13.爵位のお目見え②
「あの女のどこがそんなに良いと言うのです?」
ギリッと苦虫を噛み潰したような顔でナカノ先輩が呟いた言葉は、これまでにない、かきたてる程の嫉妬の感情を表したものだった。
「どうしたナカノ、何か言ったか?」
「いえ、何も……全て召し上がっていただけたようで何よりです。安心しました」
「特に美味しいってわけではなかったがな」
すぐ横に控えているシェフに気付いているふりをして、どんな小さな声でも呟けばシェフに聞こえるのを知っていて、この人は何と言う暴言を吐くのか――私が聞けば必ずそう思っただろう。だがイーノ伯爵の言葉を聞いたのはナカノ先輩とシェフ本人だけであり、誰かがイーノ伯爵を「失礼だ」と叱ることもなく、当のシェフ本人は食べてもらったことが満足なのか微笑を浮かべていただけだった(しかしイーノ伯爵の無礼な声が聞こえたとしても、誰一人として注意する者はいないだろう、間違っても)。
「完食など容易いことだ」
どこか満足そうな顔つきをしたイーノ伯爵の、聞くに堪えない傍若無人の言葉は続く。
「あんな面白い余興を見せられては食が進むと言うものだろう? 途中から味はしなかったが、それでもあの召使いのおかげで全て食べられたぞ」
まるで「どうだ、すごいだろう」と言いたげな口ぶりだが、ナカノ先輩は「そうですか」と特に反応は見せずに、イーノを立たせるために椅子を引こうと手をかける。
ギイ――
静まっていた部屋に、イーノ先輩が立てた椅子の音が響く。当然、皆の視線はそこに集まるわけで、その中には私とシアンの二人の視線も交じっていた。
私は最初こそ「ヤバイ!見つかった!」という顔をしていたが、まさかこの公衆の面前でイーノ伯爵が何かしてくるわけでもないだろうと半ば安心し、なんとか落ち着いた表情でシアンの後ろに控え続ける。
が、予想は予想にしか過ぎず。
食堂を後にしようと扉まで来たイーノ伯爵は「おや」とわざとらしく声を上げた。
「フラン、先ほどぶりだな」
「イ、イーノ伯爵……」
伯爵であるイーノが、わけのわからない召使いを名前で呼んだ!と瞬時に食堂は騒がしくなった。しかし、イーノ伯爵は周りなど気にしないのか我関せずで話を続ける。
「どうした、顔が歪んでいるぞ」
「ゆ!? こ、これは引きつってるっていうんです!」
「引きつる? それこそなぜだ?」
「う……それは、」
あんたが目の前にいるからに決まってんだろ!!
と声を大に出来たらどれほど良かったかもしれないが、今の私はただの召使い。伯爵に口答えするなど言語道断な身分なのだ。
言ってはならないが、しかし本音を言わなければイーノ伯爵は「なぜだなぜだ」とこの場を去らないだろう。けれど早く立ち去ってほしいのがこちらの本音。ここはもう、成行きに身を任せて失礼なことでもブッ込んでやろうかと大きく息を吸った。
「私は!」が、ここで助け船が出される。
シアンだ。
「伯爵殿」
私とイーノ伯爵の間に自分という壁を作り、私の姿をすっぽりと隠す。
予期せぬ第三者の介入に、イーノ伯爵は思わず眉を顰めた。
「なんだ」
「失礼しました。俺たちもここに用があって来たもので、その用を忘れないうちに済ませようかと思いまして」
「そういや、用があるって言ってたね~」
未だ私の髪を持って新体操のリボンのようにクルクル回っているキンバリー準男爵は、シアンの言葉にはたと動きを止め、再び傍に寄ってきた。この狂人メンツに囲まれるのは死ぬほど嫌だったが、私とは反対に「ちょうどいい」と舌なめずりをしたのが主のシアンである。
「昨日から俺こと騎士の召使になったフランです。以後お見知りおきを。
それと――
俺とこの召使は今日から北側に部屋を設けさせてもらい、そこで生活をします。このことについては国王、ひいては王子も既に承諾済みのことですので異論なきようお願いします。
そして、まさか高貴なるこの王宮でそんなことは起こり得るはずないと思いますが、念には念を。
この召使いに何かをするのはおやめください。恐喝するようなことも、陥れるようなことも――そういう類のことでこいつに近づくのであれば、俺がそいつらを排除しますのでそのおつもりで」
騎士の俺が直々に制裁してやるって言ってんだよ、怖けりゃ変なことはすんじゃねーぞ――
こんな副音声で聞こえてきそうなくらい、その時のシアンは生き生きと喋っていた。先ほどキンバリー準男爵に言われ放題だったのも、ここで一気に言い返すためのねちっこい策略だったのだろうかと思うと同時に、こんな大きなことを言って後で彼らに何をされるか分かったものじゃないよバカシアン!何かされるのは私なんだからね!?と、恐怖のせいか足の先から頭のてっぺんまで身震いが起きる。
そうならないために今こうやって先手を打ったんだろう?
