前編
夏のホラー投稿予定作品です
夏の日差しがアスファルトに照らされて上下から俺の体を蒸し焼きにする。大学を卒業した俺は南国にある離島の教師として4ヶ月前に赴任してきた。
赴任してきた当初はそれほどでもなかったが、最近の雨の多さは一人暮らしの俺にはちょっと困りものだ。
夕方の雨の降る前に洗濯物を取り込まなければならないし、帰宅が遅くなれば夜露に濡れてしまう。
さっさと嫁でももらって同居してもらうのもいいなと思いつつ、夏休みに入った学校を早退し、買い物を済ませ家路を急ぐ、いつもならもう一時間ほどで夕立が来る。
「そろそろ車を買わなくちゃいけないかな・・・」
そう独り言をつぶやいていると後ろから声がかかった。
「先生、なにしてんの」
声を掛けてきたのはうちの女子生徒だった。少子化のおり、クラス数も少なくすぐに名前を覚えることができたが、校外で関わることは滅多に無い。
「トッコか、今日は久しぶりに自炊できそうだからな食材買って帰るところさ」
そういって買い物袋を持ち上げてみせる。
「えー先生料理できるの?すごーい」
袋の中からネギが飛び出し、ニンジン、ジャガイモなどが奥のほうで収まっている。
「作れるのはカレーぐらいさ、調味料だって市販のルーだぜ。あーいったん家に帰って洗濯物を取り込んだら魚釣りにでも行こうと思ってるからあとは釣果次第だな」
そういって釣竿を降るまねをする。
「ここらへんお店少ないからねー、自分で釣らないと新鮮な魚は食べられないよね」
そういってトッコ、本名、所沢美由紀はトコトコと付いてくる。
「まぁ、近くに海があるっていうのは釣り人にとってはありがたいな」
「毎日冷凍食品じゃ飽きちゃうよねー」
そうげんなりするような台詞を吐いている、最近の女子高生は料理をしないのかと思う。
「なんだ、親は作ってくれないのか?」
彼女は最近多いシングルマザーの家庭らしい。父親はどうなったかは知らないが、貧しい家庭や片親しかいない家庭が多いのであまり干渉するなとは言われている。だが、この流れでこのくらいの質問は大丈夫だろう。
「忙しいし夜遅いからねー、わざわざ自分のためだけに作んないよ、面倒だし片付けうざいし」
育児放棄というわけでもないのだろうが、経済活動優先でどうしても子供への愛情というものが希薄になってしまうのだろう。彼女も微妙にそれを感じているのかもしれない。
「しかし、お前友達はどうした、アキとかサヤとか」
こういう子供たちは頼れる大人たちがいなければ子供たち同士のコミュニティを大事にするようになる。大体2~3人でつるむことが多いがそれもあと1~2年といったところか。
「あの子たち、最近男できたみたいでさー彼氏の船で本島にいってるみたいだよ」
高校生ともなれば異性にも当然興味が沸くこともあるし、女子の場合同年代の男子が頼りなく見えてしまい、年上の彼氏を持つことが多い、学校としては妊娠さえしなければというスタンスだ、所詮は他人であるし、3年間の付き合いだ。問題行動さえ起こしてくれなければとくに注意することも無い。
「あーなるほど、お前ハブられたな」
女子同士の友情が壊れる時、それは大抵男がらみのことが多い。ダレが誰の彼女だとか、色目を使っただの浮気だなんだと事情は多種多様だが、結局のところ思い込みがほとんどなのだがそれが学校生活にも影響してくるから始末が悪い。
「うーん・・・あんまり納得したくないけどたぶん当たり、あたしが行くと場が荒れるからダメだってさ」
わからないではない、彼女はたしかに美少女ではあるが、いわゆる勘のいい少女にみえるらしい、楽しく過ごそうと思っているのに、前の女の影が取り付いてるなどといわれたら。その彼氏さんもいい気持ちはしないだろう。
ミステリアスな魅力がある分、本当の霊感少女かもしれないと男たちは恐怖する。場が荒れるとはそういうことだ。
「そっか、それで俺についてきて暇つぶしか、洗濯物入れるついでにお茶でも出してやるよ」
そういって俺は自分の住んでいるアパートの前で彼女を誘う。
「うん、ありがと・・・」
彼女はそういって俺が住んでいるアパート裏野ハイツを見あげた。
裏野ハイツは築30年の古いアパートで俺を含めて6世帯の家族が住んでいる。俺の住んでいる部屋は2階の203号室で階段を上ってすぐの部屋だ。
俺は鍵を取り出し、鍵穴に差し込んでいると202号室を挟んで反対側の201号室の住人である70歳くらいのおばさんが外に出てきたところだった。
「あら、健太郎さんもうお帰りですか?」
いつも挨拶してくれる気さくなおばさんでここに住み始めて20年ほどになるそうだ。
「ええ、洗濯物を雨が降る前に帰ってきたんです。毎日部屋干しじゃ部屋が臭くなってしまいますので」
俺もにこやかに答える。近隣住民とのなごやかなコミュニケーションというものはいいものだ。
「そうでしたか、いつもよりお早いお帰りでしたので・・・ところでそちらの方は?」
おばさんの視線が俺の後ろに注がれる。
「ああ、彼女は僕の勤務先の学校の生徒ですよ、偶然通りかかったのでこの暑さです。涼んでいってもらおうと思いましてね」
「どうも、トッコでーす」
トッコは気軽に挨拶する。
「元気なお嬢さんねぇ・・・うちの孫のお嫁にどうかしら?」
このおばさんは事あるごとに孫の事を引き合いにだし、色々と話したがる人だ。何度か懐に入っている古い写真を見せては自慢しているのだ。
「はは、ごめんなさーい、私先生にぞっこんだから」
トッコはいつもこういうことを学校でも言うのでいい加減慣れてしまった。俺も他の生徒もまたいつものかとあまり真剣にとらえていないが、近隣住民に誤解されてはたまらない。
「おいおい、あまり笑えない冗談はやめろよ。勘違いされたら困るだろ」
世間もいいかげんなデマに振り回されることも無いとは思うが噂一つで職を失うご時勢だ、特に男女の噂は一番不味いのできちんと否定しておくことが大事だ。
「えーっ私は全然かまわないけどなー」
そんなやり取りが面白いのだろう、彼女はいつもニコニコしてこういうやり取りをする。あまり強く言って泣き出されても困るのでこういう対応にすると職員会議でも宣言しているからある程度は大丈夫だ。
「まぁ、仲がよろしいことそれでは失礼しますね」
おばさんもあまり深くは追求してこなかったので助かったが、あまり親密な様子を出すと噂が噂を呼んでしまうのでほどほどにというのが俺のスタンスだ。
俺は彼女を部屋に入れると鍵をかけた。
「まったくどういうつもりだよ」
いつものことだが、このやりとりはまだ続く、二人っきりになった時にこういうやり取りをほぼ毎日やっているので慣れたものだ。
「えへへ、ちょっと困った顔が見たかったり」
彼女もこのやりとりを楽しんでいるのか、ニコニコしている。俺はちょっとヒヤリとしたぞ。
「ま、いいか、俺は洗濯物を取り込んでいるからお前は適当に冷蔵庫に入ってる飲み物飲んでていいぞ、ああ食材を冷蔵庫に入れといてくれ」
俺はなるべく彼女に仕事を振るようにしている。自分が愛されている、必要とされていると感じなければ壊れてしまうような繊細な子なのだ。
「はーい・・・うーん麦茶、コーラ、アクエリアス、先生お酒の類がないね」
俺は酒は好きではない、酒は頭ががんがんするし、すぐ眠くなる。気分も悪くなるし飲みすぎれば吐いてしまう。
何より血圧が上がりすぎて排便の時に切れ痔なってしまうのは非常に恐ろしい。
正しい食生活に適度な運動、健康であることが一番の幸福なのだ。
「ああ?俺は酒は飲まないからな、その代わり料理酒なら戸棚の中だ」
酒をそのまま飲むことはないが料理酒としてなら良く使う。もちろん日本酒もあるが、ワインも赤白あるし、酢の類もある。
「料理酒なんて飲めないよ、しょうがない麦茶で我慢するか」
普段家で酒を飲んでいるのかは知らないが、彼女を若い身空で切れ痔にはしたくないなと思いつつ、俺は洗濯物を取り込みハンガーから外す。
テーブルに二人分のコップと麦茶が置かれ、コップに麦茶が注がれる。
「かんぱーい」
彼女も少しテンションが上がっているようだ、やっぱり男の部屋に上がると気分が盛り上がるものなのだろうか?
