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9.相対する三つ巴

 一方――

 新入りの召使いを暗い廊下に一人残したまま、伯爵と呼ばれるオセロ・イーノとその召使いナカノは、東棟から西棟に移動しようとしていた。


「それにしても、まるで見計らったかのような登場だったな、ナカノ?」


 良いところを邪魔しやがって――という多少の圧力をかけて発したイーノの言葉だったが、後ろに控えるナカノは表情も声色も何一つ変えず淡々と答えただけだった。


「事実、見計らってましたから。伯爵様がどこに行かれようとも、私は常に見守っておりますので」

「私を守るために見守っているのか、私から誰かを守るために見守っているのか。それは分かったものではないがな」

「もちろん前者にございます。

 が、伯爵様」


 瞬間、ナカノの眉間にシワが寄る。


「時折オスを見せるのはおやめください。あの召使い相手だったから何もなかったようなものを、色目使う召使いであれば逆に食われてましたよ」

「おやおや私の召使いは怖いな」

「茶化さないでください」

「なにも茶化してなどいない。私はいつ何時でもオスなのだ、喰らいたいときに喰らい満足したい本能がある」

「しかし、」

「もうよい。女であるお前には分からないことなのだ」

「……」


 先ほどまでは置物のように動じなかったナカノだったが、イーノの声色が若干下がったことから、今度こそ自分が入ってはいけない領域に足を踏み入れてしまったのだと悟った。


「失礼いたしました」


 ナカノは余計なことは一切言わず、ただ一言謝罪して恭しくお辞儀をする。もちろん後ろに目があるわけではないが、イーノは前を向いたまま「顔を上げろ」と笑って応えた。どうやら逆鱗に触れたというわけではないようだ。罰則を与える気もないらしい。


「そう固くなるな。私とナカノの仲だろう?」

「……」


 さっき私を辞めさせ新入り召使いに鞍替えしようとした人がよく言う――

 ナカノが物陰からイーノの言葉を聞いていた時、それはもう心中穏やかではなかった。

 突拍子もない主の発言。まさかの事態に、予想だにしない主の発言に、ナカノは天地がひっくり返るほどのめまいを覚えていたのだ。

 けれど、それでも。

 どんな酷な内容であろうと、主が言う言葉は絶対で「召使いチェンジで」と言われればその命に従うしかない。辛いがそれが召使いという身分であり、この国における扱い方なのである。


『どうだ、私の召使いにならないか?』

『(!?)』


 あの時ナカノは苦虫を噛み潰したような顔で、それこそ声をギリギリ押し殺して限界まで堪えていたのだ。ナカノに高度な自制心がなければ、その場ですぐ二人に姿を見せただろうし、もし植木鉢があればそれをフラン目掛け投げつけていたかもしれない。

 しかしナカノはその焦燥感をギリギリのところで堪え、自分が姿を見せなければならないその時が来るまでこの状態を持続できるようにと、まるでマジナいをするかのようにツインテールの髪を両の手で強く握って身を潜めていたのである。見方によれば、ツインテールがナカノ自身の手綱のようで、それを握る彼女は自分に鞭を打ち奮起しているようにも見える。それは最早ナカノだからこそ為せる忍耐の深淵、一般人からはまさに見上げた精神力だった。


