第一章13 『積み上げた死体の上に』
平日の昼過ぎである。現代日本であれば未成年のほとんどは学校に赴き、勉学に勤しんでいるはずだ。いや、勤しむかどうかは人によるかもしれない。病気療養のため休みを取っている者たちも、家で大人しくし、外を出歩くことはないだろう。
蔦の隙間からの木漏れ日を浴びる屋外のカフェテラスでランチタイムに興じる髪の長い少女は、その点から見て少し異質と言えた。頑張れば成人に見えなくもないが、一心不乱にサンドイッチで頬を膨らます様子に大人らしさが欠片も見当たらない。昼食という一般的な言葉すら限りなく上品に聞こえてきそうな光景だ。
そんな時、彼女が片隅に置いていたラジオのようなものがノイズを発し始める。もっとも彼女はそれに繋がるイヤホンを片耳につけているので、ノイズの音を受け取ることができるのは彼女の鼓膜だけである。やがてノイズは晴れ、音は声となり、言葉となる。
『――やっほう、元気してるかいの? 暇じゃったもんで電話しちったぜよ』
てへぺろお、と気分の悪くなる声を響かせて、その声の主は恐らく舌を出す。少女にはその声に心当たりがある。というより心当たりしかない。そしてその人物について知っていることとして、『彼女』に暇という時間はあり得ない。無意味の集合体のような存在に見えて、意味のないことはしない人物であるということも知っている。
口の中に残るパンやら何やらを丁寧に咀嚼して飲みこみ、汚れた口回りを舌で舐める。最後にレモンスカッシュを一口飲んで、ようやく少女はその声に応える。
「何の用ですか」
『おっそいわい、無視されたんかと思うて、儂結構ショックじゃったんじゃぞえ?』
「知りませんよ。人の食事を邪魔しないでください」
『ほう、食事か。儂はてっきり犬が人間の食いもんを間違えて貪り食うとるのかと』
言うに事欠いて何てことを。心外に感じる少女はもちろん食事中の自分を客観的に見たことがない。少女は通話の相手を睨みつける。その目線は上空だ。恐らく今彼女は笑っているのだろう。それを思うと眉間に刻まれた皺が濃くなった。目が合った気がした。不愉快極まりない。
「結局、何なんですか」
『それがの。実は衛星からん映像に、おかしなもんが引っ掛かってな』
「……おかしなもの?」
『「ドクター、見てるう?」つってビルの屋上にチョークで書いて、手え振っとる餓鬼がおる』
少女は、レモンスカッシュを口に運ぶ手を止める。そしてじろりと機械を睨みつけた。
「……そのガキに見覚えは?」
『ないけんこうして連絡しとるんじゃ。おんしも、予想はつくじゃろう?』
「……バグ、ですか」
パチン、と指が鳴る音が機械の向こうから聞こえた。今日の彼女はいつもより上機嫌のようだ。正解音代わりのその乾いた音に、少女は溜息を一つ吐く。面倒ごとは嫌いだ。
「その通り。儂は今から迎えに行くが、おんしも来るかいの?」
童女の言葉には言外に命令の意味が込められている。護衛対象にたとえ死ぬほど嫌悪感を抱いたとして、上の言うこととあらば致し方ない。いつだって仕事は嫌なことだらけだ。少女の持論として、仕事の類語は辛抱、もしくは我慢である。
「もちろん、お供致しますよ、クソ上官殿」
「言うねえ餓鬼んちょ。おんしの脳汁を頂くのが楽しみじゃ」
互いにフハハと不穏な笑いをはじけさせて、それを合図に少女は食べかけのパンを放置して席を立つのだった。
***
おかしいと、思ったことはないだろうか。具体的に何をというものはないけれど、言うなれば、世界。そのすべてに、どこか歪さを垣間見たことはないだろうか。何の根拠も、確信もないが、ただ漠然と間違いが蠢いている気持ちの悪い感覚。
ああ、いいんだ。責めているわけじゃない。僕は寧ろ、それが正常だと思っているくらいだ。
世界のすべてに明確な意味を見出すことは、残念ながら今の僕らには不可能だ。もしかしたら稀代の偉人と呼ばれる者たちはそれをやってのけたのかもしれないけれどね。でもおかしいと思わないかい?地球上のすべての食物連鎖のシステムに組み込まれている生物の中、「人間」という存在は明らかに異質だ。いったい、人間はなにをしたいのだろう? 意思の問題ではなく、種の概念として。いや、言い方が適切でないね。
――世界は、人間に何をさせようとしていると思う?