「いやー暑い日は麦茶に限るな」
俺はコップの麦茶を一気に飲み干し、また、注ぐ。
「先生お子様だねぇ、ビールじゃないのこういうときは」
たしかに大人はそうかもしれないが原料だから同じだからいいじゃないか。
「俺はあまり好きでもないし、未成年に飲ませるもんでもないからな」
さすがに俺も法令違反はしたくない、これでとっつかまってもなんのいいこともない。
「やーん素面でかっこよすぎるわよ」
どこにかっこいい要素があったのかは知らないが、彼女は麦茶ですでに酔っ払っているのかもしれない。
「さて、俺はちょっと料理の仕込みするよ、坊主だったときに困るからな」
今日は夏野菜を炒めることにする。といってもたいしたことはしない。食材を細かく切って塩コショウ、醤油で炒めて終わりだ。
「じゃ、あたし洗濯物たたんでるね」
彼女が自分で仕事を見つけてやろうとするのも成長の証だろう、または愛のなせる業か?
「ああ、ありがとう」
こういうときは気付かなかったありがというという感じでさりげなく感謝しなければならない。なかなか難しい。
「ねぇ、こうしてると新婚な感じがしない?」
突然唐突もなく夢空間に入ってしまうのも彼女の特性だ、ここからの返事は慎重にしなければならない。
「そうだな、結婚してないけどな」
きちんと自分たちの関係性を理解させようと努力する。
「家族ってこういう感じなのかな」
家族ということに憧れを持っていることがよくわかる。だが、彼女は家族の現実を知らずに育ちTVの影響か本の読みすぎなのかもしれない。
「まぁ、子供でもいればもっとにぎやかしいだろうけどな」
さりげなく、誘導し、彼女の未体験の方向にもっていく。
「子供作っちゃう?」
作るという行為自体は理解しているのだろうが、その行為に付随する影響に関して自身、他者に及ぼす波及効果が全く理解できていないのが難しいところだ。
「作るのは簡単さ、だけど今のご時勢まともに育てようと思ったらとてもじゃないが無理だろうな」
いかにも、肝心な部分はたいしたことじゃないといいつつも子供を育てるという責任の重さに話題を振り替える。
「大丈夫じゃない?わたしもシングルマザーだけどここまで育ったし」
どうやら自分の置かれている現実に戻ったようだ。だが、それでも母親と同じ状況になるだけだから大丈夫ぐらいにしか思っていないようだ。
自分を大切にしない行動もそうだが、やはりこれも家庭環境の悪化が原因なのだろうか。
「昔はもっと大勢で子供は育てていたんだぜ?俺の親の代ぐらいからかな、それぞれが実家を出て核家族化していって一人で何人もの子供を育てることになって」
こういうときは昔話でもして本来の子育てというものが共同体で行われていたことを説明する。
「あーあーいいたいこと分かるよ、子供を殺しちゃう親が頻発したんでしょ」
さすがに彼女はうちの学校の俊英と言われるだけあって俺の話の先を読んでいるようだ。彼女の行動はやり方は子供じみているが頭脳は明晰だな。
「児童虐待、育児放棄は日常茶飯事、自立できない子供も増えてニートやフリーターも増加の一途だしな」
これがこの世界の実情、何のために生まれてきたのか分からない子供たちが世間に多くあふれ、本来愛情を持って育てられる親たちから虐待を受けているという。
俺の親も倒錯した愛情をもっていたのだが、俺には理解できなかった。
「先生は違うよね」
彼女の視線は真っ直ぐに俺を見る。さすがに頭脳明晰の上に霊感というか直観力が優れている彼女だ、さらに容姿端麗のうえに俺にべた惚れときてる。
世の中不条理や不合理なことは多いが、これでメンヘラじゃなかったらなぁと思う。
「ま、俺は真面目に勉強したからな、だけど俺だって常勤講師だ正採用ってわけじゃねぇよ、いずれこの土地を離れて別の場所に行くかもしれない。来年の採用だってあるかどうか分からない身の上だからな」
ここでいったん逃げを打っておかないと色々と危険である。こんなかわいい子に惚れられてうらやましいなんていう奴は俺の学校にはいない。
ご愁傷様といった雰囲気が漂っているのだが、それに反して俺がうまくあしらっているように見えるのだろうか最近は見方が変わってきている気がする。
「ふふ、ま、先生なら先生じゃなくなっても生きていけそうだけどね」
ときに彼女は鋭く本質を言い当てる、それがいやな人間もいるだろうから、自然と友人を選ぶことになってしまうのだろう。
「なぁに金がなくなればそれ相応の生き方をすればいいのさ、まぁ、そんなだからなかなか彼女も出来なくてな」
彼女ができないのは金の無さもあるだろうが、原因は普通の女子と普通に会話をするということができないからだ。
「私なってもいいよ」
実にありがたい話だ、君が卒業して俺が講師をやめたら是非お願いしたい。
「そか、ありがとう」
俺は真実の愛というものがよく分からないが、彼女のそれは歪だが本物だ。それは感謝することなのだろう。
「あーまたはぐらかしてる!」
彼女もさるもの、俺が彼女に感謝しているというよりこの出会いそのものに感謝していることが気に入らなかったのかもしれない。俺も彼女もお互いをよく分かっている。
「別に嫌いなわけじゃないさ、ただな、俺は俺の生き方を変えられない、それはいずれお前を不幸にするさ」
なんとなく俺にはわかる。俺は生産的な活動をあまりしない流れ雲のような男だ。今のところ定職に就いてはいるがこの業界はいつも求人があるわけではないし、彼女とのことは教育界でも話題になっている。
今のところ様子見ということではあるが、今後どういう風になるかわからないのが世の中だ。
「まーたよくわかんない話してる」
彼女はわかりたくないことはわからないと答える性格だ、というより俺のことを理解してしまったら今の関係すら危ういものになってしまうことを自覚しているのだろう。
「そっか、すまないな、授業もやっぱりわからないか」
俺は学校の話題を振る。彼女も一応は生徒だ、特殊なという語句が付いてしまうのだが。
「うーん、あんまり聞いてないけど評判は悪くないよ、怒らないしね」
まぁ、そうだろうな、俺も授業が上手いとは思えないし、彼女がいまさら俺の授業を必要とするとは思えない。ただ、俺だけでなくほかの先生に対しても、全く聞いていないそぶりをするのが問題でいつも教師たちからは手ごたえが無いように思われる。
そして彼女に意地悪な問題を出しては完璧な答えを返されて自信を喪失するという悪循環を抱えていた。
自信をなくした教師など、やれることは一つしかない、発狂した挙句怒鳴りつけ、喚き散らし、暴力を振るい、自分を保とうとする。哀れな自己保身に走ることになるのだ。
彼女の側にいるとおかしくなる。それが彼らの結論だった。
しかし、彼女自身は日本のみならず世界に通用するといわれるほどの能力の持ち主で彼女を教え導ける教師が存在すればそれもまたすごいことなのだろう。
「それだけ愛がないのかもしれないぜ」
