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18.人気者の浮気心

「ん!?」


 しかしシアンは正気に戻る。パンッと夢から覚めたような感覚に戻る。そして落ち着いて、この状況を静観してみる。そして、

「なんだこれ」

 と女に励まされる自分の情けなさに気づくのだ。


「本当お前、偉そー……俺が今までどれだけ苦労してきたかしってんのかよ。それに、今度はまだ王子になれって、これがまたどんなけ大変なことかわかってんのかよ」


「分かった」と言って理解はしているみたいだが、急に現実に帰ってきたのかシアンは目を閉じる。これからのことを考えているのだろうが、そんなのはお構いなしに話を続けた。

「あなたも気づいているかもしれないけど、シアンの目を気にしてばかりいるライアン王子が王国の未来を担えるとは思えないの。

 この国には私の大事な両親がいる。

 他国に攻められたり、滅ぶことがあったりしちゃ困るのよ」

「お前、俺のことどうこう言っておいて、最後のそれが本音じゃねーのかよ……」

「ふふ、どうかしらね」


 意味深な笑みを見せてながら、シアンからやっとこさ下りる。二人の熱気が混ざっていたのか、離れる際にムワンとした温かい空気が一瞬だけ二人を包んだ。なんだかやらしいことをしていたように錯覚し、シアンはポッと顔を赤らめる。本当に発情期はどっちだと言ってやりたかったけど、あまりに打ちのめすのも可哀想だったので「腰が痛い」と自分の腰をトントンと叩くフリだけに留まった。


「じゃあ、ネイハム子爵にお礼を言って帰ろっか」

「子爵まだいるのか?」

「うん、奥の部屋にいるって」

「なら俺だけ挨拶してくるから、お前は外で待ってろ」

「え、私も挨拶、」

「金魚のフンみたいにくっついてくんじゃねー」

「二度と後ろを歩かないわ!」


 シアンの背中を見送って、私は扉の前に立つ。すると何か合図をしたわけではないのに、あの重い扉がズズズと音を立てて開き始めた。もちろん、外に控えているあの小さな召使いのおかげである。「そういえば子爵の腕によりをかけた飲み物は出ずじまいだったな」と思いながら廊下に出ると、召使いの女の子と目が合った。


「お世話になりました、ありがとうございました」


 礼をする私に、女の子は「お気になさらず」と言う。そして、私の全身に何度か目を這わせたところで声を潜めて囁いた。


「王子、出てきた後も扉の前に暫くいました」

「え、しばらく? ここに? 一体何をされていたのでしょうか?」

「あなたの声を聞いていたのかも?」

「私の、声……?」

「そう。中で騎士と話している、あなたの声」

「……まさか」


 騎士と話しているときは声を最小限にした。それに、キスできるような距離で会話していたのだ。その声が廊下まで響くことはあり得ない。では王子は、何を聞いていたのだろう? 私が声を潜める前? シアンが起きた直後の話? でも、何を話していたっけ? ああ、王子の召使いになるだならないだって揉めていたんだっけ?

 回想にふける私を横に、口を真一文字にこそしていないものの、女の子の表情は尚も硬い。無表情のまま淡々と自分の意見を述べた。


「権威のある人に取り入って上を目指すのはいいですが、お気を付けください。万人を取り込もうとすると必ず色恋沙汰に発展して足元を掬われます。あなたが失敗しないことを――」

「取り入って上を目指す? 色恋に発展?

 えっと、何か勘違いされているようですが、私は別に誰かを騙してのし上がろうとは思っていませんよ?」

「主の二の舞にならないことを――」

「主……って、騎士様のこと? 失脚するなって言いたいのですか?」

「そうです」

「せっかくのお心遣いですが……賭けてもいいです。私はきっと、いえ、私も主も、失脚はしません。主は現在底にいます。となれば、あとは上がっていくだけですので」

「そうですか」

「しかしご忠告ありがとうございました」


 お礼を述べる一方で、いつ私が男をひっかけまわして遊んだよ!と気分を害したが、しかし、シアンが寝ている時に「あなたのことを好きになっていたかも」ということを言い、ライアン王子が来れば「抱きしめて」なんて言うし、そりゃ傍から見れば男に媚び売る痴女くらいに見えるだろう。


「(軽率な行動には気を付けなきゃなー反省反省)」


 これを伯爵様聞いていたら大事件に勃発した。今度こそ私の身は無事じゃすまなかった。シアンが口を酸っぱくして「周りに気を配れ」と言っている理由が、今になってやっとわかった気がした。


