1.平穏な日々
「フラン、悪いけど牛の乳をとってきてくれないかい?」
「分かったー!」
大きな透明な瓶を持ち、古びた木の扉を開ける。
すると目の前には、のどかな牧場のような光景と、そこに広がる牛や馬、鶏など、更には大小さまざまな鳥までもがのんびりと日光浴を楽しんでいる。
「みんなー、やっほー」
私の姿を捉えると、動物たちはまるで尻尾を振る様に私に近づいてくる。ここにいるほとんどの動物を飼育しているがここまでは懐かない。どうやら毎度毎度ご飯をあげていた結果みたいだ。
「ちょ、ビアンキ! じっとしていて? 私はジョーカーのお乳をもらいに来たの!」
ビアンキというのは鶏のこと。トサカが派手で、ここの鶏のボスを務めている。そしてジョーカーというのが、おっとりした性格の牛。模様が珍しく、ジョーカーには黒ぶちがない。真っ白の牛だ。
「だからお前のお乳は美味しいのかな~ね、ジョーカー」
モーと、まるで私に微笑むかのようにジョーカーは鳴く。
「そう言えば……」
初めてここに来た時も、この鳴き声に助けられた。
『慰めてくれるの?』
あの時から、一か月が経とうとしている。
私は、少しでもここの住人になれているのかな?
「フラン? まだかい?」
「ごめん、すぐ戻る!
じゃあね、みんな」
振り返ると、古臭い木造一階建ての小さな家。吹けば飛ぶような、まるで藁のような脆い家だ。
そこに暮らすおじいちゃんのダビイ・ブラウン、
おばあちゃんのバベット・ブラウン、
そして、
私こと、フラン・ブラウン。
ここローフェン王国の、いわゆる下級層にあたる私たちは山の中でこうやってひっそりと暮らしている。と言っても、私はブラウン家の養女で、このローフェン王国に来たのも一か月前。
じゃあ、その前はどこにいて、何をしていたかって?
それは――
日本の東京で、しがない女子高生をしていました。
「あぁ、一か月でこの順応力……私って天才かも!」
さっきフラン・ブラウンといったけど、本名は深見翔子。
東京にある海山高校に通い、生徒会書記をしていた。
三年だし、この生徒会もそろそろ解散だね~っと名残惜しく話していた、その日の放課後のこと。
『ネコちゃん危ない!!』
溢れすぎる正義感が出てしまって、車道に飛び出し猫を救済。
が、代わりに私が車に轢かれていまい、高校を卒業をせずに人生を卒業をしてしまったというわけ。なんともバカなことをしてしまったと思うけれど、咄嗟のことになると人間頭で考えるより体が動く方が速くて、あの時の私にはどうにも止めようがなかった。それが例え、自分自身だとしても。
そして目が覚めたら、このローフェン王国にいて、この山の中に一人転がっていたのだ。
「にしても、よく無事だったよね……」
このあたりは自然豊かな場所で、それ故たまに熊とか出てききちゃったりする。その度にダビィおじさんが銃を持って追い払っているけれど、銃の扱い方を知らない私なんかが熊に見つかりでもすれば、格好の餌だ。
そんな中、転生後この場所に転がりながらも四肢が無事で、しかも家なき子にならず、こうやって温かく迎えられたなんて、つくづく自分の強運さを実感する。当たり前だが、このブラウン家にはすごく感謝しているのだ。
「バベッドおばさん、お乳もってきたよ~」
「ありがとうフラン、かしてちょうだい」
「今日は何作るの?」
「木の実のプアムを牛の乳で甘く煮る、プアム煮だよ。フラン、好きだろう?」
「大好き! 手伝うね!」
「ありがとう、デビィもそろそろ帰って来るから、急がなきゃね」
「うん!」
デビィおじさんもバベッドおばさんも六十歳後半で、私がいないと少し頼りない時もある。と言っても、まだまだ元気だから今のところ心配はないのだけど……やっぱり将来は、私が二人をちゃんと支えていきたい。それが私なりの恩返しだ。
「牛乳かぁ~」
今は空瓶になったそれを見て呟く。
「そう言えば、先輩好きだったなぁ……」
こっちの世界のことを考えながら、たまに、元いた世界のことを考えたりする。生活が全然違うものだから二つの世界の共通点は少ない。だからこそ、こういった何でもない食べ物が思わぬリンクをした日には、昔を思い出さずにはいられないのだ。
「っていうか、高校で留年ってどうなってんの。本当、紫音先輩って全部がぶっ飛んでたよねぇ」
