挿話. とある男女の物語
月のものが来ないことを伝えると、魔族の男は固まった。
笑顔も見せてくるようになっていたし用が無くても顔を見せに来てくれていた。
自惚れでなければ心を砕いてくれていたのではないかと思う。
そんな相手を殺さなければいけないのはどんな気持ちなのだろうか。
男の顔が歪んでいく。
悲しげに、怒ったように、感情の乏しかった彼の顔が今ではくるくる変わっていく。
そして最後には泣き笑いのような顔になって「……そうか。」と一言溢して私を抱きしめた。
抱きしめられるとは思っていなかったから今度は私が固まる番だ。
声にならない悲鳴をあげて驚いているとクスリと笑って背中を撫でてくれる。
男と過ごした半年は穏やかに心安らぐ時間だったが、だからこそふと恐怖に襲われるときがあった。
いきなり癇癪をおこしたこともあったし、泣いたりもした。夜中に叫んで起きるときもあった。
そんなときは必ず抱きしめて背中を撫でてくれるこの男の温もりに救われていた。
男と過ごすまでは知らなかった幸せで、だからこそそんな恐怖はなかったのだから男のせいであり男のおかげで助かったともいえる。
産むことができなくても、この手に抱くことができなくても……男との間に子供が出来たことは幸福以外のなにものでもなかった。
だからこそ一思いに苦しくないように殺してもらえるといいな、と思った。
「……ーーンだ。」
思考に耽っていたからか、男が何かを言ったようだが聞こえていなかった。
謝罪してもう一度言ってもらえるように頼むと、恨めしそうな目をしながらも仕方ないなと言いたそうに口元に笑みが浮かんだ。
「エリュシオン・ツェー・セラフィム。私の名だ。」
半年一緒に過ごしてきたがお互いに名前は聞いていなかった。
部屋を移動してからはメイドさんたちも来なくなった私の世界にはこの男しかいなかったから、名前を知らなくても特に不便を感じなかったのだ。
まぁ移動する前も特に感じなかったのだが。
メイドさんたちも皆『団長殿』と呼んでいたから聞いたこともなかった。
なのに今更名前を教えられる真意が分からなくて、怪訝な顔をしてしまったのは悪くないと思う。
そんな不満げな顔をされても。
「エリュシオンでも、エリュと呼んでくれても良い。今や私の名を呼ぶものは1人もいない。お前の、名を教えてはくれないか……?」
切なげにギュッと抱きしめられて、名前を教えてもらって、名前を教えてくれと言われて……。
勘違いしてしまいそうじゃないか。
私はこれから貴方に殺されるというのに。
あ、ああそうか。
決闘の前に名乗るみたいな感覚……なんて、そんな言葉が浮かんでもやっぱり甘い疼きが広がって頬が赤く色付いていく。
黙っているからか抱きしめる腕に更に力が入ったあとに顔を見るかのように離れてから言われたセリフに完璧に思考が止まった。
「……私はお前が好きだ。殺したくなど、ない。
子は、正直どうでも良い、ただのきっかけだ。だが……お前と……いや、貴女とは、いつまでも……ともにいたいと、思っている。」
ポカンと口が開いてしまった自覚はある。
そしてじわじわと頬に、顔に、身体中に熱が集まっていく。
熱くない場所なんてどこにもないくらいだ。
「なっ……ななな、なにをっ……!
私は人だ! そして貴方は魔族だろう!?
忌み子が生まれる前に殺すのが掟だと言っていたではないか!
