一章……(2) 【お節介】
【神波鳴 美歌】
孝の脳内情報によると、彼女はクラスの男子生徒達にそれなりの人気を集めている美少女とある。特徴としては、拘りでもあるのか大体いつも頭の上に巻いている大きめのヘアバンド。長めの綺麗な黒髪を頭の後ろ、上の方で縛っているポニーテール、いやハーフアップにした髪型。線のしっかりとした整った顔。その顔の中で目を引く、少しばかり取っ付き辛い印象を与える切れ長のやや鋭い瞳。それから、痩せ過ぎとも感じられるスレンダーで凹凸が少なめな体型。そんな感じの女子生徒だ。
「コホッ、ゴホ…………どうしたのよ?」
黙りした孝に、小首を傾げる美歌。
「……あ、ごめん、神波鳴さん。
具合悪そうな所さ、本当に悪いんだけど。早退する前にちょっとだけ僕と保健室に寄って行ってもらっていいかな?」
非常に申し訳なさそうにして、孝は引き留めた美歌にそう言葉を返した。
「……保健室? ……ああ、確か……今月は保険委員がクラスメイトの記録を取ってるんだったわね? 『生徒の健康月間』とかそんな」
美歌は鬱陶しそうに、その鋭い瞳を細めた。
「知ってたんだ。はは……そうなんだよ。
月末に委員会で、今月のクラスメイトの欠席と早退状況、その原因。体調不良の生徒の健康チェックとか、その後の経過とか、療養方法とか、改善策とかを一々報告しなきゃいけないんだよね。……めんどくさいけどさ!」
体調が悪いクラスメイトの女子生徒。
そんな括好の標的を保険委員という立場を利用し、保健室に連れ込む。そして、精神的、肉体的に抵抗出来ないような状態にして、例えば身体を揉むなどの如何わしい行為をする……。
――考は断じてそんな最低の人間ではない。
と、いうか……孝にとって、どんなに人気のあるらしい“美少女”でも、異性というだけでは少々興味が薄かったりする。人の美や醜にも疎いきらいさえある。そもそも他人との触れ合いを表面上の薄っぺらいものに留めていたりもする。だからこれは、本当に保健委員の仕事としての申し出であった。
「体温を計ったり、詳しい症状、ちゃんと朝食を食べたか、あと前日の睡眠時間とかを聞かせてもらうだけなんだけどさ」
「……そう。……はぁ……コホッ!」
「えっと、どうかな?」
美歌は鋭い瞳をより険しくした。
「ねえ、狩仁くん。質問よ。
私……どうしても保健室に寄って行かないとだめなのかしら? ……コホ、ゴホッ」
……ヘアバンドを片手の甲で抑え、左右にフラフラとわざとらしく身体を揺らして孝に訴える美歌さん。仕草こそはわざとらしいが、顔は高揚としており、喉に引っかかりのある咳をしている。事実、とてつもなく具合が悪そうだ。
「別に絶対じゃないけど。うーんと、出来ればそうだね。神波鳴さんが来てくれると、記録と報告をする僕が助かるかな? ……でも、かなり辛そうだけど大丈夫?」
「あのね。ねぇ、そう思うんなら、このまま私を早退させて欲しいんだけど……。もう、フラフラでフラフラで……もうダメ……ゲホッ、ゲホッ」
孝はそんな美歌の様子に、少しだけ顎に指を当てて考える素振りをすると、
「……そっか。じゃあ今回はいいかな、特別に。早退の記録とかは、それっぽい事を報告しておく事にするよ。あと担任の先生への連絡も任せて。カミカ……神波鳴さん、お大事にね!」
と、美歌に伝える事にした。
孝は別に、誰も進んで立候補しない“面倒くさいらしい”保健委員の責を引き受けただけ。その程度の仕事だ。一定の責任感は持っているが、必要以上にルールだとか規則だとかを他人に強制する面倒くさい事はしたくない。する必要性も感じない。だから、実際に体調が悪そうな美歌を無理に引き留めてまで、この委員の仕事を従事しようとも思わなかった。
「……そう。じゃあ、ごめんなさい。
お先に失礼するわ。狩仁くん……あ、ありがとう、ゴホッ……」
「うん、引き留めてごめん。さよなら!」
……今度こそ、早退しようとする美歌。
軽く手を振って見送る孝。
……だったのだが、
「神波鳴さん。やはり、狩仁くんに保健室へ連れて行ってもらいなさい。その様子なら、場合によっては少し休んでから帰宅した方が良いかもしれんしな。下校中に倒れでもしたら大変だからな!」
ちょっと離れた所で二人の会話のなり行きを眺めていた鈴隣先生が、美歌の体調を気遣い……そう彼女に提案してきた。美歌からしてみればそう教師に言われてしまったのだから帰れない。孝は実に余計な事をしてしまったものだ。
~ ~ ~
という事で…………保険室。
「失礼します! ……って、あれ、保健の先生は居ないみたいだね? 鍵開いてたのに。なんだ、不用心だなぁもう」
「勝手に、失礼……していいのかしら?」
「大丈夫。いいよ、いいよ、さぁどうぞ。神波鳴さん、とりあえず中に入っちゃってよ!」
「はぁ……」
美歌は孝に続いて部屋に入ると、
まず大きな溜め息を吐く。
「……ケホッ、ケホ!」
そして、咳き込んだ。
咳き込みながら、睨まれている。怖い顔だ。
