ミキストリレポート
【3ーF ミキストリ・レポート ~ パチンコなるもの】
賭け事、ギャンブルを法律の範囲内で楽しむ人間族は多い。嗜む程度の者もいれば生活を賭けて挑む者もいる。その中でパチンコ、パチスロは気軽かつ簡単に手を出すことができる。触った感じとしては確率を利用した金銭のやりとり、と言えようか。仕組みとしてはサイコロを振る行為と大差ないのだが、スペックや演出の工夫によって幅広い客層の好みに対応できるよう・・・パチンコそのものの話は置いておこう。
雑誌の代表格は漫画だろうか。週間、月間共に他の雑誌と比べて多くのリピーターがついている。以前も触れたが女性誌もかなりのスペースを占めるし、かと思えばパズルやクイズ雑誌も目にすることがあるだろう。新旧多種多様の雑誌が所狭しと並ぶ一方で、インターネットやスマートフォンの普及で紙ベース刊行物の売れ行きは鈍っている。採算が合わずに廃刊や休刊となった雑誌も数多い。一部の有名女性誌の廃刊は随分と話題になった。というか、谷口が喚いていた。知らないとは言わせない。俺以外にもいるのだろう、堕ちた死神が―
数ある雑誌の中で無駄の筆頭と思われているものがパチンコ、パチスロ一群である。販売数がゼロとは言わないまでも滅多に売れることはない。返本作業をする際には必ずと言っていいほど返却リストに名前が挙がってくる。しかも種類が豊富。そして嫌がらせのようにタイトルが似ている。中身はパチンコをやらない人から見ればどれも似たようなもので、特集やライターが異なるくらいのもの。それはそうだろう、最新機種や人気代を扱うというスタンスに違いがなければ自ずと内容は似通ってくる。何故か表紙の写真や雰囲気までも類同しているものだから、パチンコに興味のないものにとってはあっちもこっちもそっちも全て同じものに見えてしまうのは致し方あるまい。立ち読み客がいるのは分かる。一冊売れればそこそこデカいのも理解できる(1冊千円前後する代物もある)。が、パチンコ、パチスロ雑誌はこんなにもいらないのではないだろうか。ほとんどは売れない品物で他の雑誌の設置場所を食ってはいかんだろうて。そう思っていた。
好きな人間は休みの度にうちに行くという。勝利を夢見て。手軽なギャンブルとはいか程のものか。1時間、2時間でいとも簡単に2万、3万円負けることもざらだ。ということは、同じ時間で同額、事と次第によってはそれ以上の金額を稼げる可能性を秘めているのだろう。また低貸しもあるようで、例えばパチンコであれば1玉4円、、2円、1円という風に個々人の都合に合わせて遊戯することが可能である。もちろん胴元が儲かるようになっていなければパチンコ屋がやっていけないので、総じて見ればお店の勝つ仕組みになっているというのは皆、これでもかと理解した上で、今日勝てるんじゃないかと夢を持って店へと出かけるのだ。
パチンコ、スロットで食っている、いわゆるパチプロと呼ばれる人間がいる一方で、遊戯とは言えやはりギャンブル。のめり込み過ぎて身を滅ぼす者も後を絶たない。経済活動に勤しむ人間族、悲しいかな、金銭が絡むと適度に遊ぶということが案外難しいようだ。頭に血が上って精神が壊れてしまう。
パチンコ雑誌を立ち読みしている人間族は一体どんなことを考えているのか。頭の中で作戦でも練っているのだろうか。はたまたお気楽な妄想に浸っているのだろうか。明日、朝一で並んで新台を打つか。投資は2万円間でで抑えたいな。目標は2万発ってとこか。う~ん、5、6万勝てたら上々か・・・詮ずる所、人間族の頭の中などこんな所だろう。あとは激アツ演出を確認したり、多少複雑な機種はシステムを予習したりして自分なりに決戦の準備を進めるのか。
何はともあれあくまで立ち読み。店は1円たりとも得をしない。パチンコ雑誌などいらないだろう。パチンコ雑誌を置いていないから客が減ったとか、競合店に逆差別化されてしまった、ということにはなるまい。そう考えていた。
賭博。勝つ時もあれば負ける時もある。いやいや、負けるのが常。運良く勝った時そのギャンブラーの財布は一時重みを増し、プラス分のいくらかは吐き出される。期待はしていたが予期せぬ臨時収入に人間族は普段はなかなか手の出ないもの、気になっていたものを買いたくなるものである。時間があれば美味いものを食べに行ったり、コンビニよりも洒落た店を訪れたりするのだろうが、一勝負終えた時刻は22時30分ということが多い。これでは空いている店は少ない。
いつも立ち読みしているだけのDVD付きパチンコ雑誌、店で一番高いカップラーメン、プレミアムビールにビーフジャーキー。平均価格の2倍、3倍を優に超える金額を悠々と支払う。店にとっては美味しい客へと変貌する瞬間であった。
【ミキストリ・レポート ~ パチンコなるもの 終】