黄昏の視線は狭間の中に
黄昏の中……彼女は、僕を見ている。
夕暮れ時の、日が沈むその刹那……。
彼女はいつも、旧校舎の三階の窓から、僕を見ている。
本当は、僕を見ている訳じゃないのかもしれない。
自意識過剰と言われても仕方がないほど、僕は彼女の視線を感じている。
旧校舎の三階の窓から……。
校庭を横切るようにして帰路へ就く僕を、見る彼女の視線は痛いほどで、僕はそれを感じなから、振り向く。
その窓には、いつも同じ影。
肩まで下ろした癖の無い髪、少し高い椅子にでも座っているような姿勢、少し斜めに構えて、僕を見ている。
そうして僕と視線が合いそうになると、すっと僕から視線を外してしまうんだ。
僕に気付かれないように、そっと見ているつもりなのだろうか。
それとも恥ずかしがり屋さんなのだろうか。
それとも本当に僕を見ている訳ではなくて、単に偶然が何度も繰り返されているだけなのだろうか。
毎日……毎日……。
決まった時間に下校する僕を、同じく毎日……毎日。
偶然、僕の方を見ているだけなのだろうか。
昼の輝きの役目を終えたお日様が、眠りの床に就くために、ゆっくりゆっくりと沈みゆく。
青く透き通るようにどこまでも、高く高く大空を照らしていたお日様は、空に眠りの前の体温のように……頬の高揚のような赤みを残して消えていく。
帰路へ就く僕の足が、家へ辿り着く頃には、真っ暗だ。
頬の紅のような夕暮れは、ほんのひとときでしかない。
その中に、いつも映る彼女の視線。
彼女もまた、夕焼けのお日様のように、頬を紅に染めているのだろうか。
それは夕暮れの、日の光を移しただけだろうか。
それとも……。
その想像すら、自意識過剰だ。
黄昏は、毎日やって来る。
毎日感じる、彼女の視線。
本当は、何を見ているの?
……僕を見ていると思っている僕は、ただの自惚れ?
彼女を知りたい。
彼女の真意を知りたい。
彼女と話してみたい。
影しか見えない彼女が、どんな姿をしているのか。
どんな顔をしているのか。
どんな声で話すのか。
……僕は知りたい。
いつもと同じ時間。
僕は帰路へ就かずに、旧校舎へと足を運ぶ。
この三階に、いつも居て、いつも僕を見ている彼女。
一日と抜けた事がない。
だから……僕だけが、いつもと違う行動をとれば……。
会える筈、だった。
だけど、そこには誰もいなくて。
毎日人がここにいるとは思えないほど、暗く、煤だらけで、蜘蛛の糸まで張っている。
この部屋の備品と思われる物には、すべて布が掛かっていた。
悪寒のような……寒気を感じた。
人気のまるでない部屋は薄気味悪くて、本当にここで合っているのかと何度も確かめた。
見間違う事など有り得ないほどに、何度も見た、三階の彼女がいつもいる場所。
間違いはないと、確認しては戻りを、何度も繰り返した。
もう何ヵ月も……僕を追ってきた彼女の視線は、この誰もいない暗く寂しい場所に間違いはない。
もう既に、黄昏は消えて、空は闇へと沈んでいく。
空に残された光を頼りに、僕は部屋を出ようと……。
目の端に、映るのは。
闇の色か、黄昏の赤か、解らないような……。
赤黒い染み。
なかったものを見るかのように、目を見張り、今見たものを瞳の奥へ映すように振り向いた。
闇が……闇が落ちていく。
静かに暗くその部屋で、僕は見てはいけないものを見たような気がした。
暗く、暗く、沈んだ心の闇の中で、赤く冷たい鼓動が連呼する。
気が付いた時は、僕は自分の部屋の中で……。
外は赤も闇もないような、街の光に照らされる灰色の景色が広がっていた。
ここは泡沫のように、冷めた幻の世界だ。
青く透き通るような光も、命の終わりを告げるような赤い夕日も、死のような闇も……ここには、ないのだから。
擬物の光が治める世界は、眠りを知らない。
眠りを経て、次に目覚める朝の清々しさを、僕らは知らない。
死の闇を経て、新しく始める命の輝きを……僕らは知らない。
繰り返される毎日。
終わりを知らない、終わりの無い毎日。
それは僕だけなのだろうか……。
黄昏時は、繰り返される。
いつも変わらぬこの時間、この刻。
寸分の変わりなく、繰り返される。
いつもと変わらず、彼女の視線。
僕を見る、彼女。
――僕は、彼女に恋をしている。
顔も……声も、知らないのに。
君の笑う声を聞いてみたい。
君のみつめる瞳を見てみたい。
君の姿を、この目に焼き付けてみたい。
何もかも、叶わぬ黄昏の中で。
今日も彼女は、僕を見ている……。