5.王子の困った顔②
長い階段を下りて、数分で馬小屋にたどり着く。息切れしているルーファスとは反対に、金色の髪は穏やかな動きをしていた。その金髪の持ち主は爵位を持っている、王宮で唯一の騎士だ。
そして騎士には黒色の愛馬がおり、王宮の建物に限りなく近い場所に、一頭のみ管理できる馬小屋がある。木材で出来ているが決してチープなものではなく、大理石で出来た水飲みはもちろんのこと、最高級の藁が敷いて有り、馬を繋いであるロープだって馬に優しい麻を束ねたものである。職人の手により、いくら引っ張っても千切れないものになっている。
ザリッ
砂を踏む音で、馬も、そして金髪の騎士も振り返る。騎士は馬をブラッシングしていたらしく、黒い毛並みは艶やかだった。
「シアン殿、ここにいましたか」
当たり障りのない挨拶で開口一番を決める。これからライアンの元へ行けと言わねばならない身の上ゆえ、相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。しかし騎士は仏頂面を更に険しくし、ルーファスを戒めた。
「”シアン殿”などと、そんな呼び方はやめてくださいルーファス公爵。俺はあなたよりも身分の低い騎士です。ライアン王子に聞かれると厄介なことになりますよ」
「あぁ、これは失礼しました、つい……」
気まずい空気が流れてた。こうなっては後の祭りだが「何とかせねば」と自身を奮い立たせ、ルーファスは再度、騎士に話しかける。
「騎士殿、ライアン王子がお呼びです。部屋に来いと」
「王子が? 何用で?」
「それは、爺の口からでは……」
ルーファスが言い淀むと、騎士はブラッシングを途中で終わらせ、片付けに入る。
「これからすぐ向かいます」
急な呼び出しにも関わらず騎士は顔色一つ変えず、黒の軍服をサッサッと数回払って王宮に入ろうとする。
と言っても騎士の王宮への入り方は特別で、玄関からわざわざ入ることはしない。馬小屋から王子の自室に繋がる廊下まで、一足飛び出来る用の外付けの階段があるのだ。ちなみにその階段は騎士と王子しか使用することが出来ない。そのためルーファスはこの階段を使う事なく、わざわざ遠回りをして馬小屋に来たのだ。
騎士が全二十段あるその階段を五段ほど上がった時である。覚悟を決めたようにルーファスは「騎士殿!」とやや焦った声で呼び止めた。
「なにか?」
「いえ、ただ――この階段は便利ですね。爺にも使える様にしてほしいと思いまして」
「それは王子に進言してください。この階段を作らせたのもライアン王子ですので」
「王子をすぐに助けることが出来る様に騎士は王子の傍に侍る――ですか。王子も気ままなものだ、そんな法を作る必要もなかったでしょうに」
息をするようにライアンの悪口が出てしまうルーファス。これもライアンの日頃の行いのせいなのか、年寄り爺は気を抜けばまだ何か言ってしまいそうだった。
しかし反対に、常に冷静沈着なのが騎士だ。あたふとするルーファスをものともせず遮る。
「急ぐので俺はこれで」
「あぁ、すみません。話が過ぎました。
しかし、あと一つ」
「何ですか?」
「王子の部屋にアリス様もいらっしゃるかもしれません。あなたが行くまでには人払いをすると言っていましたが、あの方が素直に聞くかどうか」
「分かりました。情報感謝します」
その後騎士はヘコッと緩く会釈をし、階段をゆっくりと登っていく。その様子を、ルーファスは憂いを帯びたような目で見ていた。
そして騎士が完全にいなくなった馬小屋には、馬が二頭と公爵一人。
「ん?」
ここには騎士の愛馬しか侵入が許されない場所。なのにどうして二頭いるのだ?
