02. 喪女がカンチガイして申し訳ございませんでした!!
赤黒く濁っていた空がだんだん闇色に染まっていく。
吹きつける夕風に体温が奪われていく。
「もう帰れないって言われても困るんですけど……」
いまどき海外旅行すらしたことがないわたしに異世界で生き抜けなんて無理ゲーすぎる。
どうすればいいのかまるでわからない。
もう一度イケボに話しかけられるまでこの場で待機してたほうがいいのか?
でもいつまで待てばいい?
このまま本格的に夜がきたら色々とまずくない?
わたしは鳥肌の立った腕をさすりながら周囲を見回した。
そして不安が的中したことを瞬時に悟る。
うしろを振り向いたら、遠くに4つ足の獣が歩いているのが見えたからだ。
本能的にヤバイと感じて、まだ安全そうに思える亡者の群れ(仮)の方に逃げていく。
近づくにつれて砂煙のベールが剥げてきて、どうやらそこが難民キャンプらしき場所であることがわかってきた。
向こう側にボロ布で張られたテントが密集し、その手前に疲れた表情の人々が列をつくっている。
いきなりそこに飛び込んでいく度胸なんてない。
だってわたしにとって安全な場所なのかどうかわからない。
まずは状況を把握しなくっちゃ。
夕闇にまぎれて遠巻きに観察してみる。
小学生くらいの子、若い男女、おっさん、おばさん、おじいさん――いろんな年代の人たちが列に並んでいる。
肌や髪の色は人によって様々だ。
だけどツノが生えてるわけでも猫耳が生えてるわけでもない。
異世界だというから心配してたけど見た目は普通の人間のようだ。
言葉は通じるのかな。
イケボとは会話が成立してたから、ひょっとして通じるんじゃないかと期待してるんだけど。
まあ、アレが頭のおかしくなったわたしの妄想の産物でないとすればの話だが。
――なんて考え事をしていたせいか、背後に迫る危機にまったく気がついていなかった。
4つ足の獣が大地を蹴ってわたしの背中に飛びかかる。
「ガオッ!」
「ふギャアアァ―あッ!!!!」
わたしは色気のない悲鳴をあげながら派手にすっ転んだ。
いまの騒ぎのせいで列に並んでいる人々の注目を集めてしまったにちがいない。
ひざが痛い。絶対血が出ている。
でものんきに怪我の心配をしてる場合じゃない。だってわたしの背中に獣がのしかかっている。ハッ、ハッ、と荒い息をあげながら、しとめた獲物を前足で踏みつけている。
「何やってんだウォルフ!」
ざわついた列の向こう側から、ライオンみたいな髭のおっさんが飛び出してきた。
褐色の肌で、筋骨隆々で背もでかい。
赤茶色の髪をオールバックにして、もみあげから顎にかけてのフェイスラインを同色の髭で囲んでいる。
「そこから離れろ! 大丈夫か、お嬢ちゃん!?」
おっさんに怒られた獣が「きゅぅーん」と切なげに鳴きながら前足をしりぞける。
こちらに駆け寄ってきたおっさんは、ひざまずいてわたしを助け起こしてくれた。
「俺の相棒が悪かった。いつもはこんなことするヤツじゃないんだが。よっぽどお嬢ちゃんと遊びたかったのかな?」
……え、遊ぶ? 喰いたかったの間違いじゃなくて?
