本日の夕食ー回鍋肉定食ー
時刻は午後7時過ぎ。既に出来上がった料理を居間の長方形の長卓へ順に運んでいく。この時間になると他の住人がぞろぞろと帰ってくる時間になるため、大体誰かが料理を運ぶ手伝いをしてくれることが多い。
因みに今日は里英さんに手伝って貰っている。
「彩夏ちゃん、これで運ぶものは最後?」
「はい、今私たちが運んでいるもので最後です。あっ、これが終わったら他の皆さんを呼んできては貰えないでしょうか?」
「了解!じゃあ終わったらあたしが呼んで来るね」
そう返事をすると彼女は居間を出て2階へ上がっていった。里英さんこと夷川里英は私よりも3歳年上の29歳であり、150センチ台半ばの健康的な体型の女性である。
背中の中心部まで伸ばした暗い茶色の髪は少しウェーブがかっており、それをハーフアップにして纏めている。服はゆったりとしたセパレートタイプのルームウェアを着用している。
そして夕食時。
「それでは皆さん、手を合わせて―」
今では毎食恒例となったこの掛け声に合わせて住民の皆が手を合わせる。
『戴きます』
各々が美味しそうにおかずに手をつけていく。久遠荘では朝夕の毎食必ず全員で食べるといった暗黙の了解があり、先にあった掛け声は管理人である私の役目になっている。来た当初は学校給食の様だなと思ったものだが、半月経った今となってはなくてはならない習慣の様なものになった。
近頃孤食と呼ばれる家庭で1人きりで食事をすることが特に小学生以上の年代で問題になっているが、このシェアハウスでは先にも述べたように毎食必ず全員で食事をするので、そういった意味では実に健全な食事だと言えそうだ。
「はぁー、今日もまた一段と疲れた」
小さなため息をつきながら話した黒髪短髪に濃紺の背広を着た男は麩屋浩二である。彼はついこの間新社会人になったばかりで、現在は仕事を覚えることに一生懸命なのである。
見た目としては実年齢よりも若く見られることが多いらしく、この間なんかは私服で河原町界隈へ出掛けようとしたところ近所のおばさんに高校生に間違われてしまったらしい。
本人はかなり気にしているようだか、如何せん目元が垂れ目がちの大きな二重瞼のせいでより顔立ちを幼く見せているのだろうと私は考えている。
「あら麩屋くん、そんなに仕事は疲れるのかしら?」
「まあ、毎日覚えることが多かったら疲れてきますよ」
その事に対して彼の右隣に座っていた川端は同情の気持ちを込めて話に入る。
「やっぱり社会人って大変そうだよなぁ」
「そりゃ、学生に比べたら大変だって!」
因みに麩屋と川端は同い年であり、前者がこの春から新社会人になったのに対して後者はこの春から京都大学農学研究科1回生になったのである。
「しかし時間が経つと仕事に慣れて来るから麩屋くんの気疲れが減ると思うよ」
そう優しく諭すのは西大路周である。彼は東京から単身赴任で京都に来ており、このシェアハウスでは最年長の33歳である。年齢から来るものなのか、はたまた既婚者だからかは分からないが、彼は精神的にもかなり落ち着きがあるように見える。また切れ長の一重瞼に毛先がよく整えられた襟足の少し長い暗めの茶髪は彼をダンディーにみせてくれている。
ちなみに彼の席は川端の右隣に座っており、今はスープを少しずつ飲んでいる。
「そうよ、社会人生活なんて学生生活に比べたら20年は長いんだから」
続けて西大路さんの真向かいに座っていた里英さんが麩屋に対して付け加えた。
「まあ麩屋くんは今月からこの久遠荘に来たわけだし、京都も初めて住むのだから余計に気疲れしちゃうのかもね」
そう述べたのは彼女の左隣に座っている私である。
「それ言っちゃったら彩夏さんも同じじゃないっすか」
「えぇー、そんなこと無いわよ。小さい頃は祖父に会いに大阪から来ていたからすんなりと今の生活に慣れるのが早かっただけよ。西大路さんも言ってたけど今にきっと麩屋くんだってこの生活に慣れてくるわ」
「それにしても彩夏ちゃんって順応性が高いよね!あたし、尊敬しちゃう」
「ありがとう。私だって里英さんのバリバリ仕事をこなす所は尊敬しますよ」
「やだぁ、お世辞を言っても何も出ないよ?まあでも、ありがとう」
些か満更でもないような表情で里英さんは言った。
こうして今日の夕食も話が弾んでいく。個人的にはビックニュースはないけれど、毎日とりとめもない話題で食卓が賑わうのは好きだったりする。そういうこともあって、朝夕の食卓を始めとする団欒の時間は住人との距離を少しでも縮めることに尽力している。