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25.戦火の友?

 さて――

 王子は「部屋の掃除をして」と言ったけど、正直、掃除は昨日全て終わらせているから暇なのだ。掃除なんて週に一回くらいでいいのだから、綺麗な部屋を連日綺麗にする理由がない。綺麗なままなら放っておけばいいのだ。


「隠しカメラもついていないことだし、さっさと自室に帰って翻訳でもしますか」


 窓の鍵が閉まっていることを確認し、カーテンを閉める。「カーテン」といっても、絨毯みたいな重い布で、体育館で使われる緞帳ドンチョウみたいだ。アナログ方式ではなく、早く自動で開閉出来るようにしてほしい。この国の技術がどの段階にいるのかは知らないけれど。


「では、また明日」


 ペコリとお辞儀をして、取っ手を手に取る。ノブを回している間、翻訳で使うであろう辞書がどこかにないかと頭の中で思っていた。自分の語彙力のなさは分かっている。痛感している。身に染みている。だからこそ、


「私は辞書が欲しい!」


 意気込んで扉を開ける。すると「キャア」という高い声がした。ついでに、ドサッという音も。


「やっちゃった、勢いよく開けたから!

 す、すみません、大丈夫ですか!?」


 急いで扉の外に回る。徐々に視界の中で面積が狭くなっていく扉に反比例して、私の視界で大きくなるものがあった。それは、綺麗なドレスからのびる白い手、細い指。その指の一つは、装飾された指輪が光っている――そう。

 そこに転がっていたのはライアン王子の婚約者である、アリス様だった。


「(げ!?)

 も、申し訳ありません、アリス様! 勢いよく扉を開けてしまいました、お怪我はございませんか!?」


 思わず「げ」という言葉が先にでそうだったが何とか耐え、膝を曲げる。手を差し出すと、左手で体を支えていたアリス様は右手で体を支え直し、わざわざ左手を私の手に重ねてきた。その際まぶしくて目を細めると、「あら、ごめんなさいね」と釈明する。


「婚約指輪が光って――ライアン王子にも言ったのよ、宝石はいらないって。リングだけでいいって。それなのにこんなに大きな宝石……何をするにも邪魔になってしまって。挙句、あなたにも不快な思いをさせてしまって、ごめんなさいね」

「い、いえ! そんな。滅相もございません。おきれいな指輪です、アリス様は幸せ者ですよ。これを手にした時のライアン王子の嬉しそうなお顔が目に浮かびます」

「まあ、ありがとう。そんなことを言っていただけるなんて。指輪に感謝しなきゃ。でも、それ以外は本当に困ったちゃんなのよ、この指輪。ライアン王子に言うと怒られるから言わないけれど……あ、内緒ね。二人だけの秘密にしてちょうだい?」

「もちろんですとも」


 本当に困ったように言われるものだから、思わずこちらが恐縮してしまう。それに、婚約である証が婚約指輪なのに、それがシンプルなリングだけだなんて、そんなの結婚指輪と同じである。主張する意味もかねて、王子は目立つデザインの指輪にしたのだろう――と言うのが、この聡明そうなアリス様なら分かってもいいものだけど。いや、むしろ分かっているんじゃないだろうか?

 

「(もしかして私を試しているのだろうか? 騎士の召使いだから、騎士とグルじゃないかって? でもさっきの会話で私を試すって……何を?)

 あ、改めて申し訳ありませんでした。結婚式を控えられているアリス様に危うくお怪我をさせてしまうところでした、以後気を付けますので、なにとぞご容赦ください」

「こちらこそ大きな声を出してしまい申し訳ありませんわ……お怪我はなくって?」

「と、とんでもございません、私なんかはいくら怪我しても良いのです」

「まあ、なんてこと言うの。女の子がそんなことではいけませんわ」

「いえ、本当のことです――アリス様はお優しいのですね」


 アリス様は控えめに首を振りながら「そんなこと」と言う。お互いゆっくりとだが立ち上がり、どこともなく歩き始めた。


「聞きましたわよ。ライアン王子の召使いをされているとか」

「え、えぇ。数日だけですが」

「あら、ずっとじゃないの?」

「はい。私はもともと騎士の召使いなので。それに兼任できるほど、どちらの仕事も易しくありません」

「確かに、大変そうだものね。でも今日はライアン王子はおでかけ……あなたは何のお仕事をなさるの?」

「えっと、」


 ここで素直に「あの奇妙な本の翻訳です」と言っても良かったのだけど、もしも私が翻訳を完成できなかった日にはひどく残念がらせそうだ。しかも気味の悪い本の話をしただけで、このアリス様は卒倒しそうだし……内々にことを勧めた方がいいかもしれない。


