嗚呼!弱小民族に生まれて!
皆さん!井の中の蛙(松永)です!よろしくお願いします。今回は、『近代以降の歴史認識』についてふれた物語を投稿しました。多くの人達に読んでもらいたいと思います。そして、皆さんの『近代以降の歴史認識』等も感想で書いてもらえれば、いいなと思います。また、評価もつけてもらえたらうれしいです。感想を書いて頂いた方には、できるだけ返信するよう心がけます。
皆さんの『近代以降の歴史認識』はどうなっていますか?この物語の登場人物にシンパシーを感じる人達はいますか?この物語の登場人物にこれは危ないと感じるという人達はいますか?この物語の登場人物の誰とも歴史認識が異なる人はいますか?
とにかく、読んでみて下さったらうれしいです。今回の物語は、20000文字ぐらいです。私の以前の作品『展海峰と小説家の卵』、『劣化コピペの集まりからの脱皮失敗!』は、皆さんの貴重な時間をあまりさかないようにと5000文字~6000文字を目安に書きました。今回は、強引に文字数を少なくするのも良くないと思い、少し長くなりました。
読んでね~!
第一章 正義の進路希望
2018年9月20日(木)18:25、鹿児島市の有名私立高校の一年生、松山正義のスマートフォンが鳴った!LINEを受信した音だ。正義は、机の隅で充電していたスマートフォンを取り、何処の誰がLINEを送信して来たのかを確認した。そのLINEは、佐世保市に住んでいる正義の父である松山学から送信されたものだった。内容は以下の通りだった。
『正義!誕生日おめでとう!今日で16才だね!元気にしているか?寮生活には慣れたか?』
正義は、素早く返信のLINEを打って送信した。
『さすが東大卒!俺の誕生日を覚えてくれていたんだね!ありがとう!元気にしているよ!寮生活には慣れたよ!』
父(学)は、またLINEを送信してきた。
『東大卒じゃなくても、息子の誕生日は覚えているだろ!まあ!元気で何よりだ!それより、11月頃までに、文系か理系に進むか決めないといけないんだろう?』
正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。そして、机の上に置いてあったコーヒーの入ったマグカップを手に取り、一口飲んだ。それからゆっくりとLINEを打ち始めた。それは短い文章だったが、10分ぐらい掛かった。そして、それを父(学)に送信した。
『父さん!前にも言ったけど、俺は文系に行くよ!父さんと同じ理系には行かない…。父さんは不満かもしれないけど…。俺は歴史が好きだからね!地歴公民の科目では、日本史と世界史を中心に勉強するよ!』
父(学)は、直ぐにLINEを送信してきた。
『分かった!分かった!正義が、そう決めたならそれでいいよ!佐世保から離れた鹿児島の高校に行っているから…。少し心配していたんだよ!それと、俺は理系出身だから、文系の事は分からない…。アドバイス出来ないけどいいな!』
正義は、短いLINEを送信した。
『うん!』
父(学)も、短いLINEを送信した。
『じゃあな!』
正義は、スマートフォンを机に片隅に置いていた充電器に乗せ、コーヒーを一口飲んだ。そして、こう思った。
『父さんは、やっぱり理系に行ってほしいみたいだな!前もそんな事言っていたな!アドバイス出来ないという理由だけでなく、他の理由とかもあるのかな?まあ!それでも俺は、文系に行き、日本史と世界史を中心に歴史を学びたい…。』
そう思った後、正義は、コーヒーを一気に飲み干し、呟いた。
「さあ!やるぞ!」
それから正義は、今日の授業の復習と明日の授業の予習を3時間半ぐらい勉強して寝た。
第二章 祖父の容体急変!そして、死!
2018年10月11日(木)12:13、正義のスマートフォンが鳴った。LINEを受信した音だ。正義は昼食中であった。しかし、正義は、LINEを確認せず、スマートフォンの電源を切った。学校内でのスマートフォンの持ち込みが禁止されていたので、まずいと思ったのである。一緒に昼食を取っていた友人も、気付かなかったふりをしてくれている。
昼食後、正義は、いつもの様に授業に集中し、勉強した。そして、授業が終わり、寮に戻ると、スマートフォンのLINEを確認した。LINEは2件、父(学)から送信されていたものだった。内容は、以下の通りであった。
『勇気お爺ちゃんの容体急変!』
『正義!勇気お爺ちゃんが、末期ガンと診断されたよ!膵臓ガンらしいよ!担当医から、「余命2ヶ月!早めの身辺整理と、今の内にお孫さんに1度合わせておくのもいいかも…。」と言われたよ!今週の日曜日はどうだろうか?佐世保に帰って来られないか?』
正義は驚き、直ぐに佐世保の自宅に電話した。電話には、母(友子)がでた。
正義は、言った。
「もしもし!母さん!勇気お爺さんの件だけど…。」
母(友子)は、答えた。
「うん!膵臓ガンらしい!お父さんが、「日曜に帰って来る事ができるか?」とか言っていたよ!」
正義は、言った。
「うん!先生達や寮長にも2、3日休めるか聞いてみるよ!」
母(友子)は、答えた。
「日曜だけで良いのよ!」
正義は、言った。
「いや、2、3日、佐世保に帰るよ!勇気お爺ちゃんには、可愛がってもらったからね…。」
母(友子)は、答えた。
「そうね!じゃあお父さんにも、そう伝えておくね!じゃあ!元気でね!」
正義は、頷きながら言った。
「うん!じゃあ!週末にね!」
正義は、スマートフォンの電話を切った。そして直ぐに寮長に、祖父が末期ガンである事を説明し、今週末の土日と来週の月曜日まで、実家に帰りたいと言った。寮長の反応は、「そういう事情なら良いよ!先生達にも言っといてね!」というものだった。それから、正義は自分の机に着き、皆が月曜日に授業で勉強するであろう所を重点的に勉強した。
翌朝の授業前、正義は担任の先生の所に行った。すると、正義が話しかける前に、担任の先生は、言った。
「おはよう!どうした?何かあったのか?」
正義は、答えた。