僕は知りたい。すべてを知りたい。その為なら臓腑も命も、この手にのせて差し出してみせよう。誰にって? そりゃあ、この捻くれ曲がった世界の創造主だ。
だから悪いけどここに宣言しよう。僕は、全人類を巻き添えにする。たとえ誰かが家族との幸せな日々を淘汰されようと、罪のない少年少女が泣き叫ぼうと、僕はそれでも足を止めない。すべてを知るためになら、僕は喜んで惨劇の主催者になろう。生きることの愉しさも、死ねることへの安堵感も、すべては彼が教えてくれたから。
さあ、そろそろ始めようじゃないか。人類は思い出さなければいけないんだ。この世界の傍観者の立場を過信し甘んじている彼ら彼女らに今、警鐘を鳴り響かせよう。すべての駒をその手中に携えながら、停滞の海に沈み揺蕩う世界を、今一度混沌へと引き摺り出してやろう。
人類史上最低最悪な素晴らしい世界の誕生日が、今宵、ついに幕を開ける。
***
そこは静謐に満ちた重苦しい空気の漂う廃墟だった。外の光は隙間から僅かに漏れ出す程度であり、中は昼にしては薄暗い。
そこに二つの足音が響く。間隔が短く小走りのような軽い足音と、淡々とリズムを刻むニヒルな足音の二つ。よく耳を澄ますと、布を地面にずっているような音も聞こえてきた。
「ふむ、いないのう」
「あんまり前出ないでくださいよ。危ないですから」
「それを守るのがおんしの仕事じゃろて」
「あなたの死によって私の馘がトぶことを心配したんですがね」
溜め息と悪態をついて、ガスマスクをつけた少女が転がっていた空き缶を蹴った。
「ドクター、どう思います?」
不意に少女が、隣を歩く童女に話をふる。顔は向けていない。
「何がじゃ」
「『バグ』ですよ。彼がいったいどれだけ「繰り返して」きたのか、私たちは知らないでしょう。しかも彼はあなたの存在を知っていた」
「確かにそうじゃの。けんどどうしょもないじゃろ。何を今更分かりきったことを」
「いえね、彼が友好的な態度をとってくれるなら、私たちも大助かりと……」
「お前演技下手だなガスマスク。女優とポーカーには向いてないぞ」
「ッ!?」
突如割り込んできた声に彼女が振り向くと、そこにはにやにやといらつく笑いを浮かべる少年が真後ろに立っていた。見るからに貧弱そうな見た目をしており、真っ向から挑んでもワンパンで勝てる自信が少女にはある。しかしそれとは別に、何か、得たいの知れない凄みが体を痺れさせた。
彼はどっこいせと近くにあった椅子に座る。慣れている、と少女は感じた。
「おたくらも座ろうぜ。立ち話も疲れるからさ」
「ん、じゃお言葉に甘えるとしようかの。ところでお前誰?」
「ひどいなあ、いつぞやは体を冷たくさせられた仲なのに」
けらけらと笑う少年にドクターがはははと便乗笑い。正直見るに耐えない光景だ。お互いその場で作ったような笑い顔なのである。二人、特に少年の目の奥には深い闇が落ちている。
「まあ冗談はほどほどにして、俺があんたらを呼んだのには当然わけがある」
彼はそう言うと、ポケットから折り畳んだ紙を取り出した。それを渡された少女が覗くと、そこには箇条書きで何かの条件のようなものが記載されていた。あまり綺麗な字ではない。殴り書きというのもあるだろうが書き手もそこまで字のうまい人物ではないのだろう。
一番上には、見出しらしき言葉がある。
「『組織「猫」と久遠朔磨の協力に関する条件』って、何よ、コレ」
「見ての通り。俺はいつかの世界で、お前らと協力関係を約束した。だからさっきのガスマスクの友好的アピールは無駄。悪いね」
「ぐぬ……」
返す言葉がない。いざ言われてみると腹が立つが、あれが浅はかな演技というのは否めない。
「前の世界では言葉で説明するのが面倒くさい上に難しかったからこうやって文字におこしたんだ。分かりやすいだろ?」
「確かに。でも字が綺麗だったらもっと分かりやすかったわ」
