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ガラクタ  作者: くろうさぎ
第一章 Today he died
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第一章15 『剥がれた嘘と壊れかけの玩具』

 人は誰しもが、嘘を吐きながら生きている。嘘とは、見えないだけでいつも人の隣に笑いながら佇んでいる。人が生きる上で彼らと切り離されることはない。それこそ嘘は誰でも吐くものであり誰にでも吐かれるものである。

 嘘は形を変える。ときに、鋭く捻じれた刃へと。ときに、突き立てられる刃からその身を守る盾へと。ときに、自分を殺さんと探す眼を欺く隠れ蓑へと。けれど嘘は純粋な道具とは違い、それの性質に見合った『対価』を吐くものに払わせる。それは疚しさであったり、劣情の増幅であったり、他者からの恨みであったりする。

 嘘は性質を持つ。醜悪なもの、善良なもの、沈痛なもの、臆病なもの。さも一つ一つが違い、善悪の判別が明快かのように記したが、そんなことはない。言ってしまえば、それを吐かれる側にとっては是非など関係なくどちらも一様に『嘘』だ。合理的な嘘など存在しない。嘘という事象はそれがどんな性質を持っていたとしても、すべて不合理という名の箱へ放られる。ただし嘘を吐くことへの合理不合理は存在しているため、これが人の偽ることへの姿勢をよりややこしいものにしてしまっている。そしてさらに面倒なことに、一般論的に考えれば嘘というものは、吐いていいものと悪いものに分けられるらしい。むろん、人の感情の問題なのだから、その二つの間に敷かれたラインが曖昧極まることは誰でも予想できるだろう。


 本題に入る。


 彼は嘘を吐いた。


「誰に?」


 彼自身にだ。彼は自らを欺くため、嘘を吐いた。


「それはどのような形だった?」


 それは彼の表面を彼そっくりに塗り固める、蝋のような嘘だった。


「どんな性質を持っていた?」


 醜悪であり、善良であり、沈痛であり、臆病であった。善でもあり、悪でもあった。


「吐いていいものと、悪いもの。彼の嘘は、どちらだった?」


 ……それは、絶対に吐いてはいけない類の嘘だった。


***


 今の朔磨にとって何も纏わぬ状態で世界に立っていることは、八方から大量の硫酸をかけられるような苦痛を伴うものだった。そんなに狂ってしまうくらい、朔磨は自身の嘘に依存していた。

 息が荒い。涙が止まらない。視界は赤く滲む。今自分がどこにいるのか、それすらも定かではなかった。嘘を剥がされた朔磨は出来るだけ世界と隔絶できるように、どこかの隅に小さく小さく蹲っていた。

 このまま、また死んでいくんだろうか。虚ろな目はさらに深く深く沈んでいく。

 ふと、いつかに聞いた言葉が脳裏を過る。


『お前が完全に蹲ってしまうかはお前の自由だが、その時、誰かが味方になってくれると思うなよ』


「……ああ」


 くそう、と舌打ちをする余裕すらもう朔磨には蚊ほども残っておらず、気の抜けた遺憾を小さく吐き出した。

 ちょうどそのときだ。

 かつ、かつ、と音が聞こえる。朔磨もどこか知らないこの場所に、知らない誰かが近づいている。嫌だな、怖いな、逃げてしまいたいな。しかし五体は言うことを聞かない。もう疲れたのだろう。成り行きというゴールの見えないベルトコンベアに横たわって、目を瞑ろうとしている。

 かつ、かつ。音は止まる。どうやら目の前にいるようだ。


「やあ」


 ひどく懐かしい声がした。

 ひどく近しい声がした。


「元気かい、サク?」


 嘲笑にも憫笑にも見える笑みをその凡庸な顔に湛えた友人が、そこで朔磨を見下ろしていた。


「……ああ、宗太郎」


 これは幻覚だろうか。


「元気そうだね、安心したよ」


 どちらでもいいと、そう思った。


「なあ、宗太郎。明日って授業、なんだっけ……」


「普通の時間割で、五限が数学に変わったよ。多分課題も出てたはず」


「そっか、面倒、くさいな……」


 このまま目を瞑ったならひょっとして、明日は平和で、朝は遅刻するぎりぎりまで布団を手放さないで、朝ご飯を一口二口ですませ、速足で学校に行き、特に何も面白くない日常が正常に平常に通常に過ぎていくんじゃないだろうか?