「先生!おはようございます!祖父が、末期の膵臓ガンである事が分かりました。今週末の土日と来週の月曜日まで、佐世保の実家に帰りたいのですが、よろしいでしょうか?」
担任の先生は、寮長と同じような事を言った。
「そういう事情なら良いよ!私から他の先生達にも言っとくから!」
少し間を置いてから、担任の先生は言った。
「ガンか~!俺の親父は、ガンで死んだよ!お前の祖父は、助かることを祈っているよ!」
正義は、言った。
「有難うございます!それでは、授業が始まりますので失礼します!」
正義は、授業を受けに教室に戻って行った。
その日の授業がすべて終わり、寮に戻った正義は、机の隅に置いてあるスマートフォンの充電器にスマートフォンを置いた。そして、今日の授業で習った事を復習し始めた。復習は、19:30ぐらい迄掛かった。それから5、6分後、正義は、充電していたスマートフォンを取り、父、学にLINEを送信した。内容は以下の通りだった。
『父さん!今週末の土日と来週の月曜日まで、佐世保に帰るよ!勇気お爺ちゃんの容体はどう?』
15分位待っても返信は来ない。正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。そして、授業の予習を始めた。22:35、正義のスマートフォンが鳴った。LINEの受信を知らせる音ではない。電話の音だった。正義は、スマートフォンを取り、画面を見た。父(学)からの電話だ。正義は電話に出て言った。
「もしもし!父さん!」
父(学)は言った。
「もしもし!正義!」
父(学)は、少し間を置いて続けて言った。
「勇気お爺ちゃんだが…。今日、22:17に帰らぬ人となったよ!急変だよ!急変!最後にお前に会わせたかった…。残念だ!」
正義は言った。
「そうか…。分かったよ!俺も会いたかったよ!」
二人は、しばらく沈黙した。正義は、実感が湧かず、話せなかった。父(学)は悲しみで、話せなかった。その沈黙を先に破ったのは、正義だった。正義は、言った。
「残念だった!もっと早く帰れば良かった!」
父(学)は言った。
「すまない!本当に急変だったので…。」
正義は言った。
「別に、お父さんを責めているんじゃないよ…。そうしたら、通夜、葬式はどうする?また先生達や寮長に休みの許可を取らなきゃいけない。」
父(学)は言った。
「先生達には、俺が電話するよ!寮長にも先生達から伝えてもらうよ!じゃあな!」
そして、父(学)は電話を切った。正義もスマートフォンの電話を切り、机の上に放り投げた。正義の祖父(勇気)は、昭和23年生まれの70才で、団塊の世代だった。父(学)と同じ東大卒で、職業は、弁護士をしていた。6人の孫がいるが、同居していた正義を一番可愛がってくれていた。正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。しばらくして、正義は実感が湧いたのか、祖父、勇気お爺ちゃんと過ごした日々を思い出し、泣いた。
第三章 佐世保にて!
2018年10月13日(土)11:50、正義は佐世保駅に着いた。鹿児島駅から佐世保駅まで、電車を乗り換えて来たのである。正義は、更に、佐世保駅前のバス停から十郎原行きのバスに乗った。十郎原までの途中にある西天神バス停で、降りるためである。そして、バス停に着き、10分ぐらい歩いて実家に着いた。
実家に着くと、父(学)と、母(友子)が迎えてくれた。簡単な挨拶をした後、父(学)が言った。
「早速だけど…。今日は通夜だ!明日は友引だから、葬式は、10月15日の月曜日に行う。お前は、10月17日(水)迄、休みを取らしてもらうようになっている。」
正義は、頷きながら言った。
「うん!」
父(学)は、正義に向かって言った。
「今、俺は、勇気お爺ちゃんの書斎で、遺品整理をしている。昼食を食べたら手伝ってくれ!」
正義は、また頷きながら言った。
「うん!分かったよ!」
父(学)は、今度は、母(友子)に向かって言った。
「正義に昼食を食べさせてくれ!」
母(友子)は、言った。
「はい!はい!正義!チョット待ってね!」
正義がリビングのテーブルに着くと、母(友子)が、15分ぐらいで料理を配膳してくれた。
正義は、母(友子)に言った。
「ありがとう!それでは、頂きます!」
母(友子)は、台所に戻って行った。食器類を洗っているのか、水を出している音がする。正義は15分ぐらいで、昼食を食べ終えた。そして、食器を台所に持って行き、母(友子)に言った。
「母さん!ありがとう!美味しかったよ!」
母(友子)は、言った。
「そう…。じゃあ!お父さんを手伝って挙げて!」
正義は頷き、祖父(勇気)の書斎に行った。
正義が書斎に入ってみると、父(学)が動かず、ノートの様なものを読んでいた。正義には、遺品整理は終わってないようみえた。正義は、言った。
「なぜ、遺品整理を中断しているの?」
父(学)は、答えた。
「勇気お爺さんの日記だよ!」
父(学)は、正義にその日記を手渡した。正義は、日記を手に取り、適当に開いた。そこには、封筒が挟まっていた。その宛先は、祖父(勇気)、送り主は、曾祖父(巌)となっていた。正義は、父(学)に言った。その他のページにも封筒が2、3枚挟まっている様だった。
「これを、読んでいたの?」
父(学)は、答えた。
「そうだよ!じゃあ!遺品整理するか?」
正義は、答えた。
「うん!」
二人は、祖父(勇気)の遺品整理に取り掛かった。15:00頃迄、遺品整理は続いた。全て終わった訳ではないが、父(学)は、正義に言った。
「後は、俺一人でやる。一週間ぐらい掛かるだろうがな!」
正義は、言った。
「分かったよ!」
その約3時間後の、18:00から19:00迄、通夜が行われた。大勢の人々が集まった。正義は、思った。
『勇気お爺さんは、大勢の人々から愛されていたんだな…。』
10月15日(月)の葬儀の時も大勢の人々が集まった。正義は、また通夜の時と似たことを思った。
『勇気お爺さんは、本当に大勢の人々から愛されていた!俺もこうならなきゃな!』
第四章 祖父と曾祖父の対立!