「(王子もこのことについては話してないみたいだし、私も迂闊に喋らまい)

 今日は書類の整理を任されているのです」

「あら、そうなの。でも先ほど‟辞書”がどうのこうのって」

「(ちゃっかり聞かれてるしー!)」


 意外にめざといな!

 いや――

 耳ざといな!!


「私はまだこの国の言葉に不慣れでして……読み書きが乏しいもので、辞書は手放せないのです」

「では今すでに持っているんじゃなくって?」

「て、手放せないことに先ほど気づきまして、今から調達に行くところでした!」

「あら、そうでしたの」


 オホホと笑ってくれてはいるが、でも目の奥は、心は分からない。というか、私のすることなんて全部見破ってるのではないか?

 皆を騙してシアンを失脚させただけはあり、アリス様はやっぱり聡明な方だと思う――侮れない。気が抜けない。よって、めちゃくちゃ疲れる。


「それでアリス様、差し出がましいようですが、ここに図書館はありませんか?」

「としょかん? すみません、わたくしもこの国でまだ知らないことがあるみたいで」

「あ、違います、えっと、書庫! 書物室! そんな感じの所に行きたいのです! そこに辞書があればいいのですが」

「それなら心配いりませんわ。書物室にあります。

 あ、そうだわ!

 ぜひわたくしに案内させてくださいな!」

「え、でもアリス様に直々は申し訳ないです。私が一人忍びこ……きちんと入室許可をもらって、」

「それなら大丈夫ですわ。わたくしも以前忍び込んだことがありまして、」

「え、今忍び込んだって、」

「その時たくさんの本を拝見しましたの。面白かったですわ! そこに辞書もあるのですが――あ、ご存じですか? あそこには読んではならない本が存在してますの」

「え、なんですかそれは!?」


 まさかバカげた本がもう一冊あるの!?

 あのシリーズの他にまだあるというの!?


 するとアリス様は周囲をキョロキョロした後、声を潜めて話した。「実はね」その内容は、昨日ライアン王子から聞いた内容そのものだった。


「って本がありましてね……って、あれ、随分薄い反応ですわね。もしかしてこの手のお話は苦手でしたか?」

「は、はい。実は……」と言うしかない。むしろ嬉々として話すアリス様の頼もしさよ……この人に怖いものは存在しないように思えた。

「アリス様はこの手のお話がお得意なのですか?」

「ええ、私、案外満更でもないのですよ」


 フフと笑う彼女は艶めかしく、どこかイヤらしかった。いつもとは違う優しい顔ではなく、どこか勝ち誇ったような強気な顔がそう見せているのかもしれない。

 にしても、私の予想はことごとく外れ、どうなってもあの本の話になってしまった。話すだけでも嫌そうにしたライアン王子とは反対に「いつか読んでみたいものです!」と目を輝かせているアリス様――夫婦でどうしてこうも違うのだろうか。


「アリス様、分かっておられるとは思いますが、これから行く書物室で決して無茶はなさらないでくださいね?」

「えぇ、わかっていますわ」


 どこかルンルン気分で言われるものだから、気が気じゃない。手綱をつけてもいいものならば、犯人よろしく手錠をかけるのに!