紫音先輩――高垣紫音と言う人は、爽やかな青年だけども体が弱く、出席日数が足りないと言う理由で留年し、一つ上なのにも関わらず私と同じ学年で同じ一年を過ごした、少し変わった人。飄々とした人だけどどこか大人びていて、年下の私にも気兼ねなく接してくれる。話しやすい人であったと同時に、誰とでも仲良くできる人気者――私の尊敬する人だった。
『生徒会長、立候補するんですか?』
『うん、今度は出席日数が足りなくてもどうにかしてもらえるように、内申点を稼いでおこうと思う!』
『……ップ』
『なに?』
『いや、その前に――ゆっくりでいいですから、体を治していきましょうね?』
病弱な先輩がそう言っているのだから、彼自身は本気で言ったことだったのだろう。クスクス笑った私は不謹慎だったと今更ながらに思うけど、その時の先輩は怒りもせず「そうだね」とほほ笑んだ。その笑顔にドキリとしたけれど、それよりも、
『そうだね。翔子ちゃんと一緒に気持ちよく堂々と卒業しなくちゃね! 翔子ちゃんのいない学校生活なんて退屈だよ』
『っ!』
そう言いながら頭撫でてくれたあの時の出来事が忘れられなくて、今も忘れてなくて――その時からずっと、私は紫音先輩に恋い焦がれている。
思えば、私はその時から「弱い物は守らなければ」という使命感、正義感が芽生えたんだと思う。そしてその感情は、本当に生徒会長になった紫音先輩と一緒に過ごす内に日に日に増していった。まあ、その結果が、自分の命を賭してまで猫を助けてしまったことになったとしても、それはそれで仕方なかったと今では思える。
「何だかんだ生徒会って忙しかったし、紫音先輩とはずっと一緒にいたもんなぁ~。手を動かしながらたくさん話は出来たし、あの頃から徐々に洗脳されていたんだよなぁ私は」
もう帰れない世界だけど、もう触れられることのない存在だけど、紫音先輩のことは今でも考える。
私は今だって、紫音先輩が好きなのだ。
「フラン? どうしたの?」
「んーん……なんでもない」
「そう? 百面相してたから」
「ふふ、そう?」
なんでもない。
この世界にいたって、紫音先輩には会えないんだから、考えたって仕方ない。
「バベッドおばさん、味見してもいい?」
「こら、まだ早いよ」
「ちぇ~」
伸ばしかけた手を引っ込める。同時に服をギュッと握ると、簡単に皺が寄った。薄い布で作られた私の服は初めは白かったはずなのに、一か月という期間で茶色に変色している。メイドさんが着るようなシルエットにはなっているけれど、生地は天と地の差がある。太陽の下に行けば下着が透けて見えるんじゃなかと危惧した私は、更に薄いエプロンを申し訳程度に腰に巻いている。
初めは服に抵抗があったけど、今は慣れたもの。それに何より、私のために楽しそうに服を作ってくれたバベッドおばさんのことを思えば、私はそれだけでとっても幸せになれる。
コンコン
「あ、デビイおじさんだ!」
だけど、私は知らなかった。
この幸せも長くは続かないということを、まだ、知らなかった。
「デビィおじさん、空いてるよー」
いつもはノックなしに入って来るのに、今日はどうしたんだろう。
ガチャと開けると、目の前にデビィおじさんはいなかった。代わりにそこにいたのは、端正な顔立ちをした軍服を着た青年だった。手に何か持っている。紙……もしかして、何かの書状?
「あの、どんなご用件でしょうか?」
「突然すみません。わたくしはローフェン王国の伝令兵です。
デビィ・ブラウンさんはご在宅ですか?」
「いえ、まだ帰ってないんですけど――代わりに聞いてもよろしいですか?」
伝令兵の人に聞くと、青年は端正な顔を少し歪めて観察するように私を見た。つま先から頭のてっぺんまでネットリとした視線を私に送った。気持ち悪い、と思ったが青年の視線は私のある部分を見にしてピタリと止まった。
髪だ。
「失礼ですが、あなたは? 長い黒い髪を見れば、異国の人でしょうか?」
「先月、ここの養女となりました。フランと言います」
「幼女――しかしあなたはもう大人のように見えますが、」
「幼女ではありません、養女です! 養子の女の子です!」
誰が幼女だ!
私だってそんな年じゃないことぐらい分かってるわ!
お前より私の方が年上であることもな!!
