一章……(7) 【大切な親友】
「そして、とても悲しい人です。
狩仁さんの事、気に入りました……!」
雫は沈ませていた顔を上げ、孝に向けて、いたずらっ子のような表情で微笑んだ。
――悲しい人。
その通りだし、孝は否定できない。でも普通は本人に、真っ正面から言わないだろう。
「……えーと?」
孝は目を点にしてしまった。
「狩仁さんは、信用してよさそうです!」
彼女は、そんな孝にはお構いなしか。孝の制服の袖を握ってぶんぶんと振ってくる。感情の起伏が激しい娘である。
「そ、そうかな? ありがと……?」
――だから。何言ってるんだこの娘、と。
流石の孝も、つい、彼女に素っ気ない返事をしてしまったのは無理もない事だろう。
彼女は、孝の事を『変わり者で、悲しい人』そう前置きのよう言い表しておいて、人間としては気に入ってくれたということだろうか。
まったく。相手の事を“下げて・上げる”妙な言い回しをするものだ。
初対面の人間にそんな事を言えば、場合によっては「おちょくられてる」とかと受け取られ兼ねないだろうに。まぁ孝は気にもしないが。
「思い遣りと、寛大なお心遣い感謝です」
雫にとってむしろ、孝の返した反応がいまいち大きくなかったのが喜ばしいのだろうか? 先程よりも声を弾ませて、やや大げさな評価をしてくるのだ。
「いやいや、とんでもないよ」
「……いえ。その、自分と面と向かって会話して、自分の言動とかに動じずに対話していられる人って……同年代だと少ないですから」
「接点が少ないとかだけじゃなくて?」
「それも有りますけど……」
雫は一瞬だけ、何故だが躊躇うように言葉を溜めたものの。孝の顔を見遣ると「信用するとしましたから」そうやって、一言。口に出してから続けた。
「……自分の性質〜なのでしょうか。
自分は、結構に人の内面を見ることに長けていると自負します。こんな風に軽い会話をして、相手の気質をおおむねでも窺い知れる〜っていうのが特技なんです」
えっへん! と胸を張る彼女。
でも、だからこそか「それが、気持ち悪がられるんですけど……」そう小声で漏らした。
「……そっか」
――なるほどな、と孝は内心で納得する。
――要は、彼女には他人との距離感がまだまだ解らないのだろう。他人との関わりで培われる筈の対人能力が未熟で。でもそれを補う事ができる程に、対面の人間の深いところまでを見透かしてしまう能力に長けているのだ。実にアンバランスな事。
「これだけは言っておきますよ。自分は狩仁さんという人間を試そうとしたり、バカにしようとしたわけじゃないのです。つまるところ、狩仁さんが言っていたように、相手の事を――」
「――知ろうとしただけ。だね?」
雫は頷いた。
「狩仁さんは、自分に失礼なこと言われても怒りもしない寛大な人のようです。はい、おっしゃる通り、思考に纏まりが無く『ぐちゃぐちゃ〜な』不器用な面を感じました。でもむしろ相手との対話の中で何かを見出そうとする安定した精神性と、確固とした自分自身の芯はお持ちのようす。同年代よりも成熟している、と捉えます」
「…………へぇ」
「……あまり、その人の内面は言葉に出さない方が良いですよね。それは承知してます。でも狩仁さんに自分を理解してもらう為には、今のは必要な言葉だったので。悪く思わないでください」
「大丈夫だよ、安心して。僕は、キミを気持ち悪いなんて絶対に思わないからさ」
でも、そう伝えた上で、
「でも、怖いほどの洞察は確かだ。『精神性と自分自身の芯』そこは僕的に、ちょこっと首を傾げるけど。出会ったばかりの相手をそこまで観察できるなんてさ……才能だよ。でも、気持ち悪く思う人間も中には居るだろうね。否定できない」
そこは正直に言う、孝。
「正直者さん、ですね」
雫は肩の力を抜いたように笑みを浮べた。
彼女相手には、思った事をストレートに本心のままぶつけた方が効果的だろうと思ったからだ。いっそその方が互いに気楽だろうと。
孝は、本当に恐怖すら感じそうだった。
彼女の洞察力とかだけでなく、相手の胸中を見透かしているような態度と言動や性質に。
そしてなにより対面することで、相手の普段は閉じられている内面の領域に、まるで氷を溶かして行くように自然な流れで浸り、侵入してくるような不可思議な感覚。
過去、あまり自分自身の内面を他者にさらけ出す機会が無かった孝。なのに、彼女を前にした途端に“あそこまで”語ってしまった。美歌の一件で精神に影響を受けていたとはいえ、思い返してみても若干の違和感を抱かずにはいられないところ。
