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8.合わない二人三脚②

 自室に戻る廊下で、これからすることを思い浮かべる。


「まずは召使いとして必要なものを揃えたいな。となると、もう一回準備室に行かなきゃね」


 夜の私の部屋は真っ暗だったから、夜作業する時用にスタンド、あとは予備で紙とペンもほしい。それと念のため空いているホルスターに残りのナイフをつめて、部屋を掃除する掃除道具を持ってこよう。

 自室に戻り扉を軽く押すと、キィと軋んだ音を立てて扉が開く。セキュリティも何もあったものじゃない私の部屋は、鍵という鍵が存在しなかった。


「扉用にゴツい南京錠でもあれば、それも拝借しようかな……さすがに乙女の部屋が開放状態ってヤバいでしょ! あと下着。どうか豪華なランジェリーがありますように! あとタオル、それと柔軟したいからマット、あとは肩がこるから電動マッサージとか……これ、なんか怪しまれるかな?」

 ほしい物リストに不穏な空気が流れている。電動マッサージはやめておこうかな。

 部屋を見渡し、必要そうな備品を再度確認して部屋を出る。マフラーは盗難防止のため腰に巻く。太陽の光にあてるとキラキラ命持つように光る布は、黒の生地によく映えた。


「よっしゃ完了! 待ってろよ掃除道具たち!」


 意気揚々と勇み足で外に出る。すると、なぜこんなとこにいるのか分からないが、


「おい、そんなに慌ててどこへ行く」

「え、は、伯爵様!?」


 意外な人物が、私の前に姿を現したのだった。


 

 ◆



「にしてもすごい偶然ですね、まさか伯爵様が私の部屋の前をお通りになるなんて」

「ナカノにお前の部屋を聞いた。あいつはお前の指導役になったらしいではないか」

「はい! それはもう良い方でーー」


 自室でバッタリ伯爵様とお会いして、それから一緒に歩くこと数分。なぜ一緒に歩いているかというと、伯爵様曰く「私もこちらに用があるのだ」ということらしい。


「それにしても、王宮は王宮でも、中が様々なのですね」

「どいうことだ?」

「こちらはすごく暗いので……王宮と聞くと煌びやかな内装を想像するので」

「そうだな。ここ、すなわち王宮の東側に立ち入る者はあまりいない」

「なぜです?」

「用事がないからだ」

「え」


 ズバっといわれた。そうか、用事はないのか。逆を言えば、用事のいらない不要な者をここに置いているのか。思いっきり私のことじゃないかちくしょう!


「王宮は大きく分けて四つの棟で成り立っている。

 北棟は王族しか入ることの出来ない場所だ。国王、王子、王妃など、決まった王族しか出入りが許されない」

「め、召使いはいるのですか?」

「当たり前だ。しかし選ばれる者は極僅かだ。洗練されたメイドと召使いしか出入りは許されない。爵位を持つ私でもかなわない」

「なるほど……」


 選ばれる可能性が低くても、頑張れば選ばれるかもしれないのか!


「なんだか私、元気が出てきました!」

「今の説明のどこに元気になる要素があるのだ……次に、西棟だ。ここは爵位持ちが住んでいる。北側に一番近く、王族をすぐにお守り出来るように護衛の役割を兼ねているのだ」

「なるほど、では伯爵様はいつもそちらにいらっしゃるのですね。ナカノ先輩も同席されるのですか?」

「そうなるな。といっても王族の方がよく西側に遊びに来られるので、部屋はあるが気を抜けない」

「なんと!」


 不平のように聞こえるこの言葉だけど伯爵様の顔には僅かに笑みが浮かんでおり、王族の方が西棟に遊びに来られることに抵抗がないようだ。どうやらギスギスした上下関係ではないらしい。


「王族の方と話す機会があるというのは素敵なことですね。あ、じゃあ、騎士様もその西棟に行かれるのですね! 私も王族の方とお会いする機会があるということでしょうか!」


 ナイス閃きだ私! 案外王子と会えるのは簡単かもしれない!

