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異世界に来ても特にやりたいことなかったんだが

 通された部屋でしばらく考え込んでいたが、特にやりたいことというのも思いつかなかった。

 自分で選んだ道とは言え、素直に帝国軍に入ってやるというのも気が進まなかった。そもそも、前世がフィールドエンジニアでも聖騎士を名乗って良いのだろうか。どちらかと言えば黒い仕事だったと思うが。

 気晴らしに街の散策でもしよう。もっとも、気が晴れるような景色にも思えないのだが。

 着衣を正して外に出る。そう言えば作業着のままだった。機能的ではあるが、見た目には少し野暮ったい。その上ポケットの中身はどこかに消え失せていた。テスターは多分役に立たないのでいらないが、ドライバーぐらいなら使い道はあったかもしれない。なにより私財を投じた工具が消えた事実が一番ムカつく。

 まあいい。

 貨幣は貰っていることだし、まずはこの世界にふさわしい服を買いに出かけよう。

 目についたブティックに足を運び、中を物色する。布製の洋服がズラリと並ぶ。どうやらこの世界でもポピュラーな衣服は変わらないようだ。

 新しい服を買うのは何年ぶりだろうか。昔は好きだったのだが、買いに行く時間もそれを着る機会も激減してしまったせいで買いに行けなかったのだ。

「なにかお探しでしょうか?」

 この世界でも店員は目ざとく話しかけてくるらしい。いつもなら煙に巻いていたところだが、久々なので他人の意見を取り入れることにした。資金もあることだし。

「ええ、ちょっと普段着を」

「それならこちらなんていかがでしょうか」

 言われて案内されたのは店の奥だった。コートやらジャケットやらが並んでいて、とても普段着のコーナーには見えないのだが。

「こちら人気の商品となっております」

 言われて渡されたのは漆黒のロングコート。ははーんさてはコイツ話聞いてないな?

「あの、普段着を……」

 すると彼女は不思議そうに首を傾げる。

「こちら、普段着として人気の商品となっておりますが……」

 ジェネレーションギャップ……もとい、この場合はワールドギャップというのだろうか。価値観の違いに揺さぶられ、トーヤは弱気になってしまう。

「あ、そうなんですね……じゃあそれと、下に着るやつも合わせて」

「かしこまりました!」

 そのまま流されるままに購入。本当はニ、三着買いたかったのだが、これ以上はなにを買わされるかわからなかったのでやめた。

 ロングコートをはためかせて寂れた街を歩く。背が高くなかったら死んでいた。高く生んでくれた親に感謝。もう死んでるけど。

 初見のイメージと聞いた話のせいで勝手にゴーストタウンだと思いこんでいたが、くまなく見渡せば思ったよりも人は住んでいた。大通りから枝分かれした路地は住宅街に繋がっていて、そこにある雑貨店などは思ったよりも若者で賑わっている。

 あまり広い街には見えないが、それでもドーナツ化現象が発生しているのだろうか。それもこれも、戦争による人口減少が原因なのだろう。

 この街は確かに寂れているが、それでも人の生に溢れている。戦況が惨憺たる有様でも明日に夢を見て生きている。この街からは、希望を諦めない人々の強さを感じた。

 トーヤが長らく失っていた感情だ。無心で働いていたせいで、明日の楽しみも見いだせずに居た。

 ああ、そうか。

 ここに居れば、トーヤは明日の仕事に怯えず過ごすことができる。日毎に縮む睡眠時間を慮ったりしなくても、嫌な上司に言い訳しなくても良い。魔王軍に滅ぼされるまでの短い間、だとしても。

 明日のことを考えられるようになったトーヤは、次に他人の事情に思いを馳せる。

 ここに住んでいる住人も、いずれは殺されてしまうのだろうか。

 ニ、三言葉を交わした宿屋のおばちゃんも、ブティックのお姉さんも。

 トーヤに優しい言葉を投げかけてくれた、イグレットも。

「知ってる人が居なくなるのって、やっぱり嫌だな」

 人はいつか死ぬ。それは自明の理だ。トーヤの両親も老衰で大往生を迎えていた。人が死ぬのは当たり前のことだ。

 それでも、居なくなるのは――二度と会えなくなるのは、寂しいことだった。

 元の世界に戻りたいとも思わない。この世界で、他にやりたいこともない。なら、少しぐらい誰かのために働いてみるのも悪くはないと思う。多分綜合火災より黒いところはないだろうし。

 誰かのために生きるのは、素敵なことだろうと思う。思えば防災業界に入ったのもそんな理由だった気がする。ならロクでもない思考なのでは?

 閑話休題。

 こんな自分にも救える命があるのなら、少しぐらいあがいてみるのも良いかもしれない。どうせ一度は死んだ身なのだし、少しぐらい無茶をしてもいいだろう。

 イグレットのメモは部屋に置いてきてしまった。いつの間にやら日も傾いている。今日は一旦帰って、荷物の整理をしよう。もっとも、衣服ぐらいしかないのだが。

「もう過労死はごめんだ」

 前世では悔やみ切れない死に方をした。だからせめて、もう一度手に入れたこの人生では、納得できる死に方をしたい。

 ……それで急に軍隊入りというのも、安直な話ではあるのだろうが。

 せっかく買ったコートだが、軍に入ったらもう普段着として使わないかもしれない。だが、それでいいのだ。必需品しか買わない生活だなんて、健全でもなんでもない。

 自分個人のためにリソースを割けない人生なんてクソ食らえだ。社会貢献だとか、会社のためだとか、役立つ人間になるためだとか、そんなものは二の次でいい。自分が幸せだから他人の幸せを慮ることができるのだ。

 ようやく人間らしい感情を取り戻してきた。やはりブラック思想は悪だ。ブラック経営者も染まった上司も皆悪人だ。俺も悪人だった。

 なんとか明日の指針を手に入れたトーヤは、今日の夕食に思いを馳せながら家路につく。

 因みにその晩は三回ほど途中で目を覚ました。理由は言うまでもない。

 目の下が黒いでしょ。なにが原因かもうおわかりですね。

 やはりブラック企業は悪。



続く

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