第一章2 『真似事の覚悟』
――ひどく熱かった。
体のすべてが、恐怖に、衝撃に、痛みに蹂躙され、これでもかというほどの絶叫を上げる。もはやそんな体があるのかどうかすらわからない朦朧とした意識の中、少年は何処かで、ああやっぱり、と自分の死を客観的に見つめていた。
大体、そもそもが間違っていたのだ。自分のような人間が平凡に死ねるなどと、いつから思い込んでいたのだか。この世界で、身近な死が溢れかえる世界でどうしてそう思えるのだ。
これでいい。
これが自分に許された、物語の結末だ。きっと誰かが自分に、然るべき終わりを与えてくれたのだ。
そして儚く尊いはずの命は今日も一つ世界から消えていく。世界に存在する権利を跡形もなく奪われる間際に彼は、
――ああ、そういえば、名前聞きそびれたな。
そんなどうでもいい感慨を抱いたのだった。
***
ゲームには、セーブ地点という概念が設定されている。それはストーリーをクリアするためには必要不可欠な要素であり、これをなしにしては到底クリアできないような無理ゲーも数多く存在する。
しかし我々は、セーブ地点に戻るキャラクター達の気持ちを一度でも考えたことがあるであろうか。勿論画面の中のプログラムに意思があると考えるのは現代社会において多勢に馬鹿にされることであろう。
だがしかし無茶を承知でそのプログラムに意思というエレメントが存在していると仮定するならば。
「ところでサク、部活は何にするか決めたかい?」
目の前で、眼鏡の奥に貼り付けたような笑みを浮かべる友人が聞き覚えのある言葉を朔間の記憶と違うことなく述べている。
そしてその顔は、朔磨を見て僅かに歪む。
「どうかしたのかい、サク……?」
「――――は………え?」
たった今この瞬間、一人の少年、久遠朔磨はまさにそのプログラムの気分を味わっていた。
***
心配げな宗太郎のもとを適当に手を振って去った朔磨は、トイレの洗面所に手をつきながら目の前の鏡に映る顔色の悪い自分を見ていた。
未だに頭の中では困惑がこれでもかと暴れまわっており、表面上でも朔磨は狼狽を隠せていなかった。ハムスターの回し車の如くぐるぐると止まる様子のない思考回路の中、朔磨は必死に自身の状況を整理しようとしていた。
「さっきのは、夢か……? いや、宗太郎と話してる時俺は寝てなかったし、夢ならあんなに鮮明に覚えているもんじゃない。しかも現実味を帯びすぎてる。感覚も普通にあった。触覚とか……味覚とか」
言いながら、先ほどの謎の世界で食べた大福の味を思い出す。喉の奥で唾が出てくる自分に情けなさすら感じた。
首をぶんぶんと振り、思考を本筋へと戻す。
「だったら、他のSF的な何か。未来が見えた? とか」
我ながら随分アバウトな推測の提示に、思わずため息をこぼす。しかしそれは同時にそうならざるを得ない状況ということを表していて、自分がかなり混乱しているという事実を再確認したのだった。
「夢っていうより現実的じゃねえよな……」
結局自分の記憶との押し問答の結果わかったことは、『何もわからない』ということだけだ。いや、正確に言い表すとするならば、『「現時点では」何もわからない』である。あの『夢もどき』で起こったことが今日同じように起こるとすれば、そこで真偽を見定められる。
幸いというべきか災いというべきか、朔磨はそれを判断するうえで最も決定的な出来事を体験している。
それは――。
「――俺あの時、死んだよな……?」
自分を襲った確かな絶望の記憶。
微かに震えの残る自分の手を握りしめ、朔磨は今日何度目かわからない深く重いため息をついた。
***
体感的には二度目の今日を過ごす中で、朔磨は回し疲れた頭を無理やり回転させて今後自分がとるべき行動について必死に思案していた。
数式の書かれた黒板など、目に入ってすらいない。その代わりノートには考えのまとめが書いては消され書いては消されの繰り返しの跡があった。
今のところ、あの夢――正体がわからない以上は夢と表記することとする――とこの現実世界では、何ら異なった出来事は起こっていない。数学の授業前に岡野という女子が教師に忘れ物の謝罪をすることも、授業中川辺という男子が居眠りを注意されることも、デジャビュ現象で納得することなど到底できそうもないほどの再現率だ。
「あったまおかしくなりそ……」
小さく呟いて頭をガシガシと掻く。
もしあれが、未来からの警告だったとしよう。自分の身の危険を、超常現象のようなオカルトめいたものが教えてくれたのだとしよう。あの夢と同じような順序を辿っていって真偽を確かめるとして、結果、寸分違わず同じ未来が訪れるなら、朔磨はまたしても命を落とすこととなる。しかも今度は本当の現実で…いや、今の世界も、現実かどうかわからない。あの夢でも朔磨は、現実と何ら変わらぬ様子に感じていたのだから。……このままいくとどんどん深みにはまっていきそうなので、話を戻す。
まあつまり言うと、夢と同じことを繰り返しても、馬鹿の一つ覚えのように無駄死にする可能性が高いということだ。それを避けるためには、離れたところからあの出来事、大型車が飛んでくる事象を観察するのが正解なわけだが。
「その場合、彼女が死ぬ可能性が出てくる」
夢で出会った、和菓子屋の少女。
あの時の状況を鑑みて、彼女も朔磨と同じく死んだと考えるべきだろう。
むろん先程述べた朔磨が同じことを繰り返すルートであっても、大型車が飛んでくる場合彼女は恐らく死ぬ。
例えば朔磨が、ことの一部始終を傍観し、店がつぶされ少女は死にと悲惨な光景を目の当たりにしても自身が生き残れたことを盛大に喜べるほどのド畜生ならば何も問題はないのだが、生憎と朔磨はそんな図太いの域を越した神経など持ち合わせていない。きっと死にたくなる。その罪悪感を墓まで背負うこととなる。そんなのはごめんだ。
であれば、朔磨がとるべき最善の行動は。
「――あの夢をほんとに起こるものと信じて、俺とあの子が、大型車によって死ぬルートを回避する。……いえーい、めでたしめでたし」
結局はそんな、いかにもな答えに帰結する。
いいじゃないか。突っ込んでくる大型車から颯爽と少女を助け出すヒーロー。歓声おこって大団円。お話おしまい。いや素晴らしいシナリオだ。
……成功すれば、の話だが。
現実的に考えて、そんなにことがうまく運ぶ確率はかなり低い。しかも、それ以上に問題なのが、舞台が成功するか否かの前に、まずその舞台が用意されない可能性も堂々と存在していること。むしろその可能性が一番濃厚なくらいだ。
「……まあ、やって後悔するなんて、日常茶飯事か」
たまには、主人公の真似事をしてみるのもいいかもしれない。
はてさて、自分が舞台で演じるのは、歓声を浴びるヒーローか、はたまた笑いもののドン・キホーテか。
朔磨は目を閉じて、小さな覚悟を決めた。