 しかしこの淡い期待に、伯爵様は首を横に振る。そして、


「ここの騎士殿は特別でな、私たちいる西棟には来ない」


 そう断言した。


「え……じゃあ騎士様はどこに?」


 爵位持ちが西棟に集まるのであれば、騎士という爵位を持つ騎士様がそこにいるのも道理だ。

 なぜ、そこにいないのか?


「騎士様はどこに?」

「騎士殿は、お前と同じ東棟にいる」

「へ?」

「ちなみに南棟は兵、メイド、召使いの住むところだ。そして東棟は、いわゆる倉庫みたいなものだ。ここの埃臭さから何か思わなかったか?」

「へ、部屋は確かに汚かったです、けど」言いよどむと伯爵様の表情が途端に険しくなる。

「もしやこの汚い部屋が自分の身分相応な物だと納得したか?」

「え、いや、あの」

「よもやここが気に入ったわけではあるまい?」

「そんな、まさか!」

「もしも綺麗な部屋があるならそちらに変わりたいだろう?」

「もちろんです!」


 そこまで言うと伯爵様は慈愛に満ちた目で私を見つめた。私はまるで同情を受けたような気分になり、居心地悪いのでツィと目をそらしてしまう。


「なんだ、恥ずかしいのか?」

「いえ、そういうわけでは……」


 続いて伯爵様は私の顎を摑み、自分と目が合うように滑らかに動かした。されたこともない環境に身を置かれ、ただただ、顔が熱くなる。


「な、なんでございましょう……?」

「逃げるな」

「ち、近づかれるから、距離をとらねばと思いまして……」

「なぜ距離をとる?」

「そ、それは……」


 ドンと背中に壁を感じる。もう後はない、逃げることは不可能だ。


「(これが世に言う壁ドン! 皆がキャーキャー言ってたのって、怖いから叫んでたの!?)」


 いくら憧れのシチュエーションと言えどトキメキを感じることは微塵もなく、むしろ恐怖の方がが私を渦巻く。赤かった顔は徐々に青くなっていくが、私を見ていた伯爵様が果たしてその変化に気づいているかは、この廊下の暗さが手伝って微妙なところだった。


「(今まで男の人とこんな近い距離でいたことないから……や、ヤダ!

 こわい! 離れて!!)」


 男の人への耐性がない私は途端に不安を覚え、それからというもの情けなく声が震え、目が泳ぎ始める。そして震える右手はなぜか太股に、伯爵様に気付かれぬよう密かに伸びていた。目指すは、ホルスターに仕込んだナイフだ。

 相手は伯爵様――

 だけど、私の中で築かれていた「いつも紳士で優しい伯爵様」の像が壊れかけている今、彼に対して容赦はなく、むしろ疑問しか残らない。


「(昨日まで優しかった伯爵様じゃない……。今は怖くて、彼のいるここの空気がどんどん冷えていくみたい……)」


 まさか伯爵様じゃない?

 違う誰かの偽物では?

 王宮の警備をどこまでしているのかは不明だけど、あり得ないことではない。背格好や話し方は似ているけども、そんなの真似すればなんとでもなることだ。


「(誰だか分からない人を護衛するんじゃなくて、ことここまでくれば自衛に徹するべきだ。私はそんなお人好しじゃない!)」


 スルスル――

 長いワンピースを上げていく。そしてもう少しでホルスターに手が触れる、そこまで来た時だった。


「思ったがお前のこれまでの言動は引っかかる…………そうか、王子に会いたいのか。

 お前は王子に会って話したいことがあるのだな?」

「!!」


 核心をつかれた。予期せぬ言葉に動揺が隠せそうもない。

 良くも悪くも明らかに反応を示した私に、伯爵様は更に追求する。


「なるほど、王子に……そう言えば昨日も会いたそうな素振りをしていたな」

「そ、そんなことは……!」

「構わぬ、私になんでも話すが良い。私はお前の力になれるぞ?」

「……っ」


 どうしよう。

 ばれた。

 感づかれた。

 私みたいな召使いが王子と話したいと会いたいと思っているのがバレたら、今度は何をされるんだろう?


