27.王子のシアン
馬の嘶きに耳を傾けていると、「でもね」と少し弾んだアリス様の声。
「でも、その書簡を届けに来たシアン様、少し面白かったのよ」
「え、どのようにですか? 聞きたいです!」
「丸めた書簡を徐々に伸ばしながら読んでいると、わたくしの政略結婚の話が書いてあって、当時のわたくしはそれはそれは気が沈んだの。王子本人を前にしているというのに、ワンワン泣いてしまってね。母上に叱られたものだわ」
「(ワンワン泣くんだ……)」
ここで改めて、アリス様も血が通った人間だということに気付く。
「けれどね、書簡を全て広げようと、最後の一巻きを伸ばした時――何かがポロンと出て来たの。とっさのことだったからわたくしも母上も受け止めることが出来なくてね。小さなそれはコロコロ転がってシアン様の元までいってしまったわ。
するとシアン様は何も言わずにそれを手に取って、わたくしの元に寄って来たの。怖い顔の人がゆっくりと近寄って来るものだから、わたくしはかなり怯えてね。母上の後ろに隠れたの。だけど、わたくしの前まで来たシアン様は片膝をたてて、座ったわ」
「(え、まさかそれって、)」
「そして、こう言ってくださったの。
‟こんな私の隣で良ければ”って。その手には、指輪が握られていたわ」
「(き、キザー! 見た目に寄らずキザだよあの男!!)」
おっとりするアリス様の横で、汗が止まらない私。いや、だって、シアンだよ? あのシアンが、どうして!? どうしてっていうか、なに? 今は別人なの!? 中身が誰と入れ替わってるの!?
混乱する私を他所に話は続く。
「震えるわたくしが動けるようになるまで、シアン様は待っていてくださったの。そうして、やっと、シアン様の前まで歩けた時、彼はとても安心したような顔をしたの。今まで怖かった顔が、まるで嘘みたいに穏やかになって……思えばわたくしはあの時初めて、シアン様の笑顔を見た気がするわ。その笑みにわたくしもつられてしまってね。思わず笑ってしまったのよ。そうしたらシアン様、何て言ったと思う?」
「‟あなたは女神だ”ですか?」
「そんなことは言わないって、あなたにだって分かるでしょう?」
「すみません」
からかうように笑っていたら、ちょっと怒られてしまった。ちくしょう、冗談だっての。
「わたくしの笑顔を見て、シアン様はこう言ったわ。
‟俺は顔が怖いから、あなたのように朗らかな人が傍にいて初めて王子として迎えられるんだろう”
そう言ったのよ。その時はもう、いつも通りの怖い顔だったけれどもね。だけど、まるで二人で一つと言ってくれているみたいで心強かったわ」
アリス様は今のシアンをチラリと見る。相変わらずの仏頂面だが、彼女の瞳には優しく微笑むシアンが映っているのかもしれない。
「(へえ……)」
その時のことを思い出しているのか幸せそうに目を細めるアリス様のお顔を見て、少しだけ胸が痛んだ。
ツキン――
胸を針で刺す様な、この痛みがなんていうのか知らないままアリス様と会話を続ける。
「素敵なお話です。今の主からは想像もつきませんが」
「でしょう。わたくしも、今のあの方を見ていると、あの出来事は夢だったのかと何度も疑ったもの」
「同感です」激しく。
「でもこの国に来てからも、本当に優しくしてくれたわ。どれだけ公務が忙しい日でも、必ずわたくしに会いに来てくれたの。大した話が出来るわけでもないのに、ずっとそばにいてくれて……手さえ握ってもらえなかったけど、今考えると、嫁いできたばかりのわたくしに遠慮していたのだと、そう思うのよ」
「なるほど。それだけアリス様を歓迎していたということですね。では、なぜ主はアリス様に乱暴をしたのでしょう?」
もちろん、そこまで優遇してもらってなぜお前はシアンを裏切ってるの?――という意味である。瞬間、アリス様はピクリと反応したが、すぐになんにもなかったかのように振る舞った。
「それが……わたくしにも分からないわ。まるで人が変わったようになって……。思えばわたくしを安心させるための、その場限りの偽りの優しさを見せていたのかもしれませんわね」
「(そんな器用な人には思えないけど)」
それに、手すら握らないと言うのもシアンらしい。
彼は人が嫌がりそうなことはしない。女性相手ならなおさらだ。
「(って私がシアンの何を知って言ってるんだって話だけど)」
胸の中に出来た黒い感情を払いながら、怒った声を出さないようにアリス様に聞く(この怒るというのはもちろん、アリスがシアンを裏切ったことに対しての怒りである)。
「今でも主のことを恨んでいますか?」
するとアリス様は少し考えた後に首を振った。
「いいえ。シアン様があのような行為をされたのはわたくしに至らない点があったから、そう思っています。現にあの時のわたくしはまだここになれていなくて、怯えるような態度ばかりとってしまった。そういった積み重ねが、シアン様のご機嫌を損ねてしまったのです」
「そうですか……」
激しく「違うだろ」といいたい。もっともらしい理由をつけてくるあたり、一層怒りが湧いてくる。いかんいかん、抑えて私。こらえて、私!