「(伯爵様、どうして……)」


 しかしナカノは口に出さずとも、心の中では溢れんばかりの感情が行き場なく右往左往していた。

 自分に何が足りなくて、伯爵様は自分の何が不服で、そんなことを言われるのだろう――

 聞きたい。聞いて答えがわかれば、直ちに改善するのに。他の召使いなどいらないくらいお世話をするのに――

 だけど聞けないのがナカノだ。「見習い召使い」であれば怖さ知らずで堂々と主人に問うのだろうが、爵位に仕える召使いであるナカノがそれをするのは憚れる。

 有能な召使いは自分の非を悟り改善し、主人の希望を果てまで見据え全て叶えるものだ。それが出来ないのは甘えである――

 この信念がナカノの召使い魂に根を張っているが故に、どんなことであれ彼女がイーノに質問することはない。その根が根絶されない限り、ナカノは有能な召使いに徹する。

 言わば彼女からすれば、自分の足りないところを主に答えさせるなんて行為は愚行でしかなく、ただの甘えなのだ。

 自分は伯爵様の召使い――そうやすやすと「有能召使い」のレッテルをはがすわけにはいかない。自分は文字通り体に鞭を打ちながら、今まで伯爵様の側にいたのだから――


「ナカノ、どうした?」

「あ、いえ……伯爵様に優しい言葉をかけていただいたことが嬉しくて感激しておりました。ありがとうございます」

「だからそう畏るなと言っている」

「ですが……」

「私が良いと言っているのだ」

「……えぇ」


 煮え切らない返事が不満なのか、イーノの歩調が少しだけ緩む。


「ナカノ。お前は誰に躊躇している? いや、“何に”躊躇している? 私はそう尋ねるべきなのか?」

「それは……」


 またも言い淀んだナカノは幸運なことに、あと少しで東棟と西棟を繋ぐ中央ホールに差し掛かることに気づく。暗かった足元も段々と光が差し込み、映す視界が良好になっていった。


「そろそろ中央ホールですよ」

「見ればわかる」


 不毛なやりとりだったが、なんとか話は逸れたかとナカノは胸を撫で下ろす。イーノもナカノの意図せんことは分かっているのか、先ほどのことを蒸し返すことはしなかった。

 しばらくの間、静寂な空気が二人を包む。このまま何事もなく中央ホールに足を踏み入れることだろう――ナカノが密かに安堵した、その時だった。


「お時間よろしいですか、伯爵様」


 柱に控えていた「黒」が、二人の前に突如姿を見せる。ナカノが戦闘の構えに入る中、イーノと「黒」の正体シアンは案外にものんびりとした雰囲気で話し始めた。


「どうした騎士殿、そんな怖い顔をして。綺麗な顔が台無しだ」

「中性的で綺麗なお顔をお持ちな伯爵様にそう言われるなど、身にあまるお言葉です」

「そう謙遜するな」

「伯爵様こそ」


 と言っても、お互い喧嘩腰であれば、すぐにでも抗争が起きかねないが――。


「さて前置きはこのへんにして」

「ほう珍しい。騎士殿、本当に私に話しがあるのか?」

「そうです。少し申し上げたいことがありまして」

「なんだ」

「では失礼ながら。

 先ほどの俺の召使いへの態度……召使いが何か粗相をしたか、

 それとも、俺の召使いだから、あの態度だったのか。

 それが気になったもので、ぜひ答えていただきたいと思いまして」

「ほう」


 シアンの言葉に一瞬だけ驚いた表情をみせたイーノだったが、口元に笑みを浮かべ「なるほど」と言った顔は誰がどう見てもシアンをバカにするものだった。


「私の密会を目撃していたのは一人ではなかったということか、面白い」

「面白い、ですか」

「まぁそう怖い顔をするな」

「あいにく元々この顔です」

「そうか……まあ、あの召使いとは懇ろの仲でな」

「首を絞める仲を懇ろとは。伯爵様のスキンシップは少々過激でいらっしゃる」


 シアンの嫌味を含んだ言い方はナカノの琴線にふれたらしく、すぐに二人の中に割って入った。


「騎士様、お言葉にはお気をつけください。相手が誰かお分かりで?」

「黙っていろ召使い、今は取り込み中だ。お前こそ注意している相手が誰だか分かってるのか?」

「……失礼しました」


 ナカノという仲裁役を一喝したシアンの顔は、いつもの仏頂面より少し機嫌が悪そうに見える。その顔を見つめながら、ナカノはイーノの後ろに控え直す。


「(人とあまり干渉してこなかった騎士様が自分の召使いをバカにされただけで感情を露わにするだろうか? それともあのフランという召使い、騎士様に何かした?)」


 イーノといいシアンといい、新入り召使いフランと接しただけでどこかおかしくなっている。もしや変な魔術でも使っているのかと思ったが、この王国に占いはあれども魔術はない。