覗くと、黒馬から体を隠すように隅に座っている、茶色と白色が混ざった馬。黒馬よりも体は小さく、何かに怯えるようにプルプルと震えていた。その姿は主人を失った犬のようで、悲壮感さえ覚える。
「主人はどこに行った? まさか振り落としてきたわけじゃあるまい?」
この言葉に、まさかの馬が応えた。「ヒヒン」と悲しそうに鳴いたのだ。
「え、本当?」
少しの間困惑していると、黒馬がもう一頭の馬に寄り添う。その姿はまるで、
心配するな――
そう励ましているようだった。
その光景に心が温かくなったルーファスは「不安だろうが」と黒馬に倣って、震える馬を励まし始める。
「何があったかは知らないが、そう怯えるな。騎士殿に拾われたならもう大丈夫だ」
言い終わると満足したのか、ルーファスは馬小屋を立ち去る。その足取りは早く、頭の中では課せられた仕事の整理をしていた。
「あと残っている仕事は書類整理と、国王の旅の動向を得るための情報収集と、ライアン王子が解雇した兵士の数の把握と、それに見合う兵士募集の開始、並びに面接――か」
思いつくだけでもこれだけの仕事量がある。これを一人で裁けというのだから、ライアンへの不満が溜まるのも頷ける。
「本当に過労死するかもなぁ……」
少しの眩暈を覚えながら、ルーファスは足取り重く王宮に戻るのだった。
◆
一方、外付けの階段を使ってものの一分でライアンの部屋まで来たシアン騎士。中から何やら聴こえる怪し気な声に少し顔を歪めるものの、入る決心はついているらしい。迷いなく、扉をノックする。
コンコンッ
「騎士のシアンただいま参りました」
「入れ」
「失礼します」
シアンが入室すると、ルーファスが心配していた出来事が案の定、現実のものとなる。
「遅かったね、シアン」
「申し訳ありません」
「あら、お久しぶりね、騎士様」
「アリス様もご機嫌麗しゅう」
一つの部屋に三人の姿。
嫌な三つ巴が成り立ったのだった。
シアンがライアンの部屋の前に来た時、アリスの声は聞こえていた。しかしシアンにとってはそんなこと気にする程のことでもなく(気にしないよう努めている部分もあるが)、それよりも、二人の会話の内容が少し引っかかっていた。
「アリス、僕は今日国王と商談に行くと伝えてあったはずだけど……どうして手紙なんて寄越してきたの?」
「そんな寂しいことおっしゃらないで……わたくしは、王子を好きになった瞬間から一秒たりとも離れたくなかっただけ……」
憂い気な表情で話す婚約者ことアリスは長い金髪にウェーブがかかっており、スタイルの良い身長や身の細さも兼ね揃えていた。更には整った綺麗な顔を持っており、すれ違えば百人が百人ふりかえる程の絶世の美女だ。一か月前からこのライアン王子の婚約者――つまりゆくゆくは王妃の座についているのである。
美女に良い顔をする、というわけではないが、女の人の頼みごとにめっぽう弱いライアンは、たとえ国王と一緒に遠征に出かけていても、アリスが「帰ってきて」と文を書けば夜中でも馬を飛ばして帰って来る始末である。これが要するに惚れた弱みなのだが、周りがいくら「婚約者だからといって甘い」と咎めたところで「そんなことない」と開き直るものだから、この王子タチが悪い。
「寂しいのは僕も一緒だけどねアリス。だけど、もうこんなことはしちゃだめだよ。僕は国王であり父上であるあの方をいつかは超えないといけないんだから。今はその勉強中だからね、君のわがままが毎回通るとも限らないよ?」
「わがままなんて、そんなっ」
「あぁ、ごめんごめん。少し言い方がきつかったかな?」
「いえ、わたくしが悪いのです。今晩は王子の顔が見られないと思った途端に、こう、胸が締め付けられてしまい……文を書いてしまいました。反省していますわ」
アリスは言いながら、ライアンの傍へ行き、その逞しい体にギュッと抱き着く。するとトクントクンと不定期に鳴るライアンの心臓の音が、アリスの耳にダイレクトに聞こえ始めた。
「あぁ、王子。愛していますわ」
「うん、僕もだよ」
アリスに抱き着かれた瞬間、ルーファスが持っていた洋紙のにおいにライアンは包まれた。実はこの匂いはアリスがつけている香水の匂いなのだが、実はライアンは苦手だったりする。どのくらい苦手かというと、「いつか自分の好きなにおいの香水をプレゼントしてやろう」と思っているくらいには。そして、懐から取り出してきたルーファスに「早く洋紙をしまえ」と命令するくらいには。
一方のアリスは、色んな意味で更に脈打つ彼の鼓動にニッと笑みを浮かべていた。そして、抱き着く力を強くすれば苦しくないほどに抱き着き返してくれる彼の行動に、その笑みはさらに広がる。
その時である。
