ボクの、よっちゃん。
ボクの名前はリキ。今ではよぼよぼの爺さん犬だけど、若い頃は結構有名な闘犬でした。
ボクの住む町には、ボクみたいな闘犬がたくさん住んでいて、大きな闘犬大会も開かれます。
ご主人様の家にはボクの勝ち取った、ぴかぴかのカップや立派な盾がたくさん飾ってあります。
ボクは、ご主人様の自慢の闘犬でした。
今日は、ご主人様の孫娘のよっちゃんとお散歩です。
よっちゃんとボクは、同じ年に生まれて、一緒に大きくなりました。
小さい頃は、毎日一緒に遊んだのに、最近はよっちゃんにも彼氏が出来ちゃって、なかなかボクの相手をしてくれません。
久しぶりのよっちゃんとのデート。ボクは尻尾を振りながら、一生懸命よっちゃんの後をついて歩きます。
ボクとよっちゃんは、近くの河原へ着きました。
ここは、よっちゃんがまだ小さな子供の頃から一緒に遊んだ思い出の場所です。
パンツ一丁で川遊びをしていたよっちゃんも、今ではすっかりキレイなお姉さんになってしまいました。
よっちゃんがキレイになるのはうれしいけど、なんだかボクからどんどん遠いところへ行ってしまうみたいで、ちょっぴりさびしいです。
この場所へは、よっちゃんとよっちゃんの彼とボクの3人で遊びにきたこともありましたね。
よっちゃん、ボクは憶えていますよ。
よっちゃんの、ファーストキスを。
川を渡ってきた風が、水の匂いとひぐらしの鳴き声を運んで、ボクとよっちゃんの頬をさあっと撫でていきます。
あの時も、こんな夏の日の夕暮れでした。
ボクが、わん、と吼えたら、よっちゃんと彼はあわてて唇を離して、照れくさそうに笑っていました。
ボクは、ちょっぴり妬けました。
でも、よっちゃんの笑顔をみたら、ボクもうれしくなりました。
よっちゃんがシアワセなら、ボクもシアワセなんです。
そう、よっちゃんがシアワセなら…。
ボクの鼻先に、生温かいしずくがぽたぽた落ちました。
ちょっとしょっぱいそれは、よっちゃんの涙でした。
よっちゃんは、一生懸命手の甲で涙を拭っていたけど、大きな瞳から涙はどんどん溢れ出して止まりません。
ボクは思わず、涙で濡れたよっちゃんの頬を、ぺろりと舐めました。
「やだ、リキったら…。」
よっちゃんは、ボクの頭をぎゅうっと抱きしめました。
「あたし、フラれちゃった。彼ね、他に好きなコができたんだって…。」
よっちゃんの声は震えていました。
よっちゃんはボクを抱きしめたまま、ひっくひっくと泣いています。
もしも、ボクが人間だったら、優しい言葉のひとつも掛けてあげられるのに。
もしも、ボクが人間だったら、よっちゃんの細い肩を、ぎゅっと抱きしめてあげられるのに…。
そのときです。
よっちゃんが、きゃあと悲鳴をあげて、小さく後ずさりました。
手綱の外れた大きな闘犬が、ぐるるる…と、低く唸り、はあはあと涎をたらしてこっちを睨んでいます。
あっという間もなく、彼の力強い爪が、河原の小石を蹴り上げて、ボクたちに襲い掛かってきました。
若いオス犬の、荒々しい鼻息と鋭い牙が、ボクの喉元に深く深く喰い込んできます。
彼の涎と溢れ出る血で、ボクの首はじっとりと濡れてきました。
「リキ! リキ!!」
よっちゃんの悲鳴とひぐらしの鳴き声が、だんだん遠く小さくかすんでゆきます。
なにやってるんですか、よっちゃん。 はやくお逃げなさい、はやく…。
ボクの名前はリキ。今ではよぼよぼの爺さん犬だけど、若い頃は結構有名な闘犬でした。
ご主人様の家にはボクの勝ち取った、ぴかぴかのカップや立派な盾がたくさん飾ってあります。
でも、ボクが本当に守りたかったのは、そんなモノじゃ、ありませんでした。
大好きな、よっちゃん。
ボクは、生涯の最期に、いちばん大切な人を守ることができました。
ボクはきっと、世界一シアワセな、闘犬です。