 しかし油断はできない、とナカノ。


「(フラン様は世にも珍しい黒髪……もしや違う人種で、私たちの知らない異能の力を持っているのでは?)」


 フランの素性を知らない者はそう考えても仕方ない。あのライアン王子だって、その危険を察知して早々に対処しようとした結果、シアンに「殺せ」と命じたくらいだ。そうなると誰もがフランに対して慎重になるのはやむ得ないことで、その疑いが晴れるまでは勘違いの連鎖が生まれるだろう。頭の切れるナカノも、その連鎖に巻き込まれた内の一人なのである。


「(何にしろ、答えを出すには時期尚早か)」


 色々考えるも、しかし憶測だけで判断しても意味がない。ナカノは一呼吸していったん落ち着き、取り敢えず目の前の二人に集中した。


「伯爵様もご存知とは思いますが、あれは昨日入ったばかりの召使いです。不愉快に思われたことがあるかもしれませんが、目を瞑ってやることは出来なかったのですか?」

「私を非道の者のように言うな。あの召使いのことは、それなりに気にかけているのだ」

「気にかける……手にかけるの間違いではなく?」

「おや、今日の騎士殿は饒舌だ。いやはや驚いた、いつも挨拶のみで終わってしまうものだからな。これほど長い間話すことが出来るのか」


 ハハハと笑うイーノを前に、実のシアンも驚いていた。自分と同じく滅多に笑みを見せないイーノがこれほど笑っているのは稀有に等しい。


「(さて、伯爵様は油断をされているわけではないだろうけども……)」


 ある意味笑い声の絶えないこの場だが、ナカノは依然戦闘態勢に入ったままだ。いつでもイーノを庇えるようにと構えているのだが、合図があるまでは石像のように動かない。

 そして時を同じくしてシアン。ナカノの考えていることが手に取るように分かるのか、彼女が絶対に動かないことを知った上で、徐に彼女に近づき始めた。


「もしも召使いだから何をしてもいいと言われるのであれば、伯爵様の召使いを俺がどうしようが関係ありませんね」

「ほう、さすが騎士殿。今まで漁ってきた女だけでは足りず、どんな女でもつまみ食いをなさるのか。怖いお方だ」

「それは先ほどの伯爵様も同じかと」

「手厳しいな。それで、何をするのだ?」

「私の召使いにされたことを、俺が再現するまでです。なに、先ほどの俺の質問に答えてくだされば、すぐに止めます」

「!?」

「……なるほど」


 イーノは今度こそ「面白い」とは言わなかったものの、その目は「やれるものならやってみろ」という強い意思を秘めていた。けれど対照的に、彼の後ろでナカノは小さくなっている。まるでイーノに隠れているようで、見つけてくれるなと言わんばかりだ。


「異論はありませんね、では。

 あ、言うまでもありませんが早く答えるのが彼女のためかと」


 恐らく自分がナカノに手を触れた瞬間、イーノは声を上げて人を呼ぶだろう。そうして自分を貶める気だ――シアンの読みは、策略に長けたイーノの性格を的確に捉えていた。つまり、シアンがナカノに触れる前にイーノが降参してくれなければ、この作戦は無意味に終わる。むしろシアンの不利になるのだから、まさに捨て身の賭けだ。

 けれど、シアンには自信があった。それはナカノの特質によるもの、といっていいかもしれない――

「では、召使い。行くぞ」

 少しずつシアンはイーノに近寄る。そもそも二人の距離はそれほど離れていないのだから、触るのだって数秒もかからない。すると案の定、数歩歩いただけでナカノの目の前に来た。彼女の顔は、かなり青くなっている。そしてシアンが手を伸ばせば簡単にナカノに触れてしまう――その距離まで縮まった時だった。

