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ガラクタ  作者: くろうさぎ
第一章 Today he died
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第一章5 『またも、彼は彼女を救えない。』

 薄暗く不気味な夜道に響く、えらく場違いな軽快な足音。鞄に入った教科書やノートの重さなど何処へやら、ふわりふわりと運命の分岐点を楽しみに思いながら、朔磨は歩く。誰もいないはずのゴールに、あたかも自分を待っている人がいるかのように。


「待っててくれよ、女の子……!」


 重い言葉のように聞こえるも、その言葉は何処か軽い。


 やがて、初めて見るはずなのに、もうとっくに見慣れた和菓子屋がその姿を淡い光に照らしながら朔磨に現す。

 ここで朔磨は、その前に立つのではなく、脇に隠れ、店頭の様子をうかがうことにした。以前のように説得を試みても、自分の対人スキルの存在を疑われるばかりか、下手をすれば二人とも死ぬ。そうなればまた一からリスタートだ。


「だったら、車が飛んでくる直前に彼女を抱えて、安全圏まで吹っ飛んじまおう」


 というわけだ。最早多少のけがは厭わない。少女の方も、自分が抱きかかえていればある程度軽傷で済むだろう。


「オッケー、シミュレーションは完璧だ。脳内では完全に俺が彼女を助けてる」


 などと自分でもよくわからない文言を口に出して自身を落ち着ける。

 朔磨の背中を、興奮と緊張が入り混じった寒気に似た感情が走り、全身に鳥肌が立った。あと数分で、彼女がやってくる。そしてそのあと数分後には、車がここに突っ込んでくる。

 息が荒くなるのが、自分でもわかった。


 待っていること数分。

 エプロン姿の少女がやってきた。前出会ったときは背中を向けていて気付かなかったが、その表情に、新しい生活への希望がありありと窺えた。その表情を見て、朔磨はより一層胸の中の決意を固める。


「ああ、お客さん早く来ないかなぁ……」


 少女の言葉に、すぐにでもその場に出て和菓子を包んでもらいたい気持ちを抑えつつ、事が起こるのを息をひそめて待つ。彼女はこれから起こる惨劇、そしてやきもきする朔磨のことなどつゆ知らず、のんびりとお客様第一号が来るのを待っている。


 ――そして、念願の『絶望』がやってきた。


 遠くで爆音が鳴り響き、赤黒い閃光と共に一台の車がその体を壊しながら少女へと迫る。まるで世界の全てが彼女を狙っているかのような運命の猛攻に、朔磨は思わず息を呑む。前回は気づかなかった。どうやら道路で何かしらの事故が発生し、その結果大型車が一台吹っ飛んできたわけだ。


 ……何故、爆発が起こる?


 わずかな気の迷い。しかしそれを一瞬にして頭の中から追い払い、目を見開きその場に立ち尽くす少女めがけて、全身全霊、今までこんなにも本気で走ったことがあっただろうかと疑うほど、強くアスファルトを踏み突進する。元凶など、今はどうでもいい。考えるべき事例ではない。今考えるべきは、視界に入れるべきは、目の前の少女と、それを押しつぶさんと迫りくる大型車。

 そしてその少女を、救うこと。


 あの子を絶対に、助ける。


 ――『俺が』、助ける!!


「うおらああぁあッ!!!」


「ひ、え、きゃあああぁぁっ!?」


 我に返り、大型車の接近と横からの見知らぬ男からの突進に、言いようのない悲鳴を発する少女。

 朔磨は小さく細い体を逃がさないようしっかりと抱え、被害が及ぶ範囲外へ、跳躍する。地面をゴロゴロと転がって、口の中はわずかに血と砂の味がした。どうやら口を切ったようだ。

 しかしそんなこと、今は些末な問題だ。


「――――どうだッ!?」


 抱えていた少女を離し、車が飛んできた方向へと顔を向ける。二度にわたり朔磨を殺した鉄の塊は前例に沿って地面を削りながらバウンドし、朔磨と少女をその軌道に収めることなく小さな和菓子屋へ突っ込んでいった。

 破裂、爆裂、様々な破壊活動が慈悲なく行われ、それに伴う轟音もまた朔磨の鼓膜を壊さんとばかりに襲い来る。だが、今となってはそれは朔磨に何らダメージを与えない。


 最高のシナリオだ。

 少女を助け、自分も生き残った。これで朔磨は、満足して明日を迎えることができる。不条理な運命によくぞここまで戦ったと、自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。


「……えう……あ」


「ああ、大丈夫? 怖かっただろうけど、もう安心だ。助かったんだよ」


 傍らで地面からゆっくりと起き上がる少女に、朔磨はなるべくやさしい声で安心させようとする。そう、いくら命が助かったからと言って、自分の家族の店が半壊しているのだ。ショッキングな出来事だろうが、今は死なずに済んだことを幸福と思って大目に見てほしい。運転手の家族や事故の原因となった人物たちから慰謝料は貰えると思えるし。