 そうだ。きっと全部、悪い夢だったんだろう。宗太郎と談笑しているうちに、そう感じた。


「宗太郎」


「なんだい?」


「俺もう、休んでもいいかな……」


 もう疲れた。痛いのも、苦しいのも、全部。

 誰かがこれを見たら、早すぎるだとか、まだやれるだろうとか、心が脆すぎるだとか、そんなことを思ったり言ったりするのかもしれないけれど。

 朔磨には、もう耐えられるだけの力がない。余りある苦渋を流し込む器を、朔磨は先程割ってしまった。覆水盆に返らず。今こそこの言葉が身に沁みる。でももういい。覆水が盆に返らないのならば、盆ごとはなからないものにすればいい。ちらりと瞼の隙間から宗太郎を見た。


「ああ、いいよ」


 目の前の彼は、優しく微笑んでそう言った。


「……ありがとな」


 黒く光る、筒状のものが目の前に現れた。


「どういたしまして」


 ああ、よかった。これで全部、終わりにできる。

 朔磨は幸福感に打ちひしがれる。今この瞬間だけは、自分は、この世界に生きる誰よりも幸せだと胸を張って言える気がした。

 涙で前が見えないから、目を瞑った。

 かちゃり、と金属的な音が響いて、間髪入れずに、ばん、と大きい音が躊躇の二文字を置き去りにして朔磨の鼓膜をかすめた。きいん、と耳の奥で木霊が聞こえ、それが収まったころ、ようやく瞑っていた目を開ける。

 そこに広がっていたのは、朔磨が焦がれるほど待ち望んだ、終わり――。




 ――では、なかった。当然、そんな筈はない。世界がそんなに彼にとって都合がいいのなら、もっと何かしらあったろう。けれども世界は、せめてもの置き土産とでもいうように、朔磨にある景色を残していった。

 その景色の中には、二人の人間がいた。


 血みどろで倒れる華奢な少女と、それを足蹴にする友人の、二人の。


***


 少女は人気のない街道を、鼻歌のリズムに合わせ歩いていた。和菓子屋の手伝いをしている彼女は、店主である父親にお遣いを頼まれ、家の近くのスーパーに買い出しに出掛けていた。今は、ちょうどその帰りである。


「いやー、ちょうど半額セールで安くなっててよかった、ふふふ」


 独り言ちて含み笑う少女。しかし彼女はそこで、あるものを見つける。


「……ん、え?」


 街灯に照らされ赤く光る液体が、廃墟らしき建物に点々と続いている。

 血痕。その二文字が少女の頭を過る。ドラマで見た、殺人現場などの跡。


「ええー…………や、でも、こんなところにまさかケチャップなんて……」


 もしかしたら、怪我をした動物が入り込んだのかもしれない。少し怖いけれども、興味もないではないしと、少女はスマートフォンを懐中電灯のようにかざし、中を照らしながら恐る恐るそこに足を踏み入れた。

 血痕らしきものは、二階へと続いていた。階段を途中まで上がったところで、ふと彼女の耳に音が飛び込んでくる。どうやら、何か、会話のようなものだ。人がいる。そういうことだ。安堵のような恐怖のような不思議な面持ちで、そろりそろり、音を立てないよう声がする部屋をのぞき込む。

 しかしその瞬間、彼女の背筋は凍りついた。

 同じくらいの年齢だろうか、二人の少年が楽しげに言葉を交わしている。そう。そう見えるのだ。そう見えてしまうのが、異常なのだ。

 壁に寄りかかる少年は、服やらをべったりと血に濡らし、疲れたように笑っている。その光景だけでも十分な恐ろしさがあるのだが、よく見てみると、その笑い方がどこかおかしいのだ。

 けたけた、けたけたと、喉を鳴らして、嗚咽まじりに彼は笑う。その度に彼の肢体は壊れた人形みたいにがくん、がくんと跳ねる。涎がだらりと口から伝い、とめどなく涙が溢れ出ていて、薄く開いたその瞳は、目の前の少年を見ているようでここではない虚空を彷徨っている。異常。狂気。なんと言葉で表現しようが、この、見ているほうが吐き気さえ催すほどのおかしい様子は伝わらないだろう。

 そしてもう一方の少年。こちらは、凡庸で温和そうな顔つきで、目の前の少年に対し朗らかに語りかけている。それも、いかにも友人と談笑するかのように。

 おかしい、異常だ、この二人は、異常だ。自分が知らない世界の人間たちだ。関わってはいけない。少女は泣きそうになって、口元を抑え、音を立てぬよう来た道を戻ろうとする。本能が恐怖している。ここまでの戦慄を、少女は生まれて初めて経験した。

