15.思わぬ来訪
ネイハム子爵の言う通り、西棟にある彼の部屋まで歩いてすぐだった。厳かな扉の前では少女が一人ちょこんと立っており、彼の姿を見るとすぐにその扉を開ける。
ググググ――
扉を開けるだけでこの音がするのだ。裏返せば、この扉一つでもどれだけ重たいかが容易に分かる。それを小学生低学年くらいの子が易々と空けているのだ。紫のワンピースの下の筋力が見てみたいと思わずにはいられない。
そして、ここであることに気づく。
「ネイハム子爵の軍服は紫ですね……となると、あの紫の服を着た可愛らしい少女はネイハム子爵の召使いの方ですか?」
すると「その通り」と大人の笑顔で彼は笑う。
「先ほどランスロット殿の召使いはこもりがちだと言っていましたが、わたしのも似たようなものでして。わたしが部屋で休む時だけ尽力してくれればいいという契約なので、彼女も表にはほとんど出ません。表立って活動していませんからね。未だにわたしの召使いの存在を知らない者もいますよ」
「えー、もったいない。こんなに可愛らしいのに。お披露目の日があれば、私は喜んで彼女を見に行きますよ!」
「では、その日が来ることを祈っておいてください。きっとないでしょうがね」
「ネイハム子爵って……実はからかうのがお好きだったりしますか?」
「さあ、どうだか。では入りますよ」
「は、はいっ」
部屋に入る時に「暫くの間、お邪魔させてください」と頭を下げると、少女は口を真一文字に結んだまま浅くお辞儀をした。そして皆が入ったことを確認すると、自分は再び外に出て、耳を塞ぎたくなるような重音を轟かせて扉を閉めるのだった。
「あの子、お名前はなんていうのですか?」
「さあ、わたしも知らないのです。彼女は口をききませんからね」
「え、それって……喋れないってことですか?」
「そうなのか、はたまた喋らないだけなのか……それは不明なのです。しかし仕事をよくしてくれるので、口をきかないからといって困ったことはありませんね。だから追及もしていないというわけです」
「なるほど……」
ここの人たちは召使いに関して特に無関心だな――キンバリー準男爵といい、イーノ伯爵といい――ランスロット男爵以外は召使いに対する感情があまりないのだとフランは悟る。
「にしても、すごいお部屋ですね」
先ほどの広い食堂に匹敵するくらい、ネイハム子爵の部屋も広かった。もちろんシャンデリアもあるし、たくさんの宝石のついた家具もある。その中でも特に目立っているのが、まるでお姫様のようなベッドをした豪華な――ベッド。大人なネイハム子爵とは正反対に位置づけられるであろうファンシーな寝具がそこにはあった。
「えっと……」
「なにか?」
「いえ……」
正直、そこにシアンを寝かせると起きた時にものすごく厄介になりそうだが……と危惧したが、わざわざ自分のベッドを人に貸してやろうとしてくれているネイハム子爵の気持ちも無下には出来ず、シアンがお姫様さながらになるその瞬間を見届ける。
彼が手を離した瞬間に、ボスっとなかなかいい音を立てて、シアンはベッドに着地した。と同時に、「うう」と低いうめき声が聞こえる。
「少し顔が青い……かな?」
「そうですね、けどこれくらいのこと心配いりませんよ。暫く寝ていれば治ります」
「そっか……良かったです」
「では、彼の傍にいてあげてください。わたしは少し席をはずしますので」
「はい、分かりました。何から何までありがとうございました」
「気にしないでください、また後ほど」
「はい」
それきりネイハム子爵は奥の部屋へ行ってしまった。きっと仕事があるのだろう、なのにここまでしてくれて……思わず胸が熱くなった。
「いい人もいるもんだね。感動しちゃった。ね、シアン」
シアンは寝ているので返事をするわけはないのだが、どうにも手持無沙汰なのであれやこれやと話しかける。近くに椅子があるのでそれを拝借し――よし、これで暫くゆっくりできそうだ。
「ねえシアン、あなたも、すごく優しいよね。私を皆に紹介してくれて、私に害が及ばないようにけん制してくれて、キャシーさんからも咄嗟に守ってくれた。私なんかのために、ここまでしてくれる人なんていないよ。私、なかなか素直になれないけど……あなたには本当に感謝しているのよ」
この静かな状況下だと、さっきの出来事がまるで随分前の様に思える。振り返るととんでもないことの連続で、今更ながらにドッと疲れがやってきた。
「いーなー、私も、このベッドで寝たい……思えば結局食事もしていないし、疲れたよ」
ベッドの上でグーグー寝ているシアンを見つめる。実際には寝息など立てていないが、ネイハム子爵の言う通り大分顔色が戻ってきた。
