に成功します。結託した皆を統率していた男、一つの村の長である男が、恐る恐る熊の死に様を確認して、顔に安堵の色を浮かべます。男の様子に、熊の死体の周りに集まってきた人々は次々と歓声を上げました』


 (ニ)


『沸き上がる大きな歓声の傍ら、男は小さな違和感を感じて熊の亡骸に触れます。次の瞬間、男は息を呑みました。なんと、確かに死んでいるはずの熊の腹がどくん、と動いたのです。男は熊の腹に耳をあて、次に腹を刃物で引き裂き、その中に手を伸ばして何かを掴んで引き出しました。同時に場にそぐわぬ幼い泣き声が響きます。またたく間に周囲の人々全員が歓声を止め、息を呑む事になりました。引き裂かれた熊の腹の中から人の赤子が出てきたからです――』


 (三)


『――子を身籠っていた若い女も熊に喰われた。熊の腹から出てきた赤子は、きっと神様がその命を救って下さったに違い無い。有り難や、有り難や。人々はそう結論づけました。しかし、赤子の腹に繋がっていたモノを周囲に気付かれないように切り落とした男は、なんとも言えぬ顔で赤子を抱き続けていました。赤子の正体を周囲に告白するべきか否か、“化け物”から“産まれた”赤子を殺すべきか否か考え、悩み抜いた末に男は生かしておく事を選択します。男にも産まれたばかりの娘がいたので、無垢な命を、どのような理由があっても殺すなどできなかったのです。男はその赤子を自身で育てる決心をしました』


 (四)


『男に引き取られた赤子は、その後、優しく人望もあり力自慢な青年に成長しました。立派になった青年を“一人の人間”と認めた男は、青年が自身の娘を妻にする事を許します。男は、共に育った二人が恋をしているのを知っていたからです。青年は男に、男の娘を幸せにすると誓い、彼女を妻として迎えました。青年と娘は結ばれて周囲に祝福されながら幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし』


 (五)


『それから暫くし、青年が夢を観ていると不思議な声が聴こえるようになりました。曰く「刻限。本来のあり方に戻る刻限」青年はただの夢だと気にはしませんでした。ですが、何度めかの夢の後、青年が起きると……なんと、片腕の形が変わっているではありませんか。それは、獣の前足といえるもの。腕というには歪な、獣の毛さえ生えてはいないものの四足で地を歩く獣の足、肉球があり黒い爪が生えた悍ましい身体の一部。己の変異した身体に、何が何だか解らず顔を青くする青年。そこで青年の背後から不思議な声が掛けられました。曰く「ついに刻限が来た。“我が子に平穏あれ”其の願いが成就したとなれば、即ち、元に戻さなければならぬ。此れよりは獣としての生を過ごすがよい、と――」』


 (六)


『――然しながら、人の生に未練が有るならば、代わりを立てる事も是とする。獣に戻るか、代わりの者を獣にするか……せんだくありやなしや」不思議な声はそこまで言うと、呆けていた青年の頭に獣の毛皮が被せられました。声は最後に告げます。「毛皮を返そう、纏えばその身は獣。纏わせればその者が獣。せんだくせぬなら、直にその身は獣とならん」と。……声はそれきり黙ってしまいました。青年は毛皮を投げ捨てて振り返りましたが、声の主も、その気配も、元から居なかったかのように去ってしまった後でした。これは大変な事となった。青年は慌てふためきました。……不思議な声の言った通りならば、青年は直に獣に身を窶す定め。しかし身代わりとして誰かを獣に堕とせば、己は獣にならなくて済むという。誰かを獣に堕とす……すなわち、己の代わりに“犠牲”にする。そのような事が、心優しい青年にできる筈もありません。青年は数日の苦悩の果に、育ての親である男に相談する事にしました』


 (七)


『数日の内に、未だに人の形を残しているものの、獣の毛に包まれ、身体の部分部分が熊のような姿になってしまっていた青年。そんな青年に相談された男は、驚き、悲しみ、憐れみながら、彼に全てを打ち明けました。青年は、人喰い熊から産まれた子供なのだと。それを知りながらも人として愛情を与え、育ててしまったのだと。……男は、そして、赤子を育てたのは自らの判断。愛してしまったのは自らの過ち。打ち明けられなかったのは自らの弱さ。故に、全ての責任をもつのは自分自身だと青年に告げました。青年は男の言葉に涙を流します。男は、熊になりかけの青年が持っていた毛皮を奪うと、それを己の身に纏いました』


 (八)


『青年が涙を拭うと、目の前には男ではなく熊が立っていました。熊になりかけていた筈の青年の身体は、いつの間にか人間のものに戻っていました。男は獣の毛皮で熊となり、青年の身代わりとなったのです。青年と男だった熊。男の犠牲で、青年は救われたかに思われました。……しかし、ここで大きな不幸がおきます。青年の妻となった女が、叫び声をあげながら鉈を構え、不意の熊の背後から斬り掛かったのです』


 (九)


『女に背後から首筋を斬りつけられた熊は、首を刎ねられてそのまま絶命しました。不幸な思い違い。女は夫である青年が林で熊に遭遇し、今まさに襲われようとしていると勘違いしたのです。熊を怯ませ、夫を助けようとしただけだったのです。不意に絶命させたその熊が、実の父親だとは知りもせずに。熊の死体は、獣の毛皮を身に纏った男の亡骸へと変わっていました。……放心する妻の目の前で、夫である青年の身体が音を立てて歪み、その肌から獣毛が吹き出し、変化を始めました』


 作中で、孝が資料として探していた物語。孝は、どこかでこの物語を見た覚えが有ったものの、雫が訪ねてくるまでに探し出す事ができなかった。変身譚としては、自身の身体が熊に変わって行く青年の精神の葛藤や苦悩が細かく描写されているので、確かに美歌の手掛かりとなったかもしれない。


 新訳では上記部分で物語が締められているが、原本にはもう少しだけ続きが存在する。その内容としては、青年の代わりに、妻である女が毛皮を身に纏って熊になりかけるというもの。けれど青年がそれを静止し、毛皮がやぶれた結果、二人とも人と熊の身体が入り交じった中途半端な姿になってしまったというオチになる。結局は救いが無い。この話は、暗に近親相愛の倫理的なタブーとそれにより起きてしまった悲劇が謳われたものであるとされていて、原本での末路は、いわば過ちの代償。二人の間に産まれてしまった奇形の子供の比喩と、これからこの家族に起こりゆる数々の困難を暗示しているとされている。

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