35.フランの純白
あれから怒涛の仕事量をこなし、シアンは汗をかいた服を着替えることもせず、熱気漂う軍服のまま誘快を目指す。王宮を出てすぐにあるのだから遠いはずはないのに、今のシアンにとってはゴールの見えない砂漠を永遠と歩いているような気持ちになっていた。知っている店のはずなのにドキドキして、例え目の前にあっても見落としてしまう可能性があるほど目の焦点も合っていない。シアンは走りながら自分を落ち着けた。
「(あれから二時間くらいしか経っていない。大丈夫だ、間に合う!)」
いつも体を鍛えているシアンは当然足も速い。超高速で走ってものの五分で誘快に到着した。さすが近いだけあって、一日の公務を終えた兵士が既に店の前に集っている。ワラワラと群れている様は、同じ男のシアンから見ても何だか悲しいものがあった。
「(この店、こんなに繁盛してんだな。国王も出入りするっていうのに、みんな遠慮なしかよ。それほどこの店が良いのか、それともただ男どもの欲が強いのか……どっちにしろ、行って誰かにバレるのだけは勘弁したいな。見つかったら恥ずかしすぎる)」
どうにか極秘裏にフランと話が出来ないものかと迷っていると、目ざとい兵士の一人が「き、騎士様!?」と大きな声をあげてしまう。隠れが甘かったシアンも悪いが、一番悪いのはその真っ黒の服である。
今は日も沈み夜に差し掛かっている。夜の闇とシアンの服は同化し、はたから見ればシアンの生首だけが浮いているように見えるのだ。シアンとフランが出会った時も、フランはこの生首に腰をもっていかれた(もちろんイヤらしい意味ではなく、ただ単に腰が抜けただけだ)。
生首が闇に浮かべば誰だって気づく。
気付きたくなくても。
嫌でも。
「騎士様がこんな所へ……珍しこともあるのですね。いつか国王様にお会いした時、騎士様は誘っても来ないからつまらないと嘆いておられましたが」
「(あんのクソ国王。余計な事をベラベラと!)
今も所用で来ているだけだ。遊びに来ているわけではない」
「なんと! では、仕事ですか?」
「……そうだ」
フランの様子を見に来る事が仕事ならば、シアンはいよいよフランのお守役である。納得いかなかったがシアンは頷き「お前はここに詳しいのか?」と兵士に質問する。兵士は一応は着替えて来たのだろう。軍服ではなくラフな格好で来ていた。
「はい、恥ずかしながらよく通っておりまして……お気に入りの子に毎日慰めてもらっているわけです。この年になって嫁の貰い手がないモノでついつい寂しくなってしまって」
この年――とはいうけれど、見た目は二十歳そこそこでまだ若そうだ。まだ結婚に焦る年ではない。
「それは建前だろ。単に、この店の奴を気に入っているんじゃないか?」
「あれ、バレましたか?」恥ずかしそうに兵士は頬をかく。
「お前みたいな奴は、結婚したいと思えばいくらでも女が寄ってきそうだ。その気になればすぐ出来るだろ」
「なんと! 騎士様にお墨付きをもらえるなんて嬉しい限りです」
本当に嬉しそうに笑う兵士に、シアンはある提案をする。店に詳しいと言っているのだから、きっと従業員にも詳しいはずだ。口をきいてもらい、フランを店の外に連れてきてもらおうと考えたのだ。
「フラン・ブラウンという女がここで働いている。少し話がしたい。外まで連れてきてもらえないか?」
「あ~それは無理です」
「無理? どうしてだ?」即答されて思わず驚く。
「ここの規約は厳しくて、従業員は働いてる間は外に出られないんですよ」
「そうなのか……よく知ってるな」
「実は以前、お気に入りの子に店を抜けようと言ったことがありまして。その時にそう言われたんです。まあ、そりゃそうですよね。皆出ていっちゃったら誰が店内の接客するんだってなりますもんね」
「その時は潔く諦めたのか?」
「まさか! 仕事が終わるまで待ちましたよ。終わればその先は自由なので、好き放題させてもらいました」
当時のことを思いだしているのか、兵士の顔がだらしなくにやけてくる。それを見ていると二人がどのようになったのかは粗方想像がつくのだが、やはりここで働いている以上、そういう事も起こるのだと認識できた。フランに勤まる仕事ではない――ということも。
「なら一緒に入っていいか? 俺はここに詳しくない。怪しい奴だと思われるのは面倒だからな」
「お安い御用ですよ! ささ、こっちです!」