2018年10月17(水)16:15、正義は、鹿児島市の高校の寮へ着いた。正義は、スマートフォンを取り、父(学)に電話を掛けた。父(学)は、直ぐに電話に出て言った。
「もしもし!正義!無事に着いたみたいだな!」
正義は、答えた。
「うん!着いた!じゃあね!」
正義が、電話を切ろうとすると、父(学)が、大きな声で言った。
「ちょっと待て!遺品整理の時に、勇気お爺さんの日記と、巌曾祖父から勇気お爺さん
宛ての手紙を発見しただろ!あの内容の要約を送信するよ!」
正義は言った。
「別に送って来なくて良いよ!」
父(学)は言った。
「送るよ!読んでほしい!お前のYahoo mailに送信するから!じゃあな!」
そして、父(学)電話を切った。
正義は、夕食を18:30頃に食べ終えた。そして、机の隅で充電していたスマートフォンを取り、父(学)からのYahoo mailを受信していないか確認した。まだ受信していない。正義は、勉強をしながら待つ事にした。22:15頃、スマートフォンが鳴った。正義は、スマートフォンを取り、Yahoo mailを確認した。父(学)からのYahoo mailを受信していた。件名は、『勇気お爺さんと巌曾祖父の対立!』だった。内容は以下の通りだった。
はじめに:勇気お爺さんと巌曾祖父の文体や単語は、正義が読みやすい様に変えているよ!
勇気お爺ちゃんが、大学生の頃のやりとりだ!
《巌曾祖父から勇気お爺さんへの手紙1》
『おい!勇気!共産主義や、間違った歴史認識等を信じ、学生運動をしてないだろうな?毛沢東等は、クソだ!決して、信じてはいけない。学生の本分は、勉強する事だ!学生運動には、手を出すな!』
《勇気お爺ちゃんの巌曾祖父からの手紙への反応1》
『父(巌)から手紙が来た。社会主義、共産主義は正しく世界の主流になるべき思想だ!
日本の近代史、現代史は、黒歴史だ!俺は、ちっとも悪いことはしていない。学生運動に参加して何が悪い。』
私(学)の推測
《おそらく勇気お爺さんは、巌曾祖父に『日本の近代史は、黒歴史だ!』と伝えたのだろう》
《巌曾祖父から勇気お爺さんへの手紙2》
『日本の近代史、現代史が、黒歴史だと?我ら大日本帝国は、アジアを侵略しただと?真の侵略者は、白色帝国主義国じゃないか?ふざけるな!我ら大日本帝国は、日露戦争で勝った。近代において、初めて有色人種が白色人種を破ったのだ!そして、大東亜戦争の初戦の勝利で、他のアジア諸国に独立への夢を与えた。お前はなぜその事を認めないのか?』
《勇気お爺ちゃんの巌曾祖父からの手紙への反応2》
『朝鮮や中国はどうだ!日本が侵略したんだ!どうせ、父(巌)は、「自衛のために止むを得なかった。白色帝国主義国の植民地よりは、ましだった!」と、言うのだろう。バカバカしい!』
私(学)の推測
《おそらく勇気お爺さんは、巌曾祖父に『朝鮮や中国はどうだ!』と伝えたのだろう》
《巌曾祖父から勇気お爺さんへの手紙3》
『日本の自衛のために仕方がなかった。かつての朝鮮人の中には、白色帝国主義国に支配されるより、日本の方が良いと感じていた人々も多かったんだぞ!親日派は多かったんだぞ!中国は、人口も多く資源もあるのに、近代化できなかった。アジア民族のリーダーとして、中国こそ白色帝国主義国からアジアを守るべきだったのに…。奴らは、木偶の坊だったんだ!更にお前が知っておくべき事実としてあるのが、「国際会議において、人種差別撤廃を明確に主張した国は、日本が世界で最初」という事だ!馬鹿たれが…。』
《勇気お爺ちゃんの巌曾祖父からの手紙への反応3》
『朝鮮に親日派が多かったからと言って、侵略が許されるわけでもない。中国の近代化とアジアのリーダーとしての自覚欠如があったとしても、侵略は正当化できない。親父(巌)は、間違っている。過ちは改めるにしかず。正しい歴史認識が必要だ!』
追伸:お前の祖父と曾祖父は歴史認識で対立していたようだ!俺の前では、あまり議論はしてなかったが…。
正義は、上記のYahoo mailを読んで、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。正義は、少しもやもやとした気分になっていたのだ。しかし、父(学)には、その気分を伝えたくなった。父(学)には、LINEで以下の内容だけを送信した。
『俺は、勇気お爺ちゃんが正しいと思う。朝鮮や中国等の弱者の視点で物事(歴史)を考えたい…。それでは、父さん!またね!お休みなさい!』
第五章 正義と学年一の秀才との会話
2018年10月22(月)、正義は授業の合間の小休憩中にトイレに行った。そこで、学年一の秀才、博司と会った。博司は、違うクラスであまり話した事はなかったが、正義は言った。
「よう!」
博司も言った。
「よう!」
博司は続けて言った。
「お爺さん、亡くなったんだろ?お前大丈夫か?落ち込んでないか?」
正義は答えた。
「大丈夫だよ!落ち込んではないよ!悲しいけどね!」
博司は言った。
「そうか…。じゃあな!」
そして、博司は直ぐに、教室に戻ろうとした。正義は言った。
「ちょっと待ってくれ!今日の放課後、時間空いているか?」
博司は、答えた。
「ああ!放課後な!じゃあ後で!」
正義と博司は、それぞれの教室に帰って行った。正義は、授業が始まる前にスマートフォンで父(学)から送信されたYahoo mail【件名『勇気お爺さんと巌曾祖父の対立!』】を見直した。正義は、思った。