彼女の特性が脚光を浴びたのは中学の時の全国模試だった。それまで地方のいち中学生に過ぎなかった彼女は完璧な答案を出し、その容姿もあって文科省からも特別推薦として飛び級の可能性もあったほどだった。
だが、彼女はそんなものに愛を感じることはできなかったのだろう。
「ああ、よく聞くね、怒るのは愛情の裏返しだって言う話」
よく教師から生徒に言う言葉で俺も聞いたことがある。おれはふーん、そうなのかと思っていた。だが、怒る理由が見つからなかったので特に怒鳴りはしたことがないだけだ。
「相手に理解してもらえない愛情ほどむなしいものはないからな」
なにをどうしても理解してもらえないというものはあるし、家族、恋人、友人色々な関係性はあるかもしれないが所詮は他人同士のつながりでしかない。
そこに愛情がいくばくかなければ成立しない関係性ばかりだ。
「先生の話はわからないけど、愛情表現が苦手なだけじゃないかなー」
彼女はわからないといっていたし、俺も分かってもらおうと思っていない部分もある。俺だってこの関係が嫌いじゃないからな。
苦手か、そういうことを言う奴にはこうだ。
「ふふ、俺の愛情表現は料理であらわすものだからな」
俺はフライパンを返し皿に盛り付ける。
「うわーすごい、これ野菜炒め?」
さすが、彼女の洞察力は鋭い、誰がどう見ても立派な野菜炒めを言い当てた。だがやはりずれてる。
「野菜炒めですごいといわれるか・・・ま、あとは釣りの結果次第だなぁアジあたりが釣れれば焼いてもいいしな」
俺は特に彼女を特別と思っていないし、自分のいいたいことは言うし、そしてなにより意識は食に向いている。
うまいものを食えば幸せになれる。そう信じているだけだ。
「じゃああたしおコメ洗うよ」
さすが特別で特殊な生徒だ、これは教育のしがいがある。
「米は洗うもんじゃない、研ぐっていうんだ」
米はシャッシャッという感じでサッと水にさらし、水を何度も取り替えることが大事なのだ。
「へーそうなんだね」
さすが超優秀な天才少女だ。一度教えただけで動きがよくなった。
しかし包丁の使い方だけはまるでダメだ。ナタでも振り回すような動きしかしない。こればっかりは経験だな。
「トッコ、夕食どうする?俺は釣りしてからになるから遅くなるぞ?」
彼女は一応他所の家の子だ、一応聞かないとな。
「うーん、釣りはヒマだから」
彼女は基本的に答えの出ない問題はあまり得意でないという事もわかっている。釣りなんて彼女の理論からしてみれば不合理極まりないだろう。なにせいつ当たりがくるかも分からないものに時間を費やすというものはありえないからだ。
「一緒にやってもいいぞ」
一応誘ってはみる、彼女は誘われること自体は嫌いではない、ただ、結果が伴わない行為が苦手なだけだ。
「夕食時になったらまた来るよ、それまでまたブラブラしてる」
どうやら彼女は食事には来るようだ。
「そうか」
俺は玄関に置いてある釣り道具と傘を手に持ち彼女と共に外に出る。鍵をかけている間彼女は隣の隣室のドアを眺めていた。
「どうした?」
俺は彼女の様子を不審に思い、声をかける。
「んーなんとなくね、隣の住人って男性かな?」
隣の住人か、俺は見たことがないし、そういう話は201号室のおばさんともしたことはなかった。
「あー俺は見たことないな、時々夜中にゴソゴソしてるのは聞こえるから誰かいるんだろうなーとは思ってたけど?」
確かに物音がしているのは聞いたことがある。だが夜遅くに挨拶に行くのもなんだかおかしい気がしていきそびれていたのだ。
「まぁ、先生は先生だからね、でもお隣さんはきっと男性だよ」
どういう意味かは分からないが、彼女には何か確信があるようだった。彼女は答えがあることは直感的に答えてしまう。その後で論理的に説明されれば理解できるのだろうが、人間なかなかそこまで器用ではない。
「そっか、さっきのおばさんなら長いこと住んでるみたいだから聞いたら教えてくれるかもしれないけど大事なことなのか?」
俺は近隣住民とトラブルになるようなことはしたくないし、いきなり部屋を開けて性別確認に来ましたというのもおかしな話だ。
彼女との対話も重要だが他人を巻き込むほどではない。
「ふふふ、別にただそう思っただけなの、そしてそうだったら私の先生が誘惑されることもないからいいなとも思ってるだけ」
妙なことを言い出す子だが、あながち間違っていないかもしれない。
魅力的な若妻か未亡人か、はたまた女子大生かそういうのが隣に住んでいるとなればトッコの性格から穏やかではいられないだろう。
「隣人との付き合いは全くないなぁ、引越しの時に挨拶するものらしいけど俺はそういうのやらなかったし」
俺は彼女を促し下の階に降りる。
下の階には101号室には50代の会社員、102号室には40代の引きこもり、103号室には30代の夫婦と息子がいるらしいが俺も仕事で忙しく、あまり接点はなかった。
今後彼女がうちに頻繁に遊びに来るようになれば噂になる前に釘を刺しておく必要があるかもしれない。 そう考えていると102号室のいつも閉まっているカーテンが少し揺れてこちらを見ているような気がした。
女子高生を連れているのがうらやましいのか、たまたま目に入っただけかわからないが俺は他人の視線には敏感だからすぐに気付いた。
これも人間に備わった不思議な力なのだろう。
俺とトッコが今日出会ったのも偶然ではない。彼女は俺の帰りのルートを計算し、偶然を装って話しかけただけだし、少し前から俺のことを見ていてこをかけるタイミングを図っていたのもわかっていた。
一方彼女は直観力に優れているし、洞察力も推理力も容姿も申し分ない。彼女の前では全てお見通しなのだ。彼女の前で嘘はつけないし、全てを見破られるとわかってしまえば誰もが恐れるだろう。心が読まれているわけではない、全てを読まれているのだ。
そして目的のためには手段を選ばないのが彼女だ。夕暮れに俺たち二人の行く先に蛍火が照らしていた。
俺は彼女と別れ、一人海辺に向かう。すると雨がポツポツと降り出し、急に雷鳴と共にスコールが降ってくる。
俺は傘を差したがあまり意味があったとは思えない、すぐに海辺近くの漁師小屋で雨宿りをして今日の仕掛けをセットする。
今日は平日ということもあってかあまり人はいない。休みの日ともなれば他に2~3人の釣り人の姿はあるし夜になれば子連れの釣り人もやってくる。
あまり俺は夜中に子供を連れ回すのは好きではない。夜中は飲酒運転をする無謀な輩もいる。夜は大人しく家で過ごすものだ。
たまには豪勢な夕食が欲しい時はいいものだがな。
さて、雨が降っているときは釣りに最適の時間なのだが、強すぎる雨の中ではとても竿を振るのは無理だ。
夏に降る雨は新鮮な酸素を供給する役目と水面の乱反射で魚から人影などが見えなくなり警戒心が取れて入れ食いになるのだが、釣り人には辛すぎる。こういうときは降り終わりを狙ってさっさと帰るのが良い。