「アレだね。僕、出しゃばって余計な事しちゃったみたいだね。ごめん、まず謝るよ……」
体調不良のせいかも知れないが、とても機嫌の悪そうな表情をしている美歌。孝はそんな彼女にとりあえず下手に出た。
――そこで考のポンコツ脳が、遅れて彼女についてのより詳細な情報を引き出してくる。
そういえば……クラスメイトの“主に女子生徒”のしていた噂話、陰口などでは、美歌は昔から極力他人と関わろうとしない人間で、且つ、関わった人間は悉く彼女から離れて行くというのを聞いた事があった考。それも第三者が違和感を抱く程にだ。
彼女は昔から目付きが鋭くて怖く、お高く止まっている印象を受けるものの美少女と言える容姿から人気があり、「お近づきになろう」と話し掛けたり、何度もしつこく遊びに誘おうとしたり、ストレートに告白したりする人間は多々居たとか何とか……。
中には強引な輩が、無理に彼女と関係を持とうと実力行使さえした事があるらしい。だがその度、すぐ次の日には嘘のように、美歌と“関わった者達”が、彼女から遠ざかって行くのだ。まるで、彼女の事が頭から空っぽになってしまったかの如く。
実力行使した輩に至っては、彼女の腕を無理矢理に掴んで連れて行ったのが目撃された後、全身が軽くない正体不明の裂傷と打撲だらけとなって倒れているのを発見されて入院。この町でも小さな事件になったとか。その輩は記憶に混乱が残り、何があったのか不明。また、警察に参考人として連れて来られた美歌の事を、「知らない女だ!」「目が怖い。苦手だ、近付けないでくれ!」と震えながら言い捨てたという伝説も耳に挟んだ。
そんな理由から、噂に尾ひれが何個も何個もくっついていて。詳しくは聴かなかったものの、中学時代等、これまでの彼女を知る“特に女子生徒”には“やっかみの感情もきっと混ざり”良い印象は持たれていないようだ。
『たぶん、親しくなろうとすると欠点だらけなのに気が付かれて、相手に全速力で逃げ出される凄い地雷ちゃん』『アレ、ぜったい性格悪いよねー』『裏で何やってるかわかんない』とか言われていた。女子は怖い。
いや男子は男子で、彼女の弱味でも握って、あの鋭い瞳を潤ませてやり「泣き顔にしてヤったら興奮する」とか最低な発言をした奴がいる事を知る孝なので、やっぱり男女共に人間ってすごく怖いと思う。
…………。
まあ、事実はどうであれ関係無いか。ただ、こんな風に個性は強いだろう美歌のような人間は、他人にとって“ちょうどいい普通の奴”を演じる孝には扱い辛く、接し辛い苦手なタイプである。だから下手に出て、その後に波風が立たないようにする。そんな処世術である。
……?
……じゃあ何故、
あの場で孝は美歌を引き留めたのか?
それは、保険委員という仕事を果たしている責任感のある一生徒。そんなアピールをあの顔見知りの鈴隣先生にしておきたかったから。いや、正しくはそんなアピールをつい癖でしてしまったから。だから反射的に美歌を引き留めてしまったのだ。これも自分自身が変わっていると自覚している孝が、上手く社会を生きて行く為の手段……処世術。今回は自らの足を引っぱったが。
「出しゃばって? 別に……構わないわ。保険委員としての仕事なんでしょ? それに、私こそ……謝らないと。私のせいで次の授業に遅れちゃうんじゃない?」
「ははっ、問題無いよ、こういう場合は体調の悪いクラスメイト優先だからね!」
美歌は孝の事を配慮する言葉を言いながらも、孝を睨むように瞳を細める。どうやら瞳を細めるのは彼女の癖のようで、実際に相手を睨んだり威圧しているようではないようだ……と、孝は気付いた。
「そう……ありがとう……」
「神波鳴さん……なんか、固いなぁ。ほらほら僕達クラスメイトじゃん。もうちょっと気楽に柔らかくさ! はははっ、どういたしまして!」
少なくとも美歌は、噂や陰口で孝が聞いていたほどの嫌な感じの人間ではないのだろう。まあ、噂や陰口をソースにした情報なんて殆ど当てにはならない物か。孝は内心でそう改めながら、さっさと自分の仕事をしてしまう事にした。
「あっ……。保健の先生……居ないと思ったら、“噂の子”が起きてるから。付き添いで保健室を暫く空けてるってさ……そうメモがあった」
机の上にあったメモの内容を美歌に伝える。
「あ……そう、なんだ」
部屋の奥半分のカーテンが取り付けられたベッドが並ぶスペースを眺めながら、興味なさそうに答える美歌。
「男子生徒と二人だけでも、別に神波鳴さんは気にしないんだね? ほら、如何わしい事をされる話しとか、よくあるよね? 保健室だし」
さり気無い話題作りの為に、冗談で心にも無い事を美歌に向かって呟いてみる。
「……」
「……」
「何か、言ったかしら?」
「いや、何でも無いよ? ははは」
孝は、無言で美歌に睨まれてしまう。
美歌には冗談が通じないようだ。ついつい他人の人間観察をしてしまうのも考の悪い癖。これ以上の無駄な会話は意味が無い。本当に、さっさと仕事を済ませよう。孝はそう判断した。
「神波鳴さん。立ってるの辛いでしょ?