「先ほど見えた港はね、わたくしがこの国に初めて降り立った場所なの。隣国だから陸路で行けばよかったのだけど、海がみたいと思って急きょ船を使ったの」
「海がみたい、ですか」
「そう――そう思い込んでるの」
「‟思い込んでる”?」
不思議に思いアリス様を覗くと、お顔を見られたくないのか私の顔に手をべしっとあてた。顔面から平手打ちを食らったような感覚だ。地味に痛い。
「本当は、例え長い距離でも歩いてさえいれば両親がいてわたくしの生まれ育った家があるなんて思いたくなかったの。わたくし一人ではどうやっても帰れない、大きな広い海を渡って、二度と帰れないほど遠い場所に来たんだって――もうあの場所には帰れないんだぞって自分に言い聞かせたかったの」
「アリス様……」
「帰郷は許されないと条件にあって……人質になるには、覚悟を決めないとね」
悲しく、だけど力強く笑うアリス様に、同性として素直に尊敬した。もしも私がアリス様と同じ立場だったらどうだろう? 彼女のように前を向いていけたのだろうか? 何も知らない、誰も知らない土地で一人でやっていけただろうか?
「(ん?)」
っていうかアリス様のその状況、転生してきた私と同じ状況じゃない? むしろ私の方がひどくない?
「(陸空海のどの手段を使っても帰れないんですけどー!!)」
いきなり知らない世界に放たれ、家を探していると拾われ、王宮に乗り込み、騎士の召使いをする――意外にも逞しく生きている自分を見て、なんとかやっていけるもんだなと思う。なるほど、女性はやっぱり強い。
「アリス様は御立派ですねぇ(私の方が偉いけど)」
「そんなことないわ。それにわたくしは今、幸せですもの」
「そうなのですね(身分が高いとやっぱ得だよな)」
「シアン様とは婚約破棄になってしまったけれど、ライアン王子とはこのまま結婚できそうですもの。ライアン王子となら、わたくし、上手くやっていけそうな気がするのよ」
「なるほど(次から次へとってか? 良いご身分だな!)」
にしても、そうか。シアンにはいい報告が出来そうだ。なんたってシアンはアリス様を疑っている。ライアン王子を味方につけ、何か大きな謀を起こそうとしているのではないかと前に言っていた。
『俺が気に掛けるのは、ライアンじゃない。むしろその後ろ盾を確立した、アリスだ』
『え? アリス様?』
『あいつがこの先も何かを企んでいるのか、そうでないのか――
俺が知りたいのはそれだけだ』
この何も考えていなさそうなアリス様が何かを企んでいるとは思えない。シアンの考えすぎだと言うことが分かる。今日の出来事を伝えた時の、シアンの気の抜けた顔を楽しみになってきた!
そう思っていたのだが――
「だから、折り入ってあなたに頼みたいことがあるの」
「はい、なんでしょう?」
「先ほどのあなたとシアン様……騎士様の仲の良さを見て頼むことなのですが……帰郷の許しを請いたいのです。一日、いや、一時間でいいの! ライアン王子と一緒にカラスナ王国に帰郷したいの」
「へえ!?」
先ほど帰れない場所に自分は来たと、覚悟を決めたと言っていたのに、舌の根も乾かない内に何言ってんのこの王女様!?
「ちょ、それは私に言われてもどうにもならないかと……それに、主だって騎士の身分。主に許しを請うよりもライアン王子に言われてみてはいかがですか? 余程言いやすいでしょう?」
「それが、そうもいかないの。どうも国王がダメと言っているようで」
「(もうライアン王子には話しているんかい!)」自由奔放さに目がくらむ。
「ライアン王子がダメなら、お兄様である騎士様ならもしかして、と思いまして……。ダメ元なのは分かっているの! ダメで元々。だから聞いてみるだけ聞いてみてほしいの!」
「え、ぇえ~」
「お願いよ、フランさん」
「(こんな時だけ‟女神”発動するなー!)」
こんな美しい人を見捨てるなんて、きっと天罰が下る。そう思った私は半ば強制的に、有無を言わすことなく、「分かりました」と返事をしてしまったのだった。
もちろん。
波乱の展開が待ち受けていることは、当然ながら分かっていた。