「あ……あ……」


「どうした、大丈夫か?」


 何やら少女が、突っ込んだ車を見て荒い息を立てている。何かあったのだろう。家が壊れるより余程衝撃的な何かが――。


 途端、横たわっていた少女が立ち上がり、おぼつかない足取りながらも全速力で店へと駆けだした。転んで地べたに体を打ちつけても、気にすることなく体を起こしてひた走る。


「あっ、お、おい!」


 驚いて、朔磨も立ち上がり少女を追う。一体何があったというのか。


「待てよ、危な――」


「…………お父さん、お母さんッ!!!!」



 ――――朔磨は、聞いてはいけないことを、聞いた気がした。



***


 割れたガラスに破られた木製の壁、だらりと垂れ下がった真っ二つの看板。

 そのすべてが眼中に入っていないかのように、少女は店を半壊させた車へと、散らばったガラスを踏みながら一歩一歩重い足を運んでいく。


「……おとうさん、おかあさん……」


 うわごとのようにその言葉を繰り返す少女。その瞳には最早狂気さえあった。

 やがて、少女は潰れている黒い車体へとたどり着く。その車体と呼べるのかも疑わしい壊れたボディには、幸いにも、運転席という概念はかろうじて存在していた。

 ドアは開かず窓ガラスは割れている。その奥に少女は、懐かしい息遣いを見つけた。


「……っあ……かな、え……」


「……ッ!! お母さん!」


 血でぬれた頬を拭うこともせず、その女性は声ともならない息を漏らした。目の前の娘を愛おしもうと伸ばす手も、もう彼女には存在しない。あるのは、声を出そうとするたび命が縮む喉と、傷だらけで涙に濡れた愛娘が歪んで見える潰れかけの瞳。


「……ごめん、ね、かなえ……ほんとに、ごめ……」


「おかあさん、やめて……もう、喋らないで……っ!」


「だめな、おかあ、さんで、ごめ……ね……」


 小さく言葉を紡いで、彼女は隣の肉塊へ自分とそれを呪うようにもたれかかる。

 肉塊は、音を発しない。女性を守ろうと、車から伝わる衝撃をすべて受け止めていたからだ。もう『彼』に、声は存在しない。


「……お、とう、さん」


 少女が発した消えそうな言葉が、彼女自身の心に現実という深い絶望を刻み込む。


 そして同時に車から、音を立てて火の手が上がる。

 爆発。その二文字が少女の頭に浮かぶ。いずれはこの建物も、焼き尽くされるだろう。


「ごめん、ね……。ごめん……」


 女性は、未だ言葉を繰り返し口にしている。霞がかっていた視界も、今はもう暗闇に閉ざされていた。

 そしてついにその繰り言さえも、終わりを迎える。


「ごめ……ね……ご……め…………」


「……? え、い、いやだ……ねえ!? やめて! 死んじゃやだ……お願い、だから……!」


「――――――――」


 少女が女性を揺さぶるも、反応は皆無。

 失われた命が、逝ってしまった魂が、どれだけそれに応えたくとも、世界はそれを許さない。


 当たり前のこと。当たり前のことなのだ。そしてその当たり前のことを、少女自身も知っているはずなのだ。


 ――死んだ人間は、喋らない。


 少女は静かに絶叫する。両親を殺した運命を呪い、理不尽にも先に死んでいった両親を呪い、それを助けられず、一緒に死ぬことさえできなかった自分を呪いながら。




 ――――そしてその光景の一部始終を、ただ茫然と見ていた愚かな少年は。



***


 ……言葉を発せない。

 何も言うことができない。

 何故?

 自分は正しいことをしたはずだ。

 なのに、これじゃまるで。


「――――か」


「……ぇ」


 涙に叫び、枯れた声を出す少女。

 その顔は朔磨に向いていなかったが、その声は自分に向けられたものであるとわかった。


「……知ってたんですか、このこと」


 消え入りそうな声は、そう言っていた。


 違う。知っていたわけがない。自分はただ、救おうとしていただけだ。だから――


「――――ぁ」


 俺は、悪くない。

 そう続こうとした思考に、とめどない吐き気が巻き起こる。

 少女の問いに、朔磨は答えられない。


 表面上の頭では否定しようとも、そのずっと奥では、自分のありとあらゆる汚い部分が、聞くにも堪えない自身の正当性を列挙していた。


 知らなかった。だから俺は悪くない。

 君を救った。だから俺は悪くない。

 最初の世界に比べれば圧倒的にマシだ。だから俺は悪くない。

 みんな死ぬという最悪の結末を避けた。だから俺は――――、


「なんで」


 声がして、びくりと肩を縮める。

 少女がこちらを向いた。悲しみなどとうに暮れ、あるのは行き場のない憎悪だけだ。


「なんで私を、助けたんですか」


 その言葉は、心臓を握りつぶされるかと思うほど煮えたぎった憎しみを乗せていて。



「こんなことになるなら――私もあの時、死ねばよかったのに」



 少女が放った一言。


 それは、朔磨が今まで拠り所としてきたものを、覚悟としてきたものを、完膚なきまでに否定した。


 


 ――――沈黙を置き土産に一人の少年と一人の少女が爆炎に飲み込まれるまで、そう時間はかからなかった。

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