これ以上のけん制があるか!!
そうシアンは言いそうだが、シアンの言葉を忠実に守りそうな奴なんてここに一人もいないのが現状である。ここにいるメンツがどれほど真っ黒な心をしているのか、彼は知らないのだろうか? と言っても、それは私にも言えることだが……。イーノ伯爵に首を絞められキンバリー準男爵に髪を切って渡した時点で王宮に居る人物たちのレベルは知れたも同然だ。今更悪い人が出て来たってもう驚きはしないが、逆に良い人が出て来たら死ぬほど驚く。私の中で今のところ良い人認定しているのは王族専門の医者、ローランドただ一人のみである。
「(もし、もしよ!? シアンが戦場にでも行って不在の時って、いや、それだけじゃない! 私一人が行動している時に何かされたら、私なんてひとたまりもないよ!?)」
シアンは結局のところ騎士なので腕もたつ。が、隙あり娘はその辺に転がしておけば一週間で死んでしまうくらいに弱弱しい生き物なのだ。こんなサファリパークのような場所に放られれば、シアンの目が届かないうちに肉食の奴らに食い散らかされるに決まっている。
そんなのは、ごめんだ――
「ちょっと、シアン」
こっそりと釘を刺そうとした、その瞬間。私は力強い腕により引っ張られる。何かにぶつかる!?と思ったが着地は緩やかなもので、柔らかい黒の布の中に静かに着地した。
「……へ?」
見渡せば、黒。
見上げれば、金髪。
気づくと、シアンの腕の中にすっぽりと納まっていたのだ。
「(へ!? 私シアンにだ、抱かれてる!?
ちょっと! 離しなさいよ!!)」
しかしいくらもがこうともあがこうとも、シアンは一向に離そうとはしない。ばかりか、まるで大人しくしてろと言わんばかりに私を抱く左手に更に力を込めた。
「(ぐえ!!)」
ここまでされちゃあ、おしまいだ――
カクンと人形のように動けなくなる。傍で見ていたキンバリー準男爵が「今の一撃で死んだんじゃない?」と呟いた声にシアンは少しだけ眉を動かす。内心焦っているのか、私を握っている手は汗でべったりだ。
「(冷や汗までかいて、この人は何がやりたいのよ!)」
されるがままの私が疑問に思った、その時。
「俺は別ですが」
とシアンが口火を切る。
「俺に何を言おうと、何をしようと構いません。
ですが、これは別です」
これ、と言った時に私を抱く手を少し揺らす。
「これはある方からの〝借り者″でして、壊すわけにはいかないのです。なので、誰であろうとこれに何かをしたその時は――俺が黙っていません、忘れないでください」
「(か、借り者!? どういうことなんだろう!?)」
周りも静かになったが、一番無言を貫いたのは私本人だ。なぜ無言かって? そりゃ、さっきのシアンの羽交い絞めにもグッタリきているが、そしてシアンの言っている内容にも理解が追い付いていないが、しかし、それよりも何よりも――感動してしまったのだ。シアンの言葉に。シアンの行動に。
「(身元不明な私のために、普通、ここまでやる?)」
アリス様を襲ったという証拠もないのに皆から虐げられて「倉庫」と呼ばれる東棟にひっそりと住んでいたシアン。自分を信じてくれなかった皆を恨みもせず、憎みもせず、嫌味を言われようともただ黙ってやり過ごす。そんな影のように生活してきたシアンが、たかが自分一人のために二度も皆に向かってお願いをした。しかも二度目はかなりの低姿勢だ。最初あれだけ好戦的な態度だったのがまるで嘘のよう。
「(私のことを思って、本当にけん制してくれたのかな?
だとしたらちょっと……いや、かなり嬉しいけど)」
と、今なお羽交い絞めにあっているシアンの腕の中で、妙な温もりに包まれる。周りの自分を見る目が痛いが、シアンがここまでしてくれているんだ!自分が何もしないわけにはいかないと、私も腕の中のまま無作法ではあるが「お願いします」と頭を下げた。
その時の様子を「まるで借りてきた猫だな」とイーノ伯爵は半笑いで呟いていたのだが、この声に反応する者は誰もいない――――かと思えば、この静寂な雰囲気から一転、
「素晴らしいではないか!!」と盛大な拍手と共に食堂の扉から誰かが入ってきた。