 そのときだ。

 温和そうな方の少年が徐に、懐から拳銃を取り出して、その笑みを絶やさぬままに、狂った様子の少年へ銃口を向けたのだ。そしてその銃口を向けられた方の少年と言えば、これ以上ないというほど嬉しそうな顔で、静かに瞼を落としたのだ。

 当然、少女の頭の中はパニックに陥る。


 え、あれ、銃……初めて見た、ドラマとか、いや、そんな場合じゃなくて、え、なにこれ? え、殺されるの? あの人? なんで? いや理由なんて知らないしとにかく逃げ、え、いやだ、なにが? もうわかんない、なにすれば、そんなの逃げればいいに決まって、え、ほんとに、ちょっと、そんな何で迷わずに撃つ準備、ええええああああああああああ――――。


 そして少女は、わけもわからぬままに、撃鉄を起こした少年へと飛び込んでいった。

 その選択が正しかったのかどうかは、誰にもわからない。

 まあ、彼女にせめてもの慰みを言うとするなら……人は誰しも、遅かれ早かれ死ぬものであるから。



「あ、あ、あの、ご、ごめな、さ……」


 恐怖で呂律が回らない。自分が何をしたかどうかさえ定かではない。


「ああ……なんだ、君か」


 少年は、意外そうに顎をさすって、優しい笑顔の奥で舌を這いずらせた。少女は、蛇を前に動けなくなる。


「いや、いいんだいいんだ。ごめんね? 怖かったろう」


 その言葉は柔らかく、右往左往する少女の心にすうっと浸透して。


「あ、あ……」


「間が悪かった。怖がらせてしまって申し訳ない。そんなつもりはさらさらなかったんだ。君は何も悪くない」


 涙でかすむ視界の先には、ひどく優しい少年が、自分を包み込むように立っている気がして。そうやって彼女の奥深くに染み入った彼の言葉は、


「――ただ、僕の『面倒』が増えただけだ」


 ばんっ、という破裂音を合図に、黒塗られた毒となって彼女を犯した。


***


 叫んでいる。

 なぜだろう。

 目の前の亡骸を見て、涙を流している。

 なぜなのだろう。


「何はともあれ、これでようやく話ができるね。もう壊れちゃったかと思ったよ。どうやらかろうじてねじは巻けたみたいだ」


 どっこいせと、宗太郎は少女の亡骸に腰かける。


「……だよ」


「ん?」


「誰なんだよ、お前はあっ……」


「何言ってるのさ、君の無二の友人、桐生宗太郎だろ?」


 違う。この男は桐生宗太郎ではない。朔磨の知っている彼は、こんな男ではない。


「仮に君が、僕を桐生宗太郎ではないというのなら」


 その言葉を、彼は恐らく本気で言っていた。


「君の友人は、桐生宗太郎ではなかったんだよ」


 あれはただの、虚像だったと? 朔磨の身勝手な、妄想だったと?

 瞬きをして、彼を、桐生宗太郎を見る。朔磨は、この少年を知らない。知れなかった。いつも近くにいながら、その内側を欠片も覗けていなかった。そのことに、こんな状況に陥って初めて、気づく。その愚かしさは最早どうしようもない。

 彼の言う通り、今朔磨が目にしている人物こそが桐生宗太郎であり、いつも朔磨の友人として肩を並べていた人物は、姿かたちが同じだけの幻覚だったのだ。


「正直を言うとね? がっかりしてるんだ。期待はずれというか、萎えたなあ」


 愕然と打ちひしがれる朔磨を無視して、宗太郎は芝居がかったようにへらへらと笑いながらよくわからないことをつらつら語る。

 冷徹な眼球の奥で何が渦を巻いているのか、もう考える気力も失いかけている。


「ああそういえば、彼女は君の『きっかけ』だったね。殺してしまって申し訳ない」


「どの口叩いて、そんなことッ」


 怒鳴る声は嗚咽交じりに、惨めに響く。自分のものでもないくせに、朔磨はまるでおもちゃをとられた子供のように泣きじゃくる。憎悪というよりは、悲哀であり、糾弾の対象は朔磨にも誰かよくわからない。痛くもないのに血反吐を吐きそうだ。

 しかしそんな思考が、ふと止まる。


「……いや、待て」


 リトライが始まった直後なら、こんなことは考えなかったろう。そんな余裕など、彼にはなかったのだから。けれども皮肉かな、朔磨は自身で思っていたよりも、もう十分、血生臭い匂いに鈍感になっていた。おかげで彼は、この狂気的な状況下、平静ならずともある程度冷静に物事を見ることができた。


