異世界だろうが関係ない
トーヤが配属されたのはハープスベルク大隊。南の砦に駐留する防衛部隊だ。以前は複数の砦を管理していたようだが、この砦――グントラムを除いて全て陥落したらしい。
砦の勤務は過酷そのものだった。
ここのところは睨み合いが続き戦闘は起きていないが、不意打ちに備えて新人が交代で見張り番を行っている。
昼も夜も関係ない。それなりの人数が常に巡回を続け、魔物による放火に備える日々。決して多くはない帝国軍の新人は疲労し、日々の雑務でもミスを多く出す始末。
トーヤも例外ではなかった。ここのところ三日に一回は小言を言われている。今日は日報の表記を間違えて無駄な注意を受けてしまった。
因みに先輩上司は特別性格が悪いわけではない。親切にしてくれる人も居るし、理不尽に怒鳴る人間もほとんどいなかった。しかし仕切っている上官――隊長クラスなので、彼もまた聖騎士である――が典型的な隠れブラック上司であり、長く一緒に居た人間もその思想に染まっていく……よくあるブラック企業の人間模様だ。
見飽きた人間模様に加え、アホくさい慣例と形骸化した業務は以前の職場を思い出して吐き気がする。この世界でようやく取り戻した人間らしい心をまた無に戻し、耐え続ける日々。
全てはイグレットとの再会のため。それだけを胸に、日々の業務をこなした。
が、とある話を聞いてしまい精神の均衡を崩すことになる。
「……脱走したんですか? ジェンソン」
最近見ないと思っていた同期の、突然の報せ。
脱走が厳罰になったのは昔の話。今の帝国軍では脱走がとにかく多いのでいちいち罰していられなくなったそうだ。たまに戻ってくることもあるので一石二鳥なんだとか。
わかりやすく例えるならば、退職と同じぐらいの扱いだった。
「あいつ、武器の見立ては上手いんだが軍に向いてるタイプじゃなかったからな」
耳の奥にへばりついていた、聞き覚えのある言説。あいつは向いていなかった。社会人としてなっていなかった。逃げ出したのは、あいつが出来損ないだからだ。
ああ、そうか。
燻っていた苛立ちの正体がようやくわかった。
同じなのだ。トーヤが草凪東矢だった頃に何度も耳にした、あの言い草と。
「やっぱり兵隊やるならもっとしっかりした奴じゃないとな」
同じなのだ。
「……違う。それは絶対に違う」
言うと、彼は顔をしかめた。冷たい視線――思わず冷静にさせられる。ここで取り消せば許されるかもしれない。これまでの苦労を投げ打ってまで突っかかることなのか。
迷った。
しかし、トーヤの脳裏にある笑顔が浮かび上がる。会いたい女性。そしてジェンソンは、彼女が育てた兵士なのだ。彼に対する侮辱は、彼女への侮辱と変わらない。知人を二人も侮辱されたのだ。激高するには十分な理由だろう。
自分より十年以上長く兵士をやっている男に、トーヤは掴みかかった。
「取り消せ。ジェンソンは立派な男だった。俺の同期だぞ。ちゃんと育てていれば、きっとあんたより何倍も使える兵士になっていた」
飛び出した言葉は止まらない。思い切り顔を近づけ、勢いのままにまくし立てる。上官は露骨に機嫌を損ね、トーヤの胸ぐらを掴み返した。
「お前、上官を侮辱する気か!?」
「なにが上官だ馬鹿馬鹿しい。俺は異世界人だぞ。こんな世界のルールが通じると思ったら、大間違いだ!!」
意味のわからないことを口走り、トーヤは男の顔を殴る。急に殴られた男は、狼狽えつつも適切に対処した。
「おい、そこのお前! 隊長を呼んでこい! トーヤの頭がおかしくなったぞ!!」
通路を歩く新兵を呼び止め上官を呼ばせる。そのままトーヤを押さえ込み、睨みを利かせた。
「お前急にどうした」
警戒しつつも語調は柔らかい。その常識的な対応に、もしかすると自分が間違っているのではないかという錯覚をしてしまう。いや、錯覚ではないのだろう。この場ではきっと、彼の意見が正しいのだ。
それでもトーヤは我慢できなかった。
「ふざけるな! そうやって辞めた奴を悪く言っていれば自分は悪くないとでも思えるのか!? そんなことでこの先やっていけるのか!?」
その末路をトーヤは知っている。
「おいどうした!!」
早くも隊長が現れた。彼はこの取手を仕切っている事実上の支配者だ。糾弾するには都合の良い相手だった。
「トーヤが急に暴れだしまして……」
「どうしたんだトーヤ。幻惑でも受けたか?」
「黙れ! この偽善者が!!」
「なっ!?」
一瞬の隙を突いて拘束を跳ね除け、トーヤは隊長の首根っこを押さえる。
「あんたもジェンソンが向いてなかったと言うつもりか!?」
「……そうだな。脱走するような根性なしはこの砦にいらない」
わかっていた。ある意味では望んでいた答えなのかもしれない。彼がこう言うのは想定していて、だからそれに対する言葉も用意していた。
「それじゃあ駄目だろう」
ずっと考えていた。
「向いてるとか向いてないとか、そんなこと言える状況じゃないんだ。この一ヶ月で何人増えて何人減った!?」
トーヤに指揮はわからない。それでもこの状況がまともでないことはわかった。
「もうシフトだってパンクしてる。これ以上人を減らして一体何がしたいんだ!! ボンクラだろうが天才だろうが、それを使いこなしてこその指揮官じゃないのか!!」
どこか思うところがあるのか、隊長は苦い顔をする。それでも強気な姿勢を崩さず、トーヤに問いかけた。
曲がりなりにも聖騎士だ。声を荒げていなくても、その迫力は並大抵のものではない。
「ほう、なら代案でもあるのか?」
姑息な質問だ。そう簡単に誰もを納得させる代案など出るわけがない。だがここで黙ってしまえばお終いだ。トーヤは思いつく限りの挑発を仕掛ける。
「ある。俺に人事権をよこせ。もっと上手くやってやる」
今は押し切るときだ。それにどうせ、そんな大層な権利を押し付けられるわけがない。腐っていようがここは軍隊なのだ。
「……協議しよう。それと異世界人……? という件についても確認を入れる」
「それなら城の占い師にでも聞け。全部教えてもらえるはずだ」
やってやる。俺が絶対にこの砦をマトモにしてやる。
続く