『これについて、博司にどう思うか、聞いてみるか!』
正義は、全ての授業を終え、博司のクラスの教室に行った。教室には、10名くらいの同級生がいた。教室の後方の席に博司がいた。正義は博司の近くまでに行くと、博司に声を掛けた。
「よう!博司!」
博司は、答えた。
「よう!正義!」
正義は、ポケットからスマートフォンを取り出し、父(学)からのYahoo mail【件名『勇気お爺さんと巌曾祖父の対立!』】を開いた。正義は、スマートフォンを博司に渡しながら、言った。
「博司!これを読んでくれ!」
博司は、答えた。
「ああ!良いよ!」
博司は、父(学)からのYahoo mail【件名『勇気お爺さんと巌曾祖父の対立!』】を読み始めた。正義は、博司が半分くらい読み終わったと感じた頃、言った。
「俺の祖父と曾祖父は、歴史認識で対立していたみたいなんだ!祖父は、いわゆる自虐史観…。曾祖父は、右派の歴史認識…。俺は、祖父が正しい歴史認識と思っている。」
博司は、一言だけ、言った。
「そうみたいだね!」
まだ、博司は、読み続けている。それから、博司は、30秒も経たない内に、スマートフォンを正義に渡して言った。
「このメールが、どうした?別に不思議な事ないだろ!」
正義は言った。
「不思議な事が、無いって?」
博司は、答えた。
「お前の曾祖父の時代の人達の中には、そう思う背景があった。全ての人達がそう思っていたわけでもないけどね!お前の祖父の時代の人達の中にも、そう思う背景があった。これも、全ての人達がそう思っていたわけではないけどね!」
正義は、言った。
「背景?」
博司は、答えた。
「おい!正義!アメリカの歴史家!エドワード・ハレット・カーさんを知っているか?」
正義は、答えた。
「いや!知らない。」
博司は、言った。
「分かった!さっき見せてもらったお前のYahoo mailに、エドワード・ハレット・カーさんの著書『歴史とは何か?』で、俺が着目した名言と俺の感想を送るよ!読んでくれ!」
正義は、言った。
「うん!分かったよ!ありがとう!」
博司は、正義のYahoo mail アドレスを聞くと、教室を後にした。
正義は、頭の中で一瞬、『歴史とは何か?』 と考えたが、難しすぎる…。正義は、答えを出さずまま教室を後にした。
第六章 歴史とは何か?①【エドワード・ハレット・カー、ベネデット・クローチェとの出会い】
2018年10月24(水)、全ての授業が終わって直ぐに、正義は、スマートフォンを確認した。博司からのメールは、まだだった。そこで、正義は少し勉強し、スマートフォンを机の隅に置いていた充電器に乗せたまま夕食を食べに行った。
正義は、夕食を終え、机に着いた。正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。正義は、机の隅で充電していたスマートフォンを取り、博司からのメールを受信していないかを確認した。博司からのメールを受信していた。件名は、【歴史とは何か?(エドワード・ハレット・カーとベネデット・クローチェの名言)】であった。メールの内容は以下の通りだった。
エドワード・ハレット・カーの名言
【名言1】『歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。』
(俺の感想1)『俺たちは、現在の視点で過去を見て、「何故?どうして?」等の対話をしたがるから…。』
【名言2】『事実はみずから語る、という言い慣わしがある。もちろん、それは嘘です。事実というのは、歴史家が事実に呼びかけたときだけ語るものなのです。』
(俺の感想2)『その通り!』
【名言3】『歴史家の選択や解釈から独立した『歴史的事実』など存在しない。歴史は現在の眼を通して過去を見ることで成り立つものであり、『歴史的事実』は歴史家の評価によって決まる。そしてその歴史家もまた、社会状況や時代に縛り付けられている。つまり、歴史家という存在自体が中立ではありえないのだ。』
(俺の感想3)『歴史家という存在自体が中立ではありえないという事は、中国や韓国がよく言ってくる「正しい歴史認識」は、存在しない。』
【名言4】『歴史家の義務は、一切の事実を描き出す努力を続けること。そしてもう一つ大事なのは、歴史家自体を研究することである。歴史家の判断を生み出した社会的、時代的背景を明らかにするわけだ。』
(俺の感想4)『君は、俺に「祖父の方が正しいと思う」と言ったよね!祖父が生きていた当時の社会的、時代的背景を知っているの?その時代の歴史家は、この名言にある二つの義務を果たしていただろうか?俺はそうは思わないけどね!』
ベネデット・クローチェの名言
【名言1】『全ての歴史は「現代史」である。』
(俺の感想1)『現代の歴史家の選択や解釈により、全ての歴史は語られるから、当然そう解釈出来ると思う。』
【名言2】『歴史の物語をするという口実で、裁判官のように一方に向っては罪を問い、他方に向っては無罪を言い渡して騒ぎ廻り、これこそ歴史の使命であると考えている人たちは、一般に歴史感覚のないものと認められている。』
(俺の感想1)『日本、中国、韓国には、一般に歴史感覚のないものと認められる人々が多すぎる。』
詳しくは、『歴史とは何か?』(エドワード・ハレット・カー)を読んでね!