「お前今、『きっかけ』とか言ったか?」


「ああ……まあ、どうせ知ることだし、いいか。できれば自分で気づいてほしかったけど、それは僕の過度な期待だったってことで」


 両手を上げて嘲る彼は、やれ面倒くさそうに朔磨の耳元に顔を寄せ、囁くように言った。


「僕は、君の『特別性のうりょく』について知っている」


「……なんでお前が、それを知ってる」


 ごくりと、垂れていた涎を拭いて呑み込んだ。この少年も朔磨のもう一つの面、つまり『バグ』という存在を認知している。いや、だとして、一介の高校生に過ぎないはずの彼が、なぜ。


「いやだな、そんなに急かさないでよ。まだ話は終わっていないんだ」


「は?」


「だから、君が知らないことを教えてあげると言ってるんだ。君が今知っているのは『久遠朔磨の特別性』だけで、しかもそれについての認識すら曖昧じゃないか」


「お前は、他に、何を知ってるんだ?」


「……はあああああぁぁぁあああぁぁぁああああぁぁ」


 朔磨の質問に宗太郎は、頭を掻いて大きく大きく息を吐きだした。次に彼の目を見ると、そこに光はなく、かわりに憐憫のような暗さが宿っていた。


「!? 何やってんだ!」


 朔磨はわけもわからずがなる。

 それも当然、宗太郎は突如、片手にぶら下がっていた拳銃を前触れなしに構えたのだ。

 他でもない彼、桐生宗太郎自身の脳天に向けて。


「うーん、ここら辺かな。よーく見ててね」


「ばっ――」


 ばん。

 その動作に、躊躇など微塵も感じられなかった。


***


 ――何が起こったのか、よく覚えていない。

 彼が自分の頭を自ら撃った。そこでなぜか、朔磨は目が眩んで、世界が澱んで――。

 いや、考えていても仕方がない。いくらない頭を虐めぬいて引き絞ろうと、目の前の事実が揺らぐことはないのだから。


「やあ、気分はどうだい、サク?」


 不敵に笑い、朔磨の目の前に手をかざす宗太郎。

 先ほどまで彼と話していた廃墟だ。ただ、一つ変わったことがある。


「で、死体をその場から消す程度の陳腐な手品が、お前が見せたかったことなのか?」


 そう。彼が足蹴にして踏みにじっていた、少女の死体が忽然と消えていた。だが、一体それが何なのだ。

 そういえば、気づかなかったが、口元から涎が垂れている。さっき拭き取ったはずなのに、自分はこんなに唇あたりの筋肉が弱かっただろうか。疑問に感じながら、ぐいともう一度顔を拭いた。


「まあまあ、焦らないでって。……ねえ、そこで覗いてる子、怒らないからこっち来てみない?」


 表情を変えずに宗太郎が言い放った一言。疑問符を浮かべた朔磨だったが、廊下への扉の陰から、かすかだが、小さな悲鳴が上がったのが聞こえた。

 少しして、今にも泣きそうな顔をした少女が、スマートフォンで足元を照らしながら姿を現した。

 どういうことだ、と言いかけて、言葉を失う。

 あの、死体となって転がっていた少女ではないか。なぜ生きている?


「ばーん」


 朔磨が驚きに目を見開いた直後、宗太郎が銃で彼女の腹部辺りを撃ち抜いた。

 彼女は小さく鳴いて、その場に膝から崩れ落ちる。


「てめッ……!!」


「安心しなよ、今回は麻酔銃だ。また騒がれても困るからね」


 そう言って、彼はクルクルと指先で銃を回す。

 よかった――などとも悠長に言っていられない。彼を糾弾するのも少女の安否を心配するのも後だ。朔磨は今、決して聞き逃してはならないことを彼の口から聞いたのだから。


「宗太郎。お前……『今回』って言ったよな」


「……あら」


「『また』騒がれたら困るとも言った」


「あらら」


 宗太郎はわざとらしく感嘆を漏らし朔磨に拍手を送る。

 気づくのが遅すぎた。察しが悪すぎた。彼が自分の頭を撃ったとき、世界は――。


「さて、ようやくと言うべきかな? そろそろ本題に入ろう、サク」


 冷や汗が伝う。本当なら、この場で何もなかったことにして、下らない冗談のように笑い飛ばしたい。


 もう、遅い。


 目の前の彼から一瞬だけ、笑みも何もかもが消え去った。


「――君はいつまで、自分が主人公とくべつだと思い込んでいるんだよ」


 それは、朔磨が今まで聞いたこともないくらい、冷たい声だった。

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