――あまり過ぎると、孝は、自分の内のドロドロした汚い影も、言葉にできない程の愚かさや醜くさまで知られてしまうのではと彼女を今更に危惧してしまった。
だから正直に告白した。気持ち悪くはないが、天敵になりうる相手に恐怖を感じる精神の働きは否定できないものだろうから。
「狩仁さんのおかげで、少しは気が楽になりました。もうそろそろ……本題です」
――冗談だが「部活動の見学者なんて本当は嘘で、孝の事を探りに来た凄腕の密偵」という設定だったとしても信じられてしまう。
「部活動の〜見学。あれは嘘でした。何だかすいません。狩仁さん、自分はあなたに会いに来たんですよ。あなたを知る、探る為に」
ほら例えば、こんな風に。
「――って、え?」
彼女の正体は、
「……改めまして、もう一度。
自分は【葛織 雫】です。昨日あなたが手を出して、哀れにも如何いかがわしい事をされて、最終的に傷物にされてしまったという可哀想な可哀想なミカの〜親友。雫ちゃんです!」
美歌の親友らしい。
「神波鳴さんの……」
「――はい、親友です」
雫は、孝にとって願ってもない来客か。
はたまた、秘密を知った孝への刺客か。
〜 〜 〜
「ふぁぁ〜。もう直に、飲んできた薬が効いてくるので……。詳しいお話は待ってください。自分が眠ってしまうまで……」
欠伸。呂律の弱くなった口調。
「葛織さんが、眠るまで待つの?」
薬とは、睡眠導入剤のような物か?
彼女は乗ってきた車椅子に腰掛けると、眠そうにあくびをして目を擦る。
「眠ったら会話できないじゃないか?」と孝がツッコむのは野暮なことだろうか。
雫が眠ると何が起こるのか、彼女を回収しに代わりの人間でも訪ねてくるのか?
「あなたを信用します。はい……だからさっきの、こちらのアイテム。狩仁さんに貸して上げます。すご〜く貴重な物なので大切に扱ってください。雫ちゃんとの約束です……」
アイテム?
「えっ、……ありがとう」
「で、みてみてください」
雫は車椅子を孝に近付け、彼女の私物、先程の書物【変災百伝奇譚】を手渡してきた。
「貴重な本かぁ。拝見するよ」
古い書物だ。日に焼けた半紙に筆でくねくねとした文字が綴られている。
厚い紙が紐で結び束ねられていて、後付のしっかりとした分厚い表紙で折り畳まれている。
高校生の孝の読学力では、“くねくね文字”全てを解読できない。けれど、おおまかな内容の把握と分析くらいはできる。
「見かけよりも厚みが無いね。
何だかほんのりと珈琲臭い。そして百伝にぜんぜん足りてないけど、関連性のありそうな話が集められてるね。主に、動植物の名前が入った話で。これに纏められてるのは九話か」
「ふぁぁ〜。さっきも伝えたとおり、この土地に伝わる民俗伝承の原本です。厳密には原本のその一片とか偉い人が教えてくれました」
「これが、ね。なかなかないんだよね。民俗資料館とかで展示されてるのは見た事あるんだけど。町の図書館でも、原本の内容は写本が話ごとにバラバラに保管されてる程度だしさ」
「……なんだ〜狩仁さん、部活動ちゃんとしてるじゃないですか。勤勉に、こんな町の埃を被った歴史とか調べてたんですね……やっぱり、でまかせとかじゃありませんでしたか」
「ははっ、部活動とは別だよ。もともと僕に興味が有ったから、暇な時に調べてただけ」
さて、孝は切り出す。
「――で、葛織さんが、僕に意味有りげに語ってくれたさっきの物語なんだけど。えーと、これか【獣とあった娘】ってやつ!」
「内容。……神様は山犬の亡骸と、それに寄り添って泣く娘を一つに“合わせて”化け物に変えてしまいました……。それは、娘が願った【獣とあいたい】【離れたくない】という願いそのもの。それは、浅ましき愚かな願いが身を滅ぼすという一つの物語……」
「これってさ――」
――獣に変わる……彼女の。彼女との関連性。
それを口に出して言って良いものか。
「ふぁぁ〜。物語のその後は、暈されて明確に語られてはいなくて……。それでも、物語の形さえ変わったとしても……この土地で、家で、大切に現在まで語り継がれた意味があるのではないかって……ずっと考えていました」
雫は言葉を続ける。
「……根拠も確証も〜何一つありません。
でもでも、火の無いところに煙はたたなくて。実際、親友のミカちゃんからはこの物語の内容をとても連想するのです。そう……とても〜無関係だとは思えません……」
「葛織さん。それはどういう意味でかな?」
「――ふふ。今更もう知らばっくれる必要なんてありませんよ〜。……狩仁さん。あなたと自分はお互いに探り合って〜秘密はほぼ共有している筈です。自分にとっての親友と、あなたにとっての『友達申請』をした彼女。その秘密を」