いつまで経っても人払いしそうにないライアンを見かねたシアンが部屋の扉をノックしたのは――
シアンが入室した時、二人は一定の距離を置いていて、抱き合った状態から離れていた。ライアンはどことなくのぼせているように見えたが、アリスはまるで邪魔者を見るかのような鋭い視線を向けてくる。
シアンだって好きで来たわけではないのだ。
一刻も早くここを出たいと思っているのだ。
早く話を切り上げなければ――シアンは口を開く。
「それで、御用といいますのは?」
「うん、えっと……」
アリスの方へチラッと目をやるシアン。差し詰め、彼女がいては話しにくい内容なのだろう。
すると、この合図に気づいたアリスは「あら、お邪魔しました」と潔く退室した。もっと駄々をこねるかと思っていただけに、二人の肩の力が僅かに抜ける。そして、これは好機――とライアンは一気に話し始めた。
「実は今日、といってもさっきなんだけど、王宮に侵入しようとした一般市民を捕えてね」
「侵入とは無謀ですね、反逆者ですか?」
「王への献上品が少ない家には自ら労働させることで足りない部分を賄わせる――という策に出ただろう? その政策に不服申し立てをしに来たのさ。ひたすら“国王に会わせてくれ”って言ってね。僕が見た時は殺されるところだったよ」
「殺される理由は?」
「不敬罪――国王に直接異議申し立てする市民なんて今までいなかったからね。と言っても、国王に会いに来た理由さえ聞かず兵は殺そうとしてたんだけど」
「な! それではあまりにも、」シアンの顔が歪む。
「うん、だから止めたよ。その兵たちも皆辞めさせた。ほら、今ちょうど王宮から出ていってる」
ライアンに「ほら」と言われて見ると、確かに大きな荷物を持った何人もの人が王宮から出て行っている。見えるだけでもかなりの数だ。せいぜい数人と思っていたシアンの想像をはるかに超える人数に、冷静沈着が取り柄の騎士も少々慌てた。
「ライアン王子、まさかあの人数を全員解雇にしたのですか?」
「そう。関わった奴ら全員。武器を持たない市民と武器を持つ兵の意味が分かってないんだよ。殺せばいいとしか思っていないそんな奴ら、この王宮にはいらない」
「そうですか……」
そうですね、とは言えなかったシアンは明日のスケジュールのことを考えていた。抜けた兵の仕事を誰が代わりにやるんだ? 引継ぎは? それこそ王宮に穴が開くじゃないか。
何を思っても後の祭りだが、心配事を思わずにはいられなかった。国王が帰って来るのはまだ先だが、うかうかしていられない。なぜなら今の王宮は、国王が帰ってきて不思議に思うくらい兵の数が少ないからだ。
一体、誰のどんな穴から埋めていけばいいんだ――
終わらない仕事の山に頭を垂れた時、王宮の入り口にルーファスの姿が見える。
「ルーファス公爵がいらっしゃる」
「あ、本当だ。きっと抜けていく兵の数を数えているんだろうね。あの険しい顔だと……三日後くらいには同じ数の兵が入隊すると思うよ」
ケラケラと楽しそうに話すライアンの姿を見て、シアンはドッと疲れが出た。ルーファスでさえ三日かかるということは、それだけ兵が抜けた穴は大きいということだ。明日から三日三晩、寝ずの労働になることを覚悟しなければならない。
「どうした、シアン騎士」
「いえ、何も……」
内心、「この××が!」とでも思っていそうなシアンの顔つきを気にも留めず、ライアンは「そう」と言って話しを続ける。シアンもなんとか平常心を取り戻し、彼の言うことを黙って聞いていた。
「それで、その捕えた市民――フラン・ブラウンという。シルベ山脈の僻地にいる田舎娘だ。と言っても、この王国に来たのは一か月前。その時にどうやらブラウン一家の養女となったらしいんだけど、この娘がまた変わっていてね。この国でも、そして世界でも珍しい、黒髪の持ち主なんだ。
最初は彼女自身に警戒していたんだけど、変な行動をとることもないし、国王に会わせてくれとか両親を守るとかしか言わなくてね。彼女の素性を調べるって体で、今牢屋に入れてる。でもどうにも分かりそうにないんだ。ルーファスもきっとお手上げだろうね」
「それを俺に話して、どうするつもりですか?」
「シアン騎士に話すこととしては、ここからが本題。
その娘ね、ボロボロの格好で来ていたんだけど、一点を覗いてはとても煌びやかで豪華だった。
その一点が何か分かる? そう――
君がいつも腰に巻いている布さ」
彼女と会ったことがあるね? そして接点を持っている。
二人の関係性を、僕は知りたいんだ」
「なるほど」
話の中盤から、実はその娘は今日会った……という予想がなかったわけでもないシアン。妙な因果だなと内心溜息をつきながら、「実は」と今日のことを話した。