 ズズズ


「悪い、待たせたな」

「いえ、とんでもないです」

「行くぞ」

「はい。それでは、失礼します。子爵の召使い様」

「はい、またどこかで」


 女の子はヘコリと緩くお辞儀をして、私とシアンを見つめた。と言っても一秒だ。その後はすぐに視線をそらし、ただただ前を向いている。後ろ髪をひかれる思いだけど、女の子に拘っていても仕方がない。考えを払拭するように、迷いなく進むシアンに声をかけた。もちろん、小声でだ。


「何をするの? これからどこに行くの?」

「ルーファス公爵に会いに行く、まだ姿を見せないところを見れば新しい兵士の募集に戸惑っているんだろう。俺は目利きがいいわけではないが、根性のない奴は顔を見ればすぐ分かる。騎馬隊に使えそうな奴がいたらもらうとする」

「(ルーファス公爵……まだ会ったことない人かな?)」


 私が王宮侵入罪で捕まった際、ルーファス公爵と一番初期に会って身元を調べられていることを私自身は知らない。


「分かったわ。なら私は、」

「お前は引っ越しをしろ。北棟に行けば俺たちの部屋がどこか分かるだろう、荷物の搬入を済ませておけ」

「荷物っていってもほとんどないけど……うん、分かった。シアンのは?」

「俺は荷物という荷物はない。あれば自分で持って行くから気にするな。しかし北棟に移動とは――なんだってそんな事になっているかは分からないが、好機だ。東棟では何かと不便なことが多かったからな」

「そりゃあんな倉庫みたいな所じゃねぇ」

「俺は部屋すらなかったぞ」

「え」


 騎士なのに、まさかの宿無し!?

 きっと部屋は用意されていたんだろうけど、使わなかったんだろうなあ……どこで寝泊まりしていたのか聞きたいけど、聞いたら悲しくなってきそうだからやめた。荷物がないのも頷ける。

「(かわいそうな人だ)」

 その言葉は喉まで出たが、珍しく活き活きしているシアンの横顔に吸い込まれる。「やっぱり、この人はキラキラした顔が似合う」心からそう思った。


「じゃあ俺はこっちに行く。お前はこの道を真っ直ぐ行け。東棟に帰れる」

「了解」

「またな」

「うん……ねえ、シアン」

「あ?」


 進めていた足を止めて、全身で振り返るシアン。黒い軍服の残像が、彼をとても大きく見せる。その姿に、自然と膨らむ期待。その時私は確かに、シアンの中にある闘志に気付いたのだ。


「シアン、頑張ってね。私はあなたの味方だから」

「なんだ、それ。お前に言われなくてもやることはやるっての」

「うん、分かってるよ。それじゃあね」

「あぁ」


 シアンは再びサッと身を翻し、長い廊下を進む。すれ違うメイドや兵士や、召使いから言葉をかけられたら軽く頷いているようだ。今までの彼の冷たい態度から一変したその対応に、すれ違う者たちは珍しさから彼を二度見している。


「まあ、そうなるよね」


 その光景に思わず苦笑が漏れたが、これが彼なりの「前進」なんだろうと思うと、心から応援することが出来た。例え、すれ違うメイドたちから


「騎士様よ、珍しく挨拶されたわ!」

「もうお怪我はよろしいのかしら」

「少しお顔が柔らかく見えたわね」


 という黄色の声を聞こうとも、ライアン王子に浴びせられる声に比べればまだまだ足りないので、「もっとキャーキャー言われるようにならないとね」と“そういう意味”で気になったのだった。他意は全くない。もちろん、よくある恋愛のように「私の騎士なのに!」という気持ちも微塵もわかない。当たり前だが。


「さて、私も頑張りますか!」


 明るい部屋から暗い廊下へ――

 荷物を持って再びこの廊下を通る私はどんな気持ちなのだろうかと、期待に胸を膨らませながら、まるで新しい学校に転校してきた学生のような気持で歩みを進める。その時、頭の中にはライアン王子の召使いになることをすっかり忘れており、新しい部屋でどのようにシアンを待つべきかとそのことばかり考えていた。



 ◆



 さて――一方のライアンはというと。

「そう言えばアリス、今日から召使いが増えるから」

「え?」


 自室に戻っていたライアンは、妻のアリスにフランのことをかいつまんで説明する。といっても、自分がフランを呼んだとはアリスの前では言いにくいので、そのことは伏せて。


「騎士とその召使いがこの北棟に来ることは知っているだろう? 初めは慣れないことも多いかと思ってね、僕の召使として色々教えることとなったんだ」

「な、まだ、北棟に来ると言うこともわたくしは納得していな、」

「ごめんよアリス、でも耐えてほしいんだ。襲われた騎士が再び近くに来るのは何かと怖いかと思うが、僕が必ず守るから耐えてほしい。国王の決めたことには僕にも逆らえないんだ」