「成る程、報告しておきます。
しかし……」
青年は視線を落とす。どうしよう――という声が聞こえてきそうだ。この目の前の女(私)に話す内容ではない――という雰囲気もありありと見て取れた。どうやらバベッドおばさんを呼んでくるしかないようだ。
「今、母を呼んできます」
「お願いします」
けれど、この雰囲気――
バベッドおばさんを呼びたくない。もしも呼べばこの時間が壊れてしまいそうで、二度と、この幸せが戻って来ないような気がして。
けれど、気配を察知したバベッドおばさんが「どうしたの」とやってくる。
「伝令兵、さん」
「まあ……」
掻い摘んで説明すると(と言っても一言名前を言っただけだが)、それだけで事態を把握したかのようにバベッドおばさんは笑うのをやめた。おばさんが何を把握したのかは分からないけど、その行動一つで、この世界のことがサッパリな私でもよくないことが起こることだけは予見できた。
「遠い所をわざわざ――けれど、主人はまだ帰っておりません。主人と二人で聞いた方が良い話ですよね?」
「いえ、国王からこの書状を渡すようにと言われてますので。わたくしはこの書状をお渡しに来ただけです」
「は、話し合いはないんですか!? こちらの言い分を少しくらい聞いてくださっても!」
おばさんがいつになく大きな声を出す。それに対し、青年は先ほどまでと変わらない穏やかな口調だ。その様子が鼻につき、私の機嫌はさらに悪くなる。
「話し合い、ですか。そう言われる前に、早く中身を見てほしいですね。いや、読んでほしいですね」
「それは、どういう?」
「その中身に書かれていることがすべてです。そしてその書状は国王が書いたもの。国王の命令。つまりは――議論の余地がない、ということです。それでは、私はこれで失礼します」
「ちょ――!」
バタン
伝令兵は言ってしまった。
不穏な雰囲気を残して、いらない書状を残して。
「バベッドおばさん!」
「とりあえず、中を見てみましょう」
先ほどまでの狼狽ぶりから、おばさんはきっと中身を知っている。中身になんて書いてあるか知っている。だけど、それでも確認したいんだ。自分の予想は違っていると、信じたいんだ。
「(おばさん……)」
ガサガサと書状を開く手が震えている。横顔を見れば、今にも泣きそうな顔だった。そして今にも目から涙を落としそうになりながら、書状の中身を読み始めた。
「”この度――”」
『この度、ブラウン家におかれましては日々王国のため尽力していただき感謝をしています。しかし昨今、王国への献上品が少なくなっており、我が王国としてもブラウン家を支える理由が希薄になっております。そこで、ブラウン家にはそれぞれ別宅に移っていただき、王国のために働いていただきます。退去は一週間以内、それぞれがどちらの家に行かれるかは、別途お知らせ致します。
以上――』
「なにこれ……」
要するに、農家ではやっていけないから転職しろ。
転職先は、こっちが決める。
王国にとって得になる存在となるまで、一家離散で生活しろ。
一週間以内に引っ越しを済ませて、
この育った家を、売り払え。
そういう内容が書かれていた。
「なにこれ!!」
こんなの、暴君のやることだ。
ローフェン王国というのは、こんなにも絶対王政だったの!?
「バベッドおばさん、こんなことってないよ! こんなの従わなくていい! やめようよ、こんなの間違ってる!!」
「フラン……」
おばさんの顔色が悪い。今にも倒れそうだ。
「ひどいよ、こんなの、あんまりだよ。おばさんとおじさんと離れたくない!」
「ウチが貧しいばかりに……ごめんねフラン」
その時、おばさんが涙を流した。それは初めて見るおばさんの涙で、お母さんが流す涙と同じくらい、見ていて辛かった。
その時、バタンと扉が開く。
見ると、デビィおじさんがおばさんと同じ顔面蒼白で、中にも入らず立ち尽くしていた。
「デビィおじさん……」
「今の話、本当なのか?」
おばさんが、震える手で書状を渡す。受け取ったおじさんは短い文章なのに、何度も何度も読んで、けれども、何度も何度も理解できない顔をして……その表情を見るのも、また辛かった。
「おじさん、おばさん……」
二人の意気消沈した姿。それは痛ましいものだった。
「この書状さえなければ!」
二人に出来ることって一体なんだろう。
私はどうなってもいいから、せめて、この二人だけはいつまでも一緒に、この住み慣れた土地にいさせてあげたい!
「私……王宮に直談判に行く」
「フラン……?」
「落ち着け、フラン。きっと取り合ってもらえない」
「そうだとしても、行く!
私、このまま一週間なにもせずに、ただ退去を待つだけなんて嫌だ!! 二人が私にしてくれたたくさんのことを、今度は私が二人に返してあげたいの!」
気づけば私も泣いていた。
腰まである黒髪を振り乱して、まるで演説するかのように声を荒げていた。
こんな私、私も初めてだ。
こんなにも誰かのために何かをしたいと思ったのは、紫音先輩の傍にいた時以来かもしれない――
「私ね、二人の子どもになれて本当に幸せだったの。これからも、三人でいたいの。ずっとずっと、この先も――――だから待ってて」
無精ひげを生やしたデビィおじさんは、強面なのに目に涙を浮かべている。
白髪のバベッドおばさんは、泣きすぎて目が赤くなっている。
その姿が、私の気持ちを更に固めた。
この二人を守らなければ――!
「だから私、いってきます!」
書状を撤回してもらおう。
国王に直談判するんだ。
そのために、王国へ乗り込むぞ!