以上
正義は、PC で、『エドワード・ハレット・カーとベネデット・クローチェ』について検し
た。博司のメールに会った名言が確かにあった…。
第七章 歴史とは何か?②【博司のメールを受信して…】
2018年10月25(木)18:15、正義は、父(学)のYahoo mail アドレスに博司が送信してくれた件名【歴史とは何か?(エドワード・ハレット・カーとベネデット・クローチェの名言)】を送信した。すると、父(学)22:40頃、以下の内容のLINEを送信してきた。
『まだ、正義には、歴史哲学っぽいの早すぎるんじゃないの?あんまり考えすぎんなよ!』
正義は、トイレに行っていたので、そのLINEに22:50頃に気付いた。そして、父(学)にLINEを送信した。
『こういうのって、歴史を学ぶ前に教えて欲しかったよ!』
直ぐに、父(学)からの返信があった。
『中国や韓国がよく言ってくる「正しい歴史認識」は、存在しない。歴史家は、社会状況や時代に縛り付けられている。歴史家という存在自体!中立ではないか…。』
正義が、返信する前に、また父(学)からLINEが送信されて来た。
『俺も何となくそう思っていたんだよ!だから、実は歴史は嫌いだったんだよ!だから、理系を選んだんだ!文系の学問より何となく理系の学問の方が、客観性や中立性があるような気がしてね!まあ、今考えると文系の学問でも、客観性や中立性はあるけど…。』
正義は、父(学)にLINEを送信した。
『そうか~!父さんが、俺に理系を選択して欲しそうだったのは、そういう理由だったんだね!俺は博司に「祖父の方が正しいと思う。」と言った。父さんには、「朝鮮や中国等の弱者の視点で物事(歴史)を考えたい…。」とLINEしたよね?』
父(学)は、また直ぐにLINEを送信して来た。
『ああ!その通り!覚えているよ!』
正義は、続けて父(学)にLINEを送信した。
『俺は、エドワード・ハレット・カーの名言にある歴史家の二つの義務、『一切の事実を描き出す努力を続けること。そしてもう一つ大事なのは、歴史家自体を研究すること』を果たす歴史家になれるだろうか?』
父(学)は、チョット驚いたのか、少し間を置いて、LINEを送信して来た。
『歴史家は、大変だぞ!やめとけ!お前は少し疲れている。文系に行くなら行くで、良いけど…。歴史家だけはやめとけ!もう寝ろ!じゃあな!お休み!』
正義は、父(学)とのLINEでのやりとりの後、電気を消し、直ぐにベェドに横になった。しかし、直ぐには寝られない。正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。自分を落ち着かせようとしたのだ。しかし、落ち着かない。正義は、ベェドから起き上がり、再び机に着いた。そして、いつも机の隅に置いている充電器に乗せていたスマートフォン取り出した。正義は、Yahoo mailから新規のメールを作成し、博司に以下のメールを送信した。
『俺は、君に「祖父の方が正しいと思う」と言った。そして、俺は父にLINEで、「朝鮮や中国等の弱者の視点で物事(歴史)を考えたい…。」とも送信していた!何故俺が、弱者の視点が必要かと思っていたかというと、「歴史は勝者(強者)が作る。」とよく言われる。
強者の視点から見た「歴史的事実」は多く伝えられ語られている。しかし、弱者の視点から見た「歴史的事実」はあまり伝えられず、語られていないと考えていたからだ。例えば、人種差別の歴史的事実、女性差別の歴史的事実、障害者差別の歴史的事実等は、現代史では語られているが、近代では、人種差別は当たり前、女性差別は当たり前、障害者差別は当たり前で、あまり語られていなかった。エドワード・ハレット・カーの名言にある歴史家の二つの義務の一つ目の、「一切の事実を描き出す努力を続けること」は、弱者の視点から見た「歴史的事実」を多く伝え語ることであると、俺は思う。くどい様だが、強者の視点から見た「歴史的事実」は、すでに多く伝え語れているからである。君は、この考えをどう思う。』
正義は、博司からの返信メールを日付が変わった2018年10月26(水)0:30頃まで待った。しかし、博司からの返信は来なかった。
第八章 弱者とは?