俺は雨足が弱まったのを見計らって釣り糸を垂らす。
今日はアジを狙ってサビキ釣りで釣ることにした。下カゴに餌を入れ寄ってきた魚を疑餌バリ(サビキ)で釣るという単純な仕掛けだ。
一度に何匹か釣れるしなにより簡単なのがいい。
俺の読みは大当たりでアジをたくさん釣ることができた。少々多かったので近所の人に配ってもいいな。
俺は帰り道すっかり暗くなった夜道を歩きながら、彼女の事を考える。
トッコは確定した予測から行動に入るから失敗がない、だがそれ以上の成果もない。まぁトレーダー向きの能力ともいえる。インサイダー取引を疑われることは間違いないだろう。
なにせ些少な情報から結果を予測するのが彼らの仕事だ、彼女の存在そのものは国に認知されているが女子高生ということもあるし、そこまで危険視されていないようだがこの国では本当の価値なんていうものは理解されないだろう。
海を挟んだ大国ならば国家に奉仕させる情報機関か研究機関に送られて一生飼い殺しにされていてもおかしくない。良くも悪くものんびりした国なんだろうな。
だが、なぜ俺なのか?俺なんかより彼女を有効利用できる奴らはたくさんいる。魔人のランプはどのような願いを3つまでかなえてくれるという。彼女を魔人に例えるならば回数無制限だ、気に入った相手のためにしか動かないという条件はあるが。
そんなことをぼんやりと考えていると夜道を照らす街灯の下に一人の黒服の男が姿を現す。遭うのは二度目だがあまりお目にかかりたい人物ではない。
「こんばんは」
どうやら日本流の挨拶を覚えたようだ。前回あったときは母国語をしゃべっていたのか良く聞き取れなかった。
「久しぶりだな、なにか用か?」
俺はこのどこの国から来たのか分からない男があまり好きではない。俺を見る視線の中に高慢な態度と自尊心の高さが鼻につく。俺たちのことなど黄色いサル程度にしか思っていないのだろう。
「用件など決まっている、彼女に近付くなと警告した。だが貴様は警告なぞ無視した態度を取り続けた」
たしかに4ヶ月前に警告は受けた。しかしながら俺はしがない教員であるし俺が授業をしなければ代理を探さなければならない。お前が俺の代わりに教師をやって俺がお前の代わりにスパイごっこをやらせてくれるなら喜んで譲ると言ったら無理だといわれた。
「俺が抜けた後の代理も用意せず、俺の提案すら許容できない矮小な人物のいうことなど聞く必要もなければ、その義理も無い」
本当になんなんだろうなと思う、自分が立場が上だと勘違いした奴はこの世界にいくらでもいるが、その根拠のあいまいさや優位性など砂上の楼閣に過ぎないと言うのに自分の信じている価値観が絶対だと思っているらしい。
「前回は事情を知らずに煙に巻かれたが今回は違う。お前の代理なぞすぐに用意されるだろうし、その後のことなどどうにでもなる」
どうやら様々な状況を勘案して結局力技で済ませることにしたようだ。たしかにこの国は平和ボケしている。マフィアやテロ組織が跳梁跋扈する世界で気に入らないことを言えば撃ち殺されるのが当然なのに、この国では自衛手段もないのに外を出歩けという。
さらに黒服の男は言葉を続ける。
「前回と状況が違うのはそれだけではない。彼女の危険性、有用性はこの4ヶ月の間にさらに高まっている。俺だけではなく様々な組織が彼女に取り巻いているのは知っているか?ここでお前の存在を消したところで路傍の石が取り除かれた程度で、誰も困りはしないんだよ」
そう言われても俺としては口先三寸で丸め込むしかないし、相手がまだ話し合いの余地があると思ってくれているのがその証拠だ。つまりまだ猶予があると言うことだ。
俺が黙っていると調子に乗ったのかさらに話を続ける。
「だが貴様は彼女とは別の意味で恐ろしい、あれだけ警告をすれば命惜しさに逃げ出す輩がほとんどだというのに、全く的外れな推理から論外な結論に至り、それを真実だと信じ込んでいる。何度も言っておくがお前を消すことに躊躇などないし、貴様の存在価値などたかが知れている。俺達を怒らせればすべてを抹消して終わりだ」
たぶんこの男は彼女の周りにいる者たちのなかで一番の武闘派、もしくは単純な男なのだろう。ただ、それを止めようとしないということは他の連中も同意見ということだ。
「俺にはお前の言っていることの真贋を判断する手段もないし、お前の話が正しかったことが証明されるときは俺はこの世にいないわけだからな。どの道、意味の無い会話だ」
ブラフたハッタリではないだろう。そんなことは俺もわかっている。結局のところこの男がどう出ようとも俺には止めることもできないし、そもそも彼女から言い寄ってきたのだ。向こうもそれがわかっているから俺に警告という形で接触していたのだろう。いはやは理性的というべきか、正義で動く連中は力を振るう根拠がないと何も出来ないようだ。
「お前には警告は生ぬるかったな、だが直接的にお前を害することは俺自身の自尊心が許さない。お前がこの土地にいられなくすればいいのだと最近気がついてな」
どうやら俺がよほど目障りのようだが、穏便にことを済ませたいというのがよくわかる。たぶん色々な方法で彼女を孤立させようとしているのだろう。
アキやサヤの彼氏とやらがこいつの息がかかった連中であるかもしれない。彼女のような天才少女をスカウトする場合綿密な計画を立て、少しづつ孤立させ自分達の息のかかった友人をあてがってその道に引きずり込もうとするのが常套手段なのだ。
「まさか・・・近隣住民の方々に迷惑をかけるつもりじゃないだろうな」
俺はすでに家族とは絶縁状態だし、妻もいなければ親しい友人も存在しない。あるのは俺が住んでいる裏野ハイツの住人だけだ。
「ふふふ、やはりそれが一番嫌がるか、日本人は地域共同体というものを作ると勉強したのだ、そのコミュニティに居られなくなれば自然と出て行くしかないとな」
コミュニティ障がいを抱えている俺にとって裏野ハイツはまさに天国ともいえる場所だ。住人は挨拶をする程度であまり関わってこないし、回覧板も回さなければ地域の清掃だのバーベキューだの言ってくることもない。色々なところを引越したがあそこほど干渉されない棲家も無いのだ。
「くっまさかそんな卑劣な手段にでるとは思わなかった。だが、裏野ハイツの人たちに手を出すのはやめてくれ、彼らはただの善良な人たちなんだ!」
俺にとっては関わってこないだけで善良な人たちだ。それが天才美少女のストーカーによって迷惑をこうむることになるなんて申し訳なさ過ぎる。
「その善良な人たちがお前のせいで苦しむのだ。それを見ながらお前は平気で居られるかな?」
そういうと黒服の男は闇に溶けるように消えていった。
「なんてことだ。、裏野ハイツの方々にはなんと説明したものか・・・」