「では、参りましょう!」

「は、はい」


 どうやら今日はアリス様のお守になりそうだ――


「ほらこちらよ、フランさん」

「アリス様、そんなに速く歩かれては転びますよ!」


 あれから私たちはすぐに行動を開始した。

「東棟に書物室はありますの」というアリス様の言葉を受け、北棟から東棟へ移動している。

 まだ朝方だからか、メイドも召使いも忙しなく動いている。途中に食堂を横切ったが、そこにはランスロット男爵とキャシーが座っていただけで他には誰もいない。男爵は私に気付かなかったというよりは、アリス様しか見えなかった様子で「アリス様今日も輝いておりますな!」と友好的に話しかけていた。


「ランスロット男爵も本日もとてもお元気ですね」

「(遠回しにうるさいって言ってるのかな?)」

「元気が一番といいますしな! ここの食事が美味しくて元気が有り余って困るのです!」

「まあ」

 ニコッと笑うアリス様は、男爵の隣に当たり前のように座っているキャシーを捉えた。もはやキャシーが召使いなんて嘘なんじゃないだろうか。風格と同じく性格も堂々としすぎている。


「確かキャシー様でしたわよね? あまり喋っておられないけれど、体調に変わりなくって?」

「(遠回しに無礼だって言ってるのかな?)」

「申し訳ありませんアリス様! キャシーは人見知りなもので、アリス様のような高貴な方を目の前にすると無口になってしまうのです!」

「まあ、そんなに緊張なさらないで。どんどん話しかけてくださいね。わたくしは皆さんと会話するのが楽しくて仕方ないの」


 フフと柔らかく笑うアリス様に、ついに男爵も耐えかねたか視線を外す。そりゃ、こんな絶世の美女に微笑まれた日には私だって失神する。気持ちは分かるよ、ランスロット男爵!


「では参りましょうか、皆さん失礼しますわね」

「はい、またいづれ! ほらキャシー! 挨拶せんか!」

「さ……さよなら」

「はい、さようなら」

「(遠回しにもう二度と会いたくないって言ってるのかな!?)」


 ブラックアリス様を知っているからこそ、彼女の副音声が脳内で再生される。本当はこんなこと思ってないのかもしれないけれど、シアンを失脚させた彼女の腹黒さを侮ってはならない。この女神の顔に騙されてはいけない。油断禁物、足元を掬われないようにしなければ!


「(まぁ沙汰といっても、今の召使いより低い身分なんてないしなぁ。これ以上があるとすれば追放? それは困る! お金的な意味で!!)」


 王宮で働く方が、一般的に働くよりはお給料がいい。召使いの平均給料と比較しても、今の私は騎士に仕えていることもあって高いのだ(昨日の勤務中ライアン王子に少し教えてもらった)。こんないい職場、後にも先にもここだけだ。やめることは出来ない!


「(それに)」


 ライアン王子がいるのだ。紫音先輩をかたどっているような、いや、そのままのような、生き写しのようなそっくりさんが王宮にはいるのだ。誰がここを離れてやるものか、死んでも動かないぞ!


「そう言えば、フランさんはどうしてこの王宮に来られたの?」

「へ――?」

「出稼ぎかしら?」


 タイムリーな質問に少々焦る。最初は国王に不満を言いに乗り込んだのですが、今はあなたの夫が好きでここにいるんです!とは口が裂けても言えない。


「えっと、その……お聞きになってはいらっしゃらないのですか?」

「ライアン王子が何かご存じということ? 生憎だけど、わたくしは公務にはあまり口出せさせてもらえないの。だから二人きりでいても、そう言った話にはならないわ……ただ」

「ただ? なんでしょう?」

「恥ずかしい話だけど、公務の真っ最中に手紙を送ってしまったことがあって……それはご迷惑だと分かってからは大人しくしているの。国王様にも注意をされてしまったし。ダメね、わたくしは弱くって」

「アリス様……」


 そのアリス様の手紙のおかげで自分の命が助かったとは、もちろん知らない私。あの手紙がライアン王子を城に呼び戻し、処刑寸前の私の命を繋ぎ止めてくれたのだ。その事実を私が知っているものなら、彼女の両手を握って「アリス様は間違ったことはしておりませんよ」と励ますのだが――


「(王子の嫁が何ぬるいこと言ってんだっての。これだからいいとこのお嬢様は……寂しくなったってウサギか! 今日はライアン王子は帰ってこないって言ってたぞ! 手紙送らないように注意しろよ!)」