「いちいち文句つけるんじゃねーよ」
不満そうに口を尖らす彼は、紙によれば久遠朔磨という名前らしい。なるほど自己紹介も省けて助かる。こちらとしては過程を丸々すっ飛ばす気持ち悪さを覚えないでもないが。
「その様子じゃと、きさんはもう既にかなり繰り返しているようじゃな。で、何ゆえの協力じゃ」
ドクターの問いに、少年はピンと人差し指を立てる。反応の速さから、前にも同じ問答をしたことがあることが窺える。
「簡単だ。今から、大規模なテロが起きる。いや、もう起きてるのかな」
「大規模っていうのは、どのくらい?」
少年は人差し指をしまい、親指を下に向ける。
「この街、酷ければそれ以上丸々吹っ飛ぶくらい。あ、比喩とかじゃなくてホントに吹っ飛ぶ」
冗談めかして言っているが、冗談には聞こえない。しかし。
「……なるほど。で、協力関係然り、その嘘臭い話を私達が信用できる証拠は?」
突き放すような少女の言葉に、久遠というらしい少年は深い溜め息をつき、ぼりぼりと頭を掻いた。
「どうやら無いようね、残念だわ。じゃ、一緒に来てもらう――」
「だー待て待て! 違う。ちょっと前のこと思い出して鬱になっただけだ」
両手を顔の前で勢いよく振り、立ち上がろうとした少女を制止する少年。やはり相当やり直している。少女は警戒を強めた。
「あるということかの?」
「明確な証拠を持ってこいって言うんなら多分無理。あったけど今回はまだ持ってないからな。でも、話はできる」
「何の?」
「うーん……強いて言うなら、前世?」
久遠の口から発せられた言葉に、少女は息を呑む。彼の背後には、他にも無数の彼がいる。それらがどんな道を歩んできたのか、それが分かるのは当人である彼だけだ。しかし少女は想像してしまう。
――いったいこの男は、どれだけの死体をその下に積み上げてきた?
背筋が凍る。これほどでは臆せぬ自信はあるが、本能的な嫌悪感が呼び起こされるのだ。死と近しい世界に生きているため、余計にである。
ちらりと隣を窺うと、いかにも愉しそうな顔で久遠の話に耳を傾ける童女がいた。なんだか頭が痛みを訴え始めてきた。きっと気のせいではないはずだ。
「俺はこの世界で、王手をかける。終わりにするんだ。お前らは、俺が言うように動いてくれたらそれでいい」
久遠が乱雑に散らばった廃棄物の中から玉将の駒を手に取り、向かい合う少女と童女の前の床に叩きつける。そしてそれ目掛けてナイフを投げ下ろし、真っ二つに木の駒を割った。……慣れている。
「何を――」
言ってるの、と、少女は言葉を続けられなかった。久遠の瞳が、赤黒い、血のような色に染まって見えた。それは決意の色にも見えたし、憎悪の色にも見えた。恐らく、どちらもだ。
「この話を、後日談として語る」
さあ、悲しみのない物語を始めよう――。
そう言って彼は、自らの瞳に悲しみを煌々と湛えながら、終わってしまった世界たちに思いを馳せるのだった。
***
平和で穏やか。合わせて平穏である。つまらないということは変わり映えしないということであり、変化なしということは異常なしということである。つまるところ暇とは至高。現代人はもっと暇を崇拝するべきだ。平和を謳う現代社会において、何もしない行為はその極致ともいえるのだ。
ボイコット万歳。休日とは世界と心のオアシス。残業は敵だ、排斥するべきだ。たとえば高校教師など部活の顧問をやってもやらなくても給料が同じという暴挙が平然と行われているのだ。どう考えても割に合わない。つまり教師という職は平穏の対極だ。いや、まずもう働くこと自体が面倒くさ……平和を乱すウイルスなのだ。
結論。現代人よ、ニートになれ。
「ということを現代社会の尾村先生に言ったら、顔を真っ赤にして「生徒には絶対に言わないでくださいね」と言われたんだ。どう思う」