奴らのことだ、裏野ハイツが今後俺たちの逢引部屋になりそうなので、その場所を失わせようと考えたのだろう。今日初めて訪れたトッコが原因なのだが彼女は何も知らないし、そもそも彼女は自分が何ものかに監視されているなど気づいてもいない。。
そもそも奴らも彼女と俺の関係を誤解している部分も多い。俺のことだって彼女にとっての決定を伝えただけで願望を述べたわけではない。
「わたしはあなたのことが好きで愛している」
これは別に願望ではない、決定事項だ。もしこれで「あなたにも私を愛するようになって欲しい」と続けばそれは願望になる。
しかし、彼女の場合は当然と言わんばかりに「あなたも私を愛するようになる」と続けるのだ。
彼女の特殊な能力は「直観力による原因と結果の直結」なのだ、本来辿るべき経過というものが存在しない。
どんな問題に対しても答えを出せるのだが、経過を大事にしたい人たちにとってはまさに頭痛の種だろう。いたいけで純真無垢な少女が自分の教育によって少しづつ理解を深めて成長するのを観察して悦ぶ教師連中にとってはまったく持って面白みの無い生徒に違いない。
過去に彼女が問題を山のように提示されたとき、一番難しい問題をひとつでいいんじゃないんですか?と答えたそうだ。
たしかにその通りだろう、どのような問題でも数をこなすことに意味は無く、最上級の問題が解けることが重要だろう。そして彼女は迷うことなくその問題を解き明かした。
しかし、学者連中にはその過程がまったくわからず正しいのか、間違っているのかも未だ論争中らしい。
彼女いわく、あれは答えはありました。だから答えることが出来ました。でも、その正しさが証明されることも無いでしょう。と話していた。
たぶん、そうなのだろうと思う。俺は彼女の能力は真実であると知っているし、あとはそれを認めることができるかできないかの違いだけだろう。
問題を出して答えられないことを証明しようとした教師はいまも彼女に付きまとっているようだ。それは未練なのだろうか?
俺にはよくわからない。あの警告を俺にしてきた男も彼女に接触してけんもほろろに打ちのめされて彼女に愛される男が許せずに俺を脅迫しているのかもしれない。
哀れだとは思う、関わってしまったことが不幸なのだろうとは思う、だが、そういう男だから、女だから相手にされずに愛されることも無かったのだ。
さっさと別の人に向ければよかったエネルギーを執着に変えてしまった。それが未練となって彼女の周りにとりついているのかもしれない。
「げにおそろしきは人の未練か・・・」
俺は裏野ハイツの正面に来ていた。ここも多分そうなのだろう、幾人もの恨み、悲しみ、悔恨、怒りそれらを30年もの間溜め込み怨念の宿る場所になってしまったのかもしれない。
「先生、遅いよ」
階段の前でトッコが待っていた。どうやら待たせてしまったようだ。
どうやら彼女の予測ではもう5分ほど早く帰ってくるはずだったようだ、たしかに黒服との会話が無ければ彼女の計算通りだったはずだ。
「すまないな、良いアジがいっぱい釣れたから、煮付けにもできるし焼いてもいいぞ」
砂糖としょうゆで煮付けるか、焼いてさっぱりと塩を振るか、なかなか悩ましいところだ。
「うん、なんでもいいよ」
彼女は特にこだわりは無いようだ。
「おや、今お帰りですか?」
101号室の住人で50代の会社員の男性である。いつも気さくに声をかけてくれるので俺も助かっている。
「ええ、いいアジが釣れたんですよおひとついかがですか?」
せっかくの機会だし、釣れすぎたアジを譲って好感度アップをしておこう。
「そうですか、じゃあ同居人の分もいっしょにいいですか?」
俺は見たことが無いが同居人がいるらしい、ビニール袋に2匹ほどいれて渡してあげた。
「ありがとうございます」
101号室の住人はそういって部屋に入っていった。
「いえいえ、たいしたものでもありませんので」
と声をかけていると後ろから103号室の住人で30代くらいの会社員で小さい子供と奥さんと同居している男性がやってきた。
「こんばんは、賑やかですね」
この人も挨拶をしてくれる善良な人だ。
「アジが釣れたものでね、たくさんあるのでどうぞ召し上がってください」
ここでも好感度アップのためにはお土産作戦が一番だろう。
「はは、ありがとうございます。妻に料理させますよ、息子も喜ぶでしょう」
奥さんはパートで働き、息子は大人しい性格なのかあまり大声を出さない。
「いえいえ、こちらもご迷惑をおかけすることになりますからそのお詫びですよ」
なにせ、彼女のストーカーが近隣住民に嫌がらせをすると宣言しているからな、一体何が始まるのかオラワクワクしてきたぞ。
「ははぁ、いえ、まぁうちもまだ若いのでそれほど気になされなくて結構ですよ」
若いことと嫌がらせが何か因果関係があるのだろうか、まぁ気にされないなら気にしないだけだ。
「え?ああ、あははは」
いちおう笑って誤魔化しておくがまぁ、こんなもんだろう。
「さ、上に上がろう」
俺はトッコを先に上がらせ後ろからついていく、私服のトッコはミニパンにTシャツという薄着だ、もうちょっと肌の露出を抑えたほうがいいような気もするが、それも彼女の計算だろう。
俺がカギを取り出して鍵穴に差し込んでいると201号室の住人であるおばさんがドアを開けて出てきたところだった。
「あら、今お帰りですか?」
「ええ、良いアジが釣れたんですよ、おひとついかがですか?」
「あら、ありがとう、それじゃあもらいますね」
俺はアジを一匹渡すと彼女を部屋に入れた。さっきのように余計な会話をあまりして欲しくなかったからだ。
おばあさんは特に気にした様子も無く、ほくほくとした顔で部屋に戻っていった。
いつも俺が帰るタイミングで外に出て来るんだよな、特に理由もなさそうだが・・・
トッコは部屋にはいると、さっさとテーブルに冷蔵庫からおかずを取り出し、茶碗を用意しだす。
俺はアジを捌き、煮付けはそのまま鍋に入れてしまうが、網焼き用は開きにしてじっくりと弱火で焼く。
「ねぇ先生?帰る途中に誰かと会ってたんじゃない?」
彼女の鋭さは異常に見えるだろう、俺もあまり説明したくはないし答える義務も無い。
「うん?ああ、何でもキミの熱烈なファンがいて俺に付き合うのをやめろっていってきたぞ」
だが、嘘をついたところで彼女にはバレバレだろう、さらに追及されるだけで、結局同じことなのだ。
「まーたそうやってはぐらかす、私の知らない女の人とあってたんでしょー」
彼女はいつも俺の周りに女の影を見る。俺が他の女性と話をしていると強烈な視線で射抜いてくるのだ。
「あはは、キミにはかなわないな、だが俺の答えは知っているだろ?」
こういうときはおだやかに、そしてスマートに答えなくてはいけない。そして相手に答えを引き出させるのだ。
「君の好意はありがたいけど、俺じゃキミを不幸にするでしょ」
うまく、彼女にとって都合のいいセリフを彼女自身の口から言わせることが出来た。結局俺がどんなに真実を語ったところで納得しなければ意味が無い。こういうテクニックを磨かなければ女性と付き合うなんていうことは出来ないのだ。