「……不敬罪でしょうか?」

「なにがだ?」

「私が王子に一目お会いし、お話したいと思うのは、いけないことなのでしょうか?」

「不敬罪ではないだろう。一国の王子だ、誰もが会いたいと思うのはこの国に住む者にとって当然のことだろう。

 だが、お前は違うように見える。特別な理由を持ってして、王子に会いたいのではないか?」

「っ!」カッと思わず顔が赤くなる。伯爵様はそれを見逃さなかった。

「フフ、図星か。そうか、王子に特別な思いを抱くか……お前もかわいそうに」

「どういう――ぐっ!?」


 伯爵様は私の首にいきなり手をかける。いきなりだ。そして首を絞める様に、そのまま力を入れられる。フリではない。本気だ。思ったよりも小さく女の子のような彼の手だが、力を入れられれば否が応でも苦しい。途端に気道が狭くなる。


「はく、しゃくさま! くるし、い……!」


 けれど伯爵様は苦しそうに唸る私を助けようとは一切せず、もう一度、さっきの言葉を吐き捨てる。そしてまるで洗脳するかのように、私の耳元で囁いた。


「かわいそうなやつだ、お前は」


 その際、伯爵様の空いている片方の手は私が腰に巻いたマフラーを触っており、時折すり潰すような握り方をしている。まるで憎しみの対象であるかのような荒い扱い方に、困惑は深まる。


「騎士なんかの召使いにならなければ、こんなみすぼらしい部屋に住むことも、こんな暗い色に身を包み陰険な格好をすることもなかったのに。

 今ならまだ間に合う。

 どうだ、私の召使いにならないか?」

「!?」


 あんなにしっかりしたナカノ先輩がいるのに!

 あんなに伯爵様のことを思ってくれているのに!

 なんでそんなこと言うの!!

 それに「騎士なんか」って言い方はなに!?

 騎士様に仕えることはそんなにいけないことなの!?

 様々な思いがあるが、しかし依然声は出せない。虚しくも空気のみが私の口から出て行った。

 すると声を出せない私の表情を読み取ったのか、伯爵様は「浮かない顔だな」と不満げに眉を顰めた。


「なぜ私がお前を選ぶのか分からないか?

 では答えよう。

 お前はすごく楽しめそうだからだ」

 言った直後、まるで獲物を見つけた捕食者のようにペロリと舌なめずりをした伯爵様からは、最早狂気しか感じられない。

「……っ!」

 ゾクリと背筋を伝う悪寒、心身ともに恐怖に駆られ硬直してしまう体。

「(あぁ、ダメだ……)」

 満身創痍、

 戦意喪失。

 人は超えられない壁を目の前にすると何もできなくなるのかと、人生で初めて知った。受験勉強で味わうものとも、部活で誰かに勝てないものとも違う、経験したことのない圧倒的な敗北感。


「(どうしよう、疲れちゃった……)」


 ホルスターに伸ばしていた手が、力なくダラリと下がる。するとその衝撃があってかなくてか、「おや」と伯爵様が、捲れたワンピースにより露わになっていた私の太ももに目をやる。その時にホルスターに刺さったナイフが見つかってしまい、慣れた様子で一本を抜き取られる。


「こんなちんけな武器で私と張り合おうと思ったか。伯爵である私の身分など関係なく、ナイフを手に取ったか。お前はそうまでして私に逆らうか――なるほど、これはますます面白い」