「ですが……」


 一瞬、アリスの心の中が真っ黒に染まる。

 なんだ、夫なら、妻を護るために国王を説き伏せてくれても良かろうものを――

 しかし、それが容易に出来る案件ではないことも、容易に出来る立場にライアンがないことも知っていたアリスは、何も抵抗することないまま、言葉を飲み込む。


「いいんです、わたくしの辛さを王子が分かってくれているのなら、それで……」

「アリス」

「王子、せめて今日は早く帰って来てくださいね。わたくし、お待ちしておりますので」


 言いながら、ライアンの腕に抱き着き、わざと胸を密着させる。ライアンもまんざらではないようで「うん!」とまるで童心に帰ったような顔つきで無邪気な笑みを見せた。


「だけど、夜まではまだ時間がある」

「そうですわね、まだお昼ですもの」

「でも、幸運なことに、今の僕にも少し時間があるんだ」

「まあ、天下の王子が、お昼にわたくしを見てくださる時間があるのですか?」


 クスクスとライアンの腕の中で笑うアリスに、もうライアンは釘づけだった。素早くアリスの顔を近づけ、その唇に優しく触れキスをする。長く、しかし穏やかなキスに、初めは驚いていたアリスも両腕を彼の背中へ回す。


「アリス、僕は君が大好きだよ」

「まあ、嬉しい。わたくしもですわ」


 おっとりするようなセリフを言ってくれるライアンに、アリスも思わず頬を染める。顔を少し話して彼の顔を見ると、いつもの優しい顔ではあるが目つきだけは確実に変わっていた。


「その野心に満ちた目をわたくしに向けてください。全て、受け止めます」

「アリス……愛しているよ」


 ライアンはアリスに再びキスをしながら抱きかかえる。そして奥にあるベッドに連れていき、ゆっくり降ろしたのち、まるで割れ物を扱うかのように丁寧に優しく押し倒す。


「時間って、どれくらいあるのですか?」

「五分くらいかな、僕にしてはある方でしょ?」

「本当に」


 無邪気に笑うアリスにまたキスをし、

「もう黙って、急がなきゃ。時間があるといっても、これに至っては五分じゃ短いから」

 そう笑いながら二人きりの快楽へと身を落とすのだった。


「ライアン……っ」


 しかし、二人きりの幸せな時間であるというのに、アリスはこんなことを思っていた。

 ライアンがお昼に誘って来るのは、今までで初めてのこと――ではこれに、何の意味があるのか?


「アリス、好きだっ!」


 召使いが来ると言っていたが、まさか、この部屋に来るのだろうか? いつもの王子なら、例え忙しくてもこういうことは夜に行う。基本、本能に忠実な人だから自分がそうと決めたら夜中だろうと構わない人だ。

 けれど、今は昼だ。

 裏を返せば、夜には出来ないから昼にするということか?

 なぜ、夜に出来ない?

 まさかこの部屋に門番をさせるわけでもないだろうし――では、なぜ?


「あっ、ライアン!」


 そうか――

 その召使いのことを気にかけているからだ。

 その召使いがまさか私たちと同室になることはないだろう。けれど、この部屋の近くになることは間違いない。

 一番近くて隣の部屋?

 だとすると、夜に響く声が聞こえるのが嫌なのか?

 だから召使いの存在がない、今にしている?


「アリス、綺麗だ……っ」


 それか……まさか、召使いと王子の二人で違う部屋に行くなんてことはないだろう。さすがの王子でも、たまに突拍子のないことを言う王子でも、それはないだろう。自分を置いて召使いと同室なんて、それこそ有り得ない話だ。身分の違いがありすぎて、他の人も必ず変だと思うだろう。そういう危ない橋は、彼は渡らない。今まで渡ってこなかったのだ。


「(まあ何にしろ、警戒しておいて損はないということね)」


 そこまで考えたところで、アリスは正気に戻る。しかしどうやらことも終わったようで、目の前には幸せに満ちたライアンの顔があった。金色の髪の毛が、汗で少し濡れている。重たい服を着たままなのだ、中はもっと汗がでていることだろう。


「タオルをお持ちしましょう」

「いや、いいよ。ほら、五分経ってしまった」

「まあ」


 懐中時計を見ると、本当キッカリ五分だ。いつもなら時間をかけてじっくりしている行為を、この人はこうも短時間で終わらせることができたのかと、アリスは初めて知る。


「アリス、また夜にね」

「ええ、また……」


 少しの疲労感が見え隠れしたライアンの瞳を、しかし見方によってはどこかスッキリしたようなライアンの顔を、アリスはじっと見つめる。この青い目に自分を常に写してもらうにはどうしたらいいか――彼女の頭はライアンがこの場を去るまで、そんなことを考えていたのであった。


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