「その通り、おれは事実しか述べないから」
誠実な男をアピールしているがその実まったくのシチュエーションが違う。あながち外れてはいないのだが彼女に真実を伝えたところでどうなるものでもない。
「ふふ、どうだろうね、少なくとも私は今幸せだよ?先生と一緒の部屋でご飯も食べれてお話も出来る」
それはそうなのだろう、それは俺がそういう演出をしている俺の犠牲の元に成り立っているということが彼女には理解できないだろう。俺は本来アニメやゲームを一日中やっているほうが大好きだというのに、なんで自分の勤務先の女子生徒を部屋で飯を食わせなければならないのかまったく持って理不尽な話だ。
「それは良かった、俺もトッコに幸せを感じてもらえるし、料理の腕も披露できる、win-winの関係ってやつだなぁ」
このメンヘラ女・・・もとい天才少女がいつまでも部屋に居座り続ける限り俺の平穏な日々は戻ってこない。さっさと帰ってくれればいいんだが。
俺は焼けた魚をひっくり返し裏面を焼き始める。
「でもそれもいつまで続くかわからないって言うんでしょ?」
これはいつも言っている。だが、それのほうが色々と都合がいいのだ。
「いやぁ、俺はあと8ヶ月はここにいるからなそこまでは確定だ、あと2年更新できればお前が卒業するまでは一緒にいられるだろう」
女との会話でいきなり別れを切り出すと発狂して暴力的になってしまう場合が多い、酷いときには後ろから刺されかねない。
「その後は?」
女って生き物は未来に生きてる、たぶん100年後も生きてるつもりなんだろう。もしかしたら死後も付きまとってくるかもしれない。
「お前の進路しだいじゃないか?俺は学校の仕事は好きだが正職員になるためには試験だけじゃ通らないんだ。通るためには裏技も使わないといけないんだけどその方法を使わないことも理解できるだろ」
これも相手の能力の高さを理解したうえでの発言、彼女との会話はいつも綱渡りだ。
「ま、先生は先生だからね」
意味深なようで、ただあきれているだけだろう、彼女の視線がやわらかく感じられる。
「俺にはお前を養っていけるほどの甲斐性はない、お前が俺を食わせてやる必然性も無い」
これは事実、正職員になるためには少々裏技も必要になるというのは公然の秘密だ。もちろん俺はその方法も知っており手段も資格も機会もある。ただやりたくないだけだ。
「うーん、そうだね、わたしが自分の能力を活かせる仕事に就いちゃったら先生とはもう会えないね」
彼女も自分の進路を考え一番高く売り込める方法は情報機関における情報分析官であることは理解しているだろう。
彼女の答えひとつで国が滅びる。古来には占星術師と呼ばれた彼らは王の命令によって国の盛衰を読めといわれて滅びを予言すれば不吉であるという答えで殺されてしまう存在だった。
現代の情報分析官も星を読み、吉兆を占う存在と変わらない。ただ、その根拠を説明できないという点では同じなのだ。
俺は焼き魚と煮込み魚をテーブルに置き、彼女と向き合う。
「お前の能力は危険性も有効性も高い、だがどちらにせよ秘密を多く抱えることになる。一般人の俺とお前では接点が無さ過ぎるんだ」
これも事実、彼女は類まれなる感性でこの国の人の良さに付け込み自分の運命を先延ばしにしてきた。もしこれがお隣の国で生まれていればどうなっていたかわからない。
「でもね、私は先生以外愛することはないし、先生も同じなんだよ?」
これもまた真実なのだろう、別に俺は彼女が嫌いなわけでもない、当然愛している。ただ、俺のトッコに対する愛なんて押入れで小さく折り畳まれている彼女に比べたら大した事はない。
「そうだな、だが俺達の関係をお前の親は絶対に認めないだろうし、世界が俺達を認めることも無いだろうな」
彼女の親はシングルマザーで彼女をここまで育てるのに多大な費用と労力をかけている。それなのに、アルバイトの先生なんぞと一緒に暮らすことを認めるはずが無い。
ましてや彼女の存在は世界にとって革命をもたらすとも言われている。
あまりに強力すぎる能力のために一国が背負いきれるほどのものではないのでお互いが不干渉でおきましょうという感じなのだ。世界は冒険をすることを恐れ停滞とまどろみの中で生きている。これで新エネルギーだなんだと騒ぎ立てられ世界のバランスが崩壊することをまったく望んでいないのだ。
「じゃあ・・・駆け落ちするしかないね」
まぁ、当然そういう話になるだろう。全てのしがらみを捨ててまったく新しい人生を生きる。実に愛の逃避行というにふさわしい決断だろう。
「漫画の見すぎかと思うが、まあお前が出した答えだ。勝算はあるんだろうなぁ」
彼女の恐ろしいところはこれが現実として選択肢にのるというところだ。たしかに色々問題はあるし、彼女の希少性を考えれば国家反逆罪の適用もされかねない。
しかし、彼女が出来る可能であるといえば、可能なんだろうなとおもう。
「うふふ、先生がその気になれば無人島で二人でやっていけるんじゃない?」
今度は俺に話を持ってきた。どうやら奮起してくれるのを期待しているようだ。
「ああ、それもいいかもしれないな」
もちろん俺は同意する。本当にいいかもしれないと思っているのだ。
「まーたそんなこといってはぐらかす、こんな美少女が駆け落ち誘ってるのにどーしてそう淡白かなぁ」
うれしくないわけではない、感動ものだ。淡白なんだろうか?たしかにアジは淡白だな。
「問題の根本的解決がそれで済むなら話は早いんだがな、お前の場合は経過をすっ飛ばしすぎる」
結局結論しかもってこない究極の女性理論なんだろうなと思う。
「ふーん、それって臆病なだけじゃないの?」
でた、臆病発言。慎重といってほしいところだが、意味合いとしてはあまり変わらないし若さがあるぶんそんな言い方でも許してしまう。
「そうともいうな、いや、お前が言うならそうなんだろう」
女の発言に逆らってはいけない、これは教訓でもあり真理だ。
「はーまったくよくわかんないよ」
女ってのはよく発言が右に左にと飛んでいく。
「ん?なにがだ?」
こういうときはあいづちでもなんでも打ってやるのが良い。
「わたしが先生を好きな理由、自分もよくわからないんだ、普通に考えてそんなことありえないんだけどなー」
普通に考えてとはどういう意味だろう?俺も知りたい。たしかにイケメンではないかもしれないし、経済力も皆無だ。他人の視線におびえて暮らす小さな男に過ぎないのだから。
「お前の能力は経過をすっ飛ばすからな」
結局のところ彼女の「直観力」というわけのわからん存在で俺達がこうしているだけなのだが改めて考えたら理性的な判断としてありえないといっているのだろう。
「うーん、正しい答えなのは間違いないんだよ、でもねー自分が納得してないって言うか・・・」