軽い足取りで進む兵士とは正反対で、今更ながらすごい動機がしてきたシアン。全く来たことがない店に入るのは緊張するが、さっき聞いた生々しい話が、彼の頭を更に沸騰させる。この中に入ると自分が自分でなくなってしまいそうで、シアンは思わず拳を強く握った。
「ああ、そうです。ええ、どうやら働いているみたいなんですが――はい、お願いします」
兵士がキャバ嬢と話をつけてくれている。シアンはその光景をジッと見ていたが、キャバ嬢と目が合うと逸らされてしまった。「?」シアンが不思議に思って尚も見るが、今度はシアンから目を逸らした。
キャバ嬢はピチピチの若い女だ。露出の高い服はもちろんのこと、装飾された宝石は髪に体に散りばめられていて、眩しさで目がつぶれそうだ。
彼女はどうやらまだ指名が入っていないらしく、ウロウロしていた所、兵士に捕まったらしい。シアンを盗み見る様にチラチラ視線を寄越しながら、まだ幼い声で答える。
「あ~、私らのところじゃなくて、ほら、あっち。見えにくいけど、黒い服の子。男の人の中に交じってるでしょ? どうやら裏方として働いてるみたいなんだよねぇ。なんかこの店の男性ナンバーワンにこき使われてるみたいで、嫌々働いてるみたいだったよ~可哀想だよねぇ。自己紹介の時なんてお尻叩かれそうになってたから、思わず私らで止めちゃったもん」
「おしり……」
事のあらましを聞くと、どうやら穏やかではない。やはり無理やり働かされているらしい。そうと分かれば、例え裏方であっても連れて帰るべきだとシアンは決心した。
「では、その女を呼んできてもらえないか? 話がしたい」
兵士に礼を言ってこの場から退散させる。煌びやかな女性と話すのはひどく緊張したが、この会話も長くは続くまいと、シアンは今日の任務を終えたような気持ちになっていた。あとはフランが来るのを待つだけである。
「いいよ~呼んできてあげる。だけどお兄さん、あたしタダで働くわけにはいかないのよ」ニヤリと笑う口元にほくろがある。髪は栗色でキレイなウェーブがかかっていた。見た目とは裏腹に、言動が大人の女性だ。
「たかが人を呼んでもらうにも金が要るのか? 俺は客じゃない」
「そう、そういう感じの男。いいわ。相手にしてあげる」
「(話通じねーな!)」
イライラを隠しきれていないシアンを、キャバ嬢は一つの席に案内した。もちろん、彼自身がイライラしているのは百も承知だが、それをいかに和ませるかは自分の腕にかかっていると、むしろキャバ嬢は意気込んでいたくらいだ。腕を持つと払いのけられるかと思ったが、案外にシアンが言うことを聞いたのでキャバ嬢は少し安心して二人して席に座る。
「何か飲む~? あ、それともお腹空いた?」
「いや、だから、」
「分かった。お風呂入りたいんだ! 結構汗かいてるっぽいもんね~」
「……」
もしかしてかなり臭ってる――?
シアンは一瞬だけ自分の服を嗅ぐ素振りをする。その様子がどこか可愛らしくて、キャバ嬢はそもそも近かった二人の距離を強引に詰めた。「ちょ」後退したいシアンだが、自分のいる位置が既にソファの端っこにあると知る。「(クソ)」ただフランと話したいだけなのに全く上手くいかない――シアンのイライラは募る。
「じゃあ、適当に飲み物頼むね~あなた爵位もちでしょ? この軍服はそうだもんねぇ。ねえ、何の爵位? 伯爵? 男爵?」
「……騎士」
「え! じゃあ、あなたが!? あの噂の犯罪者!?」
「……」
こんな女にさえ自分の所業は伝わっているのか――シアンの身に覚えのないこととは言え、こうも直球に指摘されると居心地が悪い。何も言えないでいるシアンに気付いたのか、キャバ嬢は「あ、ごっめ~ん」と手を合わせる。どうやら最低限の空気は読めるらしい。
「いや~もっとちゃらんぽらんな人かと思ってたからさあ。前王子っていったって、あたしは新聞も読まないしテレビも見ないからさぁ、顔を知らないんだよね。だから、こんな精悍な顔の人が犯罪者だなんて思わなくて」
「(静観と言う言葉は知ってるのか)」そっちの方に驚いた。
「でも、本当の所、どうなの?」
「‟どう”?」
「本当に婚約者襲ったのかってことよ!」
「あぁ……」
声は潜めているが、この話に大分興味があるらしい。キャバ嬢の急激に上がった体温が、空気を伝ってシアンに触れる。
「あなたの知っている通りだが」
「えー! じゃあ本当に、ベッドに四肢を括りつけて鞭で服をビリビリに裂いちゃったのー!?」
「ブッ!?」
「その鞭を婚約者にさし、」
「もういい!」
え、そんなことになってんの!?