「保健室に入ったらいきなり意味不明な高説を聞かされアバウトすぎる質問を振られた圧倒的な被害者である僕の視点から言うならば、言うなと言われたことをその対象に相談してるあたりでまず人として終わってるんじゃないですかね」
「うむ、貴重な意見をありがとう。もう帰っていいぞ」
「せめて先生が喋ってた時間くらい喋らせてくれません?」
ひらひらと手を振るのは、残念美人で有名な養護教諭の吉見、それを無視してソファに腰かけるのは、一年生である宗太郎だ。
「サクは……久遠はどうしたんですか?」
吉見は宗太郎を見ずに答える。
「あいつなら来てすぐ家に帰ったぞ。そんなに具合悪そうでもなかったけど、本人が帰りたがってたし、止めるのも面倒くさかったからな」
「なんで貴女がこの仕事を続けられてるのか未だに分かりません」
「美人だからな」
妙に説得力のある言い切りに、宗太郎は苦笑を浮かべる。
「けど、珍しいこともあるもんだ。サクがそんな早退したがるなんて」
「学校好きなのか?」
「そういうわけじゃないんですけど、如何せん悪目立ちを嫌うやつでしたから」
「よく分かってるんだな。流石は友人といったところか、金次郎くん」
「宗太郎です。薪背負いながら本読んでる僕でも見たんですか」
何かショックなことでもあったのだろうか。振られた、はないだろう。そんな度胸のある男ではない。
「そんなにサボりたかったのかな?」
「んー、他に用事でもあったんじゃないか? 急いでたみたいだったしな」
「急いでた?」
宗太郎は目を開いて吉見を見る。相変わらず、パソコンの前でスマートフォンを忙しなく弄っている。贅沢な環境だ。
「ああ。切羽詰まってる感じだったぞ、表面上では笑ってたけどな」
「……今初めて先生が先生に見えました」
「どういう意味だコラ」
彼女もただのクズ人間として年を重ねていただけではないのだ。宗太郎が安堵するとともに、吉見の眉間に不機嫌そうな皺が刻まれた。
宗太郎は目線を吉見から外し、手を顎に当てて思案のポーズ。あの唐変木が急いで早退。やむにやまれぬ事情があるのかもしれない。或いは……
「……何笑ってる? 気持ち悪いぞ」
「あれ、バレちゃいました?」
「何年この椅子座ってると思ってんだ」
「流石、敵わないなー……別に、ただ、彼だったらいいなって、そう思っただけですよ」
宗太郎の曖昧な返答に、吉見が訝しげな顔をする。およそ生徒に向けていい顔ではないであろうに。
「そろそろお暇します」
「おーう、気をつけろよ」
立ち上がった宗太郎を一瞥して、吉見は手元のスマートフォンへと目線を戻す。
「さっきから、何やってるんですか?」
「アプリゲームだ。今お前の横に槍持ちデビルがいる」
「そういうとこですよ……」
槍持ちデビルというのは、宗太郎も聞いたことがある。今流行っているゲームに登場するモンスターだ。色々な種類のデビルを捕まえてコレクションしていくものらしい。確か、朔磨もそれをやっていた。自分もやってみようかと小首を傾げた。
「それじゃ、失礼しました」
「おい」
がらがらと扉を閉める途中、宗太郎が声に顔を上げると、鋭く光る双眸が、真っ直ぐ彼を射ぬいていた。
「……なんでしょう?」
精一杯の作り笑顔。柔和とは対極に位置する、柔らかい笑顔だ。
「あまり、驕るなよ」
彼女はそれだけ言って、スマートフォンに目を落とした。
「ご忠告どうも」
宗太郎もそれだけ言うと、手をかけていた扉をぴしゃりと閉める。扉の向こうから小さい悲鳴が聞こえる。槍持ちデビルを捕まえるのに失敗したようだ。
かつ、かつと、柔らかい日の差す廊下に足音が響く。まるで彼の周りだけ音が切り取られたように、その音だけが大気を震わせている。風さえも吹くのを躊躇うような、異質な空間だった。
「……勿論ですよ、生徒思いの優しい先生」
囁くように呟かれたその言葉に不穏を植えられるとともに、世界はやっと呼吸を取り戻した。