「秘密ねぇ」
「気が付いてない筈ありません……」
決定的な事を言われた。
ならばと。二人は顔を見合わせ、頷き合う。
「獣に転ずる少女――」
「――其れは、この土地【黒百合淵】で謳われる【変わる者】という伝承上の存在の内」
孝と雫は示し合わせる。
「僕はあの時、保険室で神波鳴さんの身体に獣の尻尾と耳が生えているのを見た――」
「――自分はある時に、女の子の服を身体に巻き付けて、泣き叫ぶように吠える獣に会った」
更に、示し合あわせる。
「単純に。ただ、個人的に放って置けなくなっちゃったんだ。神波鳴さんがどの様な存在なのかとかは、この際に関係ないから。彼女の事を何一つ知らない自分が、おこがましい話しかも知れないけどさ。少しでも泣き叫ぶ程の苦しみから救ってあげたい。助けになりたい。そう思ったから――」
「――偶然出会った……あの子は、自分と似た境遇の〜でももっと苦労して悲しいものを背負った弱々しい存在で……そんな存在で……」
そこで雫の瞳から、
徐々に感情の光が薄れる。
「守ってあげなくちゃって、使命感から親友になった。……本当は自分の孤独を満たす為だけど、それでも。……確かな、意味が有った日々でした…………自分は……」
彼女の目蓋が閉じて行く。
「え、葛織さん?」
「……守りたかったんです、いつまでも――」
「葛織さん!」
雫は、言い終わると。首を傾け、深い眠りへと落ちていったようだ。
「……大切な……親友を――」
もう現に意識がないだろうに、彼女の口からはそんな一言が溢れた。
【獣とあった娘】
【葛織 雫】曰く、
『――この話は、親とはぐれて傷付き弱って人里に迷い込んだある獣と、その獣を拾って介抱した心優しい娘の物語。獣と娘は次第に種を越えた友情を作るんですけど〜。最後は獣が、熊さんから娘を庇って死にます。娘はそれを酷く悲しみ、嘆きます。その様子を見ていた神様が、獣と娘を一つに“合わせて”化け物に変えてしまいました。それは、娘が願った【獣とあいたい】【離れたくない】という願いそのもの。浅ましき愚かな願いが身を滅ぼすという物語……』
――雫が語った物語。
どうやら彼女は持参した本に書かれていたこの物語を引き合いに出して、孝に質問をし、彼の性格や人間性を確かめたかったらしい。
この話には新訳と原本の内容に明確な差異があり、そこの所をとくに孝に印象づけた。
新訳では、“死んでしまった獣”は神様の力により娘の中で生き返り、その後も共に生き続けるという物語の締め方。
一方の原本では、作中で語られたように『……娘は“獣とも人とも言えぬ化け物の様”に変えられてしまった。これは、娘の浅はかさと愚かさの招いた結果だ。化け物になった彼女がその後どうなったのかは、誰も知る由が無い――』と、少々理不尽で説明不足な締め方で終わってしまうのが特徴的な物語。
この物語だが、実のところ娘の何が“浅はかで愚か”だったのかが明確ではなく。
一見、娘が神様に“願ってしまった内容が”ダメだったように印象を受けるものの、そもそもの娘のエゴで弱った山犬の幼獣を介抱してしまった行為自体が愚かともいえる。
これは物語の中でも言及があり『人の勝手な都合で、むやみに他の命を救うべきではない』と、娘が登場人物の老婆から叱責されるシーンが存在する。
その後、娘に懐いてしまい、自身から離れようとはしない獣の様子に『人に慣れ過ぎてしまった獣は、自然では生きれない』と老婆に教えられた言葉を思い出して『本当にその通りだった』と結論付け、娘は後悔する事となる。
娘の周囲の人間は、獣が成長して手がつけられなくなる前に始末するべきと諭す。だが娘は周囲の反対を押し切り、回復した獣に向かって『あなたに行く当てがないなら、どうか家族になって欲しい』と願った。
娘の一番の過はそのエゴとも、意志の弱さとも、世間知らずな優しさとも取れるだろう。果たして娘の愚かさとは? 果たして娘はどうなったのか? そのように原本は物語の表現方法が独特で、人によって解釈が多様に変化する非常に興味深い内容である。新訳に改版される過程で、“誰にでも理解でき、親しまれる話”に直されたらしいのだが、原本に存在していた“暗に読み手へ訴えかける部分”がまるごとカットされてしまい。結果的に単なる民話として落ち着いてしまったのが非常に惜しまれるものだ。
また、直接描写されていないが、獣を殺した“熊”が他の話に登場する“人喰い熊”ではないかという説があり、複数の物語が元々は一篇の譚だったのではないかという説の裏付けになる可能性が暗示されている。