おっさんの手を借りて立ち上がったわたしは、うれしそうに尻尾をふっている獣を見下ろした。
わたしの背後を急襲したのはドーベルマンみたいに黒くて筋肉質な犬だった。
――ただし、頭が双つある……。
「ピャアあああッ!!!!」
わたしが大きく飛び退くと、おっさんは安全をアピールするかのように双つの頭を両手でぐりぐり撫で回した。
「怯えなくても大丈夫だ。ウォルフは俺に従属しているモンスターだから。俺が命令しない限り人間は襲わない」
「え!? でも、襲われたんですけど!?」
「だから珍しくってなあ……。悪気があってやったわけじゃないと思うんだが。こいつに敵意があったらいまごろお嬢ちゃんの背中はズタズタのはずだ」
「ひえっ」
わたしは首を捻って背中をのぞきこんだ。
どうやらカーディガンの編み目が少しほつれたぐらいですんだらしい。
うう……。なんかショックだ。
人間の男どころか、動物やバケモノにすら好かれないなんて。
わたしって昔から動物に嫌われやすいんだよね。
動物を見るのは好きなんだけど、触るのは恐くてビビっちゃって……。
その気持ちが動物たちに伝わってしまうのか、ウサギに飛び蹴りをくらいモルモットに本気で噛まれる、壮絶な飼育係経験をしてしまった。
ひざにできた傷の状態を確認してみる。
――うっ、グロい。
ベージュのストッキングが破れて、皮膚が擦り剥けて、砂利が肉にめりこんで、血がじゅくじゅく泡をふいている。
患部を見てしまったせいで、ショックでまぎれていた痛みがぶり返した。
「とにかくうちのウォルフが怪我させてすまなかった」
「きゅーん」
改めておっさんは頭を下げた。
その横でおすわりしている双頭の犬も耳を垂れて申し訳なさそうに鳴く。
「修道女に治療してもらいに行こう。ちょいと失礼するぞ」
「キャッ!?」
思わず乙女な声が出た。
だっていきなりおっさんにお姫様抱っこされたから!
丸太のように太い腕に危なげなく持ち上げられ、鍛えられた体幹で揺らされることなく運ばれていく。
抜群の安定感だ。
しかし男に身をまかせた経験のない喪女がリラックスできるはずもない。
おっさんの腕のなかで冷凍マグロのようにカチコチに固まってしまう。
「や、……ちょっ、おろしてください!」
「すぐだから我慢してくれ」
おっさんは行列の先頭に向かって歩いているようだ。
そのうしろを双頭の犬がついてくる。列に並んだ人たちの視線も追いかけてくる。
は、恥ずか死ぬ――!
そういえば普通に会話してるけど、おっさんわたしのこと「お嬢ちゃん」って呼んでない?
女の子扱いに慣れてない喪女を喜ばせていったいどうするつもり!?
もしかして惚れさせたいの!?
本当はプラスマイナス5歳が理想だけど、おっさんわりと男前だし、向こうからオラオラきてくれたら好きになるのもやぶさかではないよ!?
――などと脳内で盛り上がっていたら、おっさんの足がとまった。
目的地に到着したようだ。
行列の先にあったのは、炊き出し会場。
みんなが並んで待っていたのは食事の配給だったようだ。
石のテーブルのうえに寸胴鍋が並べられ、黒い修道服を着た女の人たちが忙しそうに動き回っている。
「あら、ガイアスさんじゃありませんか」
そんな戦場のような雰囲気のなか、ひとりの修道女がおっさんに声をかけてきた。
「どうかなさいましたか?」
「アイリスさん……!」
なぜかおっさんは声をうわずらせた。
「忙しい時間に申し訳ないんだが、この子の治療をしてくれないか? ウォルフが飛びかかって怪我させてしまったんだ」
「わかりました。ガイアスさんにはいつもお世話になってるんですもの。遠慮なさらなくていいんですよ」
とうはたっているけど上品で優しげな修道女が柔和に微笑む。
その笑顔をうけて、おっさんも照れくさそうに目尻のしわをくしゃりとさせた。
「では、救護所にお願いします」
「おう!」
勝手知ったる足取りでおっさんは汚れのない白いテントのなかに足を踏み入れた。
そこはベッドがふたつ並んでいるだけの空間だった。ベッドとはいっても、木箱のうえにシーツが敷いてあるだけなのだが。
「よし、下ろすぞ」
おっさんがベッドのうえにわたしを座らせる。
「ありがとうございました」
わたしはぺこりとお辞儀してから、目の前に立っているおっさんを見上げた。
――おっさんの顔は、耳まで真っ赤だった。
わたしは一瞬で察した。
おっさんが修道女に惚れていることを。
この期に及んで「わたしに気があるから照れてるのね♥」なんて思ったりしない。
ちょっと優しくされたくらいで喪女がカンチガイして申し訳ございませんでした!!