03. いまのは回復魔法ですか!?
――燃え尽きたぜ……真っ白にな。
気分はリングコーナーに沈みこんだボクサーだが、この喪女はなんの行動もおこしていない。
勝手に盛り上がって勝手に落ちこんでいるだけだ。
でも良さそうな人たちに巡り会えたから結果オーライである。
「痛いでしょう? いま治してさしあげますね」
修道女がベッドに腰かけるわたしの下にひざまずく。
そして怪我したひざに片手をかざし、呪文を詠唱しはじめた。
「精神の座に御わす光の神よ、たゆたう魂よ、我に力をお貸しください――」
修道女の手のひらが白く発光していく。
光の強さに比例して、わたしの目は驚きに見開かれていく。
「光よ集いて彼の者を癒やし給え――小回復!」
白い閃光が走った。
同時にわたしのひざは完治していた。
「ええっ!? すごい!!」
ヒリヒリする激痛から一瞬で解放されたのだ。
これが感動しないでいられるか!
修道女のことが女神様に見えてくる。
「いまのは回復魔法ですか!?」
「そうだ。回復魔法の使い手は貴重なんだ。アイリスさんに感謝するといい」
なぜかおっさんのほうが誇らしげに答えた。
「アイリスさん、ありがとうございました」
「いいんですよ。神から授かった癒やしの力を使うことで、私も徳を積んでいるのです」
頭を下げたわたしに、修道女は慈愛に満ちた笑顔を向ける。
――あぁー……癒されるぅー……。
濁りきった喪女の魂が浄化されていくぅー……――。
成仏しかけた。
こんなん女のわたしでも惚れてまうわ!
おっさんなんか完全に尊いものを崇める顔つきになっている。
「では、私は炊き出しの準備があるので戻りますね」
ひざまずいていた修道女が美しい所作で立ち上がる。
「よかったらガイアスさんたちも召し上がっていってください」
にこりと微笑み、一礼してからテントの外に出て行く。
おっさんは名残惜しそうにその背中を見送っていたが、気持ちを切り替えたのか、振り返ってわたしを見下ろした。
「じゃあ俺たちも飯をいただきに行くとするか。もう歩いても大丈夫か?」
「はい」
わたしは地面に両足をついて立ち上がった。
怪我はきれいに治っているが、ストッキングのひざ部分は破れたままだ。
ひざ丈スカートを履いてるから半分隠れてるけど、みっともないから脱いでしまいたい。でもおっさんの前で脱ぐのは恥ずかしい。しかも脱いだストッキングをどこにやればいいかもわからない。
しかたなく破れたまま履いていることにして、おっさんのあとに続いてテントの外に出た。
「ガウ!」
外で待っていた双頭の犬が尻尾をふって出迎えてくれる。
テントの中まで入ってこないなんてしつけが行き届いているんだな。
見た目は恐いけど、慣れたら案外かわいいのかもしれない。
外では炊き出しがはじまっていた。
修道女たちが具の入ったスープをお椀についだり、切りわけたパンを配ったりしている。
わたしたちは最後尾を目指して、動きはじめた列を逆流した。
「そういえばお嬢ちゃんの名前はなんていうんだ?」
「森 聖子です」
「モリショ……?」
「ショーコでいいです」
あぶない、あぶない。
わたしのフルネームは外国人が発音すると喪女に近い響きになってしまうのだ。
「俺の名前はガイアス・バルギアスだ」
「さっきアイリスさんが呼んでたから知ってます」
「ついさっき知ったってーのか? 一応このあたりじゃ名が通ってるつもりだったんだがな。ショーコは最近ここに流れ着いたのか?」
ふむ。この界隈じゃガイアスの名を知らないものはいないのか。
たしかに双頭の犬をつれたライオンみたいな巨体のおっさんなんて目立たないはずがないもんね。
「はい、ついさっき着いたばかりなんです。実はわたし、気がついたら荒野のほうに倒れてて……。これまでの記憶もなくなっていて……」
異世界転移してきましたー!
……なんてぶっちゃけて事態がどう転がるかわからない。
ここは無難に記憶喪失を装うことにした。
「それは大変だったな」
ガイアスはうんうんと深くうなずいている。
――あれ?
あっさり納得してくれた?
こんなベタな嘘に引っかかってくれるのか正直不安だったのに……。
「聖女様の結界が辺境の方から順番に消えてなくなって、魔物に脅かされる世の中になっちまったからなあ……。ショーコの他にも、ショックで記憶をなくしたやつの話は聞いたことがあるよ」
「……そうなんですかあ……」
なんだか不穏だな。
平和な世界じゃなさそうだ。
「えっと、たしかこのあたりは、神聖帝国ドロヘドロの辺境なんでしたっけ?」
「神聖帝国テオドロス、だな」
ガイアスは可哀想な子を見る目でわたしを見下ろした。
「ここは魔物に追われて田舎から逃げてきた難民たちがつくった野営地だ。記憶を失うまえのショーコも、帝都方面を目指して逃げてきたクチなんだろうな」
「帝都には魔物がいないんですか?」
「帝都や大きな街はまだ聖女様の結界で守られている。だがよそ者が街に住むにはべらぼうに高い居住権を買わなきゃならない。審査だってある。コネも金もない田舎者は街の近くで野営するしかねえってわけよ」
「ガイアスさんも?」
「俺の場合はちょいと事情がちがうな」
行列の終わりが見えたので、その最後尾につく。
すると直前に並んでいた若者がハッとした表情で振り返った。
「え、ガイアスさん!? 列に並ぶんすか?」
「おうよ。今日はツレがいるからな。ふたりも割り込みすんのは悪いだろ」
「べつにガイアスさんと一緒ならお連れの人も並ばなくていいと思うけど……。列の後ろになればなるほどスープの具がなくなるっすよ?」
「たまにはいいさ。気にすんな」
「……そうっすか……」
ガイアスに両肩をぽんぽん叩かれた若者は、釈然としない表情で前に向き直った。
そのやりとりを見ていたわたしは小声でガイアスに疑問をぶつける。
「もしかしてガイアスさんってえらい人なんですか?」
「いやいや」
ガイアスは苦笑してみせた。
「俺はしがない元冒険者だよ。引退して田舎でスローライフを満喫してたら魔物がはびこる世の中になっちまってな。降りかかる火の粉を払うように魔物退治を続けていたら、なりゆきでこの野営地の護衛を請け負うようになったのさ」
「へー」
「まあ教会の炊き出しと同じ、慈善活動みたいなもんだな。そのぶん食事やなんかの順番は他の人より融通してもらえるんだ。アイリスさんの回復魔法だって普通ならあんな簡単に受けられないんだぞ」
ふーん。
そりゃそうか。
この難民キャンプで何人暮らしてるか知らないけど、すり傷くらいでいちいち回復魔法を使わされてたら修道女が過労死してしまう。
「じゃあわたしってラッキーだったんですね」
「まあ、もともとはうちのウォルフが悪いんだけどな……」
わたしたちは足元につき従っている双頭の犬を見下ろした。
「なんだってこいつはショーコに飛びかかったんだろうな?」
「わたしのこと、敵だと思ったんじゃないですか?」
「いや、さっきも言ったがそれならショーコの背中はズタズタだ。ウォルフには野営地まわりの警備を命じているんだが、近づく魔物は容赦なく爪で引き裂き、喰いちぎっている」
――ヒエッ!
魔犬の気持ちなんてわからないけど、いまさらながら背筋がゾッとした。