 伯爵様の冷たい手が、スススと私の太ももを撫でる。ナイフの切っ先は私の顔に向けられており、頬をペシペシと叩かれた。無機質な冷たさと伯爵様の冷酷さが相まって、恐怖からガクンと足から崩れる。


「おや、腰が抜けたか。では私が支えてやろう」


 壁を伝い落ちていく私の体に伯爵様はいち早く反応する。そして私の両足の間に素早く伯爵様は足を入れ、私の体は彼の足一本で支えられる形となった。不安定な上半身は彼の胸に抱き留められ、身動きが取れない。


「あっ……や、め……」


 恐怖と羞恥で声を出して助けを呼ぼうにも、未だに喉に手をあてられていれば声も出ない。


「(このままでは本当に殺される!)」


 まさに命の危機を感じ取り脂汗が出始めた、その時だった。


「探しましたよ、伯爵様」


 さっきぶりの声がこの場に響く。

 目だけ動かすと、微かに見える「赤」の存在がそこにはあった。

「ナカノ、先輩……?」

 どうやら伯爵様の召使いは相当優秀なようだった。今にも怒号を飛ばしそうな表情で私たちに詰め寄ってくる。


「また新入りいじめですか? いい加減にしないと王子から信用失いますよ」

「いじめてなどいない」

「では食べようと?」

「どうだかな」


 伯爵様は私の太ももを二、三度撫でた後、名残惜しそうに手を離していった。ついでに首も足も解放してくれ、自由になった私の体はなす術なく、今度こそ地面に崩れ落ちる。


「はあ、はあ……!」


 さっきのは夢だったか、なんだったか――頭の中がグルグルと回る。

 伯爵様は、あんな人だったか? いや、違う。

 では、あれは誰だ?


「興ざめした。部屋に戻る」

「疲れたのでしょう、お昼を召し上がってないのに動かれるから」

「腹が減っていなかったのだ」

「では今なら召し上がってくださいますね?」

「善処しよう」

「お願いします」


 何事もなかったかのように、二人は私の前を通り過ぎる。その際ナカノ先輩に礼を言えないものかと、重たい頭を何とか上げた。しかし努力の末虚しく、その時目にしたのは意外なものだった。


「ナカノせ、」

「爵位ある方は常にお忙しいお方。それを、自分の都合で立ち止まらせるなど言語道断。加えて、話す時は一歩引き、歩く時は背中を見なければ。

 それに――主人以外の方にすり寄ろうなど他の召使いが聞けばこれまでに無い笑い者。今日はいらない隙を作ってないで部屋に篭っておくべきかと」

「え、あの……」

「では」


 私をまるで汚い者を見るかのような、嫌悪の眼差しを送るナカノ先輩。その瞳からは憎悪も滲み出ており、私の存在を忌み嫌っていることがありありと読み取れた。

 しかし一喝した後、私を見たのも一瞬。その後は伯爵様に寄り添うように後ろに控え、ぶつかりそうなほど近く、だけど決してぶつからない距離のまま、二人はこの場を去った。


「なん、なの……なんだっていうのよ……!」


 昨日まで優しかった伯爵様。

 さっきまで優しかったナカノ先輩。

 そんな二人が、手のひらを返したように冷たい態度になった。安心しきっていた心が悲鳴をあげる。


「震えが、止まらない……」


 恐怖と止めどない不安が一気に襲いかかる。カタカタとまるでゼンマイのように定期的な震えが、今更ながら私の体に行き渡り支配する。


「悔しい……悔しいよぉ……!」


 私の声をきいてくれる者はいない。だけど誰かが聞いてくれればと思いながら、誰かが助けてくれればと思いながら、いつまで待っても来ない誰かを震える体で待ち続けた。

 だけど待てど暮らせど、倉庫代わりになっている東棟には誰も来ず、まだ昼だというのに暗い廊下がただ私の体温を下げていった。


「紫音先輩……会いたいよ」


 私がもう一度動き出すまで、まだ少し時間がかかるようだった。

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