2018年10月26(金)の放課後、正義は、今日の授業で学んだ事の復習を続けていた。あまり、集中出来てはいなかったが…。それからしばらく経った、19:25頃、正義のスマートフォンが鳴った。その音は、Yahoo mailを受信した音であった。正義は、素早く机の隅に置いている充電器に乗せていたスマートフォン取り出した。そして、Yahoo mailを開いて誰からのメールか確認した。博司からのメールを受信していた。件名は、【弱者とは?】であった。メールの内容は以下の通りだった。
『君のメールに書いてあった、歴史家の義務の一つ目、「一切の事実を描き出す努力を続けること」は、弱者の視点から見た「歴史的事実」を多く伝え語ることというのは、理解できる。強者の視点から見た「歴史的事実」は、すでに多く伝え語れているからね!バランスを考えればそうなるね!しかし、それは難しいことだよ!それは、「弱者とは?」との問いに答えを出さなくてはならないから…。正義!君が考えなくてはならない点が、4つある。
①弱者と強者は、時が経つとともに入れ替わったりするものだ!永遠の弱者!永遠の強者は存在するのか?
(例)中国の秦という国は、強国だった。しかし、始皇帝がなくなると劉備と項羽の活躍により、弱くなり最後には弱者どころか滅びてしまう。漢もまた弱者になり、滅びてしまう。
②この視点で見たら弱者だが、それ以外の視点で見たら強者だという存在もある。
(例)日本は、サッカーや陸上の100m走では弱いが、柔道やレスリングでは強い。
③あいつに比べれば弱者だが、こいつに比べれば強者だといえる存在もある。
(例)日本は、アメリカに比べれば弱者だが、東南アジアやアフリカの国々に比べれば強者だ。
➃よく見ると弱者に見えるけれど、仲間を上手くつくり強者のように振る舞える存在もある。
(例)ヨーロッパには色々な国があり、弱い国もあるが、白人であり、キリスト教徒が多いという理由で、仲間をつくりやすく強者のように振る舞っていた国もある。
以上の①②③➃が、複雑に絡み合っていて、なかなか、弱者と強者の線引きは難しい…。
これらの、①②③➃を踏まえて、俺が気になることは、君は、君の父にLINEで、「朝鮮や中国等の弱者の視点で物事(歴史)を考えたい…。」と送信したことだ!これは、俺には問題がある様に思える。「朝鮮や中国は、永遠の弱者か?」「朝鮮や中国は、日本と比べてどんな視点から見ても弱者か?」「朝鮮や中国は、どんな国よりも弱い国か?」「朝鮮や中国には、仲間はいないのか?」俺は、そう思はない。彼等は現在、「歴史的事実」を自ら世界に発信できる立場にいて、歴史戦において弱者じゃない。いや!それどころか、「歴史的事実」を変え、誇張し、まるで横暴な強者の様に振る舞っている面もある。彼等は、現在弱者ではないよ!』
正義は、返信のメールを送信した。
『弱者の定義は、難しい…。そこまで深く考えていなかったよ!俺は、ひたすら誰かが選択し、解釈した「歴史的事実」を暗記していた。それが、歴史を学ぶことだと思っていた。博司!ありがとう!歴史哲学も勉強するよ!また「弱者とは?」についても考えてみるよ!』
正義は、博司に上記のメールを送った後、スマートフォンの電話番号と短い文章の時には、LINEにしてくれと追伸した。
博司は、直ぐにLINEしてくれた。
『話は変わるが、11月に文系か理系か決めないといけないけど、お前はどうするの?』
正義は、博司にLINEを送信した。
『俺は、文系に行くよ!文系の学問に興味があるからね!』
博司は、正義にLINEを返信して来た。
『そうか?まさか歴史家になるつもりなのか?』
正義は、博司の質問にLINEで短く答えた。
『うん!博司は、どうするの?』
正義は、博司が直ぐにLINEを送信してくれると思ったが、なかなか返信されてこなかった。約30分後、博司はLINEを送信して来た。
『俺は、数学者になりたいので、理系に行くよ!俺には、数学が一番客観性のある学問に感じられるんだ。日本の歴史学には、客観性を感じられないんだ!朝鮮半島の二つの国や中国に配慮して「歴史的事実」をゆがめている。俺は、絶対に歴史家にはならない。じゃあな!俺も数学者になるために勉強しなきゃいけないからな!バイバイ!』
正義は、しばらくの間「弱者とは?」について考えた。答えは出ない。その後3時間程勉強して寝た。
第九章 正義と大東亜戦争
2018年10月28(日)の午前中、正義は、PC で、『アジア 大東亜戦争』について検索した。大日本帝国のアジアでの評価を知りたいと思ったからだ…。自分の歴史認識が間違いないと、多数の人々や国々に後押しして欲しかったのである。自分の歴史認識が、弱者の視点から見た「歴史的事実」を多く取り入れたものであると思いたかった…。しかし、検索して開いたサイトには、以下の内容が書かれていた。
★タ イ
ククリット・プラモード 元首相
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」
★マレーシア
ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」
ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」
ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」
★インドネシア
モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
アラムシャ 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」
サンバス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
プン・トモ 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」
(昭和32年の来日の際の発言)
★インド
ラグ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」
(昭和44年、日本経済新聞)
ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
グラバイ・デサイ インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」