そこのベッドにでも座ってよ。えーと……あ、有った! ……はい。あと額に張る冷却シートと、脇に挟んで使う体温計ね!」
孝は美歌を診察用のベッドに座らせる。
そして保健の先生の代理で、必要な物を取り出して美歌に手渡す。
彼女は制服とワイシャツのボタンを外して、受け取った温度計を脇に差した。ブラジャーとそれに包まれた小ぶりな乳房が考に露わになる。
(うわっと!)
――いやいや、無防備過ぎる。彼女は天然さんなのだろうか? 熱で思考が緩いのか。そこまではだけさせるのは予想外。
「僕……後ろ向いてるよ」
「……えぇ……」
どうして考が後ろを向いたのかで、どうか彼女には察して欲しかった。
「じゃあ、ちょっと記録取るから。
ささっと質問するね。まず、症状は?」
「倦怠感、めまい、フラフラ。
あと少し熱っぽい。それくらい……」
「朝食は食べたのかな?」
「普段から食べないわ……」
「昨日はよく眠った?」
「6時間は眠たと思う……」
「うん、これで終了だね。後は体温が計り終わるまで待っててね。ピーピーって感じでアラームが鳴るからさ!」
「わかったわ……」
必要な会話を終え、孝と美歌の会話はそれを最後に切れる。それから、少しばかり孝にとって気まずい時間が始まった。
「……はぁ」
(気まずいなぁ……。本当なら、世間話でも初めて会話を繋げるんだけど。話すのも辛そうだし。ブラジャーとか無防備に見せちゃってるし……)
そんな事を内心思いながら、孝は美歌の会話の内容を、机の上に用意されているバインダーに挟まれた記録用紙に記入してゆく。
(ああ、放課後が待ち遠しいね……)
自分の執着や趣味と向き合える時間。
孝はその場の美歌との気まずさから逃避し、自分の心の拠り所である放課後の“その時間”を待ち望み、時間を潰す。
「はぁ……はぁ……」
……その間、
美歌の喘ぎ声だけが部屋に響いていた。
「う……はぁ……はぁ……」
(やっぱり、そのまま早退してもらった方が神波鳴さんの体的には良かったかな……?)
「はぁ……はぁ……うぅぅ……」
(本当に神波鳴さん……大丈夫かな?)
と、その時。考の後ろでベッドのバネが弾む音が響いた。まさか、彼女が倒れた?
「――神波鳴さんっ?!」
流石に心配になって、
考は美歌の方を振り向いてしまう。
すると、
「…………うわぁ」
……凄い姿だ。胸元をはだけさせたまま、スカートが捲れ上がり、上半身をベッドに倒れ込ませている美歌が目に入る。さすがに彼女に悪いので、考は直ぐに目線をズラす。
……。
…………。
………………。
(……ん?)
違和感を感じて、つい二度見する。
(……ん、んっ?!)
孝の感じた違和感の正体。それは、ベッドの上にあり、美歌の腰の下に敷くよう存在している謎のフサフサ物体。黒い毛の塊のような物。
(なんだろ、アレ……? 下に敷いてるけど、神波鳴さんの膝掛けとか? えーと……あんな物、さっきまで有ったっけかな?)
美歌の安否確認と好奇心を兼ねて、
孝は彼女に近付き“ソレ”が一体なんなのかを調べてみることにした。
――次の瞬間、
孝は己の目に入ってきた光景に衝撃を受ける。
(――はぁっ?!)
――なんと、その“黒い毛の塊”のような物が、ピョコンと一度動いたのだ。動いたように見えただけだろうが……“何なのか”は理解。
(――アレ、し、し、尻尾〜っ?!)
――美歌の捲くれ上がったスカートの臀部側から覗く、黒い獣の尻尾。そんな非現実的且つ、目を疑う物体を目撃した孝は……その驚愕にただただ立ち竦んでしまうだけだった。