私はっ! 私だって……貴方に、死んでほしく、ない……掟を破ったらどうなるか分からないではないか……!」
忌み子。
できた子供には死んでほしくない。
だけど、今芽生えはじめた新たな命も大事だけれど、私には実感のあまりない子供よりも、彼が……エリュシオンの方が大事なのだ、万が一にでもそのことで死んでほしくはない。
彼が死んでしまったらと想像するだけで心が凍りつく。
「……そうか。」
辛くなって閉じてしまった瞳を、柔らかい声が聞こえて開くと声同様見惚れるような顔でエリュシオンが微笑んでいた。
ただでさえ美形なのに初めて見る柔らかい笑顔に目を瞠ってしまう。
あんなに色んな表情を見せてくれていたというのにまだ見たことのない顔があったとは。
「私に名前を、教えてくれないか?」
左手を腰に回したまま、右手は私の左手をとり軽くキスをして催促する。
先ほどから赤くなったり青くなったり、身体の変化についていけない。
くらくらする頭のまま、促されるままに名前を告げる。
「……サナ……」
「サナ?」
「育った孤児院では……番号で呼ばれるんだ。
巣立っていって連絡が取れなくなった空き番号が入居時に与えられる。
そして私の時が37番だった。
冒険者登録時に名前を変えようと思ったけど思いつかなくて……37番からサナってつけたんだ。」
孤児院にいた話はしていたが名前に関する話なんかはしていなかったからエリュシオンは驚いたように目を瞠っていた。
孤児院でも外に出てからも親しい人を作らなかったから名前で呼ばれることもほとんどなかった。
ましてやこの話をしたのは初めてだからこんな反応されるとは思わなくてこっちまで驚いた。
悲しそうな顔で頭を撫でてくるエリュシオンは家族は皆亡くなったと言っていたが、きっと大事に育てられたのだろうことを理解した。
「そうか……貴女がその名前に執着がないのならば……私が名前をつけても、いいだろうか……?」
「名前をつけてくれるのか!? ぜひとも頼む!」
勢いよく返ってきた台詞に驚いたような顔をしたが優しい笑顔で頭を撫でてくれる。
半年前は無表情で無口だったこの男がこんなに色んな表情をするようになるとは思ってもみなかったなと改めて思った。
少し考えるような表情で頭を撫で続けてくる。
少しくすぐったいが、向けられる笑顔も柔らかく撫で与えられる温もりも嬉しくて、緩んでしまう口元を抑えるので精一杯だ。
「アン……アングレカム、でどうだ?」
「アングレカム……うん、それで良い!」
初めて与えられた名前に嬉しくなって笑顔になる。緩んでいた口元を抑えることはもう無理だ。
「ではアン。私は今の地位よりも、魔族全体よりも、貴女が大事なのだ。
2人でここから逃げよう。私と結婚してほしい。そして子を産んで共に育ててほしい。」
何を言われたのか分からなくて、思考が止まる。
少しずつ反芻して理解しようとするがその前にさらに思考を止めようとしているのか畳み掛けてくるように言う。
「私は貴女に溺れてしまった。共にいた魔法使いの女のように誰かの手にかかって殺されてしまうことも、自ら手をかけることも許せない。
……アン、アングレカムとは花の名だ。花言葉は『いつまでも私とともに』
ここから逃げたらきっと私の補佐などの敏い者は気付くだろう。その先は身を隠した逃亡生活になると思う。
この名が私から貴女に贈れる最後のものになるかもしれない。
それでも、いつまでも私とともにいてほしい……」
願い請うように、縋るように告げられる言葉を理解するまで、たっぷりと時間をかけた。
理解が進んでいくとともにどんどん頬が熱く、赤くなっていくのが分かる。
なんて返そうかと悩むよりも先に全ての言葉を脳が理解した瞬間には首が縦に動いていた。
輝くような眩しい笑顔を浮かべて抱きしめられると初めて与えられた名の嬉しさと、私とともにいたいと言ってくれるこの男の気持ちが嬉しくて私も笑顔が深まっていく。
「ありがとう……。まだ生きていけることも、貴方と生きていけるということも、全てを捨てて私を選んでくれるという事実も……何もかもが嘘のようで、だけど嬉しくて……胸がいっぱいだ。
私も貴方とともにいたい。いさせてほしい。
愛している、エリュシオン。」
「アン……そうか、そうか……。
愛している。いつまでも2人でいよう。」
少し見つめあってから近づいてくる顔に目を伏せる。
そっと重なり離れていく唇に微笑みを返せば再び重なり激しくなっていく。
抱きしめあっていたエリュシオンの手が胸に伸びてきて……
「って待て! 何故手が伸びてくる!?」
「? 今日はまだ一度しかしていない。」
「そっ、そうだけど! 逃げる準備とかっ……」
「それは明日から……ダメか?」
くっ……そんな寂しそうな顔をするなんて……。
「…………。うーっ……激しく、しないなら……!」
「ふっ……了解した、愛しの奥様。」
「〜〜〜〜!」
黒髪金目の魔族のくせに、天使みたいな甘い甘い笑顔を向けてくるこの男には……一生敵わないのかもしれない。
捨てる必要のなくなった大事な大事な宝物。
エリュシオン、と……お腹の子……
二つも宝が出来るなんて、幸せすぎて怖いくらいだ。
ねぇエリュシオン。
『いつまでも私とともに』いてね。
お待たせしました。ひと月も空いちゃいましたね!
挿話とあるシリーズは多分これで終わりです。
あと逃亡生活ですしね、そんなん書いてたら本編を食い破りそうwww
作中で2人が子供よりもお互いが!みたいなこと言ってますが、産まれた子供はめちゃくちゃ大事にされます。
それにしても胸糞悪い孤児院ですよね。あ、サナさんという名前の方がいましたらこんな使い方してゴメンなさい。でも名前可愛いと思います。作者は二文字の名前好きです。
さて、次話からは新章になります。
ピューっと時間は進んでユイちゃん15歳になります。
では、いつも応援、閲覧ありがとうございます!