「――かないでください」

「なんだ召使い。何か言ったか?」


 か細い声でナカノが何かを呟いたのをシアンは聞き逃さず、きちんと聞こうと文字通り耳を彼女に傾けた。すると、その時――


「それ以上近づかないで! お願いします……っ!」


 今にも消えてしまいそうな、やっと絞り出したような声が、ナカノの口から漏れたのだ。


「離れてください!  嫌、離れて、お願い……っ」

「だそうですが、伯爵様?」

「……分かった」


 いつも毅然として堂々な立ち振る舞いをするナカノの、まさかの弱々しい姿。初めて目にする彼女の姿に、イーノはつい反射的に、口を突いたように言葉が出てきた。「分かった」と言った本人が一番驚いていて現状を「分かっていなさそう」だったが、その分からない中でもイーノなりに考えていた。この一連の流れは全てシアンの口車に乗せられた結果なのだと――


「なるほど、私の負けというわけか」


 全てを悟ったイーノは、微笑みながら息を吐く。


「さすが、いつも戦の指揮をとっているだけはある。どんな勝負も負ける気はないということか」

「買いかぶりすぎですよ……それで」

「そう急かすな。騎士殿の召使いをからかったことにさして意味はない。無理やり言葉にするのであれば、興味本位だな」

「興味本位ですか。それだけではまだ首を絞める理由にはならないかと」

「だろうな。だが、そうなのだ。あの召使いの色んな顔が見たいと思ってやった。興味本位以外の何がある?」

「……さぁ。俺に分かりかねます」

「私にも分からぬ。初めての気持ちなのだ。どうかこの件、不問にしてくれないか」

「伯爵様というお方が、自分の行動の真髄を理解されていないとは驚きです」

「どうとでも言え。あの召使いに非道なことをした事実に変わりはない」

「……保身に走りましたか」

「どうだかな。しかし、今は自分の保身よりも、早くこの場を離れ私の召使いを休ませたい気持ちの方が大きい。

 もう一度言う。

 この件、ナカノの弱みを知った引き換えに不問にしてくれないか。騎士殿にとって悪い収穫ではなかったろう?」

「さようですか……」


 召使いの弱みは以前から知っていただけのことで、今偶然知ったというわけではない。そう、これは思わぬ僥倖などではなく、知っていた知識を立証しただけに過ぎない当然の結果なのだ。加えて、所詮ナカノは召使い。その情報など役に立たないもので、知っていたところでイーノの弱みを握ったことにはならない。


「(兵士の集団をクビにする王子の下に、召使いの首をしめる伯爵あり……か。俺の召使いが乱暴されたといっても、この王宮では箸にも棒にもかからないだろうな)」


 シアンが先ほどの件を声を大にしたところで、この忙しい殺気立った兵達の前では「それがどうした」の一言で済む。別の言い方をすると「召使い対する情などない」だ。


「(伯爵相手にどうも勝った気にならないのはこれが理由か。結局、俺も伯爵の手の上で転がってんだな)」


 不問にしてくれという問いにシアンが答えが出せないでいると、その迷いを待ち構えていたように「決まりだな」とイーノが言った。その顔には笑みが戻っている。


「あいつに伝えといてくれないか。君に悪いところはなかった、ただ……。

 腰の布と、王子に対する憧憬の目が私の虫の居所を悪くしたのだ、と」

「伝えておきます」


 その感情を『嫉妬』と呼ぶことくらいシアンは知っていた。むしろイーノは知らないのか?気づかないのか?と驚いたくらいだ。


「では失礼する」

「また、いずれ」

「あぁ」


 縮こまってしまったナカノの肩を抱きながら、イーノは華麗な足取りで中央ホールへ去っていく。暫く見ていると、中央ホールに入った途端ナカノがしゃんと背を伸ばして歩いている。その足取りは千鳥足にも似ていて危なっかしいのだが、自分がどんな状態であれ、主に手を焼かすのは「有能召使い」の掟に違反するらしい。


「あいつも変な召使いだな。にしても……伯爵と話すのはいつも骨が折れる」


 気づけばまたいらない徒労に走っていたと、シアンは溜息を漏らす。けれどその足は既に動いていて、どうやら東棟に向かうようだ。その頭の中ではイーノが言った「腰の布」のことがチラついていた。

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