 この罵倒である。

 そして怒る顔を必死に押し殺していると、アリス様が浅く溜息をつく。


「わたくしね、たまに不安になるの。ライアン王子の立派なお嫁さんになれるかどうか」

「そんな、アリス様がなされなければ、他の誰もがなしえませんよ」

「そうかしら?」

「えぇ、そうに決まっています」


 ウェーブのかかった長い髪が、不安げに風に揺れている。どうやら北棟と東棟を繋ぐ渡り廊下に出たみたいだ。王宮は高い位置に建てられているので眺めがいい。つい今知ったことだが、ずっと先を見ると海が見える。大小さまざまな船がいて、それぞれに旗がつけられている。あれは国旗だろうか? では、あそこは港?


「アリスさ、ま……?」


 あそこは港でしょうか?――そう聞こうとして、彼女の顔を見た。すると、そこにあったのは女神のような笑顔でも困ったような笑顔でもなかった。一言で言ってみれば不安そうな、何かに想いを馳せるような、そんな憂いに満ちた顔だ。


「どうかなさいましたか? アリス様」

 耐えかねて聞いてしまう。すると彼女は「いえ」と言って、足を止めた。そうしてその場から動かなくなった。

「……」

「(やけに静かだ)」

 港を見つめたまま、微動だにしない彼女。

 何を考えているのだろう?

 まさか何も考えていない?

 これも演技?

 気になった結果、以前からずっと気になっていたことを聞いてみた。


「アリス様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「先ほど‟まだ知らないことがある”と言われていましたよね?」

「えぇ」


『それでアリス様、差し出がましいようですが、ここに図書館はありませんか?』

『としょかん? すみません、わたくしもこの国でまだ知らないことがあるみたいで』


「アリス様はこの国の人ではないのですよね? どちらから嫁がれてきたのですか? よろしければ、アリス様の故郷のお話をお聞かせください」


 するとアリス様は途端に顔色を悪くした。しかも衝撃を受けたように目を見開いて「あなたご存じないの?」と私に聞いてくる。前も話したが私は山奥に住んでいて情報が少なかったことを伝えると「そうだったわね」と再び港を見る。


「わたくしが嫁いできたことも知らなかったものね、それにわたくしの顔すら知らなかった……そうね、だったらご存じないわ。わたくしがこの国嫁がされてきた理由。わたくしの故郷――ねえフランさん」

「なんでしょう?」

「図書館、少し遅れてもいいかしら? 二人きりで少しお話しませんこと?」


 あらら――弱弱しい笑顔にビックリした。


「もちろんでございます」


 一回りほど小さくなった彼女の姿を見て「ここは風があたりますから」と別の場所に移動する。しかし私が知っている場所なんてそうそう思いつかず、かと言って唯一知っているあの食堂に戻るのには気が引ける。キョロキョロと周りを見渡してみるも、どうも頃合いの部屋はない。


「(しかも内々の事情だし)」


 うかつに誰かに聞かれることがあっても、それはそれで後味が悪い。キョロキョロと必死に目を動かした末、ある物を発見した。近くの庭で馬の世話をしているシアンである。


「(そういえばここは東棟――馬がいるということは私の前の部屋が近いんだ)」


 なぜかあそこに馬が一頭だけいた。なぜ一頭?と疑問に思ったのでよく覚えている。それに、その近くの茂みでシアンが居眠りをこいていたのも、よく覚えている。


「(居眠り……そうか!)」


 腕の立つシアンがいて、その他の兵はいなくて、天気が良くて、お昼寝も出来る場所で――よし、なんとなりそう!


「アリス様、少々お洋服が汚れても構わないでしょうか?」

「え、なに? どうかされたの?」

「いえいえ、これからピクニックにでも行こうかと思いまして」

「ぴくにっく……?」

「アリス様はここでお待ちください。私は食堂から毛布とおやつを持って参ります。決して動かないでくださいね」

「わ、わたくしも一緒に、」

「すぐ帰ってきますから、待っていてくださいねー!」


 イノシシの如く真っ直ぐUターンした私を、アリス様は少し呆れた顔で見送っていた。

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