(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
★スリランカ
l・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」
(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)
★ミャンマー
バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」
(「ビルマの夜明け」)
★シンガポール
ゴー・チョクトン 首相
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」
(「諸君!」平成5年7月号)
正義は、ここまで読んで、違うサイトを検索した。『欧米 太平洋戦争』である。すると、このような見解もあった。
★イギリス
アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)
★アメリカ
ジョイス・C・レプラ コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」
(「東南アジアの解放と日本の遺産」)
ジョージ・S・カナヘレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」
(「日本軍政とインドネシア独立」)
★オランダ
サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)
正義には、これらの歴史認識はあまり好ましくないようにも見えた。今までこのような評価がある事は知っていたが、少数だと思っていた。しかし、ネット上では、少数ではなかった。正義は、この様に選択し、この様に解釈したくなかった。また、正義は、この様に選択し、この様に解釈した人達に対して上手く反論することはできないと思った。
正義は、エドワード・ハレット・カーの名言にある歴史家の二つの義務、『一切の事実を描き出す努力を続けること。そしてもう一つ大事なのは、歴史家自体を研究すること』という言葉を思い出した。正義が歴史家を目指すなら、これらの正義が好ましくないと考える事実も、描き出す努力を続けなければならない。それに…。これらの歴史家・政治家の歴史認識も弱者からの視点も含んでいる。そしてもう一つ正義は、これらの歴史家・政治家自体を研究しなければならないのだが、これらの歴史家・政治家には、日本を弁護するメリットはなさそうに思えた。彼等は彼らなりに中立であろうとしている様にも見えた。
正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。そして、正義は、以下のLINEを博司に送信した。
『大東亜戦争についてのアジア、欧米の肯定的な評価をネットで読んだよ!俺には、上手に反論できない。』
直ぐに博司は、正義にLINEを返信してきた。
『どのサイトをネットで読んだか知らないけど…。反論できなくても良いんじゃない!しかし、正義!君は、日本以外の弱者の視点に拘り過ぎだよ!見方を変えると、日本も弱者と言える事柄はいっぱいあるんだよ!大日本帝国は、アメリカやイギリスよりも弱く、弱小国だったんだからね!君には、考え方の悪い癖がある。日本の歴史を考える時には、日本が弱者だったという視点はまるでない。その悪い癖を直さなければ、良心的日本人として、他国人に媚を売る者として見られるかもしれないよ!また、「アンフェアでダブルスタンダードだ!」と非難される可能性もあるよ!』
正義は、博司のLINEで主張した、『君には、考え方の悪い癖がある。日本の歴史を考える時には、日本が弱者だったという視点がまるでない。』という点に驚いた。『大日本帝国は、弱者か?横暴に振る舞っていた強者ではなかったのか?』正義は、頭の中で上手く整理できない。正義は、博司に、「返信ありがとう!じゃね!」とだけLINEを送信して、また考えた。『大日本帝国は、弱者か?横暴に振る舞っていた強者ではなかったのか?』と…。
第十章 正義の妄想
2018年10月28(日)夕方、正義は、(日本=弱者)の視点から、近代の世界史を見ていこうと考えた。正義にとっては、博司に指摘された痛いところだからだ。
『その当時は、白色帝国主義国が強者で確かに日本は弱者だった。白人は有色人種を自分達より劣ったもの…。獣のように扱った。もちろん有色人種には、基本的人権も適応されなかった。その有色人種の中で、唯一白人に脅威を抱かせたのは、日本だった。日本は近代化に成功し、日露戦争に勝った。これは大きな「歴史的事実」だった。何故なら、白色帝国主義国を有色人種の国が始めて破った戦争だったからだ。だが、日本はまだまだ弱い立場だった。アメリカ・イギリス等の超大国の存在が控えていたからである。アメリカ・イギリス等の超大国に比べれば、日本は圧倒的な弱小国であった。そして日本は、アメリカ・イギリス等に
大東亜戦争を挑み、敗れた…。しかし、大東亜戦争の初戦の勝利により、多くのアジアの人々に自信を与えた…。これも大きな「歴史的事実」だった。』
正義は、ここまで考えコーヒーを一口飲んだ。正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。正義は、落ち着かない。『歴史にIFはない!』しかし、正義の頭の中には、幾つものIFが芽生えてきた。
『日本の領土が、今の10倍くらいあり、石油等の資源がたくさんあれば!』
『日本が、もっともっと早く欧米の文明、文化を学べていれば!』
『中国と韓国が、日本と同じ近代化を早く行い、日本と同盟してくれていれば!』
『超大国が、有色人種にも優しくあるべきという道徳を備えた国々だったら!』
正義は、これらの頭の中に浮かんできたIFを払いのける様に、首を振った。『歴史にIFはない!』、これらは、正義の妄想である。正義は、自分でもよく分かっている。正義は、博司にLINEを送信した。
『博司!俺の名前は、正義だ…。この名前は、弁護士をやっていた祖父が考えたんだ!「弱きを助け、強きを挫く」正義の味方になって欲しかったらしい。祖父は、人権派弁護士として尊敬されていた。しかし、歴史認識には、問題があった。「弱者とは?」の認識が甘かったと思う。俺は、今さっき迄妄想していたんだ!歴史にIFはないが…。一つ挙げると内容は、以下の通りさ…。
[超大国が、有色人種にも優しくあるべきという道徳を備えた国々だったら!]