自分自身の行動に納得ができないという事はある。それが後悔だったり、逆に思いもよらない幸運だったりと後からなぜああいう判断をしたのかということはまれによくあることだ。
「一時の気の迷いという奴だったらいいんだけどな」
ほんとうにそうだったらどんなに楽だったかと思う。俺のようなコミュニティ障がいの男が無理に女に気を使って会話をする必要もないし、大好きなアニメとゲームに囲まれて生きていくはずだったのに、メンヘラ女にとっ捕まって、ストーカーに逆恨みされ、職場では同情され、近隣住人からは異様な視線を感じる。
「それはないの、この能力は絶対だし、先生の視線を感じる能力も絶対なの」
そう、能力については俺も彼女もそして世界ですら認めている部分だ。なぜなのかはわからない。だが、そういうものが存在するという事は確定的な事実として存在している。
「ああ、能力に関しては絶対だな、説明がつかないという点では同じか」
能力は絶対、これはもう動かすことが出来ない。だが、説明ができない、ある程度の理由付けはないわけではないのだが、あまりにも突飛すぎて公式には誰も認めていない。その一例を述べるならば他人の視線を浴びると俺の体毛の一部がその距離と方向に向いて伸びていくらしい。
「父さん妖気です!」とでも言えばいいのだろうか・・・確かに俺は毛深いことで学校でも身体検査のときにからかわれている。
その毛深い部分が乳首の周りにある乳輪に出来ている毛なのだ。他人の視線を感じると確かに毛がピョコンと立ってそっちの方向を向くのだが緊張しているだけなんじゃないかと思っている。
彼女も答えが無いものについては答えることが出来ない。仮に「あなたのおっぱい毛が反応しているのがその証拠です!」なんて言われても絶対に認めないだろう。
「うーん、コレばっかりは運命としか言い様が無いんだよね」
運命論か、俺は詳しくはないがアカシックレコードといわれるものが存在し俺達はその計画にのっとって行動しているだけらしい。
「ははは、世界の学者を驚かせたお前が運命なんて信じているとはなぁ」
また、彼女のように科学と理論の未来の姿が運命論に行き着くとは素直に驚きもある。
「何事にも答えはあるっていうのが私のスタイルだけど、運命はあるっていうのも答えなんだよ」
もはや、科学者にはとても聞かせられない話だ、彼女の能力を信じるならばそうなのかもしれない。
「まぁ、たしかに運命を読み解いている能力なら恐れられることも多いんだろうな」
占星術師は星の動きから未来を予測したという、彼女は何を見たら運命を信じるようになったのだろうか。
「本当の答えというのを知りたくないっていう人も結構いるんだよね」
それは俺も同じだ、自分の本当の姿を知りたくないし、知られたくも無いだろう。この裏野ハイツの住人しかり、彼女に付きまとっている連中もそんなことはどうでもよさそうだった。
「神の存在証明とかか?」
俺は神という言葉を使ったが、特に問題になりそうなのはそこだろう。どの国家も神の存在なくして成立しない歴史だ。
人類という種が絶滅するのも彼女しだいかもしれない。
「わたしがそれを答えられるんじゃないかって宗教界でも話題になってるらしいよ」
俺が考える程度だ、すでに誰かが考えてもおかしくないだろう。
「そうか、じゃあ誰が質問するかでおお揉めだろうな」
仮に立場のあるものが質問することはできない、もちろん存在することは彼らの中で確定した事実であるかもしれないが、能力によって証明されたことを証明することはあまり意味が無い。
結局のところ個々人が納得するか認めるかの問題に過ぎないのだから。
「ふふふ、ためしに質問してみる?」
「答えはわかってる、目の前にいるっていうんだろ?」
「ちぇー先生はそういうところは面白くないなぁ、なんでわかるのよ」
「目は口ほどにものを言うってな、俺の視線を感じる能力は俺を見ている相手がどんな気持ちで俺を見ているか感じ取れるっていうものなんだよ」
「じゃあ、私が先生を愛してるっていうのもわかるでしょ?」
「当然、お前が何を言いたいのかもわかるし、何を考えているのかもわかる。そしてお前も俺の答えを知っている」
「でも聞いてみたいな、先生の口から」
「俺は口より行動で示すほうが好きだな」
俺達は食事を終えて、洗い物を片付ける。あとは食後のデザートだ、手作りチーズケーキとコーヒーを用意する。彼女もそれを食べておいしいといってくれた。
俺は彼女の手を握り、目を閉じる。たしかに俺は視線で相手の感情を読み取れるが口下手で会話があまり得意ではない。そういう時は手を握る。
俺と彼女の体温が交換され、その意識は皮膚を通して交感する。俺達はこうするだけで満足なのだが周囲には理解されないというのは悲しいことだ。
俺は彼女を家まで送る。もうとっくに深夜であるし、彼女の親も帰ってきているかもしれない。
夏休みであるし、別に朝帰りさせてもいいのだがストーカー君がどんな嫌がらせをしてくるかわかったものではない。
視線だけは始終感じていたが、まぁ、しかたないよね・・・彼らには手を握って神に祈っているように見えたかもしれない。それはしごく神聖な儀式だ。まぁ家族でするようなものだから彼らにとっては複雑な心境だろう。
道すがら蛍火が赤く燃えているのが印象的な夜だった。
彼女を家に送って帰る途中、ストーカー君の視線がプッツリと消えたのが少し気になった。あまりよくない感情をぶつけていた彼だったが。あの波動なら俺に対して何かしらの害意を与えようとしていたのは明白だ。
俺がいない間に裏野ハイツでなにかしたのだろうか?単純な彼のことだ。火でもつければいいと思ったのではないだろうか。
俺は重い足取りで家路に着いた。
裏野ハイツは不気味に静まり返っていた。とくに異常は見当たらない。ただ、この近辺にいたはずの俺の監視網があきらかに減っている。
通称ウォッチャーといわれる彼らは要注意人物の周りでターゲットに近づく不審者の洗い出しを専門に行う連中だ。
大概は他国の情報員に雇われた現地スタッフで交友関係や行動などのチェックを行っている。
依頼が完了するまで勝手に持ち場を離れるはずはないし、俺と彼女がいた部屋はより重要な監視対象のはずだ。監視を増やすならともかく減るなんてあり得ない。しかもつい先ほどの話だ。
いったい俺が彼女を送って帰ってくるまでに何があった?
俺は夜中なのでなるべく音を立てないように静かに階段を上る。カギを取り出しそっと鍵穴に差し込むと301号室のドアがキィと音を立てた。
わずかに開いたドアの隙間からおばさんがこちらを見ている。だが、俺は振り向かない、見てしまえば挨拶をしなければいけなくなる。少し距離があるので自然と大声になるだろう。他の住人に対してもうるさいだろうし俺も疲れている。俺はさっさと部屋に入りカギをかけた。
あのおばさんもなんらかの特殊な能力を持っていて俺が帰る音を聞きつけてあいさつをしようと思っていたのだろうか?