俺の噂、そんな物騒なことになってんの!?
噂に尾びれ背びれが付くとは覚悟していたが、まさか自分がここまでの変態になっているとは思わなかった――どうりで皆から白い目で見られていたはずだと、今更ながら、皆の前を堂々と歩いていた自分が恥ずかしい(穴があったら入りたい!――と言いたいが、この場合は混乱を招きそうなので伏せておく)。
「あなた、大人しそうな顔してやるわね~ふーん」
「それより、フランはまだか? さっさと帰りたいんだ」
「えーもっと遊んで行ってよ。まだ飲み物もきてないんだし~」
「そもそも注文してないだろ」
見え見えの嘘だったが、キャバ嬢は「ばれちゃった★」とウィンクをした。世の中の男性はこれで落ちるのだから、世も末である。「あたしは何飲もうかな~」メニュー票を眺めるキャバ嬢を横目に、シアンは店内を見回す。しかし周りにいるのはキャバ嬢と男性客ばかりで、一向にホストと女性客が見えない。同じ店内と言ってもどうやらパーテーションで区切られているらしく、ホストの盛り上げる声だけが響いていた。
「じゃあこれと、これね。あ、それとお願いが一つあるんだけど」
いつの間にかキャバ嬢は近くにいたスタッフにドリンクを注文している。どうせ高値の物を注文されたのだろうけど、日々お金を使うことのないシアンにとっては痛くも痒くもなかった。むしろ経済を回すために使ってほしいくらいだが、この誘快で使うのだけは最後にしたい。
「それでさ」
「まだ何かあるのか」
暇になったらしいキャバ嬢は、再びシアンに体を寄せた。薄い布からチラチラ見える豊満なボディが気になるが、見ては負けだ。シアンはキャバ嬢を見ないようにし、会話だけ続ける。まさに家の中の頑固親父たる風貌だ。この堅物には、キャバ嬢も思わず吹き出してしまう。
「ちょっとな~に。こんなにきれいなお姉さんがいるのにムシなわけ? ひょっとして照れ屋? うちの国の騎士って百戦錬磨で有名だけど、大したことないのね?」
「挑発には乗らないからな」
「やだ~挑発なんて。そんな裏を読む人間に見える? あたし、こう見えてバカなのよ?」
「見たまんまだろ」
「んもう、ひど~い!」
しまった、会話をしてしまった。しかも何だか乗せられた感のある会話だ。取り合わないようにしているつもりが、良い様に遊ばれている。さすが、経験を積んだ女性なだけある。最近はフランを相手にしているものだから、シアンの女性への物差しが極端に短くなっている。そのため、こういった女性を前にすると大きく計算が狂うのだ。
そう、誤算。
それは攻め方にも顕著に出ていた。
「ねえ、お姉さんにもやってくれない?」
「なにを?」
「婚約者にしたみたいに! 激しいの、ちょうだい?」
「ブッ!!」
大きな胸を押し付ける様に腕に絡んでくる。しかも巧みな言葉遣い――間違いない、慣れている。
「からかうのはやめろ。そんなことしない」
「婚約者にはしたのに?」
「……」違うと言ってやりたいが我慢する。
「あたし、結構攻められたい方なの。あなたとなら、最高の朝を迎えられる気がするわ」
「目が覚めたらいいけどな」
「ヤダ、それって失神するまでするってこと? ますます興奮してきたぁ~」
「(なんでだよ!!)」
今は何を言っても言葉責めにしかならないことを知ったシアン。フランと喋るには自分が行動しないと始まらないことにようやっと気づき、熱気で蒸れたこの場を後にしようと立ち上がる。
「あん、どこ行くの?」
「直接会いに行く。お前はあてにならない」
「そんなこと言わないでぇ。ほら、座って」
「しつこい! 俺に構うな」
「……」
キツく言うとキャバ嬢は怯んだのか、あっけなくシアンの腕を離す。これ幸いと、シアンは急いでその場を後にしようとした。
去ろうと、した。
確かに、フランを見つけようとしたのだ。
だけど――
「あ、ちょっと待って騎士様。
これ、忘れてるわよ?」
「え、なにか――」
何かあったか?