等々さ…。自分でも、笑ってしまうよ!やはり、世界が、良い方向に動くか、悪い方に動くかは、超大国のあり様だよな!これをよく見る事が、歴史家にとって一番必要だ!超大国にこそ厳しい視点で、歴史は語られないといけないと思う。何故なら、日本のような弱者は東京裁判などで裁かれるし、冤罪ともいえる事柄を歴史戦で植え付けられる。超大国は、何をやっても裁かれない。「広島・長崎への原爆投下は裁かれたか?東京大空襲は裁かれたか?」
俺は、君とのメールやLINEのやりとりで以下の知識を得た。
ベネデット・クローチェの名言【歴史の物語をするという口実で、裁判官のように一方に向っては罪を問い、他方に向っては無罪を言い渡して騒ぎ廻り、これこそ歴史の使命であると考えている人たちは、一般に歴史感覚のないものと認められている。】
しかし、この考えを念頭に置いて、そうならない様に歴史を語る事は、俺にはできない。俺は、歴史家になる資格がないのかもしれない。俺は、文系に行く。そして、大学で政経を中心に学ぶよ!歴史家になんかならないよ!
俺が思うに、超大国がどのような国であるかで、色々な国の運命が決められる。今、世界には、アメリカ・中国・ロシアという超大国が存在している。一番強い超大国は、トランプが率いるアメリカだ!そのアメリカと習近平が率いる中国は、貿易戦争をしている。俺は、アメリカが勝つと思う。場合によっては、中国は弱者の面を見せるかもしれない。しかし、日本は中国に同情してはならない。日本は、民主主義・法の支配・基本的人権の尊重等、アメリカと同じ価値観を持っているから、アメリカが勝つ事は良い事だからだ!また、その他の弱小国にとっても良い事だと思う。』
『追伸:俺は、君のせいでブレたよ!』
博司は、直ぐにLINEを送信してくれた。
『おい!正義!大丈夫か?俺は、俺なりに歴史を勉強してきた。そして、「歴史とは何か?」等もエドワード・ハレット・カーとベネデット・クローチェに学びながら考えた。絶対に正しいと思える歴史認識は、俺にもないよ!アンフェアでダブルスタンダードと言われるような歴史認識しか生み出せない…。皆そうだと思うよ!そして、俺も、妄想と呼ばれても仕方がない事を考えていた時期もあったんだ…。人は歴史を学べば、必ずと言って良い程IFという妄想をするんだ!この事は、気にするな!それと、君が挙げた、ベネデット・クローチェの名言にある注意事項を念頭に置いて、その注意事項に従った歴史の語り方なんて誰にも不可能だ!俺にもできない!
そして、現在の世界情勢に関しては、君は歴史が好きだから知っていると思うが、漢の劉邦が間違ったことをしていると思った時、部下の陳平・張良は、劉邦の足を踏んだ!これは、勇気のある行為だ!また、許した劉邦もリーダーとしての素質があったと思う。アメリカと日本は、リーダーとその部下の関係ではないかもしれないが、必要とあれば、日本はアメリカの足を踏まなければならない。アメリカが、中国・ロシアを退け、勝った時、調子に乗ってもらっては困るからだ!日本以外の弱小国にとっても、日本が調子に乗ったアメリカの足を踏む事は望ましい事だろう。俺は、これからの日本はそういう国であってほしいと思っている。じゃあな!』
正義は、この博司からのLINEを読み終えても、『日本の領土が、今の10倍くらいあり、石油等の資源がたくさんあれば!』という妄想をしたことをもう一度思い出した。これは、言い換えれば、『日本に超大国になれる可能性があったなら!』という妄想である。博司は、日本は陳平・張良を学ぶべきと考えているようだが、正義はそのような弱者にはなりたくないと思った。過去の日本が、弱者であるがゆえに味わった事を永遠に繰り返すのかと思ってしまう。今の正義は、歴史認識でブレたため興奮しているのか?まだ、妄想がおさまっていないのか?正義自身にもわからない…。
正義は、「スー」と音を出しながら息を吸い、「フー」という音を立てながら息をはいた。しかし、気分は変わらず、こう呟いた!
「嗚呼!弱小民族に生まれて!」
皆さん!読んでくださってありがとうございました!私は、近代だけではなく全ての時代で、超大国に対して厳しい視点から歴史を見ています。理由はそれだけの権力があったとすると、『弱小国の生殺与奪権』をかなり握ってしまっていたと考えるからです。
超大国が横暴に振る舞ったら、弱小国はなすすべがなく、どう生き残るかの選択の余地はなかったのです。それでいいのでしょうか?小さく弱い国でも、キラリと煌めく良さを持った国はたくさんあったはずなのに、それらが消されていったなんて、人類にとって大きな損失だったのではないでしょうか?
私は、『超大国に対する厳しい視線』は、誰もが持たなければならないと思います。そして、日本のような大国は、この物語の登場人物(博司)の考え『劉邦の足を踏む』すなわち、『超大国の足を踏む』こともたまには必要だと思います。また、それを許す寛容な超大国を支持していかなければならないと思います。
皆さん!ホントに!ホントに!読んでいただきありがとうございました。