「まつげ、長いなあ」
金髪に長いまつげ、整った顔立ち――これらの要素を見ると確かに、シアンはこの王国の王子にふさわしい容姿をしている。まだ拝見していないがどうやら腕がたつようだし、頭もきれるらしい。となると、容姿を抜きにしてもシアンが王子になる資格は充分にあるということだ。それに、実際に前まで王子をしていたのだから、むしろ今なぜその玉座にいないかが不思議なくらいだ。
「みんな、あなたのことを信用してくれなかったのね……可哀想に。この強面のせいかしら?」
「んん……」
「(げっ!)」
ピクッと眉が一瞬動いた気がしたが、起きる気配はない。良かった、どうやらまだ深い眠りについているようだ。
「けど、シアンは優しいよ。すごく優しい。私、元の世界で紫音先輩に会っていなかったら、きっとあなたに恋をしていたと思う」
守られてキュンと来ない女子はいないんだから――
「シアン、早く起きてよ。私、早くあなたにお礼が言いたいの」
無理やり眼球を開けようと瞼に手を向ける。でも、寸での所で考えを改め、金色の髪をそっと撫でた。その時のフランの気持ちを言い表すとすれば、自分よりも弱り切ったシアンを慈しむ「母性」になるのだが、どうにも自分の体がおかしいことに気付く。先ほどまで通常だった脈が、今は随分と早くなっているからだ。
「ん、あれ? 私、風邪でも引いたかな? なんだか息苦しいな」
恐怖、緊張――そういった時に打つ脈の感じでもない。謎の症状の出現でますます分からなくなる。
まさかシアンの病気オーラにあてられてしまったのではと、シアンを撫でていた手をパッと離す(と言っているが実際のところは、自分がシアンの頭を撫でるなんて、何がどうなってそうなったのか、と冷静に考えるとこの状況がおかしいことに気付いたからだ)。
「私本当に風邪かもしれない、頭おかしいもん」
椅子ごと後ろへ下がり、片手をうちわ代わりにしてパタパタと仰ぐ。
「もう、シアンがそんな調子だから私まで変になったじゃない。本当に早くよくなってよね、このままじゃ北棟に行った途端に二人ともお休み貰う羽目になっちゃうよ」
そう呟いた後、ゆっくりと部屋の中を見渡した。シアンに熱があるわけではないが、気分転換にでもなるかと額をタオルで冷やそうかと考えたのだ。しかし見渡すも、あるのは高級そうな家具ばかりでタオルはおろか水道も見つからない。
これは本当に大人しくするしかなさそうだ――
案外暇かもしれないな――
そう考えていた時、期待を裏切るように扉のノック音が響く。
コンコンッ
「はい」
自分の部屋ではないため返事をすまいかとも考えたが、しかしネイハム子爵への急用であれば奥の部屋へ行った彼の代わりに自分が取り次がないといけないだろう。扉の前にあの召使いの少女がいることも忘れ、そんなことを思った。
「ネイハムはいるか?」
扉越しだからか、少し声がこもって聞こえる。けれど聞き取れないというわけでもない。「はい、おります」と返事をした。
「そうか、ならば入るよ」
「失礼ですが、どちら様でございましょう?」
「……見れば分かる」
「え、ちょっと、」
待ってください!!
制止も聞かずに、扉はむなしくガチャリと開く。
「あーもう!」
せっかちな客だな!と憤りながらもネイハム子爵の客なのだからないがしろにすることも出来ず、彼を呼ぶために奥の部屋へ行こうとする。が、私の目に身に覚えのある色が目に入った。それは――
「僕が入るのに、いつからネイハムの許可が必要になったのかな?」
その色は――
「え……」
その色はシアンと同じ色をした金。
金色の艶の良い髪に、青色の目。
現在の、王子。
私の命を助けた、恩人。
私の想い人にそっくりな、彼。
そう――ライアン王子だった。
「ラ、ライアン王子……?」
ずっと会いたがっていた人物にこうもすんなり会うとなると、どうも心の整理が追い付かず、心の準備も間に合わず、ただただ言いよどむだけだった。
「えっと……あの」
想い人が目の前に現れたのだ、もっと喜べばいい――
本能はそう思うのだが、固まった体は思うように動かすことが出来ず、結局ライアン王子が口を開くまで私はこの拮抗状態を続けることになる。
「ここに来たからって、ネイハムに用事があるわけではないんだ。ここに騎士がいると聞いてね」
「え、シアン……騎士、ですか?」
「そう。さっき国王から君たちが北棟に移ることを聞いて部屋を準備させたんだ。部屋の説明もあるし、僕が直々に案内しようと思ってね。部屋が変われば、騎士も僕の護り方を変えるだろうし。また話し合うのも面倒でしょ? だから僕が直接来た」
「そ、そうでしたか……」
護り方?