しかし、足音は消していたし家の中から俺の姿を見ていたはずはない。しかし、あのばあさんに気づかれずに部屋に入れた事は一度もないというのは妙な話でもある。
なにかやましいところがあって四六時中ビクビクし通しで確認しなければ気がすまないような性格でもなければそんなことはないはずだ。
部屋の明かりをつけて部屋の中を確認する。なにせ黒服の男の視線が急に消えたのが気になる。部屋に盗聴器でも仕掛けたか監視カメラでも設置したかもしれない。
まず俺はリビングの天井を調べてみることにした。天井には黒っぽいシミが広がり、カビが生えているようだ。屋根から雨漏りしているのかもしれない。毎日雨だからこういうこともあるだろう。
次に洗面所に入ってみる。鏡には俺の姿以外には特に何も映っていない。だが、知らぬうちに歯ブラシが二本に増えていた。
あれ、トッコの奴は歯ブラシまで準備していたのか?準備のいいやつだと思いつつ蛇口をひねる。
そこから流れてきたのは真っ赤な色の水だった。
うーむ、アパートは水道ではなく近くのため池からの雨水を汲み上げている方式で衛生的にはあまりよろしくない。さっきの雨で土砂崩れでも起こして赤土が紛れ込んだのかもしれない。
風呂場に入り浴槽を覗き込むと、黒くて長い毛が沢山詰まっていた。これはいけない。俺は髪の毛を集めてゴミ袋につめる。
俺は毛深いので、体のあらゆる体毛が風呂に入ると一気に抜け落ちる。しかし、掃除をするのをついついサボってしまうのでよく溜まってしまう。
排水溝のつまりの原因にもなるしカビの温床だ。
あとはトイレだ、トイレの扉を開けると黒い髪の日本人形が置いてある。俺のスイートハニー花子ちゃんだ。
俺は彼女を目の前において用を足すのを日課としている。俺は人に見られていないと落ち着かない性分なのだ。
彼女の虚ろな瞳に見つめられながら俺は排泄を終える。すると便座の中から手が伸びて俺の尻を拭いてくれる。最近のトイレはウォシュレットといって水が噴出してくるらしいが、こちらはなんともアナログな仕組みだなぁと思う。やはり南国のトイレは都会とは違うな。
さて、調べていないのは洋室だけだ。ベッドと本棚、パソコンしか置いていない。あまり物を置くとベランダに出られなくなってしまうからだ。
俺の趣味は全て押し入れにいれているが、その数は少ない。コレクションのほとんどは実家に置いてきたし、全てデータベース化しているのでその画像を見ながら我慢するしかない。
だが、床下には巨大な蜘蛛が徘徊していただけで、ベランダには巨大な蛾が張り付いていただけだった。
ベランダも除いてみたが、巨大なヤモリと巨大カエルがにらみ合っていた。
俺は蜘蛛を鷲掴みにしてベランダから放り投げ、蛾を引き剥がして叩き落し、ヤモリとカエルをまとめてぶん投げる。
まったく南国というところはにぎやかなところだ。ふと軒下を見ると巨大な蝙蝠が羽を休めていたので羽をつかんでフリスビーの要領で放り投げた。
毎日の日常なのでいまさらどうということもないし、ほかの住民も気にした様子が無い。やはり南国では当たり前の光景なのだろう。もう少しすれば朝方にはクワガタやカブトムシなども張り付いているかもしれない。
そう考えるとわくわくする。クワガタは二匹で1000円ほどで売れるのだ。夏休みに入ったことだし小遣い稼ぎに採ってもいいんじゃないだろうか。
やはり素人に盗聴器をさがしたりするのは無理なようだ。我ながらアホな発想だったなと布団に入る。
しばらく寝ていると胸の辺りが重くなった気がする。目蓋を開けようとすると接着剤で張り付いたように動かない。
そしてその重みが徐々に腹のほうに移動しだし、俺は声もあげる事が出来ないほどに圧迫感を感じる。
俺は抵抗するだけ面倒だなと思い、意識を手放す。そして満足したのかいつの間にか重みが消え去り自由になったところで目が覚めるのだ。
朝方、俺の寝巻きの上にはびっしりと猫の毛が張り付き俺はため息を着きながらベランダにある洗濯機に放り込む。
この裏野ハイツに着てから様々な動物や昆虫が寝ている間に入り込んでは俺の身体をもてあそんで去っていく。まったくもって不思議な話だ。
昨夜は猫だったようだが、アリの大群だったりネズミだったりと種類に事欠かない。一体どこから侵入しているのか、俺の知らない出入り口でもあるのだろうか?
ベランダを見ると網戸が少し開いている。ここから侵入したようだ、だが動物には不法侵入は適用されないし、いかに証拠を提示したところで警察は取り合ってくれない。
保健所に言って保護してもらうのがいいのだが、あそこに入れられてしまうと処分されてしまう。日本中で殺処分される犬猫の数を知っているか?
毎年28万頭である。人間の手で増やした生き物を人間の身勝手で殺しているのだ。彼らの感情はいかんともしがたいだろう。しかも直接手にかける職員さんのほうが参ってしまっているのだ。
彼らは夜な夜な炭酸ガスで殺した犬たちの霊を慰めているそうだ。
生きるためには人間は他の動物を殺して食べるが、 生きていくのに必要な分しか食べないなら許されるのか?
それ以上に殺すのは不道徳なのか?それは自然の摂理に反しているのか?
俺は答えは知らない。トッコもわからないと答えるだろう。
人間自身が答えを持っていないものに対して彼女の能力は発動しない。彼女の答えは常に答えが用意されているモノだけだ。
彼女に対してはいかなる問題も答えも意味を成さない。
経緯やそこに行き着く過程が大事なのであってそこに思考が回らないのだ。だから授業がつまらないのだろう。
俺の質問に対して彼女は答えることができないことが多い。俺は何も答えを持っていないからな。
俺は朝食を済ませると洗濯物を干し、外へ出る。だが、いつもと様子が違い、201号室のおばさんが挨拶をしてこない。俺が部屋に出入りするたびに見かけるのだが、その代わり、裏野ハイツの前にある広場に二人の住人が何かを話しているようだった。
一人は101号室の会社員のおじさんで、もうひとりは103号室の若い会社員の男性だ。
「おはようございます」俺が声を掛けると二人はギョッとした様子でこちらを見て、「ああ、おはようございます、それではいってきます」とそれぞれ出かけてしまった。
妙な感じだなと思った、何か俺は彼らにひどいことをしただろうか?
さて、今日からは俺は夏休みだ。正職員で無い俺は学校に通わなければならない事もないし、特にすることもない。
ラジオ体操のような運動をしていると201号室の扉が開きおばさんが出てきて階段をゆっくり降りて来ていた。
「おはようございます、今日はゆっくりですね」俺がそう声を掛けると、おばさんは恨みがましい目をしながら、「いえ、なに、たいしたことじゃありませんよ、久々に張り切りすぎてねぇ」と腰をさすりながらこちらを見てくる。
さっきのふたりといい、おばさんといい何かあったのかもしれない。
「もしかして、なにかあったのですか?でしたら私にもご協力させてください」俺には昨晩の黒服の男が言っていた脅迫が頭をよぎる、なにかしら嫌がらせをされたのではないだろうか。
「いえね、そのたいしたことじゃないのよ・・・でもそうね、いずれわたしたちの手に負えなくなるかも知れない、ちゃんとお話しておいたほうがいいかもしれないわね」
後編へ続く・・・