と言う言葉は、最後まで紡げなかった。なぜなら、立ち上がったシアンは再びソファに座っていたからだ。もっと厳密に言うと寝転んでいた。いや、押し倒していた。キャバ嬢の口を己のそれで塞いで。
「んっ」
大方キャバ嬢に引っ張られて態勢を崩し、彼女に操られるがままにキスをしてしまったのだろうけど、なかなか唇が離れない。シアンの首はキャバ嬢の両腕がガッチリホールドしているし、唇にいたっては絡みついてちょっとやそっとのことでは離れそうにない。タコみたいに吸い付いてくるものだから、シアンの呼吸は荒くなる一方だった。
しかし経緯はどうであれ。
二人の体制はまさにそれだった。
ガシャン
シアンがキャバ嬢を押し倒し、無我夢中で唇を貪っている絵にしか見えないのだった。
「し、シアン……?」
「!?」
聞き覚えのある声にシアンはハッと我に返る(決してキスに溺れていたわけではなく、鼻で呼吸することを忘れ窒息状態になってたのだ)。全力でキャバ嬢を引き離し、声の元を辿る。するとそこには、待ち望んでいた人物がいた。
「ん……?」
朝とは打って変わった姿の、ゴスロリ衣装で一つの飲み物を手に持ったフランがいたのだった。
「お前、何してんの?」
「し、仕事……シアンは?」
「俺も、仕事……」
「そう……」
「おう……」
あまりにギャップのあるフランの衣装に、シアンはまたもや目をどこに向けていいか分からず頑固親父ヨロシクの方向を見てた。反対にフランはフランで、こういう店でそういう行為をしていたシアンにもちろんガッツリ引いていた。経緯は知らない、その時見たものだけが全てなのだ。
「あのさ、お前、何か勘違いしてると思うけど、」
「え……な、なんのこと……」
「えっと、つまりだな。その……」
「……」
「その……その……その、服」
「は? 服?」
「似合ってないぞ」
瞬間、プッツンといった音だけを、ここにいたキャバ嬢だけが聞いていた。
これは一波乱ある――熟年の勘が働いたのか、散々シアンをからかっていたキャバ嬢は、二人がフリーズしている間にそそくさと退散した。その時もちろん、フランが手にしていた飲み物をとることも忘れずに。
「一つグラス落としちゃったのね~怪我しないように片付けておいてね」
「はい……すみません」
今日一番、もっともらしいことを言ったキャバ嬢が去り、この場にはシアンとフランの二人だけになる。二人を覆う空気が重い。とてつもない重量感だ。
「あのさ、シアン」
「な、なんだよ……」
「服が似合う、似合わないの問題じゃ、ないでしょ?」
「え、あーあぁ、そうだな……」
「じゃあ、他にどんな問題があるの?」
「えっと……」
怒りで声がワナワナ震えるフランと、焦りで口がワナワナ震えるシアン。
こういう時に女性経験のなさが仇となり、スマートな対応が出来ないのが、国王の悩みの種なのである。そういう意味でも、彼は父と誘快に行くべきだったのだ。何事も経験と練習。上にのぼるには、どんなことであれ知っておかないといけないのである。
「問題……そう、問題!
お前、その服がよく入ったな。靴下が伸びて泣いてるぞ」
「はあ……?」
この時、本当に泣きたかったのはフランであり、間違っても靴下ではない。己の中でマーブルに混ざる感情を整理できずに、胸が苦しくなっているフランこそ、今、泣いてもいいただ一人の人物である。
「シアンの、バカー!!」
ドンと突き飛ばしたフランは一目散に店の扉を目指す。しかしドアノブに触れた時点で考え直したのか、急いで手を離しもう一度「バカ!!」と捨て台詞を吐いて奥の部屋へと去って行った。どうやら急遽働いたといっても、この店のマニュアルを一通りは読んだらしい。「勤務中は外に出られない」――いっそ外に出てクビになっても良かったのに、フランもシアンに負けず真面目なため律儀に守ってしまったのだった。
「なんだ、あいつちゃんと働いてるじゃねーか」
今言うべき言葉はこれじゃないと分かっていても、呆気にとられたシアンは、こんなとりとめのないことしか口に出来ない。
遠くの方では、さっきのキャバ嬢が面白そうにこちらを見ている。シアンは舌打ちを一つして、もう用のなくなった誘快を、余るほどのお金を置いて後にした。