ああ、そう言えば、騎士は王子を護らなければいけないんだっけか。
頭になんとなく、シアンがそんなことを言っていたと思い出す。あれは嘘ではなかったのか、という思いと、どうしてアリス様とシアンの事件においてシアンの味方をしなかったのかという思いが二つ同時に流れてきた。
「……あの」
「なに?」
「えっと、騎士は、こちらです」
「うん、見えているから分かるよ。足だけだけどね」
「わわ、失礼しましたっ」
「中、入るね?」
「は、はい!」
私ったら、なに厚かましく王子を接待しようとしているんだ――
ドコドコと変な音を立て始めた心臓を一喝し、ライアン王子に続いてシアンの傍へ寄る。彼はシアンがへばっているところを見るのは珍しいのか「へえ」と感嘆の声を漏らした。
「騎士の貴重な姿だな。しかもこんな好待遇な扱いを受けて、羨ましいばかりだよ」
お姫様のようなベッドをさして言っているのだろう。クツクツと、屈託なくライアン王子は笑いだす。
「(へぇ)」
その姿に少し、見入ってしまった。
けれど見入った理由なんて言えもしないから、すぐに愛想笑いで返す。
が――
「なに?」
「え?」
ボーッと考えていた私の姿さえも目ざとく、王子は見つけるのだった。
「今、何を考えていたの?」
「へ、い、いえ……何も」
「僕は嘘を見抜くのが上手くてね。そのせいか兵士の悪いこともよく分かっちゃうんだ」
「嘘を見抜かれるのが、得意……」
「うん。君を殺そうとしていた兵がいただろう? 上手いこと言って君を悪いように扱おうとしていたけど、僕は嘘だと分かった。と言っても、顔を見ればすぐ分かるだけなんだけどね。人は悪事を企むと、どうしても強気の面を見せるらしい」
「……」
「ほら、また何か考えている」
「わ、悪いことを考えているのであありません!」
「でも僕を前に呆けられるのもなんだかね……よし!
騎士も起きそうにないしね。君が今なにを考えていたか当てるゲームでもしようか」
「ええ!」
そんな突拍子もないゲームのどこに面白さがあるんですか!!
危うく行ってしまいそうだったが、しかしあまり表情に出すとまた見抜かれてしまう。
「(むむ、イチかバチか……)」
ゴクリとツバを飲み込んだ。
「分かりました、私も、そのゲームに乗りましょう」
「そうこなくっちゃ! 何を賭ける?」
「か、賭け!? そんな風俗みたいな……!」
「ふーぞく?」
「い、いえ! なんでもありません!
王子は、何が欲しいのですか?」
あなたに至っては、欲しいものは全て手に入れているのではないだろうか?
そう思わなかったわけではないが、物珍しいものでも言ってくるかもしれない。お菓子とか、おもちゃとか……王族ともなればそういう幼少期の思い出が欠落しているだろう、という隙あり娘の激しい思い込みが先行する。
しかし、返ってきた答えは意外なもので。
「じゃあ、僕の召使いを数日やってくれないかな?」
「へ? ど、どなたに頼まれるのですか?」
「今、僕はどう見ても君を指名して言ったんだけどな」
「へ、私? 私!?」
「そう、君」
言うと、またクツクツと笑うライアン王子。すごく楽しそうなのは微笑ましい限りなのだが、私からすると、何が何でそうなったのか訳が分からない。
「ど、どうして私なのですか? 私なんてまだ未熟者で、王子の足しか引っ張りませんよ?」
「じゃあ朝はベッドから起きないよ、そうしたら手を引っ張って起こしてくれる?」
「そ、そういうこと言っているんじゃありません!
って、じゃなくて……朝? あ、朝から晩まで王子のお世話、それを数日間、ということですか?」
「そう――君の数日を、僕に捧げるんだ」
「!」
あぁ、ズルイ。
視界がぼやけそうになった。
もう二度と会うことはないと覚悟していた紫音と瓜二つの顔をしたライアン王子に、そんな言葉をかけられてしまっては、もうどうすることも出来ない。私は羞恥から顔を上げることは出来ず、カクンと下がってしまう。するとその動作を「イエス」と受け取ったライアン王子は「じゃあ君は?」と私の欲しいものを聞いてきた。
「私の、欲しいもの……?」
そんなもの、決まっている。
頭の中では、バベッドおばさんたちのことが浮かんでいる。二人に豊かな生活をさせてあげてほしい。家畜の世話がもうしんどい年齢になってきたから、助っ人をよこしてやってほしい、それから、それから――
頭の中では、ひどく現実味のある内容が飛び交っていたのに、実際にこの口から出たのは私さえも驚くような、そんな言葉だった。
「本当に何でもいいんですか?」
「構わないよ」
「じゃあ――」
「うん」
「一回でいいです。私を……抱きしめてください」
顔を上げた私の瞳に写る者。
それは金髪のライアン王子ではなく、懐かしい面影のある人物。
紫音先輩――
私の大好きな人物、その人以外に他ならなかった。




