異世界に来てもブラック思想は根強いんだが
聖騎士団。シュヴァル帝国軍(通称:シュヴァルツバルト)の精鋭部隊であり、建国の英雄が用いた聖剣、聖槍、聖斧――それらをまとめて聖異物と呼ぶ――などを用いて戦う指揮官部隊だ。
士官学校卒であったり現場で大きな戦果を挙げるなりした者にのみ門戸を開く。言わば、エリート中のエリートにのみ所属を許される部隊だ。
しかしその壁は厚く、帝国軍事態が著しく弱体化した今は欠員の補充すらままならずにいる。現在の聖騎士は十四人。全盛期の三分の一にも満たなかった。
そんな聖騎士団で、イグレットは新人研修を任されているという。
勘違いしていたのだが、別に最初から聖騎士になれるわけではないようだ。下積みを帝国軍人として過ごし、適性があれば昇進できるとのこと。前職がブラック企業でも問題なさそうだ。
「帝国軍に所属するということは、必要に応じて最前線で命を懸けて戦うということだ。当然、戦死者も多く出る」
イグレットは仰々しく言った。
「無論、我々も指揮官として最善を尽くす。が、それでどうにかならないのが現状の戦いだ。死なずとも、後遺症の残るような怪我を負う可能性もある」
戦争中の軍隊なのだから当然だ。戦争を知らない世代であるトーヤでも、それは理解している。
「死んだ方がマシだと思えるような拷問を受ける可能性も……まあ、ある」
相手は残忍な魔物だ。元が人間とはいえその性質は凄まじいらしい。あるいは元が人間だからこその残虐さなのだろうか。
「……というわけで、そういったリスクを鑑みた上で、君は……トーヤは帝国軍に志願する、と?」
イグレットの説明を受けても、トーヤの意思は変わらない。任せろと言わんばかりに頷き、大きく胸を張る。
「一度は死んだ身だ。これでも前の世界じゃ過労死してるんだからな」
決して誇ることのできることではないが、しかし彼女の前では無性に格好つけたくなってしまう。美人だしね。
「それは……よくわからないけど、とにかく頼もしいよ」
対するイグレットはホッとしたように胸をなでおろす。深刻な人材不足は、教導隊の彼女にも大きなプレッシャーなのだろう。末期の人事部と雰囲気が似ているのでよくわかる。
「さて……登録は後で済ませるとして、まずは体力テストかな」
体力テスト……運動不足の身には辛いところだ。が、今のトーヤは十九歳の体力年齢を手に入れている。
自慢ではないが、こう見えてトーヤはアスリートだったのだ。大学一年の頃はなかなか優秀なスプリンターだった。もっとも、ゴールで転んで擦りむいてから辞めたのだが。
デカスロンも嗜んでいたので、全盛期の体力には自信があった。
「まああんまり運動してるようにも見えないし、あんまり無理しないでいいよ。これから鍛えれば良いんだし」
イグレットは完全に舐めきっている。無理もない。肉体年齢は若返っているが、外見年齢は運動不足の二十六歳男性(独身)だ。今に見ていろ、絶対に驚かせてやる。
※
「……正直に言うと、かなり驚いている。まさか君に、こんな潜在能力があったとは……」
結果を見て、イグレットは目を丸くしていた。当然だ。恐らく、前の世界の基準で採点すればほぼ十点が取れているはずなのだから。
十九歳の俺TUEEEEEE!!
「リンゴを潰した新人は五年ぶりだよ。まったく、どこにそんな力があるのやら」
トーヤの腕をまじまじと眺めながら、彼女は言った。
実はリンゴ潰しにはコツがあり、上手くやれば六十キロ少々で潰せる……のだが、今はどうでもいい。記憶が正しければ、今のトーヤの握力は七十を超えているからだ。
「これなら基礎鍛錬にはそこまで時間を割かなくて良さそうだね……いろいろ叩き込めそうで良かったよ」
この世界に来て初めて得た充足感に、トーヤは胸を張る。薄緑色のアレは邪神だとばかり思っていたが、今は感謝してもいいだろう。
「良かった。門前払いだったらどうしようかと思った」
トーヤの言葉にイグレットは苦笑した。
「今はもう余程のことがない限り門前払いにはしないよ。志願してくれるだけでありがたいからね」
この追い詰められた感じが人事部で自殺未遂を起こした同期に似ていて辛い。あいつは結局気づいたら居なくなっていたが、彼女にはそうなって欲しくなかった。
「さて、素養も測れたところだし、今日はお勉強会にしようか。もう疲れたでしょ? それに、この世界のこと、まだ詳しくないだろうし」
彼女はそう言うが、トーヤはそこまで疲れていない。肩を回しながら余裕を見せて言う。
「俺はまだまだ動けるよ」
すると彼女は感心したように言った。
「へえ、なかなかやるね」
が、そこで兵舎に視線を向ける。
「でも、君以外にも見てやらないといけない新人が多くて……。ひとりで素振りでもしてるなら、それでもいいけど」
美人講師の授業と孤独な素振り。天秤にかけるまでもない選択肢だ。
「あー……じゃあ、お勉強で」
「よろし。教本はお古しかないけど我慢してね。活字彫れる人がみんな死んじゃって」
冗談めかして彼女は言う。受け継がれなかった職人の技……他人事とは思えなかった。やはり彼女の周囲には共感できる物事が多い。
「いろいろ大変だな……俺も力になれるよう頑張るよ」
トーヤの言葉に、彼女は柔らかな笑みを見せた。訓練兵になにができるかもわからないのだが、今は少しでも気休めになればそれでいい。
「ああ、それは頼もしいね」
この笑顔が少しでも長く見ていられるように。
「それじゃあ行こうか」
二人は並び立ち、兵舎へと向かった。
続く